上 下
17 / 27

(17)ドキドキの種類:5

しおりを挟む
 展開についていけず、私はガックリとうなだれる。
 そんな私の態度を、「俺のこと、受け入れてくれたんだ」とのたまい、先輩は私の髪に頬擦りを繰り返していた。
 私は決して先輩を受け入れてはいない。
 逃げ出そうとする気力を根こそぎ奪われ、なにもできないだけなのだ。
 もがいたところで先輩の腕から逃げることができないのは、これまでの経験から十分すぎるほどに理解している。
 かといって説得を試みても、精神的ダメージが瞬く間に蓄積するだけなのである。
 それなら先輩の気が済むまで大人しくしていたほうが、被害を最小限に食い止められると悟った私だった。

 しかし、その読みは甘く、精神的ダメージはさらに蓄積していく。

 先輩は私の髪に頬擦りしつつ、長い指に私の髪をやんわりと巻き付けている。
 私が少しでも身じろぎすると、ほんのわずかに空いた隙間すら許さないとばかりに、腰に巻き付けている左腕でグイッと引き寄せるのだ。

――助けて……。馬鹿アニキ、助けて……

 理解不能な先輩に立ち向かえるのは、同じように理解不能な馬鹿アニキしかいない。
 理解不能のジャンルが違うが、きっと互角の戦いになるだろう。
 その隙に、私は逃げればいいのだ。
 しかし、無情にも私のスマートフォンは着信を告げなかった。



 それから三十分経っても、先輩は私を膝から降ろそうとしない。
 頬擦りも髪弄りも、相変わらず続いている。

――いったい、なにが楽しいんだか。

 チラリと横目で窺った先輩の顔は、安定の無表情だ。
 ところが、よくよく見ると、口角がほんのり上がっている。
 普段が絶好調な無表情なので、ほんの少しの変化でも目に付くのだ。
 だからといって、私の精神的ダメージは軽減されなかった。

――早く、ウチに帰りたい。ノンビリおやつを食べたい。

 チョコやクッキーを齧りながら、ユーがチューブするサイトでお気に入りの動画を見たい。
 友達から借りた胸キュン必至と評判高い少女漫画を読みたい。
 昨日ダウンロードしたゲームアプリの続きをしたい。
 彼氏がいないので色気のない過ごし方だけど、私には大事な大事な憩いの時間である。

――私なんか構っていないで、好きだって言ってくれる人とデートでもしたらいいのに。いったいなにが楽しくて、珍獣キノコを連れ回すんだか。

 チラリと先輩を窺い、私はため息を吐く。
 隠すつもりはないので、これ見よがしに長く大きく。
 すると、先輩は動きを止め、私の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
 さっき見た微笑みは消え、先輩がジッと私を見つめる。
 その顔はすごく心配そうにしているけれど、ほだされたりしない。私は目に力を込め、睨み返した。
 そう、私は単純な女ではないのだ。けして、ほだされたりしないのだ。
「大丈夫?」
 先輩はさらに顔を寄せ、私の表情からなにかを読み取ろうとする。
 その目はなおいっそう心配そうに私を見つめていた。

――ま、負けるもんか!

 私は拳を握り、お腹に力を入れる。
 途端にクルルッとお腹が鳴ったけれど、今はそれを気にしている場合ではなかった。
 ここで私が引いたら、先輩が作り出す異次元に呑み込まれてしまう。だから、ほだされる訳にはいかなかった。

 ……絶対、ほだされないぞ!

 ……たぶん、ほだされないんじゃないかな。

 ……ほだされないと思うよ。

 ……ほだされない気がする。

 ………………負けました。

 やたらと私を心配しているのに加え、捨てられた仔犬みたいに縋りつく視線を向けられ、これ以上突っぱねることができなかった。
「どこも痛くないです、大丈夫です。ちょっとだけ、先輩を睨みたい気分だっただけです。心配してくれて、ありがとうございました」
 ペコリと頭を下げたら、大きな手がよしよしと私の頭を撫でる。
「俺は、君の夫になる男だ。心配するのは当たり前」
 またしても意味不明なことを言われて、思わず目に力が入った。
 だけど睨んだところで、先輩には通じない。おまけに、私の精神的ダメージが増えるだけ。
 とはいえ、なにも言い返さずにいると、先輩の意味不明加減が加速する。
 私は無心でいるように努め、静かに口を開いた。
「先輩、おかしいってことに気付いてください」
 それを聞いた先輩は、切れ長の目を大きくする。
「なにが?」
 本気で分かっていないらしく、目を大きくしたまま首を傾げてみせた。
「なにって、これまでの発言ですよ。おかしなこと、いくつかありますよね?」
 本当はいくつかではなく、おかしなことだらけなのだが、無用なツッコミをすると私のライフポンとガリガリ削る口撃(攻撃ではない)が返ってくるので、極力余計なことを言わないほうが身のためである。
 それ以上のことを言わないでいたら、先輩がソッと目を伏せた。
「……そうだよな」
 どうやら、今回はこちらに軍配が上がったようだ。私は心の中でガッツポーズ。それも、両手を振り上げたダブルガッツポーズ。

 とはいえ、私の予想をはるかに上回るのが鮫尾帆白という人間である。

「結婚する相手をいつまでも『君』って呼ぶのは、確かにおかしいよな」
 ボソッと呟かれたことを耳にした私は、心の中のガッツポーズをすぐに解いた。
 私が指摘したいおかしな点とだいぶズレがあるが、ここで焦ったら返り討ちに遭うことは経験済み。
 とりあえず、私は黙って先輩の様子を窺った。
 彼はなにやら考え込み、少ししてから顔を上げた。
「家族からは、呼ばれてる?」
「真智子(まちこ)ですけど」
「友達からは?」
「真知子ちゃんとか、まっちゃんとかです。幼馴染はまぁちゃんって呼んでいますね。それがなにか?」
 なぜ、私の呼び名を気にするのだろうか。
 不思議に感じつつも素直に答えていたら、また先輩が考え込んだ。

 美形が物思いにふける様子は、とても絵になる。
 先輩が私にいっさい関りのない人だったら、気軽に「かっこいい!」はしゃぐことができたのに。
 大人しく見守っていたら、先輩がゆっくりと顔を上げて私に視線を向けた。
「チコ」
「……え?」
 先輩が発した単語がなにを意味しているのか理解できず、私はきょとんとなる。
 そんな私に、先輩は続けて話しかけてきた。
「俺はチコって呼ぶ」
 そう言って、先輩は満足そうに何度も頷いている。
「あ、あの……、そんな呼び方、誰もしていませんよ」
 オズオズと話しかけたら、先輩は平然ととんでもないことを口にした。
「チコは俺だけの宝物だから、俺だけの呼び方にする」
 
――なにそれ!? サラッと「俺だけの宝物」とか、超絶デロ甘なセリフを言ってるんですけど!?

 驚きのあまり言葉を失っていると、先輩が目を細めて私を見つめる。
「チコ」
 優しい笑顔で名前を呼ばれ、私の心臓がキュンと可愛らしい音を立てた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

処理中です...