玄洋アヴァンチュリエ

天津石

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Ⅴ 黄泉比良坂 ヨモツヒラサカ

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「凪……凪!早よ起きんね!」

 勢いよく引き剥がされた掛け布団から守られていた、閉じた瞼に日光が突き刺さった。

「うーん……」

 消えない眠気に抗いながら片目を開ける。開いた戸を背に着替えを済ませた暁が、やはり頬を膨らませながら仁王立ちで見下ろしていた。

「朝に強いな、暁は」

 思わず呟くと、暁は腕を組んだままぷいっとそっぽを向き、部屋から離れていく。

「ちょっと、どこ行くんだよ」

「顔洗うとこ、分からんやろ!早う付いてきて!」

 ぶっきらぼうに言い放つ少女に必死について行くため、慌ててサンダルを履いた。

 母屋のすぐそばにあったのは、公園にあるような手洗い場だった。

 氷のように冷たい水で顔を洗うと、ぼやけた視界が一気に澄み渡る。濡れた頬を撫でる海風が、この上ない冷涼感を感じさせた。

「凪くん、早う上がりんしゃい。飯にするけん」

「はい!」

 勝手口から母屋へ上がる。掘り炬燵に腰掛けると、おばちゃんが皿に盛り付けた握り飯とアラ汁を盆に乗せて運んできてくれた。

「あれ、僕だけ、ですか?」

「私たち老人は朝早かけん、お腹すくとも早かとばい」

「じゃあ、暁は?」

「うちももう食べた。凪が起きるん遅うて待ってられんかったし!」

「……悪かったよ。いただきます」

 朝食の握り飯は昆布と梅肉、具がそれぞれたっぷりと入っていて、しっとりと巻かれた海苔の風味が米の旨さを引き立てていた。

「美味しい……!」

 一口食べ、思わず声が漏れた。アラ汁をすする。うん、アラの出汁が効いている。味噌と魚介の旨味が米の甘みを引き立てる。

 ゆっくりと味わっていたつもりだったが、気づけばものの数分で完食していた。

 お茶を持ってきてくれたおばちゃんが食器を下げながら暁の方へ呼びかけるように笑っていた。

「良かったやない、暁ちゃん。凪くん、今日んおむすび、暁ちゃんが作ってくれたとよ」

「そうだったのか?」

「早起きしてきてね、綺麗か形に作れるまでいっぱい練習して作ったとよ。いちばん綺麗か出来たとば凪くんに食べてもらいたかったけんね」

「そげんこと言わんでよかと!」

 暁はぷいっと向こうを向いたが、顔を真っ赤にしているのは嫌でも分かってしまった。

「早起きまでしてくれて……おにぎり、美味しかったよ。ありがとう」

 おそるおそるこちらへ振り返った暁は、頬を染めたままこっちにやってきた。

「な、何だよ……」

 暁はしばらく黙ったまま俯いたかと思えば、そっぽを向きながら平手を差し出した。

「百万円」

「お金取るのかよ!」

 あまりにも予想外な照れ隠しに、思わずつっこんでしまった。そんなやり取りをどう捉えたかは分からなかったが、漁師夫婦は笑いながらこちらを見守っていた。

「よし、そろそろ出発しよかー、波が高うなる前んほうが楽やろう」

 漁師の家を出て、まずは神社にお参りをする。中津宮なかつぐう。タギツヒメノミコトを祀る拝殿だ。

 漁師の男が得意げに話していたが、宗像むなかたは海上・交通安全の神様として知られており、船出の前には皆無事に帰ってこれるようにと祈るのだそうだ。

 二拝二拍手一拝。すぐそこが海だとは気づかないほど静まり返った空間に刹那、手を打つ音のみが響いていた。

 漁船に乗り込むのは、フェリーの何倍も緊張した。

 人ひとりが乗り込んだだけで船全体がぐらぐらと揺れ、すぐ下を見ればそこの見えない青い海。舷側に打ち付ける波が弾けては鼻腔に潮の香りを突き刺した。

 男は慣れた手付きでエンジンを始動した。ズガガガンと響く轟音は止まず、軽音部の友だちに借りた音楽プレイヤーで大音量のデスメタルを聞かされた時を思い出した。

