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出戻り妃のこれから2
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この人は、ずかずかと蓋をした宇春の中に踏み込んでくる。
伸ばされた彼の手が、宇春の頬に触れ、その視線を絡めとる。
「宇春──俺も、お前が好きだ」
想像もしていなかった言葉に、頭の中が真っ白になる。
そんな言葉が返ってくると思わなかった。
そんな言葉が返ってくると期待してはいけないと思っていた。
嬉しさで胸がいっぱいになる。
でも、それは、今の宇春には、過ぎたる思いだ。
「わ、私が好きなのは、近衛武官の劉さんでした」
「俺は、今の子栗鼠のようなお前も、紅を引いた猫のようなお前も好きだ。どちらもお前だからな。お前は、違うのか?」
「……っ、そ、それは」
「お前が好きだといってくれたのは誰だ? 言葉に出してほしい」
まっすぐすぎる視線が再び宇春を貫く。
「わた、しはいつも、怖くて、自分に自信がなくて」
「ああ」
「妃に選ばれた時も、そんなお役目、無理だと思って、逃げ出したくてしかたなくて」
「ああ」
「妃を首になって、とてもほっとしました」
「そう……か」
(そう、私には妃なんて無理だった──この人のそばにいる資格なんてなかった)
宇春は、ぎゅっと目を閉じる。
──でも。
(でも、今の私なら──この役目を立派に果たした私なら、本心を口に出しても許される?)
答えたら後戻りできなくなる。
それは分かっている。
けれど、その問いに答えない、という選択肢は既に宇春の中になかった。
覚悟を決めてゆっくりと目を開けると、不安そうな劉の顔が目に飛び込んできた。
自身に満ち溢れたこの人のこんな顔を見るのは初めてで、胸がしめつけられる。
「私は、劉さんも、皇帝陛下も、好き、です」
安堵にほころぶような笑みを浮かべる劉に、今度は胸が震えた。
(馬鹿な宇春。逃げ出そうなんてとっくに無理だったのに)
「宇春、お前に、ここに残ってほしい」
もう、降参だった。
力が抜けると、同時にこらえていたものがあふれ出してくる。
「うっ、ふっ」
劉の手が、宇春の目からあふれ出した涙をぬぐう。
皇帝陛下だとわかったからって、諦められるわけなんてなかったのだ。
ただ、大好きなこの人のそばにいたい。
それだけだった。
「おそばにいても、いいのですか?」
「ああ。実家に帰って結婚するなどと言わず、ずっと俺のそばにいてくれないか」
もう、迷う必要などなかった。
近づいてくる劉の顔に、宇春は言葉を返す。
「はい。ずっとおそばでお仕えいたします」
それに、思うのだ。
一年前、妃時代の宇春は役立たずだった。
けれど、今の宇春なら、皇帝陛下のお役に立つことができる。
「妃としては役立たずでしたが、女官としてならば、陛下のおそばでお役に立てると思うのです」
宇春の目の前まで近づいた劉の顔が、ぴたりと動きを止めた。
戸惑うようななんともいえない表情に、宇春は首をかしげる。
「陛下?」
それに、視界の端にいる妹妹ががっくり膝をついているのはなぜだろう。
しかし、劉の戸惑うような表情は一瞬で、すぐに彼は、ふっと力を抜いた笑みを浮かべた。
「今はそれでよしとしよう。けれど、忘れるな。女官といえども、俺の女だ。他に目をむけることは許さない」
「はい、陛下だけを、ずっとお慕いしております」
「うっ、俺も……だ」
「はい。ずっとここでお仕えいたします」
「……まあいい、宇春、覚悟しておけ」
「はい、どんなお務めでもこなして見せます」
「……いや、絶対分かっていないだろう」
皇帝と女官の恋の舞台は、始まったばかり。
◇◇◇◇◇◇◇
劉が、覚悟を決めるのは早かった。
あの日、宮女が池に落ち、宇春が取り乱し、池に飛び込もうとすらしている姿を見たら、何もせずにいることなどできなかった。
飛び込み、宮女を宇春の前に横たえた時、宇春の安堵に緩む顔を見た時には、もう心を決めていた。
「梓朗。俺は、宇春を手放せない」
「始めからそう言えばいいんです」
「貴妃の部屋を空けるように指示を」
「え? 妃を通り越していきなりですか? うーん、周りを納得させるために、彼女の存在を印象づける必要がありますね。何がいいでしょうか……」
「詩吟の会を使う」
そして、あの日、水に濡れて怯える宇春に、紅を引いた──。
「で、貴妃にするって言えなかったんですね?」
「仕方ないだろうっ」
「……ヘタレ」
「うるさいっ。あの子栗鼠のような顔に浮かぶ涙を見たら、これ以上何も言えるわけないだろうっ」
「はいはい。一年。それ以上は待てませんよ。これ以上皇后の座を空席にしておくことはできませんからね」
◇◇◇◇◇◇◇
それから一年後だった。
平民出の少女が皇后へと登り詰めたのは。
出戻り妃であった彼女は、後宮に戻り、女官となって、数々の功績を立てた。
彼女は、皇帝に見初められ、貴妃となり、そして皇后への道を歩んだ。
皇后、呉 宇春── その口にひかれた鮮やかな紅が印象的な美しい女性だったという。
了
伸ばされた彼の手が、宇春の頬に触れ、その視線を絡めとる。
「宇春──俺も、お前が好きだ」
想像もしていなかった言葉に、頭の中が真っ白になる。
そんな言葉が返ってくると思わなかった。
そんな言葉が返ってくると期待してはいけないと思っていた。
嬉しさで胸がいっぱいになる。
でも、それは、今の宇春には、過ぎたる思いだ。
「わ、私が好きなのは、近衛武官の劉さんでした」
「俺は、今の子栗鼠のようなお前も、紅を引いた猫のようなお前も好きだ。どちらもお前だからな。お前は、違うのか?」
「……っ、そ、それは」
「お前が好きだといってくれたのは誰だ? 言葉に出してほしい」
まっすぐすぎる視線が再び宇春を貫く。
「わた、しはいつも、怖くて、自分に自信がなくて」
「ああ」
「妃に選ばれた時も、そんなお役目、無理だと思って、逃げ出したくてしかたなくて」
「ああ」
「妃を首になって、とてもほっとしました」
「そう……か」
(そう、私には妃なんて無理だった──この人のそばにいる資格なんてなかった)
宇春は、ぎゅっと目を閉じる。
──でも。
(でも、今の私なら──この役目を立派に果たした私なら、本心を口に出しても許される?)
