屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

文字の大きさ
上 下
41 / 194
第一部

第41話 消えた女

しおりを挟む
「そんな話は・・・誰もしていなかったが・・・。」

 ペネループが、皮肉をたっぷりと込めた笑い声を立てた。

「誰もしていなかった!へえ、びっくりしちゃう!マチルダの時もシャーリーの時も、メリルの時だって、あたしたち、治安隊の屯所に行って、届けました。そしたら、『酒場の女や娼婦のひとりやふたり、ちょっとした家出だろう。そんなことでいちいち来るな。』って相手にしなかったのは、そっちじゃないですか!?」

「ペネループ、やめなって。」

 ニコールが落ち着かせるように声を駆けたが、ペネループの剣幕は収まらなかった。瞳に悔し涙を滲ませ、棘のある声音で、言い募る。

「それなのに、貴族のご婦人が事件に巻き込まれた途端に、治安兵士どころか今まで見たこともない数の騎士がやってきて、あれこれ偉そうに聞きだして!こっちだって、貴族のご婦人なんて、知ったこっちゃないんだから!」

 この二週間余りの聞き込みで感じた、町全体から拒絶されているような、不穏な空気の正体が、すとん、と飲み込めた。

「・・・それは、申し訳なかった。」

 頭を下げると、ペネループは、はっとしたように瞬き、俯いて毛先に指を絡ませながら、しどろもどろで口を開く。

「まあ、お嬢さんとお知り合いみたいだし、別に、もういいんですけど・・」

 その顔はまだ幼く、三つの子を持つ母親には見えない。この地区にいる女達は、したたかで逞しいのだろうと勝手に想像していた。同情しても、きりがないことは承知していたが、哀れみが湧く。
 ニコールが涙目で俯くペネループを見やりながら、口を開く。

「それから、お嬢さんも、何かおかしいから、とおっしゃって、治安隊の方に、掛け合ってくださったんですが・・・」

『子どもに、希望ホープ、という名をつけるようなお母様が、子どもを残していくなどとは、どうしても思えません。どうか、探していただけませんか。』
 と治安隊兵士に頼んだ。
 リリアーナの話し方と立ち居振る舞いから、どこかの令嬢だろうと察した兵士は、ニコールやペネループに対するほど、無礼な態度はとらなかったものの、探す相手が酒場で働く女と知るや、
『それじゃ、何かわかったら、連絡しますから。ここに連絡先書いといてください。』
 とだけ言った。
 絶対に何もしていない、と確信できた。

「わかりました。その担当の治安兵士は、あたしが後で、責任もって抹殺しときます。社会的に・・・。」

 ふふふ、とオデイエが不穏な笑い声をあげる。

「マチルダとシャーリーとメリル。その三人に、何か共通点はある?いなくなるまえに、何かあったとか。」

 キャリエールに問われて、ニコールとペネループが揃って頷いた。

「その三人、ぱっと見じゃ見分けがつかないくらい、よく似ていました。ストロベリーブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳。それから・・・、そんな話、怪しいからやめとけって、言ったのに・・・。」

 ペネループが唇をぎゅっと噛む。

「メリルはいなくなる前、ひどく喜んでいました。お金持ちの、すごくいい人と・・知り合ったって。」

『ちゃんとした仕事を紹介してくれるって言ってくれたの。これでやっと、ホープとここを抜け出して、ホープにちゃんとした暮らしをさせて、教育もつけてやれるわ。もしうまく行ったら、あの人にニコールとペネループのことも頼むからね。ほんとに、すごくいい人で、すごく気前がいいんだから。』

 そう言って出かけて、それっきり、帰らなかった。

「一度、ここに落ちたら、もう戻れないってことは、メリルにだって、この地区で生きる者なら誰だって、わかってたはずなんですけどね。」

 ニコールが、目を伏せ、そっと呟いた。
 その口元には、現実を受け入れ、諦観した微笑が浮かぶ。
 この国で私生児を産んだ女が辿る道は、誰もが知っている。だから、女たちは子を捨てる。結果、教会の孤児院は誰の子とも知れぬ孤児たちで溢れ返っていた。

 人を使う立場の人間、つまり貴族は、何よりも体面を重んじる。その貴族が、私生児を産んだ女や、クルチザン地区に関わりのある者を雇うことは、決してない。
 クルチザン地区で私生児として育つホープ達もまた、この先、よほどのことがない限り、いっぱしの仕事に就き、輝かしい未来を行くことは、おそらく難しい。それが、この国の現実だった。

 ホープの母親は、目の前に決して手の届かぬ夢をちらつかされ、騙されて連れ出されたのだろう。
 三週間・・・もし、本人の意思に反して連れ去られたのだとしたら、無事である可能性が、果たしてどれほどあるだろうか。

「・・・その男に心当たりは?人相だけでも。」

 二人は首を横に振る。
 金持ちで人当たりの良い男・・・と聞いて、王宮の牢に入れられている男の顔が思い浮かぶ。

「それから、この女性には、見覚えがないか?」

 ラッドが、胸ポケットからマルラン男爵夫人の写真を取り出し、二人に見せた。
 ニコールとペネループが覗き込んで、静かに首を横に振る。

 マルラン男爵夫人は亜麻色の髪と瞳だった。

 マルラン男爵夫人の事件とこの失踪事件には、何か関わりがあるのだろうか。
 謎は深まるばかりで、先に進んでいるのかどうかもわからなかった。

 五里霧中の不透明な先行きに、嘆息が落ちた。


 この時はまさか、この事件がたった一日で急転直下の解決に導かれることになろうとは、知る由もなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

処理中です...