 佐一郎の車のエンジンもすごい音だったが、船のエンジンはそれらをはるかに上回る巨大なもののように感じられた。

 といっても人間の感覚というのは不思議なもので、あれほど煩わしく感じていたエンジン音も既に意識の外に流れ、声を張りながらの会話は滞りなくできるようになった。

「凪、手持っとって」

「あ、ああ」

 乗り込もうとした暁の手をしっかりと握る。やはり小さくて、柔らかい手だった。

「もやい解くぞ!良かか!」

「うん!」

 暁が返事をする。桟橋に船を繋いでいた縄が外され、船に取り付けられたタイヤが岸壁と擦れてぶるぶると耳障りな音を発した。

漁船のエンジンより噴き出す黒い排気の異臭が鼻をつくと、大きな音とともに掻き出された海水が船を後ろ側に押し出した。

 いくらか後退した漁船は船首をゆっくりと沖に向け直すと、汽笛を鳴らしながら軽快に滑り出した。

「わ、わ、わ!」

 思っていた以上に速度を出す漁船に思わず声が出る。対して暁はというと、「そうそう、これこれ」といったなんとも言えぬ面持ちで腕を組みながら頷いていた。

「暁は好きなのか?」

「な、何のことね!」

「いや、船、好きなのかなって」

「何や、船ね。――うん、船は、好いとーよ。自分で進路決めて、どこにでも行けるけん」

 揺れる船上で、暁は水平線を見つめながら答えた。

「こうやってどんどん島が小さくなって、あたり全部海になる。うちがここまで来ちゃえば、誰も追いかけて来れんやろ」

「じゃあ将来は船乗りになりたいのか?」

「うーん、将来んことば分からん。ばってん、船ん免許は取りたいけん、勉強ば嫌やけど、頑張ってみるつもりたい」

「なあんも心配せんでええ!おっちゃんなんか高校中退やぞ!おっちゃんでも取れたけん、暁はかしこか子やけん大丈夫たい!」

 操舵する漁師の男が、前を向きながら豪快に笑った。

「そういや、凪ん学校、絶対頭よかろ。数学ん宿題、いっちょん習っとらん問題いっぱい書いてあったけん」

「いや、そんなにかな……」

「そうや!凪が先に免許取ったら良いったい!それで教えてもらえば良かろうもん」

「そんな簡単に言うなよ……」

 目を輝かせる暁に、ため息混じりに答えてみる。おそらく、なんと言ったところで頑固な暁はすぐに考えを変えたりすることは無いだろうと確信していた。

 島から離れると、波は一気に激しさを増し、白い漁船は一度大きく揺れた。

「二人とも、こっち来てみんしゃい」

「わあ……!」

 沖ノ島。ごつごつとした岩肌に樹木が生い茂る小さな島だ。小さいが、その存在感は圧倒的で、海域に入った途端、空気の質感が変わったような気配すらあった。

 船は先程まで発揮していた快速を緩め、ゆっくりと海面を切り進むにとどまった。

 ゆっくりと航行する漁船から見る沖ノ島は壮観だったが、漁師の男によると、この付近は岩礁が多く、気をつけて船を進めなければ簡単に座礁してしまうのだという。

「そういえば、宝の在処は分かっているのか?」

「そげなこと上陸してから見つけるにきまっとーたい!分からんけど大きな島じゃない。必ず見つけちゃる」

 暁は豪語した。それでも。

「おじちゃん!もっと!もっと近う寄せて!」

 必死にせがむ暁に対し、漁師の男が首を縦に振ることは無かった。

 男が言うには、沖ノ島に上陸することが出来ないのはもちろんのこと、近付くことすら禁止されているらしい。

「上陸するんはだめと、分かっとるけん、ばってん、一年に一度だけと!お願い!」

「……もう少しだけやぞ」

 男は暁に根負けし、船を進める。それはほんの僅かな距離に過ぎず、暁はもっと船を寄せるよう頼み込んだが、ついには困り果てた顔で、漁師は首を横に振った。

「なんで!」

 暁はもう一度、強く言い放った。

 ――正直、予想はしていた。責任を持った大人に頼んで船を出してもらう以上、この制止は避けて通れない。暁も分かっていたはずだ。それでも、目尻に涙を浮かべ、唇を噛みしめる眼前の少女を見て、何も言えない自分が悔しかった。

