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「ぐぇっくしっ!」
誰だ前の掃除当番。全然掃除できてないじゃないか。
放課後、僕は図書室でハタキを握っていた。これでエプロンでもしていたら昔ながらの本屋の店主だ。
他の掃除の担当が当たっている奴らは当然のように来なかった。まあ来るだけ来て喋っただけで帰るだけだろうからどっちにしろ同じだ。
隣の本棚も、やはり白くなっていた。今日だけでは終わりそうにない。帰ろう。もうちょっと書店ごっこしてから帰ろう。
僕はしばらく腰に手を当て、無駄にスナップを効かせながらハタキをかけていた。
「ふんふ~んふふん...」
どうせこの時間に図書室にいる人もいない。
僕は途中で面白そうな本を見つけ、床に座りこんで読みふけっていた。おかげで学ランが白くなった。
「おぐぇっ!ぶしっ!!」
僕はハウスダストアレルギーか何かなのだろうか。他に人がいたら別だが、今ばかりは堪えずにおっさんみたいなくしゃみをしても誰も文句は言わないだろう。
あ、なんか高校生になってから初めて楽しいかもしれない。
―無理にキラキラ青春しなくてもいいのかもしれないな。
時々掃除を再開しながら―ほぼ本を読んでいたが―図書館の奥の方へ入っていく。
「ぐへぁっ!」
明日からはマスクをしてこよう。
まだムズムズする鼻をこすり、僕は一番奥の本棚へたどり着いた。

「ひぎゃぁ。」
そこに居た知らない人が悲鳴をあげた。
「ほぎゃぁ。」
僕は思わずハタキを取り落とした。

―いや待て、いつからそこに居たんだ。
良かった。鼻歌とくしゃみで終わらせといて。大声で歌おうとした時止めてくれてありがとう僕の理性。
「す、すみません!邪魔ですよね...!」
妙にキョドキョドした女子だ。
キョドキョドしたいのはこっちである。
「あぁ...いえ。」
猫背で、肩までの髪はあちこち跳ねている。広辞苑のような厚さの『菌類大集合』を抱きしめ、生まれたての小鹿のように震えていた。
「い、移動しまふっ!」
そう噛んだ女子は、本を取り落とし、それに躓き、本棚に見事なタックルを決めた。
幸いだったのは、その女子がタックルしたのは比較的小さな、僕の肩ほどの本棚だったこと、そして怪我がなかったこと。
不幸いだったのは、本棚がぶっ倒れたこと、それからぶっ倒れた本棚に文庫本がぎっしり詰まっていたこと。
「大変申し訳ございませんんん!!」
静寂を守っていた図書館に、轟音と女子の絶叫が響いた。

