恋するジャガーノート

まふゆとら

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第一話「記憶のない怪獣」

 第三章「その手がつかむもの」・⑨

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 それは、空に浮かんだ、巨大な二つの「眼」。

 眼というよりは、顕微鏡で見た細胞を眼の枠の中に敷き詰めたものと言ったほうが正しいだろうか。

 分かれた小部屋の中で細胞の核にあたる瞳が、ギョロギョロと地を這う蟲のようにせわしなく動き回っている。

 生理的な嫌悪感が体を支配し、胃液が逆流してくるのを感じた。

 見るだけで、いや、そこにあると思うだけで、全身の血が凍りそうな寒気に襲われる。

 冒涜的なその姿を、体が、目が、脳が、受け容れる事を拒絶する。認識する神経を絶とうとする。

 しかし、それでも「眼」から視線を外す事が出来ない。

 矛盾した現象に、パニックに陥る。

 呼吸が浅くなり、吐き気を抑えるのがやっとだ。

『────────ソウダ、ワタシニアルキオクハ、コレダケ』

 声から、温度が消えた。

『オボエテイルノハ────コレダケ────』

 冷たくなってしまった声が、絶望を反芻する。

『ワタシニハ─────ナニモナイ』

 空が、融け始める。雲が霧散し、海が沸騰する。

 直観的に、心が壊れ始めているのだと理解した。

 僕らを見下ろす巨大な「眼」が、嘲笑わらうようにグニャリと歪んでいく。

『アツイ・・・! アツイ・・・! カラダガアツイ‼ イタイ! イタイ! モウ・・・クルシイノハイヤダ!』

 悲鳴がどんどん大きくなっていく。世界が、崩れていく。止まらない。

『ワタシハ、ヒトリボッチ・・・ナニモナイ・・・ソウダ・・・・・・アツイナラ・・・イタイナラ・・・・・・クルシイナラ・・・・・・モウ・・・』

 目の前の炎が、風にさらわれるように、消えかかった。

『────────ナニモカモ・・・アキラメヨウ』

「────ひとりで・・・ッ! ひとりで勝手に・・・諦めようとするなッ‼」

 必死に叫んだ。喩え聞こえていなくたって。叫ばずにはいられなかった。

「もう何もかも諦めただなんて、そんなの嘘だッ‼ 君は・・・! 君は僕にッ!「たすけて」って言ったじゃないかッ‼」

 炎が、揺らめく。

 そうだ。炎はまだ・・・消えていない。

「聞こえたよ! 君の声! 弱々しかったけど・・・聞こえた事が怖かったけど・・・! 僕にははっきりと聞こえたんだ! だから・・・世界でひとりぼっちなんて・・・そんな悲しい事言わないでくれ! 君の声が聞こえる限り、僕が・・・君を独りになんてしないッッ!」

『・・・・・・』

 再び炎に触れようとすると、赤い海が形を変えて、触手のように全身に絡みついて来た。

「なっ! くそっ・・・!」

 どんどん炎から引き離されていく。僕をここから追い出そうとしているんだ!

 でも、逆に言えば・・・この世界は、今、

「・・・僕が十歳の時、母さんが亡くなってさ」

 歯を食いしばって何とか踏みとどまり、世界に、クロに、語りかける。

「そこから僕・・・君と同じで・・・その後の思い出を一回失くしちゃったんだ。ある朝起きたら周りの人達が全員知らない人に見えて・・・怖かったよ。すごく」

 母さんを失くして、目が覚めたら僕以外が一年後の世界で・・・思い出すだけで、震えが止まらない。

 でも、クロに聞かせなきゃならない。

「父さんも、心配してくれる友達もいたのに・・・知ってるはずなのに知らない顔に見えちゃってたから・・・当時の僕は、うまくその心配に応えられなかった。まるで、世界でひとりぼっちになったみたいだった」

『・・・・・・!』

 炎が、再び揺らめく。

「毎晩怖くて眠れなくて、ずっと泣いてた。でも・・・誰にも自分の気持を伝えられなくて、独りで抱え込んで・・・その後、周りの皆のおかげで今はこうして立ち直れたけど・・・ひとりぼっちだったあの頃、本当はね──」

 炎の方を向き、自分の左手に右手を重ねてみせる。

「こうして欲しかったんだ。・・・・・・誰かに側にいて、手を握っていて欲しかった」

 僕とクロは、違う。でもきっと・・・同じ寂しさを知っている。
 だからきっと、僕にしか出来ない事があるとすれば──

「・・・だからこそ僕は、誰かが寂しがってたら手を伸ばしたいって思う。僕にできる事なんてちっぽけだけど、それでも・・・こうして手を握ってあげる事くらいはできるんじゃないかって。・・・・・・そう思うから」

 僕は、全力で伝える。僕なら、伝えられる。

 僕が皆からもらったあたたかさを──そして──── 


「・・・・・・君は、ひとりじゃない」


 あの頃の僕が・・・一番欲しかった言葉を──伝える。

『・・・・・・ハ・・・ヤ・・・ト・・・』

 声が、僕に気付いた。目の前の炎が戸惑うように揺れながら形を変えて、手の形を成す。

「おいでっ! クロっ!」

 精一杯、手を伸ばす。腕を形作った炎も、こちらへ手を伸ばしてくる。

 しかし、引き離された距離は簡単には縮まらない。

 僕は心の外へと、クロは闇の中へと、それぞれ引きずり込まれようとしている。

 血の海が更に全身に絡みついて来る・・・それでもなお、前へ!

 世界の崩壊は目前に迫っている。地平の彼方の黒い月に、真っ赤な亀裂が走った。

『・・・・・・』

 好転しない状況に、クロの手が、こちらへ伸びる事をためらった。

 ダメだ! 今諦めたら! 絶対にダメなんだ!

 だから僕は・・・力の限り叫ぶ────‼
 

「───クロッ! 頑張れっ‼ 諦めるなっっ‼」


『ッッ!』

 炎の手が、激しく揺らめいた。

『ガンバレ・・・アキラメルナ・・・・・・アタタカイ・・・コトバ・・・!』

 白い炎は、揺らめくままに大きくなり、その手が、みるみるうちにこちらへ伸びてくる。
 応えるように、右手を思い切り伸ばした。

「うおおおおおおおおおっっ‼」

 ────そしてようやく──クロの手が、指先に、触れた。

『ハヤト──!』

 途端、血の海が解け、地獄のようだった風景が、真っ白な地平へと変わる。

 戒めを失くした体で一歩前へ踏み出し、そのぬくもりを・・・しっかりと握った。

「やっと・・・君の手を掴めた・・・」

 にこりと笑うと、応えるように右手を掴む力が強くなる。

 僕は、その向こうで待っているクロの鼓動を感じて──手を、引いた────

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