「なしてみんな、うちん邪魔ばすると!」

 暁はぎゅっとと絞った声で、苦しそうに吐き捨てた。

「暁……」

 漁師と目を見合わせる。なんとか、暁をなだめる方法は無いものか。

「凪、泳げんよね」

「う、うん……何を――!」

 向こうを向いたまま、暁が呟く。思い立ち、思わず顔を上げたときには、暁は既に船縁に足をかけていた。

「もうよか!うち一人でいく!」

 勢いよく船縁を蹴り、身体を伸ばして海に飛び込む。

「暁!」

「まずい!」

 漁師の男が思わず叫んだ。それもそうだ。いくら島が目と鼻の先だからといって、荒れ狂う海に飛び込んでは死の危険が高い。

「おじさん!暁の方へ船を!」

「ああ分かった!」

 漁師は舵を切ると同時に、青ざめた表情で呟いた。

「見失った……」

 暁の姿が見えない。そう遠くまでは行っていないはずだ。

 見えた。桟橋の方向、泳いでいる。

「あそこです!」

「おう!」

 船は暁の方へ進む。

「暁!戻ってこい!」

 必死に呼びかけるも、泳ぎ続ける彼女は止まらない。

「お願いです!桟橋の方に寄せてください!」

「――わかった!」

 漁師の男は刹那の葛藤を切り捨て、エンジンの回転数を上げる。

 激しさを増す荒波を切り裂き、漁船は桟橋へ向かう。しかし、衝突を避けようと速度を落とせば、船はたちまち波に押し返されてしまう。

「これが限界や!」

 漁師が叫ぶ。暁の姿が見えない。さっきまでこのあたりにいたのに。

 桟橋との距離はおよそ二、三メートル。やるしかない。

「おじさん、助けを呼んで貰えますか」

「あ、ああ!今通報した。ともかく、暁を探さな」

「僕が、暁についています」

「お、おい――!」

 腕を振り、限界まで収縮させた脚を一気に伸ばす。二年ぶりの幅跳びだ。新記録を出してやる。

 跳躍した刹那、海面より砕ける波しぶきが舞い上がってくるのを全身で浴びる。

 ふわりとした滞空を経て、桟橋になんとか着地した。

 ざばんと何かが海面より出る音の方に振り向いた。暁だ。岸辺に上がり、膝に手をついて息を荒げている。

「おじさん!暁は無事だ!」

 振り向いて叫ぶ。しかし、振り向いた先に見慣れた漁船の姿はなかった。あたり一面が突然、濃霧に包まれていたのである。

 声が届いているのかわからない。

「凪くん!聞こえちょるか!」

濃霧の奥から、漁師の声がかすかに届く。

「視界が悪うて、船ば寄せられん!波も強うなってきた!」

「そんな……」

「近くに社務所があるやろう、助けば呼んでくるけんそこで凌ぐったい!」

 漁師の声は、それ以降聞こえなくなった。

「暁、社務所で助けを待とう」

 荒い呼吸を繰り返す暁に駆け寄り、声をかける。

「嫌や、せっかくここまで来たんや。絶対に宝を見っけちゃる」

 暁は口元を袖で拭いながら、山の方を見上げた。

 山頂が見えないほどの濃霧だ。それに、人の気配すら感じない。滞在しているという神職は本当にいるのだろうか。打ち付ける波と吹き荒れる風以外聞こえない、不気味さすら感じてしまう雰囲気だった。

「……暁」

「なん?嫌やったら付いてこんでよか」

「――違うよ、足、大丈夫なのか?」

 ずんずんと坂を登る暁の足首には、大きな切り傷があった。岩礁で切ったのだろうか、傷口はじわりと血をにじませ、今もなお、つうっと鮮血を滴らせている。

「大丈夫!大したことなか!」

「でも……」

「別に、平気!いっちょん痛くないったい!」

 進む僕らを、濃霧は次第に息苦しささえもたらし始め、ついには霧雨となって僕らの身体を冷やしていた。

「なあ、ここ、本当に神社の参道なのか?」

 外観から見れば自然豊かなのに、上陸した沖ノ島からは、生物の気配が全く感じられなかった。

 むき出しになった無数の巨石が行く手を阻み、先程から一定の間隔で置いてあるのは木の柱で作られた昔の鳥居のようなものだろうか。数十歩も歩けば新たなものが置いてある。朽ち果てていて、今すぐに崩れてもおかしくない。

