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第4章

50.実験場の管理人(前編)

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 ケントと合流できて本当によかった。だけどこれで終わりじゃない。この先にローブの男がいるかもしれない。

 この踊り場に下への階段はない。恐らく転移でなければ来られないのだろう。セシルはケントとともに踊り場から上に続く階段へ足を踏み出す。

「俺が先に進む。セシルは後方の警戒を頼む。」

「分かった。気をつけてね。」

 一列になって階段を上ると再び踊り場に出る。だがもう上への階段はない。そして左の壁には扉がある。セシルは周囲を警戒し、ケントは扉のノブに手をかける。

―――カチャリ

 扉を開けてみるとそこも下の階と同じような部屋だったが、今までの部屋とは様子が違う。部屋の手前右側にはたくさんの書物が積み重ねられ、本棚にはぎっしりと本が詰まっている。
 その間に机と椅子が置いてあり、机の上には大量の紙切れが広げてある。そして別の棚には薬品や何かの標本、実験器具のようなものが多数置いてある。

 部屋の奥には人が入れるくらいの大きな空のカプセルがいくつも設置してある。
 セシルとケントがそのカプセルが置いてある一角に近づいてよく見てみると、それらの設備には使用された形跡がある。

「チッ。」

 隣でケントが舌打ちをする。ケントは嫌悪感を顕わに顔を歪ませ、忌々しげにそれらの設備を見やる。そんな彼の様子が気になりセシルは尋ねる。

「どうしたの?」

「……ああ、すまん。あいつらはここで作られたのかと思うと反吐が出そうでな。」

「あいつら? 鎧とか?」

「俺が戦ったのは合成獣キメラと人形だ。人形のほうも変身後は生身の人間で意志もあるようだった。命を弄びやがって……。」

「人形……。」

 セシルは倒していないから分からないが、あの偽ケントは人形だったのだろうか。確かに彼は人間と同じような感情を持っているようだった。
 だとしたらこんなことをした人物を許せない。仮初めの命を与えて捨て駒にするなんて。



「私のコレクションを見事に減らしてくれましたねぇ。」

 男の冷たく尖った声が後ろから聞こえる。セシルとケントは後ろを振り返る。
 そこには年は30代くらいで顔色が青白く、白銀の髪が背中ほどまで伸ばされた、黒いローブを纏った男が立っていた。ローブの袖から見えている腕が骨ばっておりずいぶん細身のようだ。
 男は両腕を交差させて腕組みをし、苛ついたように指でとんとんとその腕を叩いてこちらを睥睨している。

「お前は何者だ。」

 ケントが冷たい声音で男に尋ねる。すると男は大したことでもないというふうにあっさりと答える。

「私はベックマン博士です。ドクトル・ベックマンと呼んでください。」

「それでドクトル。貴方がダンジョンに転移魔法陣を出現させたの?」

 セシルが尋ねると、ベックマンはニヤリと口の端を片方上げて笑みを浮かべながら得意げに答える。

「ええ、その通りです。あれは失敗でしたがね。」

「なぜそんなことを……。そのせいで何人もの人が犠牲になったのよ!」

 セシルが抗議すると、ベックマンは笑みを浮かべたまま肩を竦め答える。

「実験のために多少の犠牲は必要でしょう。理由はある目的のためですよ。」

「……ある目的?」

「ええ、特別な時空間の扉を開く実験です。私は元ヴァルブルク王国の神殿の召喚士でねぇ。」

 ベックマンの言葉を聞いて、押し黙っていたケントの肩がピクリと動く。その目はベックマンを睨みつけたままだが、わずかに驚きの色を滲ませている。

「私はエルフでしてね。転移魔法は我々の種族だけの禁呪なんですが、里の人間とそりが合わずそこを出て王都に来たところ、私の力が見込まれて神殿の召喚士として召されたのですよ。しばらくはそれで満足だったのですがね。」

 ベックマンはケントの方を向き、言葉を続ける。ケントは相変わらずベックマンを睨みつけている。

「貴方、異世界人でしょう? 多分私が辞めてから召喚されたのですね。知らない顔ですからね。まあ私も何人か召喚したのですが、召喚した人間から異世界の話を聞くたびに非常に興味が沸きましてね。向こう側から呼ぶだけではなくて、ぜひ私が行ってみたいと思ったのですよ。異世界に。」