答えたら後戻りできなくなる。
それは分かっている。
けれど、その問いに答えない、という選択肢は既に宇春の中になかった。
覚悟を決めてゆっくりと目を開けると、不安そうな劉の顔が目に飛び込んできた。
自身に満ち溢れたこの人のこんな顔を見るのは初めてで、胸がしめつけられる。
「私は、劉さんも、皇帝陛下も、好き、です」
安堵にほころぶような笑みを浮かべる劉に、今度は胸が震えた。
(馬鹿な宇春。逃げ出そうなんてとっくに無理だったのに)
「宇春、お前に、ここに残ってほしい」
もう、降参だった。
力が抜けると、同時にこらえていたものがあふれ出してくる。
「うっ、ふっ」
劉の手が、宇春の目からあふれ出した涙をぬぐう。
皇帝陛下だとわかったからって、諦められるわけなんてなかったのだ。
ただ、大好きなこの人のそばにいたい。
それだけだった。
「おそばにいても、いいのですか?」
「ああ。実家に帰って結婚するなどと言わず、ずっと俺のそばにいてくれないか」
もう、迷う必要などなかった。
近づいてくる劉の顔に、宇春は言葉を返す。
「はい。ずっとおそばでお仕えいたします」
それに、思うのだ。
一年前、妃時代の宇春は役立たずだった。
けれど、今の宇春なら、皇帝陛下のお役に立つことができる。
「妃としては役立たずでしたが、女官としてならば、陛下のおそばでお役に立てると思うのです」
宇春の目の前まで近づいた劉の顔が、ぴたりと動きを止めた。
戸惑うようななんともいえない表情に、宇春は首をかしげる。
「陛下?」
それに、視界の端にいる妹妹ががっくり膝をついているのはなぜだろう。
しかし、劉の戸惑うような表情は一瞬で、すぐに彼は、ふっと力を抜いた笑みを浮かべた。
「今はそれでよしとしよう。けれど、忘れるな。女官といえども、俺の女だ。他に目をむけることは許さない」
「はい、陛下だけを、ずっとお慕いしております」
「うっ、俺も……だ」
「はい。ずっとここでお仕えいたします」
「……まあいい、宇春、覚悟しておけ」
「はい、どんなお務めでもこなして見せます」
「……いや、絶対分かっていないだろう」
皇帝と女官の恋の舞台は、始まったばかり。
◇◇◇◇◇◇◇
劉が、覚悟を決めるのは早かった。
あの日、宮女が池に落ち、宇春が取り乱し、池に飛び込もうとすらしている姿を見たら、何もせずにいることなどできなかった。
飛び込み、宮女を宇春の前に横たえた時、宇春の安堵に緩む顔を見た時には、もう心を決めていた。
「梓朗。俺は、宇春を手放せない」
「始めからそう言えばいいんです」
「貴妃の部屋を空けるように指示を」
「え? 妃を通り越していきなりですか? うーん、周りを納得させるために、彼女の存在を印象づける必要がありますね。何がいいでしょうか……」
「詩吟の会を使う」
そして、あの日、水に濡れて怯える宇春に、紅を引いた──。
「で、貴妃にするって言えなかったんですね?」
「仕方ないだろうっ」
「……ヘタレ」
「うるさいっ。あの子栗鼠のような顔に浮かぶ涙を見たら、これ以上何も言えるわけないだろうっ」
「はいはい。一年。それ以上は待てませんよ。これ以上皇后の座を空席にしておくことはできませんからね」
◇◇◇◇◇◇◇
それから一年後だった。
平民出の少女が皇后へと登り詰めたのは。
出戻り妃であった彼女は、後宮に戻り、女官となって、数々の功績を立てた。
彼女は、皇帝に見初められ、貴妃となり、そして皇后への道を歩んだ。
皇后、呉 宇春── その口にひかれた鮮やかな紅が印象的な美しい女性だったという。
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