2 / 4
二
しおりを挟む
寂しい夜を何百回も過ごし『良い子』で待っていた幸姫の元に、一年間、国元で勤めていた治憲が江戸に戻ってくると連絡が入った。
その日、幸姫はあの人が一番似合うと言ってくれた赤い打掛を着て、あの人が何度も可愛いと言ってくれた簪をさして治憲を待った。
屋敷に着いたと報告が入ると、幸姫は不自由な体を必死に動かして部屋を飛び出した。
屋敷に着いて真っ先に彼女に会いに来ようとしていた治憲はその姿を見て驚いた。
「姫!走っては危ない!」
慌てて彼女に駆け寄る。
「との!との!」
「姫!」
よろけて転びそうになる幸姫をしっかり受け止めた治憲は、そのままギュッと彼女を抱きしめた。
「ああ姫、私を迎えに出てくれたのですか」
一年ぶりに会う夫に抱きついて泣きじゃくる彼女は、ただ夫を慕う妻の姿でしかない。
「愛おしい人。貴女に会いに帰ってきましたよ。さあ顔を良く見せてください」
治憲はそう言って幸姫の顔を覗き込むと、そっと額に口づけをした。
そして、本当に愛おしそうに彼女に頬ずりする。
ああ、大好きなとのが私のところへ戻ってきてくれた。
幸姫はただただ嬉しくて、夫にしがみついていた。
ああ、この人の胸の中はなんてあたたかいんだろう。
ずっとずっとこうしていられたらいいのに。
ひとしきり泣いて落ち着いてきた幸姫が、治憲の手を引いて自室に案内しようとする。
大人しくついていくと、そこには何体もの布人形。
全部治憲が国元に戻る前に作ってやったもので、その全部に、上手に顔が描かれていた。
「姫…、上手になりましたね」
ああ、この方は…。
この方はこの方なりに、こうして日々成長しているのだ。
それにしても、一年前とは比べものにならないほどの上達ぶりだ。
きっと私が戻って来た時に喜ばせたくて努力されたのだろう。
思わず涙ぐむ治憲に、幸姫は二体手に取って、「との、よし」と言った。
「ああ、また姫と私を作ってくれたのですね。うん…、姫にそっくりだ」
可愛らしく描かれた幸姫の顔と、キリッと凛々しく描かれた治憲の顔。
(姫には私がこんな風に見えているのだな)
治憲は二体の人形を手に取って、
「金屏風を作ってあげましょう。仲良く飾ってあげましょうね」
と幸姫に微笑んだ。
でも幸姫は姫人形の方を指して「よし」と言う。
キョトンと人形と幸姫を見比べる治憲。
「ええ、姫のお人形ですよね?よく似ていますよ?」
「よし」
伝わらないことに苛立ったのか、幸姫がぷうっと頬を膨らませる。
「…よし?」
コクリと頷いて、嬉しそうに微笑む。
「よし…ですか?」
「はい」
「ああ、これから『よし』と名前でお呼びしていいのですね?」
幸姫は、治憲に『姫』ではなく名前で呼んで欲しいと言っているのだ。
治憲は幸姫の気持ちが嬉しくなって、彼女の手を引いて抱き寄せた。
愛おしそうに髪を梳きながら「よし」と呼びかけると、頬を桃色に染めた幸姫が「はい」と 答える。
「じゃあ私は直丸とお呼びください」
直丸は治憲の通称である。
「な…お…?」
「そう、なおです。二人きりの時は、そう呼びましょうね」
幸姫は自分と治憲の人形を並べると、
「なお」「よし」
と交互に指を指し、嬉しそうに笑った。
そして、「なお、なお」といかにも愛おしそうに治憲の頬を両手で挟んだ。
治憲はひょいっと幸姫を抱き上げると、自分の膝の上に乗せた。
あまりにも軽いその体は、とても成人女性のそれとは思えないけれど。
治憲は幸姫の体をキュッと抱きしめ、「ああ、貴女は本当になんて可愛いのでしょう」と囁いた。
この瞬間が、治憲にとって何より癒される時間なのだ。
夫婦の契りー。
肉の交わりなど、彼にとっては取るに足らないこと。
幸姫と彼は、心の深い深いところで繋がっているのだから。
その日、幸姫はあの人が一番似合うと言ってくれた赤い打掛を着て、あの人が何度も可愛いと言ってくれた簪をさして治憲を待った。
屋敷に着いたと報告が入ると、幸姫は不自由な体を必死に動かして部屋を飛び出した。
屋敷に着いて真っ先に彼女に会いに来ようとしていた治憲はその姿を見て驚いた。
