黒豹注意報

京 みやこ

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●総務部広報課部長宥め係(ユウカちゃんが入社して約一ヶ月後)

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 出社してすぐに用事で外出していた私が昼休み前に席へ戻ると、同期である総務部庶務課の寺畑君が小走りで寄ってきた。
 ハリーポッターにスーツを着せたみたいな彼は、丸いフレームの眼鏡がすごく似合っている。
 男性にしては小柄で(寺畑君いわく『自分は168センチある!』とのことだが、私は彼が164センチだということを知っている)、ちっこい同盟の仲間だ。
 
「タンポポちゃん、ちょっといいかな」
 いつもニコニコしている寺畑君の顔が若干引きつっている。
「どうしたの?」
「あのさ」
 と言った寺畑君が、辺りを伺うように話し始めた。
「部長の機嫌が悪いんだ。朝は普通だったのに、時間が絶てば経つほど顔付きが厳しくなってきてさ」
 私はさり気なく立ち上がり、奥の席に座っている組長、いや、部長を見遣った。
 眉間の皺はいつもよりも深く、そして、机をコツコツと叩く人差し指の動きが大きく早くなっている。
「あぁ、もうすぐ爆発しそうだね」
「何で不機嫌なのか、誰も分からなくて困ってるんだよ。いつもなら佐々木チーフか沢田先輩が執り成してくれるんだけど、二人とも今日は有休でいなくて」
「そっかぁ」
 いつも冷静で気配り抜群の佐々木みさ子チーフと、フンワリのんびりした雰囲気なのに異常に敏い沢田美月先輩。
 この二人のお陰で総務部の社員達は部長による大きな被害を被ることなく日々の職務に励むことが出来ていたのだが、よりによって月末間近の今日にいないとは。
「部長の判子が必要な社員がたくさんいてさ、だけど、あの様子だから誰も近づけなくって……。たのむよ。タンポポちゃんしか頼れないんだ」
 同期に必死な顔で拝まれ、私はふむ、と頷く。
「分かった、部長と話してみる。ちょっと行ってくるね」
「生きて帰ってきてね!」
 寺畑君が私の手をガシッと掴む。
 私は戦地に赴く兵隊か!

 
「お疲れ様です、立川部長」
 眉間にビシッと三本の縦皺を入れた部長に声をかけた。
 離れていたところで見ても凄い迫力だったのに、目の前にしたらその威圧感で息が詰まりそうだ。総務部の社員たちが泣きついてくるのも仕方がないだろう。
 私が声をかけると、ほんの少し機嫌を持ち直した部長の縦皺が二本に。
 でも一本減ったぐらいでは、その恐ろしさに大した変わりはない。
  
―――なんで、ご機嫌斜めなんだろう。

 この顔は部下の失敗に腹を立てている感じではないので、仕事とは関係なさそうだ。
 それならば原因は?
 私は失礼にならない程度に部長を観察し始める。

 そして、気がついた。

「部長、素敵なネクタイですね。奥様のお見立てですか?」
 私がそう言った途端、あれだけ深く刻まれた眉間の皺がなくなった。
「そうなんだよ。妻が“あなたに似合いそうだから、思わず買ってみたの”と言ってね。どうだ?」
「はい、凄くお似合いです。奥様のセンスは素晴らしいですよ」
「そうなんだ。妻が選ぶものはいつも品がいいもので、ハズレがないんだ」
「それは奥様が部長のことをよくご理解されているからですよ。愛されてますね、立川部長」
 さっきまで地獄の門番みたいだった顔は消え、普段通りに戻るどころか、めったに見られない笑顔を浮かべている。
 立川部長は顔に似合わず(と言ったら悪いか)、社内でも有名な猛烈愛妻家。
 愛する奥さんが自分にプレゼントしてくれたネクタイに誰も気が付かなかったので、機嫌が悪くなったようだ。
 そんなことで不機嫌になるなよ!と言いたくもなるが、それだけ奥さんのことを愛していらっしゃるのだろう。
 ネクタイのついでに奥さんも褒めておけば、万事OKということだ。
 でも、本当に素敵なネクタイなんだよ。
 だから、私はお世辞抜きに褒めることが出来たんだもん。

 部内の空気がすっかりいつも通りに戻ったのを確認し、部長の席から離れた。私の席の横でビクビクしながら待機していた同期にキリリと敬礼。
「ミッション完了しました」
「ありがとう、本当に助かったよ!それにしても、タンポポちゃん、よく不機嫌な原因が分かったね?」
「まぁね。誰かを宥めたりするのは割と得意だから。ね、お礼に何か奢ってよ」
「了解。月末書類を抱えている人たちがみんな感謝しているはずだから、期待して」
「じゃ、当分ご飯とおやつに困らないかな」
 私はニッと笑って、立ち去る寺畑君に手を振った。


 私が人の心の機微に敏感な理由。正確には機微というか、人の負の感情だ。
 それは超厳しい両親に育てられたからである。
 彼らに怒られないよう、怒らせないよう、常に神経を尖らせていたから。
 そんな生活をしていたから、人が不機嫌になる詳しい原因までは分からないまでも、推測すれば大体当たる。

 そんな私に対して、学生時代からの友人たちは『そんなに人の気持ちに気が回るのに、どうしてユウカは自分に向けられる好意に気が付かないの?』というのが口癖だった。 
 何でと言われても、そんなこと分からない。
 多分、厳しく育てられても両親にはしっかり愛されていると感じていたから、あえて寄せられる好意を読み取る必要がなかったからじゃないかと思う。

 ちなみに、私は一人っ子だ。 
 なのに両親から必要以上に甘やかされることは一切なかった。
 一人っ子の誕生日ともなれば、食卓には豪勢な料理が並び、抱えきれないほどのプレゼントが貰えたのだろうと思われがちだが、私の場合は違った。

『誕生日というのは、あなたを生み、育ててくれたお父さんとお母さんに感謝する日なのよ』

 母に言われたこの言葉を、私は中学に上がる前まで信じ込まされていた。
 一般的な誕生日とは自分の誕生日を祝ってもらうものだという事実を友達に教えられ、仕事から帰ってきた両親に飛びかかって文句を言えば、
『騙されるユウカが悪い。世の中、真実は自分の手で掴むものだ』
『人から聞かされた情報を鵜呑みにすると、馬鹿を見るわよ』
 と、共に新聞記者の父と母が淡々と言ってのけた。

 この年の十三歳の誕生日。
 私はこれまで騙され続けた憂さを晴らす為にケーキバイキングへと出かけ、その店の大食い新記録を樹立したのだった。

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