「す、すすすみませ...すみません...。」
一挙一動に丁寧に「すみません」と効果音をつけながら、女子が本を拾っていく。
僕は一瞬意識が飛んでいたが、はっと我に返って本を拾う。すぐに手が埃でザラザラし始めた。
「すみません...」
「いや、ぼ..俺.....僕はただの掃除係なんで。あ、その本こっちです。」
「ありがとうございます...これは」
「それは別の棚のですね。誰かが面倒くさがってここに入れたんだと思います。」
「よ、良く知ってますね?」
お互いが何年生なのか分からないので、とりあえず敬語で探る。ただこの作戦には決定的な欠点があって、僕にはそんな度胸もコミュ力もない。
「まあ...よく出入りしてるんで。」
「私もです!...小説とかじゃないんですけど...」
「菌類大集合」
「見られてましたか。」
「菌類ってあれですか、キノコとか」
よくは見えなかったが、女子の目がキラリと光った気がした。
「キノコっていうのはですね!特定の菌類のうちで、比較的大型の...突起した子実体あるいは、担子器果そのものをいう俗称でして!あとキノコという言葉は特定の菌類の総称として扱われるんですけど本来は構造物のことで菌類の分類のことでは...」
―めっちゃ喋る。さっきまでとは比にならないくらい喋る。そしてめちゃくちゃ笑顔だ。
「説明菌類とは、一般に菌糸や子実体を形成する生活環をもつキノコとかカビとか単細胞性の酵母と呼ばれる生活環をもつ菌とか、ツボカビなど鞭毛をもつ菌などの真核生物の総称でして!生物界では菌界に分類されます。それで、この子達は外部の有機物を利用する従属栄養生物で、分解酵素を分泌して細胞外で養分を消化して細胞表面から摂取...」
何かに取り憑かれたのか?とりあえずエクスペクトパトローナムとか言っておこうか。
「...エク」
「あっ」
はっと目を見開く女子。
待ってくれまだ僕の守護霊(笑)が召喚されていない。
「す、すみません....」
女子が俯いて、黙々と作業を続ける。耳が赤かった。なんかよく分からない罪悪感に見舞われた。
「...菌類好きな人って現実では初めて見ました。マンガとかドラマとかではよく見るんですけど。」
「...よく引かれます。」
だろうな。
万年ぼっちの僕に言えたことではないので、それは心の中にそっと仕舞っておく。
「だから学校では黙っておこうと思ってたんですけど...忘れてくださいすみません。」
急に親近感を覚えた。
女子とこうやって話すのはいつぶりだろうか。いや、これはそもそも会話なのか?
―としみじみと考える余裕はこの時には微塵もなかった。
僕はただ、堤防が決壊したようにボソボソと口走った。
「...まあ趣味は自分のためにしてる物だから。他人がどうとか関係ないんじゃないんですかね。好きなことはちゃんと好きって言うのが趣味と自分に対する礼儀、的な...」
嫌に痛々しい沈黙が流れた。
何言っているんだろう。軽く目眩がした。
「...って!て!せ、先輩が言ってましたね、はい。」
僕の脳内に、ぴょこんと跳ねた前髪が浮かんできた。無性に引きちぎりたくなった。
あれ、僕結構いい事言った気が...気の所為か、多分かなり恥ずかしいこと口走っただろうから全責任は優しい(笑)先輩に擦り付k...譲渡しておこう。
女子が軽く笑った。え、それ鼻で笑ったの?ねえ馬鹿にされたの?...大丈夫、それ言ったの先輩だから!僕じゃないから!!
「先輩って、部活の?」
「そ、そうです。今足首捻ってギプス生活をエンジョイしてます。」
「あ、白衣よく燃やす人ですね?」
「...知ってるんですね...」
「部活の顧問が化学の先生でして。」
「そっすか...」
どうやら先輩は、先生が生徒に愚痴をこぼすくらいのレベルには問題児らしい。想定の範囲内だ。
「これで全部ですね。お疲れ様です。」
僕は、最後の一冊を本棚にさした。
「本当にすみませんでした...。」
女子が直角のお辞儀をした。髪が垂れ下がって某テレビから出てくる幽霊のようだった。
「いえ、まあ傷んだ本もなかったんで黙っとけば大丈夫でしょ。」
「そ、そうですね。」
共犯者めいた笑みを見せる。不覚にも少し可愛いと思ってしまった。





次の日、先輩は「ニヤニヤ」と文字が頬に浮かんでくるくらいニヤニヤしながら、
「っまぁ...(間) まあ趣味は自分のためにしてる物だからぁ...(間)他人がどうとか関係ないんじゃないんですかねっ(前髪をかきあげる)。好きなことはちゃんと好きって言うのが趣味と自分に対する礼儀、だからさ...(キメ顔)!」
「ぎゃあああああああ」
僕は本気で先輩の前髪を毟りにかかった。軽々とかわされ、僕は猫が伸びをするような格好で2階渡り廊下に突っ伏すことになった。
「なんで...」
いやそもそも(間)とか(前髪をかきあげる)とか(キメ顔)とかしてない...いや、記憶がないぞ、緊張しすぎて頭おかしくなって(間)とか(前髪をかきあげる)とか(キメ顔)とかやったかもしれない。完全に否定はできない。なんてこった。
いっそここから飛び降りたい。
この先輩野郎、なんでそれを知ってるんだ。
「なぁに、恥ずかしがることはないさ。これは『by僕の先輩』なんだろ?」
「ぎゃあああああああ」
この時の僕にできることと言ったら、自分の弁当のピーマンの山を先輩の焼きそばパンに移すという地味な嫌がらせくらいであった。
「あっ何してんだ!」

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