【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里

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出戻り妃になったワケ

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 都でも裕福な商家の末娘である宇春ユーチェンは、一年と半年前、伯父の勧めで儲秀宮ちょしきゅうの女官登用試験を受けた。
 あまりにも引っ込み思案すぎる宇春を心配した伯父が、社会に出ることで自信をつけて欲しいという意図で受けさせたのだ。
 勉強は得意だったので、試験の出来はそれなりに良かったと思う。
 いや、良すぎたのだ。
 その結果を見た誰かが、宇春のことを妃の座に押し上げてしまうくらいには。
 皇帝陛下は、政敵を容赦なく断罪する政治的手腕と、周囲を圧する威厳とで冷血皇帝との二つ名を持つお方だ。
 しかし、お若いのに女性に興味がないらしい。
 宮殿の美姫には目もくれなかったため、様々なタイプの妃を揃えることになったのだとか。
 宇春は、その変わり種の──多分「学問」枠にいれられてしまったのだ。

 結論から言うと、この試みは完全なる失敗に終わった。皇帝陛下は当時選ばれた妃の誰の元へもやってくることはなかったのだ。
 そして宇春は、一年後、宮を出されて実家に帰ることになった。
 最近では、皇帝陛下は男性にしか興味がないのでは、と市井の間でもささやかれている。



「来たわ! 宇春ユーチェン様、待ってたわ」
「きゃあ、本当に戻ってきてくれたのね。うれしい」
妹妹メイメイも一緒ね。これからまた一緒に働けるのね」

 儲秀宮の裏手には、女官や下級宮女たちの寝泊まりする建屋がある。そこに入ると、女官たちが我先にと声をかけてきた。

「あ、あああの、私もう妃じゃないんで、様をつけないでください」
「いいのよ。私たちがそう呼びたいの」

 そんな風に歓迎されると心がほっこりしてくる。
 妃嬪ひひんの侍女たちは妃だった宇春に冷たいけれど、女官たちの様子は正反対だ。
 彼女たちの後ろから、女官長も現れる。

「よく来てくれたわね。宇春。これで、次の詩吟の会も皇帝陛下のご期待に添えるわ」
「あの、わ、私なんかでお力になれるかわからないのですが」
「何を言ってるの。あなたがいてくれれば百人力よ」
「そうですっ。宇春様は、本気出せばすごいんですから!」
「そうね。妹妹がおまじないすればさらにばっちりよね」

 そんな風に喜んでくれるのが、本当は少し後ろめたい。
 宇春がここにやって来たのは──実は女官たちの手伝いのためだけではなかったからだ。



 翌日、宇春は数カ月前までよく訪れていた旧隆文楼こうぶんろうにやってきた。
 一度は去った後宮に、宇春が再び戻って来た理由は、実はこの場所にやってくるためだったのだ。
 皇帝が詩や書を書くために建てられた隆文楼は、新旧二か所ある。宇春が訪れたのは、すでに取り壊しが決まっている旧館の方だ。 
 取り壊し前とは言え、隆文楼の中には鍵がかかっていて入れない。だから、彼と会うのはいつも、隆文楼をぐるりととりまく回廊の裏手だった。

 建物の周りを回りながら、彼との出会いを思い出す。
 彼との出会いは、いなくなってしまった岑貴妃の猫探しがきっかけだった。猫の足取りを追っているうちにこの隆文楼にたどりついたのだ。
 猫は、座って昼寝をする彼の膝の上に、行儀よく丸くなって寝そべっていた。

 ──そう、今、この瞬間のように。

 古ぼけた赤い壁にもたれかかり、腕を組んで目を閉じている彼の姿があった。胡坐をかいた膝の上にはいつかのように岑貴妃の白猫が丸くなっている。
 きゅっと心臓がしめつけられるようにきしみ、久しぶりに見たその姿が視界の先で歪む。
 軽く結った黒髪に、通った鼻筋。目を開ければ、意思の強さを示す黒い深い眼差しが自分を貫くのを宇春は知っている。
 そして、目を覚ますと、彼は宇春の名を呼ぶのだ。

「宇春?」

 こんな風に優しい声で。

(でも、こんな風に呼んでもらうのは最後かもしれない)

リュウさん」
「夢じゃなくて、本当に?」
「はい、夢じゃありません。宇春です」

 宇春がこの後宮に戻ってきたのは、彼に会うためだった。 
 なけなしの勇気を振り絞って、宇春は、ここにやってきたのだ。

 ──そう、彼に、振られるために。
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