黒豹注意報

京 みやこ

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第4章ダイジェスト(2):4

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 後輩三人が私に似せようとしている理由は分かった。
 だけど、私を同じ格好をやめてほしいと思っていても、それを強く言える権利はない。
 それに、選ぶのは和馬さんだから。恋人を誰にするのかは、彼自身が決めるのだ。
 グラグラと揺れる心が、少しずつ積み上げてきた自信をも揺るがす。

「ユウカ、どうしました?」
 掛けられた声にハッと我に返れば、すぐ横に立つ和馬さんがとても心配そうな目で私の顔を覗きこんでいた。
「あ、和馬さん?どうしてここに」
「もう、終業時間を過ぎていますよ」
 咄嗟に腕時計に目を落とせば、確かに彼の言うとおりだ。
「ご、ごめんなさい、気が付かなくって」
 立ち上がって慌てて支度を始める。
「お待たせしました、帰りましょう」
 そして二人並んで、地下駐車場に向かった。
 手を引かれるまま大人しく足を進めていると、
「今夜、私の部屋に泊ってくださいね。明日は私も休みですから、二人でのんびりしましょう」
 金曜の夜ということで、彼が外泊を勧めてくる。
  
 その時、私たちの前に人影が現れた。

「竹若さん、私の手も握ってくれませんか?」
 聞き覚えのある声に思わず顔を上げれば、カメラについて勉強中だと言った後輩が笑顔で立っていた。
 夕方、自販機のところで目にした時よりも違和感が少ない。さっき会った時はオレンジブラウンの口紅をつけていた彼女は今、ピンクベージュの唇をしていた。……私とまったく同じだ。
 自分のコピーを見ているようで寒気がする。私は和馬さんの手を強く握りしめた。
 私たちが黙っていると後輩は駆け寄り、私と同じような小さな手の平を和馬さんに差し出した。
「小向日葵先輩と大きさは変わらないと思います。握って確かめてみませんか?」
 と、願い出る。
 すると、和馬さんが無表情になった。
「確かめる必要などありません。私が手を繋ぐ女性は、ユウカ一人だけですので」
 容赦なく言い捨てる和馬さんに、後輩はグッと息を呑んだ。それでも、すぐに笑顔を浮かべる。
「でも、こんなに似ている私ですから、違和感ないと思いますよ。一度試してみてください」
 和馬さんのすぐ目の前に立ち、縋るように両手を差し出してくる。後輩の指先が私と和馬さんを繋ぐ手に触れようとした瞬間、和馬さんは大きく下がった。
 足の長い彼の一歩は私にはかなり大きく、後に引かれてバランスを崩す。その私を広い胸で受け止め、バッグを手にしている右手を回すようにして私を包み込んだ。
 和馬さんの纏う空気が、いっそう冷たさを増す。後輩を見据えるその厳しい視線は、まるで砥ぎあげたばかりの日本刀のように鋭かった。
 辺りの空気がピンと張りつめる。
 静まり返った緊張感を破ったのは、怒りを滲ませた彼の声だった。
「いい加減、茶番はよしなさい。いくらユウカに似せたところで無意味です。他の二人にも伝えておくように」
 単調な口調は、その声の低さも相まって威圧感がある。聞いているだけで身が竦む。
 だけど、後輩は怯むどころかグッと前に足を踏み出した。
「どうしてですか!どうして私を選んでくれないんですか!私、こんなにも小向日葵先輩に似ているじゃないですか!周りの人が見間違えるくらい似ている私を、どうして選んでくれないんですか!」
 今にも泣きだしそうな切羽詰った声で後輩が叫ぶが、和馬さんの冷たさが変わることはない。
「そういう事ではないのですよ。あなたがいくらユウカに似せようとしたところで、私の愛する『小向日葵ユウカ』という女性にはなれません」
「そ、それは、やってみなければ分からないじゃないですか。私、頑張りますから……」
 後輩は涙で揺れる瞳を和馬さんに向け、諦めきれない様子をありありと滲ませ訴えてくる。
 それを聞いて、和馬さんは長い長いため息を吐いた。
「これまでユウカが歩んできた中で経験したことや出逢った人によって、小向日葵ユウカが形成されています。あなたはユウカが歩んできた二十一年間の人生を、一歩も間違わずに辿れるというのですか?」
 見た目や癖を真似るだけといった、そんな単純なものではないのだという言葉に、後輩はまた悔しそうに唇を噛みしめた。返せる言葉が見つからないのだろう。
「私が愛するユウカは、この世に一人きりです。私にとって特別な存在は、今、腕の中にいる彼女一人きりなのです。代わりになる人はいません」
 真摯な声で告げる彼を見て後輩は最後にもう一度悔しそうに唇を噛むと、私たちにクルリと背を向けて立ち去ろうとする。
「待って!お願い。ちょっとでいいから、私の話を聞いて」
 声をかければ、彼女は足を止めてくれた。
「何ですか?敗者の私に、慰めの言葉でも?」
 しかし足を止めてくれたものの、こっちを向いてはくれない。それでも私は、その背中に話しかける。
「違う。勝ちとか負けとか、そういうことじゃないよ。ただ……、このままだったら、あなたが悲しいから」
「悲しい、ですか?かわいそうではなく?」
 後輩は怪訝な顔で振り向いた。
「何がおっしゃりたいのか分かりませんが、結局のところ、先輩は自分が優位に立っているから、私にお説教がしたいんでしょう?」
 やれやれといった風に首を振り、これ見よがしに大きくため息を吐く。
 乱れた前髪をかき上げた彼女の表情は、少しも私とは似ていない。彼女が似せることを意識しなくなっただけで、これほど変わるとは。
 その変わり振りに驚いていると、
「失恋したばかりの私に、先輩風を吹かせて偉そうに説教するなんて。小向日葵先輩って、見かけによらず性格が悪いんですね」
 まさしく吐き捨てるように言葉を叩きつけられ、私は息を呑んだ。
 自分の思いをストレートにぶつけてくる相手はすごく苦手だ。怖いとさえ思う。
 だけど、このまま引き下がれない。
 私はいつまで経っても、和馬さんに守られたままじゃいけないんだ。せめて、私が思っていることを、自分の口からこの後輩に伝えなくちゃ。

