黒豹注意報

京 みやこ

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●赤面だらけの満員電車(ユウカちゃんが入社した年の十二月)

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 いよいよ十二月。今年も残すところ、あと一ヶ月だ。
 そんな師も走る今日この頃、私は大事なミッションを遂行するために駅へ向かう途中だった。
 我が上司である総務部立川部長のご友人に、部長の奥様が作った特製シュークリームを届けるのだ。
 本来は部長自ら出向くはずだったのだが、運の悪いことに先程ぎっくり腰になってしまった。
 脂汗を流しつつ痛みに耐える部長は、とても動ける状況には見えない。
 もともと恐ろしい、いや、威厳のあるお顔立ちが苦痛で歪み、それはもう、もう……。うわぁ、思い出しただけで震えがくる!今夜絶対うなされる~~~!
 んん、げふん、げふん。
 いや、部長の顔が怖いだなんて言ったら失礼だよね。
 私の場合、思っただけで口に出してないからセーフと言うことで。
 結果、病院に搬送される直前、その場に居合わせた私にミッションが課せられたのである。
 仕事とは関係ないとはいえ、部長の代理として副部長とか、佐々木チーフとか、私よりも上司の人が行くべきじゃないかなとは思ったんだけど、運の悪いことに上司たちは会議やら外出やらで忙しく、居合わせた中で手の空いている人間は私だけだった。
 それに部長の古くからの友人だという芝崎さんは、なんと私が卒業した赤短で教鞭を振るっていた方なのだ。
 彼の講義を受けたことはなかったが、さほど大きくない大学だったので、私の顔も覚えてくれた。
 そんな諸々の理由があり、私が部長に代わってお使いに行くことになったのである。
 

 
 定時まで仕事をし、手早く身支度を調えて駅へ向かった。
 シュークリームは化粧箱に入っているので、振り回したりしなければ潰れることはない。
 だが、箱が潰れてしまっては元も子もないのだ。
 だから私はまるで王様に貢ぎ物を差し出す臣下のように、丁寧に丁寧に持ち運んでいる。
 しかし、いくら私が気をつけても周りの乗客に押し潰されてはかなわない。
 帰宅ラッシュが始まっている駅のホームを見て、私は更に気合いを入れた。

――たとえ私が潰れても、このシュークリームだけは死守しなければ!

 そんな強い決心を持って、ホームにやってきた電車を睨み付ける。
 大きく息を吸い、いざ出陣!とばかりに足を踏み出せば、
「小向日葵さん?」 
 と、後ろから呼び掛けられた。
 振り向くと、早足でこちらにやって来る竹若さんが見える。
「あ、お疲れ様です。竹若さんもこの電車に乗るんですか?」
「ええ、少々用事がございまして。さ、乗りましょうか」
 竹若さんに背中をソッと押されて、私たちはそこそこに混んでいる電車内へと乗り込んだ。

 私は扉のすぐ横の場所をキープし、その後ろに竹若さんが寄り添うように立っている。
 そんな彼を見上げて、私は口を開く。
「すみません、この荷物を網棚に載せてもらえますか?お菓子なので、潰れたら困るんです」
 十駅ほど先まで行かなければならないので、手で持っていると何かの拍子に人に押されて潰してしまうかもしれない。
 私では網棚に手荷物を乗せることは困難だけど、丁度いいことに長身の竹若さんがいることだしね。
 私の申し出に竹若さんは、
「かしこまりました」
 と一言返事をすると、受け取った手荷物を難なく載せてくれた。
「背が高いと良いですねぇ」
 私だったら、思いっ切り背伸びをしても網棚に届くかどうか怪しいところである。
 心底羨ましいと思いながらそう言えば、
「そうでしょうか?」
 と、苦笑される。
「そうですよ。混んだ電車だと特に思います。私みたいなちびっこは埋もれるし潰されるしで、立っていることさえ大変なんですよ。もう、網棚に載りたいくらい!」
 一駅ごとに乗客が増え、私の周囲には人の壁、壁、壁。
 たくさんの肩や背中に目をやりつつ日頃の思いを強く零すと、竹若さんがクスリと小さく笑った。
「小柄な女性にとって、混雑した車内はご苦労も多いでしょう。今日は私がお傍におりますから、小向日葵さんを守って差しあげますね」
 そう言って、竹若さんがさり気なく距離を詰めてくる。それは、まるで周りの乗客から私を庇うかのようだ。
 降り口に立っている私を囲うように、竹若さんは左手を扉に、右手は私の肩を抱くように置く。
「え?」

