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出戻り妃のお仕事
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妹妹は、泣きはらした目で戻って来た宇春を見ると、水で絞った冷たい手ぬぐいをくれた。
妹妹は「なんですか? そのくそ男」といいながら、宇春の話に一晩付き合ってくれた。
目の下におそろいの隈を作った二人は、翌朝お互いの顔を見ながら笑いあった。
でも、これで宇春が宮に戻って来た目的のうち、一つは果たせたのだ。
数か月間、言えなかった想いを抱えてもやもやしていたのに比べれば、段違いに気分がいい。
この後、失恋のことなんて考える暇もないくらい忙しくしていれば、自然に失恋の痛手は消えていくのだろう。
宇春は、そう考えてますます女官の仕事に邁進するのだった。
秋の詩吟の会。
後宮の妃嬪が主催者となり、皇帝陛下や位の高い文官、武官を招いて百花楼を借り切って行う催しだ。
昨年、宇春が手伝った詩吟の会はとても好評だった。女官長は、皇帝陛下直々に、昨年以上の内容を期待するとのお言葉を賜ったそうだ。
皇帝の過度な期待に頭を抱えた女官長が宇春に助けを求めた、というのが宇春の出戻りのいきさつだ。
失恋の翌日から、宇春は詩吟の会の今年の企画を文字に書き起こした。
そして今日からは、全員でそれを形にするために動き出す。
「今日は、女官へ指示をしなければいけない日です。だから」
「う、うん。お願い、妹妹」
「おまかせください!」
目を閉じる宇春を前に、妹妹は、袖をまくる。
眉を整えると、色白の宇春の頬に薄く粉をはたき、目の際に墨を入れる。
そして、紅壺に入った紅を筆でとり、宇春の唇に。
紅を、刷く──。
その日、儲秀宮では、ほとんどの女官が食堂に集められた。
時間になると、女官長は少女二人を連れて檀上に立つ。
「皆も知っての通り、昨年の詩吟の会は大変好評でした。今年は陛下からも『昨年以上の出来を期待する』とのお言葉を頂いています。そのため、今年は、昨年の成功の立役者である宇春に、臨時で宮に来てもらいました。皆一丸となってがんばりましょう──宇春、お願いね」
女官長の振り向く先の宇春に、女官たちの視線が集まる。
そこには、下を向き、ちょっとしたことにも怯える、気の弱い少女の姿はなかった。
真っ赤な紅と品の良い化粧で彩られた、自身に満ち溢れた凛とした女性の姿だ。
「宇春よ。女官として──みんなの同僚としてここに戻って来たわ。今更挨拶もないだろうから、早速今年の詩吟の会について説明するわね」
宇春の次の言葉を待ち、皆が固唾を飲む。
「今年の詩吟の会は、今までと一味違うわよ。私から皆にお願いすることはただ一つ! 皆、私についてきて! この後宮史上、さいっこうの詩吟の会にしてやりましょう!」
「宇春様! 待ってたわ!」
「かあっこいい」
「ついてくわー」
女官たちの歓声を受けて、宇春は、片手をあげる。
「まずは、今年の詩吟の会の構想を聞いてちょうだい!」
妹妹がちょこちょこと駆け回って、女官たちのいる机に百花楼の見取り図を広げる。
一瞬にして女官たちをまとめあげた宇春は、不敵な笑みで、今年の詩吟の会の構想を語るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
皇帝が政務を執り行う中和殿で机に突っ伏していたのは「劉」こと、皇帝の詹 劉帆だった。
「俺はどうすればいいんだ。このままでは宇春が他の男と結婚してしまう」
「どうもこうもないでしょう。さっさと自分が皇帝だってばらして、もう一度妃に戻れって命令すればいいだけでしょうに」
親友でもある内閣学士の申 梓朗の返答はにべもない。
そもそも、この男が自分が遠征に出ている間に、宇春を実家に帰してしまったのが問題なのに。
そう思うが、宇春の身元も確かめず、妃にしたい女がいるから妃はもう不要だと言ってしまったのは劉帆自身なのだ。そこは口をつぐむしかない。
愚痴のように、知りたくなかった宇春の本音を親友にぼやいてみる。
「でも、宇春は、それを望んでいない。妃になりたくなかったと言っている」
「そんなのあなたが皇帝だって知らなかったからでしょう。好きな相手に好きと言われたら、もう、身分などどうでもよくなるものです」
「でも、それで戻ってきてもらっても、宇春に無理をさせることになる。彼女の嫌がることはしたくないんだ」
「じゃあ、グダグダ言ってないで諦めて下さい。そして、宮廷にいる他の妃とさっさと世継ぎを作って下さい。万事解決です」
「俺は宇春じゃなきゃ嫌だ」
「あー、めんどくさい。何であなたは、恋愛だけこんなにヘタレなんですか⁉ さっさとばらしてきなさい!! というか、あなたが言わないなら私が言ってきてあげます」
「待て! それだけは絶対にダメだ」
「……分かりました。こうしましょう。今日、ここにある書類を全て片付けられなかったら、私は、あなたが皇帝だと彼女にばらしに行きます」
「こんの腹黒クソ学士っ」
「お褒めに預かり光栄です、陛下。さて、そろそろ朝議が始まります。しゃんとなさい。──冷血皇帝の時間です」
「ああ」
呼吸を整え、前を向く。
