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第十五話
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「ほら、京都にさ、おかみ神社ってあるだろ? 髪の毛の神様がいるんだってさ、そこ。だからそこ行ってお守り買ってこようと思ったんだ」
「……それで、バイトか」
「うん。新幹線高いよなー」
「……そうだな」
春はまだ具合が悪い。千羽はそう思うことにした。
朝になったら、聞きたいことや話したいことが山のようにある。それまではゆっくり休ませようと、千羽はベッドを離れた。
「あのさ」
春は、何か言いたげにベッドから身を乗り出す。
「いいから、もう少し寝てな」
部屋の中が眠気を誘う暗さになった。千羽が花型の照明の明かりを絞ったのだ。
「俺はリビングのソファーで寝てるから、何かあったら呼べよ」
千羽は隣の部屋へ通じるドアを開いた。再び、春の目に強烈な光が差してくる。
「あ、千羽さん」その光が閉じる前に、春は慌てて千羽を呼んだ。「おれ、なんで千羽さんの部屋にいるんだっけ?」
「おま──」
千羽は、リビングからの逆光を背負って春に迫った。そして、ほとんど頭突きでもするかのごとき勢いで春と額を合わせる。
「やっぱり、明日医者行くぞ」
「そ、んな、大げさな……」
春が顔を反らせないよう、千羽は両手でがっちりと春の頭を押さえていた。部屋が薄暗くなかったら、春は目を開けていられなかったかもしれない。
「救急車呼んだ方がよかったか? それくらい大げさだったんだぞ。わかってんのかハル」
「……え?」
「エントランスの前で倒れてたハルを、あと数分見つけるのが遅かったらと思うと、今でもゾッとする。俺の帰りがもっと遅かったら……そもそも、家に帰らない日だってある。抱き起こした時意識がなかったら、迷わず百十九番してたよ」
「意識……あったっけ、おれ」
誰かに名前を呼ばれたような気はするが、夢だったのか現実だったのか、春ははっきりと覚えていなかった。
「『寒い』って言っただろ。だから一刻も早く暖かい場所に連れて行ってやらなきゃって……だから、お前は今ここにいるんだよ」
「あ……」
おぼろげに思い出した。
春は千羽の帰りを待っていた。だが思いの外気温が下がり雪も降ってきたので、少しでも暖を取ろうと植え込みの中にしゃがみこんだのだ。
「おれ……いつのまにか寝ちゃって」
「冬に、外で? しかもろくに防寒着も着ずに。諦めて帰ればよかっただろ」
千羽のその一言に、春はむかついた。
「……じゃあ、なんで電話出なかったんだよ! メールだって、何度もしたのに!」
春は声を荒げ、千羽の手を振りほどこうともがいた。
暗がりの中、千羽の表情はわからない。だが春は確かに、何かがプツンと切れる音を聞いた。
「それは──」
千羽は、もがく春の両手を掴んでそのままベッドへ押し倒す。驚くほど強い力に、春は何の抵抗もできなかった。
「──こっちの、セリフだ」
いつもの優しい手ではない。春を見下ろす目も、いつもの優しい眼差しではなかった。
「……なあ、ハルは俺のことが嫌いなのか?」
「えっ……?」
千羽の口調は、行動に反してとても穏やかだった。
「そりゃそうだよな。道ですれ違っただけなのに、なんだかんだ理由つけて引き止めて、勝手に家や学校にまで押しかけて……。お前の気持ち、ちゃんと考えてなかった。悪かったな」
「ち、ちが」
「もう、引き止めたりしないから。朝になったら家まで送るよ。それで最後だ」
春が口を挟む隙間すらなく、千羽は春を解放して春の元を離れてしまう。
「ま、まっ──」
千羽の手を掴もうとしたが、押さえつけられていた両手はしびれ、うまく力が入らなかった。
春の手は空を切り、ベッドからずり落ちた。
「まって……!」
そのまま床を這い、千羽の足にしがみつく。千羽は足は止めた。
「離せよ。また熱上がるぞ」
「嫌だ……」
「ハル」
「やだよ……!」
喉の奥から激しい嗚咽が登ってきて、春はその先の言葉を紡げなかった。
足元で小さな子供のように泣きじゃくる春を放っておくわけにもいかず、千羽は小さくため息をついてしゃがんだ。
「ほら、どこにもいかないから、ベッドに戻れ」
それでも春は千羽から離れようとしない。
「ハル……」
泣きたいのはこっちだ、と千羽は思った。
よくべらべらと調子のいいことを喋るくせに、春は肝心なことを言わない。勝手に自分で悩んで、勝手に自分の中だけで解決する。千羽は散々、それに振り回されてきた。
だが所詮は他人。深く知る必要はないと思いつつも、春のことをよく知らない自分に苛立つこともあり、春をよく知っている人間に嫉妬心を抱いたこともある。