――いくらなんでも、これってちょっと距離が近すぎじゃないの?

「あ、あのっ、手、手が!」
 肩越しに竹若さんを振り返れば、ニコリと微笑まれる。
「この路線、これから先はかなり揺れますので」
 そして彼が言ったとたんに、車体がガタンと音を立てて大きく揺れ、私の体がふらついた。
「ひゃっ」
 突然の事に手すりに掴まることが出来ずにバランスを崩したが、すぐそばにいた竹若さんのおかげで転ばなかった。
「危ないですから、しばらくはこのままでよろしいでしょうか」
「は、は、はい……」
 今日はちょっとだけヒールの高い靴をはいているので、バランスが取りにくい。
 その後も左右に、前後にと身体が動く。
 電車が揺れるたびに肩に置かれている竹若さんの手に力が入り、気がつけば彼に抱き込まれる形で立っていた。

――いつの間に?!

 さっきまでは扉のほうに向いていたはずなのに、今は、なぜか彼と向き合っている。

――ど、どういうこと!?

 かなりの密着具合に、シトラス系コロンがいつもより強く漂ってくる。
 その香りにギクリ、と言うかドキリと言うか、私の心臓が大きく跳ねた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと近過ぎますねっ。離れますから」
 慌てて竹若さんから身をはがそうとするが、更に大きく揺れる車内。
「きゃぁっ」
 距離を取ろうと必要以上にかかとへ体重をかけていたために、のけぞった私の体が扉に叩き付けられそうになった。
 そんな私に素早く左腕を伸ばし、そして腰に回して引き寄せる。
 竹若さんから離れるはずが、再び彼の腕の中に戻ってしまった。
「今のは、少々驚きました」
 はぁ、というため息とともに、竹若さんが苦く笑う。
「もうしばらくは揺れが続きます。私から離れますと危ないですよ」
 囁くような優しい声とともに、ますますギュッと抱き寄せられた。
 逞しい腕と広い胸の感触に、私の頭と心臓はドッカン、バックンと激烈な音を立てている。
 お互いコートは着ているが、尋常ではない脈拍が布越しに竹若さんに伝わってしまいそうだ。

――ええっ!待って、待ってよ!あり得ないって!こんなの、恋人同士みたいじゃん!!

 いくら竹若さんが女性に優しい人だとはいえ、これはあきらかにやり過ぎだ。
 揺れや他の乗客による圧迫から守ってくれるのはありがたいが、いくら私がちびっこだからといって、さすがにここまでしてもらわなくても大丈夫。
「竹若さん、竹若さんっ!」
 抱きしめられた結果、彼の胸に埋めてしまっていた顔をどうにか上げて呼び掛ける。
「なんでしょうか?」
 緩やかに目元を細めて、竹若さんが軽く首をかしげた。
「は、はな、放してください!いくらなんでも、これじゃっ、ぼふ!」
 と言いかけたところで、ダメ押しとばかりに電車が揺れた。
 顔面が彼のコートに再び埋まる。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
 心配そうな声に、私は鼻先を指でさすりながら返事をした。
「ここまでしてもらわなくても大丈夫ですから、放しても平気じゃないかと」
「ええ、そうですね。ちょうど駅に着きましたし、お放しいたしますよ。……残念ですが」
「え?」
「いえ、何でもございません。手荷物を棚から下ろしますね」
「は、はぁ」
 竹若さんがどことなく不満げに呟いたような気がしたが、次の瞬間にはいつもの爽やか好青年に戻っていたので、その場は深く追求しなかった。