答えを見出せぬまま、劉帆は今日もまた、その二つ名にふさわしく、周りを圧する威をまとうのだった。
妹妹は「なんですか? そのくそ男」といいながら、宇春の話に一晩付き合ってくれた。
目の下におそろいの隈を作った二人は、翌朝お互いの顔を見ながら笑いあった。
でも、これで宇春が宮に戻って来た目的のうち、一つは果たせたのだ。
数か月間、言えなかった想いを抱えてもやもやしていたのに比べれば、段違いに気分がいい。
この後、失恋のことなんて考える暇もないくらい忙しくしていれば、自然に失恋の痛手は消えていくのだろう。
宇春は、そう考えてますます女官の仕事に邁進するのだった。
秋の詩吟の会。
後宮の妃嬪が主催者となり、皇帝陛下や位の高い文官、武官を招いて百花楼を借り切って行う催しだ。
昨年、宇春が手伝った詩吟の会はとても好評だった。女官長は、皇帝陛下直々に、昨年以上の内容を期待するとのお言葉を賜ったそうだ。
皇帝の過度な期待に頭を抱えた女官長が宇春に助けを求めた、というのが宇春の出戻りのいきさつだ。
失恋の翌日から、宇春は詩吟の会の今年の企画を文字に書き起こした。
そして今日からは、全員でそれを形にするために動き出す。
「今日は、女官へ指示をしなければいけない日です。だから」
「う、うん。お願い、妹妹」
「おまかせください!」
目を閉じる宇春を前に、妹妹は、袖をまくる。
眉を整えると、色白の宇春の頬に薄く粉をはたき、目の際に墨を入れる。
そして、紅壺に入った紅を筆でとり、宇春の唇に。
紅を、刷く──。
その日、儲秀宮では、ほとんどの女官が食堂に集められた。
時間になると、女官長は少女二人を連れて檀上に立つ。
「皆も知っての通り、昨年の詩吟の会は大変好評でした。今年は陛下からも『昨年以上の出来を期待する』とのお言葉を頂いています。そのため、今年は、昨年の成功の立役者である宇春に、臨時で宮に来てもらいました。皆一丸となってがんばりましょう──宇春、お願いね」
女官長の振り向く先の宇春に、女官たちの視線が集まる。
そこには、下を向き、ちょっとしたことにも怯える、気の弱い少女の姿はなかった。
真っ赤な紅と品の良い化粧で彩られた、自身に満ち溢れた凛とした女性の姿だ。
「宇春よ。女官として──みんなの同僚としてここに戻って来たわ。今更挨拶もないだろうから、早速今年の詩吟の会について説明するわね」
宇春の次の言葉を待ち、皆が固唾を飲む。
「今年の詩吟の会は、今までと一味違うわよ。私から皆にお願いすることはただ一つ! 皆、私についてきて! この後宮史上、さいっこうの詩吟の会にしてやりましょう!」
「宇春様! 待ってたわ!」
「かあっこいい」
「ついてくわー」
女官たちの歓声を受けて、宇春は、片手をあげる。
「まずは、今年の詩吟の会の構想を聞いてちょうだい!」
妹妹がちょこちょこと駆け回って、女官たちのいる机に百花楼の見取り図を広げる。
一瞬にして女官たちをまとめあげた宇春は、不敵な笑みで、今年の詩吟の会の構想を語るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
皇帝が政務を執り行う中和殿で机に突っ伏していたのは「劉」こと、皇帝の詹 劉帆だった。
「俺はどうすればいいんだ。このままでは宇春が他の男と結婚してしまう」
「どうもこうもないでしょう。さっさと自分が皇帝だってばらして、もう一度妃に戻れって命令すればいいだけでしょうに」
親友でもある内閣学士の申 梓朗の返答はにべもない。
そもそも、この男が自分が遠征に出ている間に、宇春を実家に帰してしまったのが問題なのに。
そう思うが、宇春の身元も確かめず、妃にしたい女がいるから妃はもう不要だと言ってしまったのは劉帆自身なのだ。そこは口をつぐむしかない。
愚痴のように、知りたくなかった宇春の本音を親友にぼやいてみる。
「でも、宇春は、それを望んでいない。妃になりたくなかったと言っている」
「そんなのあなたが皇帝だって知らなかったからでしょう。好きな相手に好きと言われたら、もう、身分などどうでもよくなるものです」
「でも、それで戻ってきてもらっても、宇春に無理をさせることになる。彼女の嫌がることはしたくないんだ」
「じゃあ、グダグダ言ってないで諦めて下さい。そして、宮廷にいる他の妃とさっさと世継ぎを作って下さい。万事解決です」
「俺は宇春じゃなきゃ嫌だ」
「あー、めんどくさい。何であなたは、恋愛だけこんなにヘタレなんですか⁉ さっさとばらしてきなさい!! というか、あなたが言わないなら私が言ってきてあげます」
「待て! それだけは絶対にダメだ」
「……分かりました。こうしましょう。今日、ここにある書類を全て片付けられなかったら、私は、あなたが皇帝だと彼女にばらしに行きます」
「こんの腹黒クソ学士っ」
「お褒めに預かり光栄です、陛下。さて、そろそろ朝議が始まります。しゃんとなさい。──冷血皇帝の時間です」
「ああ」
呼吸を整え、前を向く。
答えを見出せぬまま、劉帆は今日もまた、その二つ名にふさわしく、周りを圧する威をまとうのだった。
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