屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第30話 休日

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 翌朝、広大な公爵邸敷地内に設けられた騎士団練習場での鍛錬後、シャワーと着替えを済ませて食堂に行くと、シュロー・ラッド、ルイーズ・オデイエ、アルフレッド・キャリエールの三人が、同じテーブルについていた。

 キャリエールが、こっちです、という風に手を振る。

 第二騎士団の食堂は、南側にズラリと並ぶ掃き出し窓から、大階段下の練習場を見渡せるようになっていた。床には黒く光る御影石が貼られ、壁に掛けられた巨大なタペストリーには、第二騎士団の鷹の紋章が織り込まれている。
 吹き抜けの広々とした食堂には、燦燦と日が差し込んでいた。

 配膳台には、何種類ものパンやハム、パテ、チーズなどをはじめ、スープやサラダ、肉料理や魚料理から果物やデザートまで、不規則な事態に対応しなければならない騎士達が何時にやって来ても、空腹を満たせるように十分に用意されている。
 席に着くと、給士がすぐさまワゴンに乗せてテーブルに運んできた。

 目の前にさっと出されたのは、厚く切ったローストビーフと玉葱やレタス、トマトなどの具を挟んだサンドイッチだ。
 分厚いので、フォークで押さえナイフで切り分け、口に運ぶ。
 普通に美味い、のだと思う。

 昔から、食べることに、さほど興味が持てない。腹が空くから食うが、それを喜びと感じたことはなかった。生きることへの執着が薄いからだろうか。

 だから、食事に時間を割くことはあまりない。何を食べたって一緒だから、手早く食べられるものを、と言ったらこれを勧められた。日によって具は変わるが、パンに肉と野菜が挟んであるのは同じだった。

 騎士の仕事は不規則で、昼を抜くことも多々あるから、皆、朝はがっつり食べて体力をつけてから、その日の任務に就く。


「しっかし、俺達も仕事人間ですよね。珍しく休みもらえたのに、揃いも揃って、ここで鍛練して制服着て朝メシ食ってんですから」

 キャリエールが骨付きリブステーキの大きな塊にナイフを入れながら溜息をつく。

「休みなんてもらっても、どうせ行くとこもなくて暇でしょ。でも、明日はもういいから休めって言うなんて、公爵もたまには優しいとこあるわよね。
 いつもは信っじられないくらい、人遣い荒いけど」

 オデイエが、血の滴る分厚いステーキを一切れ口に運びながら、にやりと口端を上げた。

 セシリアの件の報告を受けた公爵は、眉間に皺を寄せ真剣な様子を見せた後、わかった、とだけ言うと、秘書兼政務補佐官のシャルル・ミルにセシリアと子ども達についてあれこれ指示を出した。

『今日はもう戻っていい。明日は休め』

 と珍しく気遣いを見せるほど、ロイの家族のことは気に掛けていたのだろう。

「まあ、あの人は、昔から敵には全く容赦ないが、身内には甘いところがあるからな」

 ハチミツとクリームがたっぷりかかったフレンチトーストを切り分けるラッドの言葉に、全員がまあね、と言いたげに頷いた。

「……それにしても、昨日は不覚にも泡を食ったわ。ラッド卿、セシリアの様子、どうでした? 朝まで、病院で付き添ってたんでしょう?」

「体の方は、ほとんど問題ないようだった」

 本題を口にしたオデイエに、ラッドが頷きながら答えた。

 昨日、馬車でリリアーナを伯爵邸に送ってから、馬に乗り換え、公爵邸に急ぎ、ノワゼット公爵にセシリアの件を報告した後、王立病院へ向かった。

 セシリアはちょうど、浅い眠りから覚めたところだった。
 無味乾燥な病室の、白いベッドの上で点滴に繋がれながら、セシリアは、ぽつり、ぽつりと語り出した。

『……はじめのうちは、うまくやれてたの』

 ラッドと俺は、ただ黙って聞いていた。

『ロイがいなくなってしばらくは、通いの家政婦とベビーシッターが来てくれてた。子ども達は今よりもっと小さかったけど、その分、慌ただしかったから、あまり悲しむ余裕もなかったわ』

 ラッドが黙って頷いて、先を促す。

『それが、ちょうど一年くらい前、ベビーシッターの女の子が結婚して辞めることになって、家政婦は遠くにお嫁に行った娘さんに子供が産まれたから、近くに住むために王都を離れることになった。
 ……どっちもおめでたいことで、喜んで明るく見送って、二人とも、ちゃんと後任の人も紹介してってくれたのよ』

 セシリアは、病室の白い天井をぼんやりと見つめながら続けた。

『二人が辞めて、話し相手がいなくなって、ふとしたことでロイのことを思い出すことが多くなった。
 ある日、天気がいい日に子供たちを連れて、近くの公園に行ったの。
 子ども達が遊んでるのを眺めて、昔を思い出しながらベンチに座ってたら、小さな子どもを連れた二人の母親に、声を掛けられたわ』

 ―― 失礼ですが、ロイ・カント卿の奥様ですか?