 
 結構な時間グラグラと揺らされていたため、歩く足下がおぼつかない。
 扉からホームへと足を踏み出した時、グラリとふらついてしまった。
「危ないですよ」
 私の手から荷物を左手でスルッと取り上げ、空いている右手で私の左手を取って支えてくれた。
「す、すいません、何度もご迷惑をかけて」
「どうぞお気になさらずに。ホーム改装中ということで、足元が悪いようですね。お気をつけください」
「あ、はい。ありがとうございます」
 履き慣れないヒールの高い靴なので、転んでしまわないためにも大人しく手をつながれている。
 が、改装中の区域を通り過ぎても、竹若さんの手が離れない。
 改札口を通過する時は手が離れたけれど、すぐに手を繋がれてしまう。

――もう大丈夫だと思うんだけど。

 手を引き抜こうとすれば、竹若さんが不思議そうな顔でこちらを見た。
「あ、あの、これ……」
 私が繋がれた手を持ち上げて苦笑いを浮かべると、竹若さんはニッコリと微笑み、更に手を握り込んできた。

――あれ?放してほしいって事だったんだけど。

 クッと手を引くが、竹若さんがキュッと握りしめてくる。

――なんで?!

 グイッ。
 ギュ。

 グイグイッ。
 ギュウ。

「竹若さん、手、放してください!」
 子供がだだをこねるように体重をかけて腕を引き抜こうとするが、竹若さんはビクともしない。
 それどころか、おかしな事を言い出した。
「放しても構いませんが、この菓子詰めを持って私が逃げてしまうかもしれませんよ?」
「……は?逃げる?」
「立川部長婦人の手作りシュークリームと言えば、その美味しさがKOBAYASHI社内でも知れ渡っておりますからね。口に出来るまたとない機会です」
 シュークリームの入った包みを顔の横まで持ち上げ、竹若さんがニッコリと笑った。
「いやいやいや、ダメですって!それは部長のご友人へのお届け物で!だから、竹若さんに持ち去られるわけにはっ」
「でしたら私が逃走しないように、このまま手を繋いでおけばよろしいでしょう。先方も心待ちにしていらっしゃるでしょうから、急ぎましょうか」
 
 こうして訳の分からない理屈で押し切られ、私はひたすら竹若さんと手を繋いで歩いたのだった。



《そのころの社長》

「さてと。仕事はあらかた片付いたし、帰ろうかな」
 書類を一纏めにし、大きく背伸びをする社長。
 そこに、携帯電話が着信を告げた。
「ん、メール?竹若からだ」
 今日は竹若を定時で帰した。
 ……というか、ダイヤモンドダストを漂わせたものすごい気迫を向けられ、定時で帰ることを了承せざるを得なかったのだが。 
 その彼が、いったい何をメールしてきたのだろう。
 着信画面を開くと、タイトルに
『寂しい我が上司へ』
 と、書かれている。
「なんだ?」
 画面をスクロールさせると、斜め上から竹若が自分を写している画像があった。
 しかしそこに写っていたのは竹若一人ではなく、彼の腕の中にすっぽりと収まっている小柄な女性の後頭部も見える。
 この髪型と身長には見覚えがあった。
「ま、まさかっ」
 さらにスクロールさせると、文章が。
「なになに……。“河原さんに触れることも出来ない意気地なしの、失敬、小心者の社長に、幸せのお裾分けです”だと!なにがどうなって、小向日葵君が竹若に抱きしめられているんだ!?くそ、竹若、羨ましすぎるぞ!!」

 画像を食い入るように眺めている社長は、部下を羨むあまりに、自分に向けられた毒舌に気が付かなかった。


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