肝心なことを言わない理由は、なんとなくわかる気がした。なぜなら、千羽自身もそうだったから。
「……それで、バイトか」
「うん。新幹線高いよなー」
「……そうだな」
春はまだ具合が悪い。千羽はそう思うことにした。
朝になったら、聞きたいことや話したいことが山のようにある。それまではゆっくり休ませようと、千羽はベッドを離れた。
「あのさ」
春は、何か言いたげにベッドから身を乗り出す。
「いいから、もう少し寝てな」
部屋の中が眠気を誘う暗さになった。千羽が花型の照明の明かりを絞ったのだ。
「俺はリビングのソファーで寝てるから、何かあったら呼べよ」
千羽は隣の部屋へ通じるドアを開いた。再び、春の目に強烈な光が差してくる。
「あ、千羽さん」その光が閉じる前に、春は慌てて千羽を呼んだ。「おれ、なんで千羽さんの部屋にいるんだっけ?」
「おま──」
千羽は、リビングからの逆光を背負って春に迫った。そして、ほとんど頭突きでもするかのごとき勢いで春と額を合わせる。
「やっぱり、明日医者行くぞ」
「そ、んな、大げさな……」
春が顔を反らせないよう、千羽は両手でがっちりと春の頭を押さえていた。部屋が薄暗くなかったら、春は目を開けていられなかったかもしれない。
「救急車呼んだ方がよかったか? それくらい大げさだったんだぞ。わかってんのかハル」
「……え?」
「エントランスの前で倒れてたハルを、あと数分見つけるのが遅かったらと思うと、今でもゾッとする。俺の帰りがもっと遅かったら……そもそも、家に帰らない日だってある。抱き起こした時意識がなかったら、迷わず百十九番してたよ」
「意識……あったっけ、おれ」
誰かに名前を呼ばれたような気はするが、夢だったのか現実だったのか、春ははっきりと覚えていなかった。
「『寒い』って言っただろ。だから一刻も早く暖かい場所に連れて行ってやらなきゃって……だから、お前は今ここにいるんだよ」
「あ……」
おぼろげに思い出した。
春は千羽の帰りを待っていた。だが思いの外気温が下がり雪も降ってきたので、少しでも暖を取ろうと植え込みの中にしゃがみこんだのだ。
「おれ……いつのまにか寝ちゃって」
「冬に、外で? しかもろくに防寒着も着ずに。諦めて帰ればよかっただろ」
千羽のその一言に、春はむかついた。
「……じゃあ、なんで電話出なかったんだよ! メールだって、何度もしたのに!」
春は声を荒げ、千羽の手を振りほどこうともがいた。
暗がりの中、千羽の表情はわからない。だが春は確かに、何かがプツンと切れる音を聞いた。
「それは──」
千羽は、もがく春の両手を掴んでそのままベッドへ押し倒す。驚くほど強い力に、春は何の抵抗もできなかった。
「──こっちの、セリフだ」
いつもの優しい手ではない。春を見下ろす目も、いつもの優しい眼差しではなかった。
「……なあ、ハルは俺のことが嫌いなのか?」
「えっ……?」
千羽の口調は、行動に反してとても穏やかだった。
「そりゃそうだよな。道ですれ違っただけなのに、なんだかんだ理由つけて引き止めて、勝手に家や学校にまで押しかけて……。お前の気持ち、ちゃんと考えてなかった。悪かったな」
「ち、ちが」
「もう、引き止めたりしないから。朝になったら家まで送るよ。それで最後だ」
春が口を挟む隙間すらなく、千羽は春を解放して春の元を離れてしまう。
「ま、まっ──」
千羽の手を掴もうとしたが、押さえつけられていた両手はしびれ、うまく力が入らなかった。
春の手は空を切り、ベッドからずり落ちた。
「まって……!」
そのまま床を這い、千羽の足にしがみつく。千羽は足は止めた。
「離せよ。また熱上がるぞ」
「嫌だ……」
「ハル」
「やだよ……!」
喉の奥から激しい嗚咽が登ってきて、春はその先の言葉を紡げなかった。
足元で小さな子供のように泣きじゃくる春を放っておくわけにもいかず、千羽は小さくため息をついてしゃがんだ。
「ほら、どこにもいかないから、ベッドに戻れ」
それでも春は千羽から離れようとしない。
「ハル……」
泣きたいのはこっちだ、と千羽は思った。
よくべらべらと調子のいいことを喋るくせに、春は肝心なことを言わない。勝手に自分で悩んで、勝手に自分の中だけで解決する。千羽は散々、それに振り回されてきた。
だが所詮は他人。深く知る必要はないと思いつつも、春のことをよく知らない自分に苛立つこともあり、春をよく知っている人間に嫉妬心を抱いたこともある。
肝心なことを言わない理由は、なんとなくわかる気がした。なぜなら、千羽自身もそうだったから。
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