 虫の鳴き声も、鳥の声も聞こえない。聞こえるのは雨音と風、そして草の葉が同士が擦れるざわざわとした音だけだ。

 両脇の景色が変わったのは、その直後だった。

「なんだ、これ……」

 動物の頭骨だろうか。いくつもの頭骨が脳天より串刺しに積み上げられ、鳥居のような体をなしている。

 その間に結ばれたしめ縄にはどこの部位かわからない骨が紐にくくりつけられて吊るされ、吹く風でぶつかり合い、カタカタと不気味な音を鳴らしている。

 まるで、何者かに嘲笑われているかのように甲高く鳴り響くカタカタという骨の音は、進んでも進んでもついて回った。

「なあ、どれだけ歩くんだよ。この島って、こんなに大きかったか?」

 不気味さもあって時間の流れを長く感じているのかもしれない。体感だが、大島で沖津宮の遥拝所まで歩いた時と同じくらいの時間が経っている気がする。ポケットから取り出したスマートフォンは、吹き付ける雨で水没したのか、電源すら入らなかった。

 強まる雨は止む気配もなく、次第に雷を伴うようになった。雨は強風を伴う横殴りのものに変わり、雷も鳴り響く中、突如暁が立ち止まった。

「あった……」

 ここまでどれほど登っただろうか。参道奥、雨風を凌げそうな洞窟、いや石室が、そこにはあった。

 かすかだが、その中に小さな祠のようなものが見える。

 僕の腰ほどの高さの、ほんの小さな祠の前に鎮座していたのは、これまた小さな石棺だった。

「間違いなか。これが宝島伝説ん正体や……!」

 暁は普段の高揚はせず、静かに言葉を発する。しかしその言葉の奥には、高揚を隠しきれないような、かすかな上ずりが感じられた。

 暁は石棺の蓋に手をかけ、動かさんとその手に力を込めた。しかし、厚く重い石の蓋は、少女一人で持ち上げることは叶わなかった。

「凪!」

「……わかったよ」

 後ろめたい気持ちを差し置いて、目の前の少女の要望に応えることを選んだ。

 石棺の蓋は、二人がかりでも非常に重かった。動きそうで、しかし何かに押さえつけられているように動かない。持ち上げることを諦め、二人で奥の方へ押し動かす。

 ずずずという音とともに、砂埃を上げながら石棺の蓋が動いた。――バケモノとかが出てきたらどうしよう。そんな不安が杞憂であったことに気づくのは、その直後だった。

「そんな……」

 わずかにずらされた蓋の隙間から中を覗き込む暁が、力ない声を漏らした。

 遅れて覗き込む。その石棺の中には、何も入っていなかったのだ。

 はあはあと、暁がゆっくりと吐息を漏らす。

 先程まで強気にものを言っていた少女は、その顎からぽたりと汗を一滴垂らすと、発する言葉もなくなってしまった。

「――暁!」

 咄嗟に抱きとめた。ふらりとバランスを崩した暁が倒れ込みかけたのだ。

「凪……痛い、足……」

 改めて暁の足首を見る。

無理が祟ったのか大きな切り傷はその傷口を広げ、先程よりも流血が勢いを増しているのが分かった。

「と、とりあえず、座って」

 石室内の段差に暁を腰掛けさせると、傷口を改めて確認する。洗い流せそうな清潔な水は無さそうだ。

「くそっ……!」

 シャツの裾を破ろうとしたが、上手く破れない。両手で端を引っ張り、歯で咥えながら引きちぎる。破いた布切れを、少女の足首に押し当てた。

「痛っ……!」

「ごめん、でも我慢してくれ」

 布を巻いた傷口を両手で圧迫する。少女は苦悶の声を漏らしながら、小さな手で堪えるようにスカートの裾をぎゅっと握り込んだ。

 傷口はじわりと鮮血を滲ませると、流血の勢いを確かに弱めた。もう一度シャツを破き、新たに傷口に押し当てた。

「凪……」

 暁が、弱りきった声でぽつりと呟いた。

「うち、失敗してもうた。宝、見つからんやった」

「……」

 思わず沈黙する。

「やっぱおとぎ話やったんかな、学校じゃ誰も信じんけん、絶対に証明しちゃるってみんなに言うてしもうて、来てみたらやっぱ宝なんて無か。どうせまた馬鹿にされる」

