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第一部

第7話 記憶喪失の王子様

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 ルークは、寝室の窓枠にもたれかかると、外に見える古代遺跡の名残である円形劇場跡を覗いて、小さく息を吐いた。
 王太子の部屋らしく特別棟の3階の窓からの景色はすばらしい。
 が、癒されない。息が詰まる。
 ルークは、部屋に控えている面々をちらりと横目で見た。
 
 頭の怪我には安静が必要だということで、体は特に何ともなかったが、数日間はベッドに縛り付けられていた。今はもう、部屋の中を立ち上がって歩くぐらいのことは許されている。
 問題は、記憶が曖昧なことだけらしい。

 噂になってしまっているが、でき得るならば、記憶が元に戻るまでは不用意に外に出ることは避けるようにとの指示が、王宮から入った。
 昨日は、母が見舞いに来たが、心配そうな表情を浮かべるその人にあまり暖かい感情はわかなかった。
 自分は薄情な人間なんだろう。

 自分は、この国の王子、ルーク=フォン=ケイリッヒだ。
 学園の特別棟の寝室で、そのことを聞かされたが、疑いは持たなかった。
 鏡に映る顔は自分の顔だと認識できるし、王族しか知らないような必要な知識が自分にあるのも把握している。
 どうも、人間関係に関しての記憶だけがぼやけてしまっているようだ。

 護衛の近衛騎士だという栗毛のいかつい大男、エルマーが自分の立場と今の状況を説明してくれる。学園ということもあり、側近として置かれているのはこの男だけらしい。飄々とした物言いには少しむかついたが、この男は信用できそうだと直感的に分かった。
 おそらく、この男だけなら、ここまで気づまりに感じることもなかっただろう。

 王子の寝室に入ってこれるのはわずかな者だけだ。
 側近と、部屋付きの専任メイド、そして、懇意にしているという、子爵令嬢。ミケーネだったか。
 彼女は自分が以前から寝室への出入りを許可していたのだという。今日も、メイドが気を利かせて呼んだらしい。



「それで、僕は、君をかばってこの怪我を負ったということなんだね」
 ベビーピンクの髪に蒼い瞳の、落ち着いた雰囲気の美しい令嬢だ。
 あまり自分の好みとも思えないが、妃として自分の横に並べたら、映えるだろう。

 エルマーが気を利かせてメイドと一緒に出て行ったため、部屋には二人きりだ。

「はい、お助けいただきありがとうございました。私、お礼がしたくて。ルーク様のお加減がよくなるまでお側でお仕えします。なんでもお申し付けください」

「君は、僕の婚約者、ということでいいのかな?」
 彼女は、悲しそうに顔を伏せた。

「いえ、私は違います。ルーク様の婚約者は、マレの皇女様です」
 マレと聞いて、心の奥でピリッと何かが響いた気がするが、よくわからない。思い入れが強い国なのだろうか。
 マレということは、婚約者は国外にいるのだろう。それなら見舞いにこないことも頷ける。
 しかし、マレとは意外だ。
 政略結婚にしても、隣国のローランドや、アレイス、カヘルの方がメリットが大きいだろうに。

「ふーん、そう。それで、婚約者ではなく、君がここにいるんだ」

「はい、ルーク様はいつも私をお側において下さっていました」
  感覚的に気の置けない者とは、とても思えないのに、寝室まで許可していたということは、なのだろう。
  自分は存外つまらない人間のようだ。

 ミケーネは、窓際にいたルークの腕に、自分の腕を絡める。彼女の主張が激しい肉体は、それだけで、自然に胸が押し付けられた。ミケーネは、カーテンをそっと引く。

 まあ、外にも出られず、息が詰まるような今、そういう楽しみかたもあるかもしれない。
 この令嬢で少し暇つぶしでもするのも、一興か。
 ルークは、彼女に向き直った。


 一瞬、頭の片隅に黒猫の姿がよぎったような気がした。


  ◇◇◇◇◇◇


 ルークは記憶喪失だという。
 今、どんな状態なんだろう?
 今更ながら、大変なことをしでかしてしまったことに心が痛む。
 でも、これから、婚約破棄して出ていくバステトにできることは少ない。

 きっと、謝って、去っていくぐらいしかできないんだろう。
 お礼をいっても、ルークは何のことだかわからないに違いない。
 
 でも、だからいいのではないだろうか?
 バステトがこれから告げたいことも、何のことだかわからないに違いない。押しつけのようなこの気持ちも、きっと、他人事のように聞いてくれるだろう。
 むしろ、終わりにするのには、ぴったりだ。

 もう、バステトは、この気持ちをかかえてみないふりをするのに疲れてしまったのだ。


 何度会いに行っても門前払いで、バステトは、ルークの部屋どころか、伝言すらまともに受け取ってもらえない。
 バステトはもう、自分から会いに行くのはやめることにした。

 自分が入れてもらえないなら、相手に出てこさせればいい。
 ルークを部屋から引っ張り出すために、バステトにできることが、ひとつだけあった。

 それは、唯一、バステトが誇れること。

 バステトは、部屋の奥にしまい込んだトランクの中から、マレから持参した曲刀を取り出した。
 曲刀シャムシール。猫の如く俊敏に切り裂く剣。
 そして、それを振るう際に纏う、バステトの装束。

 久し振りに目にするそれは、懐かしくて、誇らしくて、バステトに勇気と自信を取り戻させてくれた。

 そして、窓から視線を外に向ける。
 あそこが、決戦の舞台だ。

 王子の寝室の窓からも、その小さな円形劇場はとてもよく見える位置にある。


 誰にも私を無視させない。
  
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