さげわたし

凛江

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第七章 セドリック その四

国境

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時は、開戦の数日前に遡る。

『閣下、お体は大丈夫ですか?お怪我などされてはいませんか?閣下が一日でも早く無事に戻られることを、私は毎日お祈りしております』

領都から届いた妻の手紙を、セドリックは何度も読み返していた。
簡素な手紙ではあるが、一文字一文字から彼女の気遣いが感じられる。

隣国からの侵攻の報せを受け、国境に軍を進めてからかれこれ一月以上が経つ。
その間アメリアからは、自分と周囲の近況の報告、そしてセドリックの無事を祈る手紙が何度か届いていた。

今回セドリックが国境に出向いたのは、隣国との戦が本格的になる前になんとか食い止めたかったからだ。
『王国の盾』とか『国を守った英雄』などと呼ばれてはいるが、本来セドリックは好戦的な男ではない。
戦になれば兵を失い、田畑を焼かれ、領民にまで被害が及ぶのだから、出来ることなら回避したいと思う。
平和的に解決出来るなら、それに越したことはないのだから。

遡れば、300年程前まで、この辺りは皇帝という強大な権力に支配される大帝国の一部であった。
当時ソルベンティア家もランドル家も長く続く名門貴族ではあったが、帝国支配下では一領主に過ぎず、帝国が滅んでからそれぞれ王国を名乗り始めたという起源を持つ。

その当時から、領土拡大を掲げて両国は何度も侵攻したりされたりを繰り返してきた。
とは言え、侵攻してくるのは圧倒的にソルベンティアの方が多い。
ランドル王国の方が資源も豊富で土壌に恵まれていたためである。

特にサラトガ領は土と水に恵まれた穀倉地帯と大きな港を持ち、隣国と接しているため狙われやすかった。
しかしそれを何度も撃退してきたことから、サラトガ公爵家は王国から絶対的な信頼をおかれてきた。
侵攻を抑える要衝の要…『王国の盾』と呼ばれる由縁である。

約8年前、性懲りも無く侵攻してきた隣国を、サラトガ騎士団が追い払った。
その時隣国側の国境にあるノートン領を占領したのだが、その後ソルベンティアが降伏したため、ノートン領は返還され、新たにその半分が賠償としてサラトガ領に割譲された。

約2年前に起きた戦は、その割譲された領地を取り戻すために旧ノートン領主が仕掛けたものだった。
そこでも敗戦したソルベンティアは国王が退位を余儀なくされ、旧ノートン領主は処刑されている。

今回油断していたとまでは言わないが、まさか2年前に敗戦したばかりのソルベンティアがこんなに早く仕掛けてくるとは、セドリックも考えていなかった。
結果サラトガ領は国境を守る砦を急襲され、撃退はしたが、かなりの被害も被った。

セドリックは報せを受けすぐに国境まで出張ってきたものの、彼の動きを知った敵はすぐにソルベンティア側の砦まで兵を引き、それからはずっと睨み合いが続いている。
その間セドリックは何度も敵に使者をやっていた。
砦を急襲した兵の将を引き渡すよう要求したのだ。
侵攻され被害があったのだから、このまま終わるわけにはいかない。
報復の為こちらから攻めるのは簡単だが、それではまた国同士を巻き込む戦に発展してしまうため、将の首一つでおさめようと思ったのだ。

しかし、敵からは色良い返事が得られないまま、一月も睨み合いが続いている。
部下たちからは『こちらから一気に攻めましょう』との声も上がり始め、セドリックは決断を迫られていた。

「奥様からのお便りですか?」
男の声にハッと顔を上げると、そこには苦笑気味の騎士団長オスカーが立っていた。
「すみません、いちおうノックはしたんですが…」
「いや、悪い。気が付かなかった」
セドリックは手紙を丁寧にたたみ直すと、胸のポケットにしまった。
オスカーはそんなセドリックの手の動きに目をやりながら、微かに眉根を寄せる。
「奥様も、心細い思いをされているでしょう。早く帰ってさしあげませんと…」
「…そうだな」

妻との仲は、順調に距離を縮めていたはずであった。
少なくとも、セドリックの中では。

夜間学校の教壇に立ち、孤児院の運営に関わるようになってからのアメリアは、見違えるほど表情が明るくなった。
いや、元々畑に出たり好きなことをしている時の表情は明るかったが、さらに、その瞳は生き生きと輝き、行動も溌剌としてきたのだ。

主に夜間学校と孤児院の運営に関わることではあるが、セドリックに対しても忌憚なく意見を述べ、二人は同じ方向を向き、同じ歩幅で進んでいると、セドリックは思っていた。
だから、このまま少しずつでも距離を縮め、いつか本当の意味で夫婦になれたら…。
それは、そう遠くない未来だろうと、そう感じていたのだ。

生徒や孤児に接するアメリアの瞳には慈愛がこもり、聖母のように美しい。
顔に土をつけて畑を耕す様や馬に乗って草原を駆ける様は勇ましくもあり、使用人たちと戯れ合う姿は可愛らしくもある。
そして、そんな彼女が刺繍が苦手だと暴露した様は、なんとも愛らしかった。

(…エイミー…)
変装して行ったデート以降は呼び合えなかった愛称を呟いてみる。

そう、もう認めざるを得ない。
ようやくセドリックは、自分の恋心を自覚していた。
贖罪の気持ちからアメリアに歩み寄ろうとしていたはずが、いつの間にかそれは恋情にすり替わっていた。
体ではなく心で彼女と繋がりたいと思うのも、ただの同僚であるシオンに嫉妬するのも、アメリアに恋しているからに他ならない。

自覚したのは、こうして戦地に向かう直前だった。
しばらく彼女と離れると思うと、たまらない気持ちになったのだ。
触れたい、抱きしめたい、でも、また無体なことをして嫌われたくない。
怖がらせたくないし、無理をさせたくもない。
ほんの少しの時間でも一緒にいたくて、ただ毎日のようにお忍びで彼女の送迎をしていた自分は、無様で滑稽だったとすら思う。

(この私が、恋か…)
呟いて、自嘲するように笑う。
『王国の盾』であったはずの父・先代公爵が若い後妻に翻弄される様を見て、恋愛自体軽蔑していた。
そんな自分が今、妻の一言に一喜一憂しているなど、少し前までの自分が見たら大笑いすることだろう。

そうして少しずつ少しずつ近づいていた時に、隣国侵攻の報せが入ったのだ。
本当に、忌々しい隣国である。

(こんな意味のない睨み合いは早く終わらせて帰らなくては…)
敵国の砦のある方向を睨みつけ、セドリックは拳を握りしめた。
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