「姫!走っては危ない!」
慌てて彼女に駆け寄る。
「との!との!」
「姫!」
よろけて転びそうになる幸姫をしっかり受け止めた治憲は、そのままギュッと彼女を抱きしめた。
「ああ姫、私を迎えに出てくれたのですか」
一年ぶりに会う夫に抱きついて泣きじゃくる彼女は、ただ夫を慕う妻の姿でしかない。
「愛おしい人。貴女に会いに帰ってきましたよ。さあ顔を良く見せてください」
治憲はそう言って幸姫の顔を覗き込むと、そっと額に口づけをした。
そして、本当に愛おしそうに彼女に頬ずりする。
ああ、大好きなとのが私のところへ戻ってきてくれた。
幸姫はただただ嬉しくて、夫にしがみついていた。
ああ、この人の胸の中はなんてあたたかいんだろう。
ずっとずっとこうしていられたらいいのに。
ひとしきり泣いて落ち着いてきた幸姫が、治憲の手を引いて自室に案内しようとする。
大人しくついていくと、そこには何体もの布人形。
全部治憲が国元に戻る前に作ってやったもので、その全部に、上手に顔が描かれていた。
「姫…、上手になりましたね」
ああ、この方は…。
この方はこの方なりに、こうして日々成長しているのだ。
それにしても、一年前とは比べものにならないほどの上達ぶりだ。
きっと私が戻って来た時に喜ばせたくて努力されたのだろう。
思わず涙ぐむ治憲に、幸姫は二体手に取って、「との、よし」と言った。
「ああ、また姫と私を作ってくれたのですね。うん…、姫にそっくりだ」
可愛らしく描かれた幸姫の顔と、キリッと凛々しく描かれた治憲の顔。
(姫には私がこんな風に見えているのだな)
治憲は二体の人形を手に取って、
「金屏風を作ってあげましょう。仲良く飾ってあげましょうね」
と幸姫に微笑んだ。
でも幸姫は姫人形の方を指して「よし」と言う。
キョトンと人形と幸姫を見比べる治憲。
「ええ、姫のお人形ですよね?よく似ていますよ?」
「よし」
伝わらないことに苛立ったのか、幸姫がぷうっと頬を膨らませる。
「…よし?」
コクリと頷いて、嬉しそうに微笑む。
「よし…ですか?」
「はい」
「ああ、これから『よし』と名前でお呼びしていいのですね?」
幸姫は、治憲に『姫』ではなく名前で呼んで欲しいと言っているのだ。
治憲は幸姫の気持ちが嬉しくなって、彼女の手を引いて抱き寄せた。
愛おしそうに髪を梳きながら「よし」と呼びかけると、頬を桃色に染めた幸姫が「はい」と 答える。
「じゃあ私は直丸とお呼びください」
直丸は治憲の通称である。
「な…お…?」
「そう、なおです。二人きりの時は、そう呼びましょうね」
幸姫は自分と治憲の人形を並べると、
「なお」「よし」
と交互に指を指し、嬉しそうに笑った。
そして、「なお、なお」といかにも愛おしそうに治憲の頬を両手で挟んだ。
治憲はひょいっと幸姫を抱き上げると、自分の膝の上に乗せた。
あまりにも軽いその体は、とても成人女性のそれとは思えないけれど。
治憲は幸姫の体をキュッと抱きしめ、「ああ、貴女は本当になんて可愛いのでしょう」と囁いた。
この瞬間が、治憲にとって何より癒される時間なのだ。
夫婦の契りー。
肉の交わりなど、彼にとっては取るに足らないこと。
幸姫と彼は、心の深い深いところで繋がっているのだから。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
二人の花嫁
糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
江戸時代、下級武士の家柄から驚異の出世を遂げて、勘定奉行・南町奉行まで昇り詰めた秀才、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)が30年余にわたって書き記した随筆「耳嚢」
その「巻之七」に二部構成で掲載されている短いお話を、軽く小説風にした二幕構成の超短編小説です。
第一幕が「女の一心群を出し事」
第二幕が「了簡をもつて悪名を除幸ひある事」
が元ネタとなっています。
江戸の大店の道楽息子、伊之助が長崎で妻をつくり、彼女を捨てて江戸へと戻ってくるところから始まるお話。