「なんだって……?」

 ケントはベックマンの言葉を聞き、初めて戸惑いの表情を見せる。
 この世界から異世界へ行ける。それは日本へ行けるかもしれないということではないのか。セシルはケントが帰れるかもと考えるとなんだか胸が苦しくなる。
 ベックマンはケントの様子を見てさも愉快だと言わんばかりに話を続ける。

「ククッ、帰りたいですか? ニホン、でしたっけ? 私も行きたいんですよねぇ、ニホンへ。異世界から召喚するだけなら既に確立している魔法陣があるので、何人分もの大量の魔力さえあればどうとでもなるのですよ。だがこちらから異世界へ行くためにはそう簡単にはいかない。そこでまず必要なのが大量の魔素もしくは魔力です。だが人間だといったい何人必要になるか見当もつかないほど膨大な魔力が必要でしてね。そこで私が目をつけたのはダンジョンや強力な魔物が生息する棲家すみかで、ああいった場所には大量の魔素があるのです。それを利用して異世界への扉を開こうとしたのですが……。」

「失敗したんだろう? でなければお前がここにいるわけないもんな。」

 ケントが皮肉気な笑みを浮かべ言葉を吐き捨てる。ベックマンはケントの言葉を受けて片眉を上げ不愉快そうに話を続ける。

「……ドクトルと呼びなさい。ええ、失敗しました。副作用で魔素の流れが歪み全く的外れな場所に繋がってしまう転移魔法陣が展開されただけでした。まあ別に支障があるわけでもなし、そのままにしてきましたがね。」

 ベックマンの無責任な言葉を聞きセシルが激昂する。

「そのせいで何人の人が犠牲になったと思ってるの!? どうしてそんな無責任なことが言えるの!?」

「セシル。こいつに何言っても無駄だ。この男は狂ってる。」

 ケントがベックマンへ視線を向けたままセシルをなだめる。

「どうとでも言いなさい。私は二度同じことを言うのは嫌いなんですがもう一度教えてあげましょう。世紀の大実験に多少の犠牲はつきものです。だがもう魔素の多い場所を探す必要もなさそうだ。この状況は僥倖と言えるでしょう。」

 ベックマンが何を言っているか分からずセシルは首を傾げる。
 ベックマンが突然左手をスッと掲げる。すると突然ケントの周りをあの実験設備のカプセルに似た結界が囲む。

 セシルは咄嗟にケントに駆け寄ろうとすると、ベックマンが一瞬でセシルを同じ結界で囲む。

 ケントはそれを見てその表情に焦燥感を滲ませながら内側からショートソードで斬りつけているようだ。

「彼には魔法が効きませんけど、例外的に転移魔法で転移させることはできる。だから恐らく空間魔法で閉じ込めることもできるだろうと思ったのですが予想通りでしたね。これはね、ただの結界じゃないんですよ。この中だけ別の空間なんです。だからいくら中から物理的に攻撃しても無駄なんですよ。こちらの様子を見たり聞いたりすることはできますがね。」

 そう言ってベックマンはセシルの周囲を回りながらまるで観察するようにセシルを見る。

「素晴らしい……。これほど多くの魔力を内包する人間を私は見たことがない。どれほど強力な魔物がいる場所の魔素でも君の内包する魔力に比べれば大したことはない。君1人がいればこの実験は成功しそうだ。」

 セシルはようやくベックマンの狙いが分かる。セシルを異世界へ転移する扉の魔力媒体にするつもりなのだ。確かに今自分を囲っているこの壁はただの結界ではなさそうだ。壁の外に精霊を呼べないだろうか。

「シフ、出てきて。」

 小さな声で精霊を呼ぶが返事がない。ここが異空間なのは本当のようだ。きっと精霊たちは今セシルを見失っているのだろう。ここはあの部屋の中のようであってあの部屋ではないのだ。恐らくベックマンの側にいるように見えているだけだろう。

「理解が早くて何よりです。このまま貴女から魔力をいただきましょうかね。」

 状況を悟り諦めたように呆然とするセシルを見て、ベックマンがセシルに話す。
 ケントのほうを見ると、中の声は聞こえないが結界の中で「やめろ」としきりに叫んでいるのが唇の形で分かる。
 もしかしてこのまま実験が成功すれば彼がニホンへ帰れるのかもしれない。彼にとってはそのほうが幸せなのではないだろうか。
 セシルはベックマンに話しかけてみる。

「ああ、貴女の言葉だけは聴こえるようにしてますよ。なんですか?」

 どうやらセシルの言葉は聴こえるようだ。セシルはケントのほうを見ながらベックマンに訴える。

「わたしが協力したらケントをニホンへ帰してもらえますか?」



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