 ―― ああ、やっぱり!わたしたち、第一兵団所属だった、―――と―――の妻です。

 ―― わたしたちも、あの戦争で夫を亡くしたんです……。

『それから、公園で会うと話すようになって、』

 ―― ほんとに、一人で子どもを育てるのって、大変よね。
 年金だって、ほんのちょっとしかもらえなくて、生活は苦しいし。

 ―― わかるわ。あれっぽっちじゃ、家賃払って、食べてくだけでやっとだわ。
 子どもがもうちょっと大きくなったら、働きに出なくちゃ。
 まあ、兵士の寡婦は優先的にいい仕事に雇ってもらえるっていうのが、まだ救いよね。

 ―― ああ、でも、セシリア様はきっと大丈夫なんでしょうね。なんと言っても、第二騎士団副団長の奥様なんですもの。

 ―― 本当、羨ましいわ。公爵様から、よくしてもらえるんでしょうね。

『二人ともいい人で、悪気があった訳じゃない。ただの世間話だった。
 だけど、わたしは、自分だけが恵まれてるって言われてるような気がした。だから、』

 新しい家政婦とベビーシッターは断った。
 
 その頃は、ロイのことを思い出して泣くことが多かったから、なんとなく、新しく知らない人と会うことが、億劫だったのもある。

『できるはずだった。だって、皆はもっと大変なはずなのに、ちゃんと出来てるんだもの。
 わたしにだって、出来ない筈がない。そう思って、やってみた……だけど、』

 上手くできなかった、とセシリアは呟いた。

 子供の世話をしっかりやろうとすると、食事の用意に手が回らない。
 食事の用意をしっかりすると、家中が散らかって、どうにもならなくなった。
 頑張れば頑張るほど、空回りした。

 トラヴィスは母親の不安が伝わったかのように、毎晩、夜泣きした。
 夜はトラヴィスの世話をして、朝昼はクリスとエバの世話をする。
 その上、子ども達はよく熱を出し、体調を崩した。
 その度に不安で、心配で、だけどその不安を誰にも相談できないまま、一睡もできない日がずっと続いていた。

『近所の人も、知り合いも、公園で会う人も、皆、言うの』

 ―― ロイ・カント卿夫人。羨ましいわ。流石だわ。騎士団副団長の奥様だなんて。
 セシリア様もやっぱり、すごい人なんでしょうね。

 誰にも相談できず、助けも求められなかった。
 気が付いたら、家のことも食事のことも、子ども達の世話すら、手が回らなくなった。

 ―― これは、わたしが甘えてるからだ。わたしのせいだ。わたしが駄目だから、こんなことになった。
 だって、わたしはあのロイ・カントの妻で、恵まれてるんだから。
 だから、頑張らなくちゃ、もっともっと、頑張らなくちゃ。

『だけど、何をやっても、思うようには出来なくて……。
 それで……あの日、皆と久しぶりに図書館の前で会った日、殺鼠剤を買ったの。
 もう、子ども達を連れて、ロイのところに行こうと思って』

 セシリアは、淡々と続けた。

『……本当は、いつもの道を通って帰るはずだっんだけど、その道に……鴉が、びっくりするほど沢山いて、こっちを見てギャアギャア鳴いてた。
 それで、なんだか怖くなって、仕方なく、回り道して図書館の前を通ったら――』

 ラッドの姿と第二騎士団の紋章入りの馬車が目に入った。

『懐かしい制服と紋章を見た途端、たまらなくなった』

 ―― なぜ、なぜ、なぜ、ロイには子供達がいたのに。
 ロイにはわたしがいたのに。
 わたしたちには彼が必要だったのに。
 わたしはこんなに苦しいのに。
 わたしは、その紋章のせいで、こんなに追い詰められてるのに―――

『だから……皆を呼んだの』

 セシリアはただ天井を見つめながら、淡々と言った。

『毒を飲ませて道連れにしたかったのか、それとも、ただ自分と子ども達が死ぬところを見せつけたかったのか、……自分でもわからない……』

 ラッドが、ようやく口を開いた。

『令嬢が……セシリアは、俺たちを傷つけるつもりはなかった、と言っていただろう? ただ、助けて欲しかっただけだと。俺もそう思う』

 天井を見つめるセシリアの目に、涙が膨らんだ。

『ごめんなさい……、本当に、ごめんなさい……』

 ラッドが穏やかに微笑して、横たわるセシリアの腕を、気にするな、という風にぽんぽん、と叩く。

『あの人……、あの人には、最初に会った時から、全部、見透かされてるような気がしてた。
 エバが『パパに会う』って言った後、上手く誤魔化せたと思った。
 だけど、あの人はわたしの方を見て、急に家に来たいって言い出して。
 ……気付かれたかもしれない、そう思ってたわ。……だけど、まさか、自分が口にしようとするとは、思わなかった……』

 ――わたくしに、先に一枚いただけませんか?

 そう言ったあの人の腕はとても細くて、たぶんこれを食べたら、死んでしまうだろう、と思った。
 そう思ったら、どうしても、渡せなかった、とセシリアは言った。

『クッキーを飲み込んで、酷いことを言って、……わたしはもう、ロイのところに行くつもりだった。
 ……だけど、あの人……まるで……』



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