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 サイシャはいつもよりだいぶ遅い時間に帰宅することになってしまった。
 なかなか帰ってこない娘を心配し、両親は戸口に立っている。不安そうに辺りを伺っていれば、月明かりを頼りに道を歩く娘の姿を見て、一目散に駆け寄った。
「サイシャ!」
 父も母も、転びそうな勢いだ。その勢いのまま、二人は娘に抱きつく。
「こんな時間まで、どうしたんだ!?」
「何かあったの!?」
 両親が声をかけると同時に、サイシャは微かな悲鳴を上げた。
「サイシャ?」
 二人が身を剥がして娘の様子を窺うと、サイシャは困った様に笑う。
 そんな彼女の衣服が汚れているうえに、背中が大きく裂けていることに両親は気が付いた。
「これは、誰かに襲われたんじゃないの」
 両親を安心させるように、静かな口調でそう言った。
 それでも二人の視線は、気遣わし気に娘へと向けられる。その視線に、サイシャは小さく微笑み返す。
「とりあえず、家に入ろうよ」
 二人は目を見合わせたあと、娘を連れて家へと入っていった。

 居間にやってくると、母親とサイシャはその場に残り、父親は薬箱を取りに向かう。
 着ていたワンピースは背中部分が大きく切り裂かれているため、どうにも直しようがない。少々もったいないが、母の手によって腰から上の部分をハサミで切り離す。
 現れた娘の背中に母親は泣きそうな顔になり、戻ってきた父親は息を呑んだ。しかし、そこはグッとこらえて娘の手当てを始めた。
 丁寧に血を拭い、濡らした布で拭き清め、傷薬を塗った布で覆う。
 怪我の状態から、もう一度ワンピースに袖を通すのは困難だと見て取った母親は、自分のブラウスを持ってきて、娘に羽織らせた。
 傷の手当てを終えると三人はテーブルに着き、サイシャはこれまでのことを隠すことなく両親に話す。ガイザールに向ける想い以外は、すべて。
 話を聞き終えた二人は、重たいため息を零す。
「そうだったのか……」
 なんとも言えない表情を見せる父に、無言で見守っている母に、サイシャは頭を下げた。
「勝手に力を使ってしまって、ごめんなさい」
 小さな体をさらに小さくしてくる娘に、両親は責めるつもりなどない。それどころか、力なく肩を落とす娘を、二人は席を立って優しく抱き締める。
「お前は人助けをしたんだ。謝ることじゃない」
「そうよ。そのまま見捨ててしまったら、むしろ怒っていたわ」
「だけど、これまで隠してきたことなのに……」
 俯く娘の姿を、両親は苦い笑みを浮かべて見つめていた。
 サイシャの一族は、魔術師よりもはるかに強力な癒しの力や呪いを消し去る力を持っていた。
 だが、そのことは一族しか知らず、けして口外することはなかったのだ。
 それは、自分たちの力がわざわいを引き起こしかねないと分かっているからである。
 特異な力は、時として、戦火を生み出す。
 己が望まないところで、己ではどうにもならない事態に陥る。
 自国の王には、魂を削ってでも兵を癒すための力を強いられ。
 他国からは、貴重な人材として拉致された。故郷に残された家族を人質に取られれば、やむなく力を使わざるを得ない。
 どちらの道を辿ったところで疲弊した精神が狂い、やがて死に至る。
 息絶えたとしても、手厚く葬られることはない。替えの一族を捕まえれば済む話だ。
 人としての尊厳はなく、ただ、ただ、道具としか見なされない白の一族。
 それは祖先が身をもって味わったことであり、どれほど時が変わっても、その事態は起こりうる可能性があるのだ。
 だからこそ、本来は軍の魔術部隊や治療術院で使われるべき自分たちの力を、「ないもの」としてひっそりと生きている。
 一族が惨劇を味わった時代から何百年と経った今では、白の一族は本の中でしか存在しないものとされている。
 数を減らした白の一族は、大抵、なにも知らされていない相手と結婚する。おかげで、生まれた子供には目立った特異能力は発現しない。多少、癒しの力が強く生まれつくだけで、周囲が怪しむほどの力は備わらないのだ。
 ところが、たまたま一族同士で婚姻を結んだ両親から生まれたサイシャには、明らかに力が突出している。
 そこでサイシャ一人が見出みいだされれば、芋づる式に一族が狩り集められるだろう。まだ十に満たない弟や妹はサイシャよりは力が劣るものの、例外なく祖先と同じ道を辿る。
 話に聞いている惨劇が繰り返されることを考えるだけで、サイシャは身が切り裂かれる思いだった。
 彼女の細い肩に、父親の肉厚な手の平がソッと乗せられる。
「力は、人目に触れないところで使ったんだろ?」
 父親の問いに、サイシャはコクリと頷く。
「それなら、きっと大丈夫よ。そこは窓のない地下室で、ガイザール様はほとんど意識がなかったうえに、サイシャとは面識がないんでしょう?」
 彼はこの国の英雄だから容姿も名前も広く知られていて、当然、サイシャだって知っていた。
 その反対に、ひっそりと息を潜めるように街で暮らしている彼女のことを彼が知っているはずもないのだ。
「大丈夫よ、サイシャ」
「そうだぞ。正しいことに力を使ったんだから、聖獣様が助けてくれるさ」
 両親の言葉に、ようやくサイシャは肩の力を抜いたのだった。

 湯を張った小さなたらいを持つ母の後について、サイシャは自室へと向かう。布で体を拭うためだ。
 この国は他国に比べれば豊かな国であるものの、それでも、国民すべてが毎晩、風呂に入れるほどではない。
 水は豊富でも、自宅に風呂を設えるには金がかかり、王族や一部の貴族だけが浴場を有していた。
 だが、国庫が出資する共同浴場が地域ごとにあるので、国民たちは安い料金で利用することが可能である。 
 ちなみにその共同浴場は常に稼働しているので、どんなに夜遅くとも利用可能なのだが、今のサイシャでは難しい。
 それと言うのも、背中にある傷が原因だ。
 先ほど手当の際に見てもらったところ、肩胛骨の下に数本の爪痕がくっきりと残されているとのこと。傷自体は深くはなく、出血も徐々に治まりつつあるが、獣に襲われたとでも言わんばかり。
 そんな傷跡を背負って共同浴場を利用すれば、余計な騒ぎが起こるに決まっている。
 母が部屋の端にたらいを置き、体を拭う布や着替えを用意している様子を見ながら、サイシャは服を脱ぎ始める。
 服と言っても羽織っている母親のブラウスなのだが、怪我のせいで、それすらも脱げないでいた。
「無理しないで」
 支度を終えた母親がサイシャに近付いて、背後からブラウスと薬を塗った布を取り去る。
「お母さん、お願いね」
「まずは、腕と肩からよ。痛かったら、言いなさい」
 穏やかな様子で声をかけながらも、湯で濡らした布を手にした母親の眉が中央にグッと寄る。
 目の前には、華奢な背中に刻まれた傷。年若い娘の背中にこんなにも大きな傷跡が残るのは、事情を知ったとしても、親としてはやりきれないのだろう。
 先ほど治癒の力が込められている軟膏をたっぷり塗り付けたが、もしかしたら、特殊な呪いを浴びてしまったガイザールによって与えられたこの傷には、あまり効果がないかもしれない。
 サイシャの父も母も弟も妹も白の一族としての能力を持っているものの、さほど強いものではない。それでも剣で切り付けられた傷や、矢で射抜かれた傷程度ならば、一晩ほどで癒してしまうのだが。
 基本的にはサイシャも彼らと同じなのだが、なぜか解呪においては抜きんでた力を持っていた。おそらく、今生きている一族の中でも五指に入るだろう。
 母親は思う。娘が解呪ではなく、治癒の力に長けていればよかったのに、と。そうであったら、この傷を負ったそばから治癒できたかもしれないのに、と。
 しかし、それを言ったところでどうなるものでもない。授かる能力や力の程度は、己ではどうすることも出来ないのだから。
 傷を避けて小さな背中を綺麗に拭った後、母親は改めて傷口に軟膏を塗って布で覆う。 それからサイシャをベッドの縁に座らせ、足を拭ってやった。
「はい、これで終わりよ」
「ありがとう。時間も遅いし、お母さんも早く寝て」
 娘の言葉に、母親の顔からは心配の色が消えない。
「なにかあったら、すぐに言いなさい。それと、しばらくは孤児院のお仕事は休みなさいね。明日、お母さんが院長様に話しておくから」
「うん、分かった」
 頷く娘の頭をソッと撫で、母親は濡れた布や桶を手に部屋から出ていった。



 それから二、三日の間は体を大きく動かすと、皮膚が引き攣れてかなり痛かった。だが、幸いにも寝込むほどではない。痛みによる高熱も出なかった。
 痛みは日を追うごとに徐々に薄れ、一週間ほど経った頃にはかさぶたもなくなった。
 尋常ではない早さで治ったのは、運良く、軟膏が効いたのだろう。
 サイシャも彼女の家族も、そう信じて疑わなかった。 

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