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ふたりで辿る足跡

チェリーのやる気スイッチ

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 会社のために貢献なんて言われてもピンと来ないのだから、瑞貴の役に立てることを少しずつこなしていこうという心意気のほうが何倍ものやる気に繋がった。

(それもこれもあいつのお陰なんだけど……)

 しかし、鳥居の角の立つ言い方は誤解を生みやすい。彼の発言に私情が絡んでいるわけではないので、吉村や吉村や吉村を特別攻撃しているわけではないのは誰の目からもわかったはずだが、年齢も勤務年数も鳥居より上の吉村には新人にああいう態度をとられるとプライドが許さないのかもしれない。

「……あいつ、ああ見えて結構不器用なのかな……」

 自分を良く見せようとしないあたり、人目を気にして上司に媚びるような性格ではないことはわかる。ただ、ほんの少しの優しさを垣間見せてくれたら……とちえりはちょっとだけ鳥居のなんとやらが見えた気がした。

 と、その時――。

 上着のポケットに入れていたスマホがメールの着信を知らせるがごとく小刻みに震えた。

「……?」

 チラリと画面を確認すると、そこに表示されていたのは母親からのメールで”先ほど頼まれたものを送った”という報告の言葉が連なっていた。

(あ、ありがとう……っお母ちゃん!! ナイス! しかも早いっっ!!)

 すかさずお礼の返事を送ると、親指を立てたグッドの絵文字と眠そうな愛犬の写真が送られてきた。

「タマ……こんなに長い期間離れるの初めてだね。逢いたいな……」

 愛しいタマが表示された画面を胸元にキュッと抱きしめる。
 すると、更に愛しい声が目の前から発せられて――……

「……スマホ抱いてどうした?」

 聞くべきかどうか迷っていたような口ぶりで苦笑しながら佇む瑞貴と視線が絡む。

「あ、瑞貴センパイ……母からのメールにタマの写真が添付されていたので、無性に逢いたくなっちゃって……」

「……もしかして、ホームシックか?」

「い、いいえっ! ちょっと頼みごとがあってメールしてたんですけど、その返事が来てて」

「ああ、そっか……」

 なぜかホッとしたように肩の力を抜いた瑞貴。

「……?」

(どうしたんだろう、安心したような顔して……)

「離れれば離れるほど大切なものって浮彫になるもんな。俺もちえりとタマに逢いたいってずっと思ってた」

 懐かしむように目を閉じながら語る瑞貴に胸が高鳴る。

「え……」

(い、いま……さらっと凄いこと言われたような気が……)

 いやしかし、そんなわけがないという思いが強いちえりは”過度な期待は命とり!!”とばかりに、敢えて美味しい話には飛びつかないよう心がける。

「せ、先輩っ……! これがタマの最新画像です!!」

「お、どれどれ?」

 瑞貴はちえりと顔を並べるように立つと、愛らしい犬の姿を見て笑みを零す。

「ははっ! 眠そうな顔してる。可愛いやつ」

「…………」

(戻りたいな、あの頃に……
あの頃の隠しごとなんてセンパイを好きだってことくらいだった……)


 ――タマを迎え入れた頃、よく三人と一匹で散歩に出かけていたのが懐かしい。
 毎日といっていい程に顔を合わせていた瑞貴と真琴にタマが懐くのは当然で、ことさら自分を見つけてくれた瑞貴への愛は尋常じゃないほどだったタマ。

 しかし、年を重ねるにつれて互いの時間が合わなくなり……やがては地元を出てしまった瑞貴。
 散歩のたびに彼を探すタマの心が痛いほど伝わってきて、”私も寂しいよ……”と悲しみの言葉をひとり吐露したものだ。


「……で、おばさんなんだって? 電話しなくて平気か?」

 パッと顔を上げた瑞貴はメールの内容を心配するように語りかけてくる。

「大丈夫です。必需品を頼んでいたんですけど、それを送ったっていう報告だったので」

「ん? こっちじゃ買えない物か?」

「えっと……買えると思うんですけど、高いかな?」

 店頭に並ぶ頃には輸送費も相まって、いくらか高値になっているような気がしてならない。
それならば、直接生産者から購入したほうが安価で新鮮なものが買えるだろうと若葉家は日々そのように努力という名の節約を心がけている。

「そんなの気にしなくていいのに。……って、送料かかったら同じじゃないのか?」

「……っ!? そこまで考えてませんでしたっ! ……あ、あはは……」

「ちえりらしいな。金のことは心配しなくていいよ。とりあえず仕事に戻るか」

「はいっ!」

(んだっ! 浮かれてる暇なんてないべっ!!
私も頑張れば……少しだけだけど、瑞貴センパイの役に立てる! んで、お金の心配されないためにも……一緒に出張さ行けるくらいデキる女にならねばねっっ!!)

「お、気合入ってるな?」

 いつものように優しく微笑まれ、ポンポンと頭を撫でた手から新たな仕事を手渡される。
変わりない日常に戻りつつあることを嬉しく思いながら、瑞貴には”仕事”で期待に応えることが、いまは恩返しに繋がるのだと強く思い込んだちえりだった――。

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