 暁は弱々しく呟いた。胸が苦しい。暁と同じくらい、悔しかった。

「宝、絶対確かめちゃるって思っとったんに、凪にも、みんなにも迷惑かけて。やっぱうち、ばかじゃんね」

「馬鹿なもんか」

 思わず暁に言い放つ。声が震えていた。これ以上、彼女が自分自身を否定するのが嫌だった。

「たしかに宝は見つからなかったかもしれない、色んな人に迷惑かけたかもしれない」

 声を震わせながら、無意識に出そうな涙をこらえて息を吸う。

「僕がここに来たのは自分の意思だよ、暁。君と一緒だったから、この場所まで来られた。

昨日二人で立てた作戦は成功したんだ!」

 傷口に当てた布をきゅっと結ぶ。その痛みに暁の身体がぴくりと跳ねた。

「僕は暁の行動力がすごいと思う。憧れる。君以外、ここに来て宝がないことを確かめたやつがいるのか?誰も出来ないことを成し遂げたのに、誰が君のことを馬鹿にするんだ。そんな、何もしないで馬鹿にするやつなんかより、暁の方がずっとすごい」

「なんで!こげん所、来んほうが良かったばい!」

 暁は涙混じりの声で、強く言い放った。

「僕は、ここに来られてよかったと思う」

「凪……」

 穏やかに、暁のほうを見上げる。うまく笑えていたかは分からないけど、これが今出来る精いっぱいの表情だった。

 それを見た少女は涙を浮かべながら、くしゃくしゃした顔でこう言った。

「寒い」

「なっ……!」

 なんだと!せっかく本心から言ったのに……あんまりじゃないか!ショックだった。

 しかし直後、ショックを受けている暇など無いことに気づく。

 暁の顔から血の気が失せ、唇は青く染まっていた。失血と体温低下。夏とは言え、寒気すらある濃霧の中だ。

 海を泳いで雨風に吹かれ、加えて怪我によって流血していたこともあるのだろう。

「暁!」

 思わず彼女の肩を揺する。

「凪……寒い、寒いよ」

 焦点の合わないおぼろげな瞳で、暁は力なく呟いた。

 隣に座り、少女の肩を抱き寄せた。暁の身体は、服越しでもわかるぐらい小さくて、細くて、冷たかった。

 幸い、石室の外で降る雨が吹き込んでくることはなかったが、身体が冷えてゆくのを感じたのは、僕も一緒だった。

「暁、暁……!しっかりしろ!暁!」

 必死に呼びかけるも、少女は返事をしない。それでも、わずかにその頭を、体重を預けてきたのがしっかりと分かった。

 手を握る。冷たい。いつか彼女から感じた、柔らかさや暖かさは感じられなかった。

 石室の外から差す、かすかな光を涙でぼやけた視界で見つめる。ああ、僕も寒くなってきた。もしかしたら、死ぬ、というのはこういうことなのかもしれない。

 暁と過ごした日々が、閃光のように脳裏に浮かび上がった。

 はじめて来た港で海に落ち、暁から怒られたあの日。

 商店の仕事であいさつ回りをし、暁が稼いだお金で一緒にアイスを食べたあの日。

 暁と二人で花火をして、その横顔にドキッとしたあの日。

 夜中に同じ布団の中で、作戦会議をしながらも見つかりそうになったあの日。

 暁が好きだ。

 ぶっきらぼうだけど、自分のことを信じて疑わない芯の強さが。楽しいことをしているときに無邪気に笑う、その笑顔が。「凪」名前を呼ぶ、その声が。

 まぶたが一度、ゆっくりと落ちかけた。暁の手を、もう一度ぎゅっと握る。

「どうか……神様……暁を助けて……」

 神に祈るなど、もはや無意味だろう。でも、それでも。

「凪……」

 目を閉じたまま、暁が小さな声で呟いた。それを聞いたら、なんだかもう満足してしまって、すごく満たされたような、温かい気持ちになった。

 限界が近いかも知れない。寒気すら感じなくなってきた。

 まぶた落ちかける視界の隅。石室の外より流れ込む、僕らを飲み込む真っ白な霧が、最後に見た景色だった。

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