 心配そうに私を見遣ってくる彼に小さな頷きを返してから、私はゆっくりと話し出す。
「それでいいの?私の真似をしたあなたを好きになってもらって、それでいいの?」
「好きになってもらえれば、お付き合いできれば、私はかまいませんよ。それのどこが悪いんです?先輩こそ、何が分かっているんですか?だったら、恋人の定義ってものを私に教えてくれませんかねぇ」
 体の前で腕を組み、首を軽く左に倒して見遣ってくる後輩。完全に馬鹿にされているのはよく分かった
 私は短く息を吸い込み、必死に彼女の瞳を真っ直ぐに見つめながら、とにかく言葉を紡ぐ。
「そんな、ご大層なことは言えないよ」
 そう答えると、彼女は『ほら見たことか』と、薄笑いを浮かべた。
「でしたら、これ以上ここにいても無駄ですよね?では、失礼します」
 彼女は組んだ腕を解いて、体の向きを変える。私はとっさに走り出した。
「ダメ!」
 右腕を両手で掴み、強引に引き止める。 
「あなたは恋人に何を求めるの!?そばにいてくれればそれでいいの!?あなた自身を見てくれなくても、本当にいいって言える!?」
 ハッとした様に私を見る彼女に向かって、さらに言葉を投げかける。
「何のために人を好きになるの!?好きっていう気持ちが相手にちゃんと伝わらなくても、あなたの心は平気?このままだったら、あなたは好きな人から着せ替え人形みたいに思われるだけだよ!」
 思わず感情が高ぶり、声が辺りに反響するほどの勢いで叫んだ。
「……着せ替え人形?」
 ポツリと呟く彼女の瞳が大きく揺れる。
 今までとは違ってきつく言い返すこともなく立ち尽くしている彼女に、私は一つ息を吸いこんでから尋ねた。
「あなたの名前は?」
「……篠田(しのだ)、亜紀(あき)です」
 反抗的な様子を収めた彼女は、自分の名前を小さく零す。
 私はもう一度吸い込み、ゆっくりと話しかけた。
「ねぇ、篠田さん。上辺だけを求められるってことは、あなたの心を必要としないってことと同じじゃないかな。篠田亜紀という人間を必要とされないのは、考えている以上に苦しくてつらくて悲しいはずだよ。だって、相手にとって都合のいい人形ってことだもん」
 それでは何のために恋をしているのか分からない。自分を見てくれない人と一緒に時を過ごして、そこにいい結果が生まれるとは考えられない。
「もし和馬さんが私に似ているという理由であなたを選んでお付き合いが始まったとしても、和馬さんは結局あなたじゃなくて、私を見ていることになるんだと思う」
 彼女は視線を静かに上げ、離れたところに立つ和馬さんを見た。
 彼の表情に、その視線に、『小向日葵ユウカに似た後輩』としか映っていないのを感じ取ったのか、泣きそうに瞳がグラリと揺らぐ。
 そんな彼女を見つめ、私は優しく微笑んだ。
「見た目を好きになるのは、恋をするきっかけの一つかもしれないけどさ。やっぱり見た目だけじゃダメだと思うよ」
 改めて後輩にまっすぐ視線を向けた。
「さっき、和馬さんが言ったよね。これまでの歩みでその人が作られるって。恋愛をするなら、その結果で作られた『本当の自分』を好きになってもらわなくちゃ。そうじゃなかったら、そんなの恋じゃないよ。悲しすぎるだけだよ」
 私の話を聞いて、彼女は何か言いたげに口を開きかけたけれど、また唇を噛んだ。悔しそうではなくて、泣くのを我慢しているように思える。
「上手く話せなくてごめん。伝わりにくかったよね?」
 私が苦笑いを浮かべると、彼女は泣きそうな顔のまま、首を微かに横に振った。そこにはもう、反抗的な様子はまったくなかった。
 私は妹を見守る姉のような心境で微笑む。
「私に似たあなたじゃなくて、篠田亜紀という女性を好きになってくれる人がきっと現れるよ。だから、もう、自分を偽るようなことはしないほうがいいと思うんだ」
 静かにそう告げると、彼女はジッと足元を見つめたまま動かない。
 沈黙が流れ、そして、彼女の目からポロリと涙が一つ零れた。
 それからしばらく経ってから私と和馬さんに頭を下げ、立ち去っていったのだった。
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