おめでたいハッピーエンドなお話です。
春雷のあと
紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。
その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。
太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……
姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記
あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~
つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は──
花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~
第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。
有難うございました。
~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。
藤散華
水城真以
歴史・時代
――藤と梅の下に埋められた、禁忌と、恋と、呪い。
時は平安――左大臣の一の姫・彰子は、父・道長の命令で今上帝の女御となる。顔も知らない夫となった人に焦がれる彰子だが、既に帝には、定子という最愛の妃がいた。
やがて年月は過ぎ、定子の夭折により、帝と彰子の距離は必然的に近づいたように見えたが、彰子は新たな中宮となって数年が経っても懐妊の兆しはなかった。焦燥に駆られた左大臣に、妖しの影が忍び寄る。
非凡な運命に絡め取られた少女の命運は。
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
比翼連理
夏笆(なつは)
歴史・時代
左大臣家の姫でありながら、漢詩や剣を扱うことが大好きなゆすらは幼馴染の千尋や兄である左大臣|日垣《ひがき》のもと、幸せな日々を送っていた。
それでも、権力を持つ貴族の姫として|入内《じゅだい》することを容認していたゆすらは、しかし入内すれば自分が思っていた以上に窮屈な生活を強いられると自覚して抵抗し、呆気なく成功するも、入内を拒んだ相手である第一皇子彰鷹と思いがけず遭遇し、自らの運命を覆してしまうこととなる。
平安時代っぽい、なんちゃって平安絵巻です。
春宮に嫁ぐのに、入内という言葉を使っています。
作者は、中宮彰子のファンです。
かなり前に、同人で書いたものを大幅に改変しました。
鬼嫁物語
楠乃小玉
歴史・時代
織田信長家臣筆頭である佐久間信盛の弟、佐久間左京亮(さきょうのすけ)。
自由奔放な兄に加え、きっつい嫁に振り回され、
フラフラになりながらも必死に生き延びようとする彼にはたして
未来はあるのか?
尾張名古屋の夢をみる
神尾 宥人
歴史・時代
天正十三年、日の本を突如襲った巨大地震によって、飛州白川帰雲城は山津波に呑まれ、大名内ヶ島家は一夜にして滅びた。家老山下時慶の子・半三郎氏勝は荻町城にあり難を逃れたが、主家金森家の裏切りによって父を殺され、自身も雪の中に姿を消す。
そして時は流れて天正十八年、半三郎の身は伊豆国・山中城、太閤秀吉による北条征伐の陣中にあった。心に乾いた風の吹き抜ける荒野を抱えたまま。おのれが何のために生きているのかもわからぬまま。その道行きの先に運命の出会いと、波乱に満ちた生涯が待ち受けていることなど露とも知らずに。
家康の九男・義直の傅役(もりやく)として辣腕を揮い、尾張徳川家二百六十年の礎を築き、また新府・名古屋建設を主導した男、山下大和守氏勝。歴史に埋もれた哀しき才人の、煌めくばかりに幸福な生涯を描く、長編歴史小説。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる