その香り。その瞳。

京 みやこ

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(133)SIDE:奏太

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 マンションに到着し、車から降りた僕たちはエントランスへと入っていく。

 豪華な建物に似合わないスーパーの買い物袋を下げた斗輝なのだが、彼は気にした様子もなく僕の手を引いて堂々と歩いていた。

 当然のことながら、僕は荷物を持たせてもらえない。

 せめて大根だけでも持とうとしたけれど、「奏太には俺の左手を握り締めるという大事な任務があるからな」と言い返されたのだ。



――なに、それ。



 呆れるやら、笑ってしまうやら、僕の表情は変なことになっていただろう。

 だけど、斗輝がすごく幸せそうなので、力持ちのアルファに荷物運びを一任することにした。

 僕たちがフロントにやってくると、引っ越しのトラックが地下駐車場で待機していると、コンシェルジュのお兄さんが教えてくれた。

「では、荷下ろしを始めてもらおうか」

 斗輝の言葉に「かしこまりました」と返事をしたお兄さんは、頭を下げてから立ち去っていく。

「では、私も作業に当たりましょう」

 清水先輩は、当たり前のように告げた。

 僕は先輩を見上げ、口を開く。

「これは僕の引っ越しですから、自分でやりますよ。先輩は、番さんと苺を食べてください」

 先輩にはここに至るまでにあれこれやってもらったので、もう十分すぎるくらいだ。

 荷物の運び入れも設置も引っ越し業者さんたちがやってくれるから、僕と斗輝が指示を出したらいいと思う。

 ところが、先輩は苦笑を浮かべて緩やかに首を横に振った。

「奏太様のお心遣いには感謝いたしますが、この引っ越しをつつがなく終えることが私の任務ですので。どうぞ、最後までお任せください」

「でも……」

 僕は申し訳ない気持ちで先輩を見上げた。

 斗輝の右腕である清水先輩が、僕のためにあれこれと動いてもらうのは気が引けるのである。

 だけど、頭も気も口も回る先輩に、なんと言ったらいいのか分からない。

 そんな僕の様子に、先輩は苦笑を深めた。

「どうぞ、お気になさらずに。奏太様のおかげで、このように立派な苺が手土産にできたのですから」

 そう言って、先輩が苺のパック入った買い物袋を軽く持ち上げる。

 清水先輩が「これは仕事だ」と言っているなら、それをやめさせるのは斗輝にしかできないことだ。

 また、斗輝は、先輩に「もう、部屋に帰っていい」とは、一言も告げていない。



――下手に遠慮すると、かえって先輩に迷惑をかけるかも。



 僕はペコッと頭を下げ、「では、お願いします」と言った。

「はい、お任せください」

 穏やかな声で返事をする先輩を改めて見上げたら、先輩の視線がスッと斗輝へと移動する。

「何度も申し上げますが、奏太様の慎み深さには頭が下がります。財産にも権力にも目を眩ますことはなく、傲慢な振舞いなどまったく見せません。むしろ、時間を追うごとに健気さと奥ゆかしさが増しているのではないかと」

「当たり前だ。奏太は、俺が選んだ最高の番だからな」

 胸を張って答える斗輝の様子に、僕は恥ずかしくなって俯いてしまった。



 少し経つと、コンシェルジュのお兄さんが戻ってきた。

「引っ越し業者に伝えてまいりました」

「分かった」

 斗輝が一言返し、僕たちはエレベーターに乗り込む。

 部屋へ向かうと、扉の前にさっきの引っ越し業者さんたちが待っていた。

 斗輝が扉のロックを解除し、僕と一緒に中に入る。

 そのあとに、清水先輩と引っ越し業者さんたちが続いた。

 荷物をどこに運ぶのかは斗輝と清水先輩が話し合って決めていたので、すぐさま荷物が運び込まれる。

 荷物の配置は元の部屋と同じにするため、こちらから指示を出す必要ははない。

 僕と斗輝はキッチンへ行き、買った食材を冷蔵庫へと詰めていく。

 最後に鶏肉を入れたところで、斗輝が僕のことを抱き締めた。

「スーパーでの買い物は、すごく楽しかった」

「それはよかったですけど、荷物が重くて大変でしたよね」

 彼はずっと平気な顔をしていたものの、さっきチラッと見た右の手の平には、買い物袋が食い込んだ跡が残っていた。

 心配そうに見上げる僕に、斗輝が優しい笑みを向けてくる。

「それなりに重かったが、大したことではない。すぐに、手の平の赤みも消えるだろう」

 彼の唇が僕の額にやんわりと押し付けられた。

「あのように手を繋いで買い物をするというのは、なんとも幸せなものだな。また一緒にあのスーパーへ行こう」

 高級デパートの食品売り場に行こうと言われるよりはありがたいけれど、斗輝の安全を考えたら、素直に頷けない。

 黙っている僕に、彼がクスッと笑いかける。

「あのスーパーは、かなりの数の防犯カメラが設置されているな。それに、制服を着た警備員の他に、私服警備員らしき者たちも店内を見回りしている。あの様子なら、俺や清水でも安心して買い物ができそうだ」

「……え?」

 それを聞いて、僕は目を丸くした。



――いつの間に、そんなことを確認していたの?



 ポカンとしていると、彼がまたクスッと笑った。

「そういうことに目が行くのは、習慣みたいなものだ。まぁ、二葉があの地域に奏太を住まわせたということは、防犯面でもしっかりしているとは思っていたがな」

「あ、あの、それは……」

 僕が住んでいた場所と防犯面の繋がりがいまいち呑み込めない。

 首を傾げると、斗輝が説明を始めた。

「防犯カメラの設置や警備員の配備は、万引きや強盗対策としてでもあるだろうが、オメガが不当に扱われないためのものでもあるのだろう。たとえば、混雑時にわざとオメガにぶつかって、『怪我をしたから慰謝料を払え。金がないなら体で払え』と、理不尽なことを言うアルファやベータがいないわけではない」

「スーパーで、そんなことが……」

 考えたこともない話をされて、僕は再度目を丸くする。

 オメガが狙われやすいというのは、一葉先生にも二葉先生にも、耳にタコができるくらい言われていた。

 だから、僕はむやみやたらに人が集まる場所には行かなかった。

 犯罪と言ったら、賑やかで、隣にいる人が誰だか分からないような混雑している場所で起こると思っていたから。

 田舎育ちの僕の認識は、その程度だったのである。

 それがまさか、なんでもない住宅地でもそんなことが起きるなんて。

 言葉が出ないくらい驚いていると、斗輝がため息まじりに話を続ける。

「まさかと思う場所で、犯罪が起こることもある。そして、そういう場合は、発見が難しい。盲点を突く小賢しい連中は、残念ながら少なくないんだ」

 僕の背中に回されている腕に力がこもった。まるで、僕を安心させるかのように。

「奏太が暮らしていたマンションだけではなく、あの地域一帯を篠岡が手掛けているのだろう。澤泉も出資しているから話は耳にしているが、俺の仕事とは部門が違うので、詳しくは知らなかったがな」

 大きな手がポンポンと僕の背中を叩く。

「そういうことで、俺があのスーパーに出向いても、それほど危険は伴わないというわけだ。多少注目を浴びてしまうのは、仕方がないが」

 斗輝が危ない目に遭わないというなら、また買い物に行ってもいいかもしれない。

 僕はコクンと頷き返した。

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