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04 龍の巣

忌避される平和

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08

 2018年9月5日。
 アキツィア共和国首都、ヨークトー。
 「呼び出してすまないね。
 どうしても君たちに伝えたいことがあったんだ」
 ワンボックスを運転するケン・クーリッジ一等陸尉が、後部座席の男女に話しかける。
 市街をぐるぐると周り、時折後ろを振り返りながらドライブを続けてそろそろ30分。
 よほど危険な用件なのだと言うことがわかる。
 ワンボックスに乗っているのは、ケンの他にはエスメロード、ジョージ、バーナード、そしてリチャードだ。
 「これ、確かなの?」
 タブレットに映された情報を見たエスメロードは、自分の目を疑う。
 ケンが独自の情報活動で抜いてきたものだが、とても信じられない内容だった。
 それは、連合国とデウス公国の講和交渉の、連合国がわの草案だった。
 いや、“講和交渉”の草案と言えるものか問題だ。
 「こんな条件デウスが呑むわけがない。連合国の首脳は講和する気がないのか?」
 「恐らくそうだろうな。デウスから徹底して奪い取るつもりだ。
 そのために、現段階では講和をまとめる必要はない。というか、まとまってもらっては困る」
 タブレットをエスメロードから受け取ったジョージが発した言葉に、バーナードが渋面を浮かべて相手をする。
 講和の条件が、まるで無条件降伏の強要だったからだ。
 デウス公国現政府の解体。
 デウス公国議会の解散。
 連合国が作成する名簿に基づく新政権の樹立。
 デウス公国国家資産の無期限差しおさえ。
 デウス公国国内の金融機関の無期限営業停止。
 連合国が戦犯に指定した人物の無条件引き渡し。
 賠償金の支払い。
 デウス公国の領土の5割の割譲。
 エトセトラ…。
 それこそ、デウスの主権を全て否定し、連合国のフリーハンドを認めろという内容だ。
 デウス国防軍は大きな損害を受けているとはいえ、まだ開戦時の戦力の7割を維持している。
 こんな条件を突きつけたら、徹底抗戦を選択するのは火を見るより明らかだった。
 「それにしても、クーリッジ一尉。
 こんな情報すっぱ抜いてきたらやばくないすか?
 おおかたハッキングか盗聴で得た情報でしょ?」
 最後にタブレットを見たリチャードが不安そうに言う。
 陸自情報部は情報戦に手段を選ばないことで国際的にも怖れられているが、特にケンの横紙破りは有名だ。
 味方に対しても構わず盗聴や盗撮、ハッキングをしかけて情報を抜くやり方は問題視されているが、彼の手腕と見識ゆえにこれまで不問とされてきた。
 だが、連合国の機密情報を抜いたとなると、さすがにただではすまない可能性がある。
 「仕方ないさ」とケンは肩をすくめる。
 「どうやらアキツィア政府はユニティアの圧力に屈したらしい。
 現実的な条件で講和を結ぶことを断念して、デウスに逆侵攻をかける方針だ。
 そのための燃料弾薬や物資の調達、輸送もすでに始まっているらしい」
 「ユニティアのいいなりか。
 逆侵攻なんてことをしたら、また死人が出るのに」
 ケンの言葉に、エスメロードは眉間にしわを寄せて天井を仰ぐ。
 国家が国益の元に国民の犠牲を顧みないのは、かつての“悪魔の花火大会”で骨身に染みていることだ。
 だが、敵が死にものぐるいで抵抗するであろう状況をわざわざ作り出し、そこに兵たちを追い立てるようなやり方をするとは思わなかったのだ。
 自分が前世で生きていた世界で言えばローマに滅ぼされたカルタゴか、太平洋戦争末期の日本というところか。
 歴史は勝者が書き記すものだから美化されているが、現場では悲惨なことが起きる。
 (追いつめられて死兵と化した敵と戦う兵隊の人格はどうでもいいのか)
 自分の祖国に対してこれだけ憤慨したのは、人生で初めてだったかも知れない。
 軍事的にユニティアに依存している部分が大きいとはいえ、ここまでいいなりなのはひどすぎる。
 「なんにせよだ。
 上層部の言うことも額面通り受け取らず、用心した方が良さそうだ。
 下手をすると俺たち現場の人間は、登ったはしごを外されるぞ」
 ケンの言葉に、車内に重い沈黙が流れる。
 しゃれにならない話だったからだ。
 今まで自分たちは、祖国を解放するためだと言われて戦ってきた。
 デウスに逆侵攻するという話などまったく聞いていない。
 そんな不実な政府や軍上層部が、都合が悪くなれば自分たちを捨て駒にしないとはとても言い切れなかった。
 その後、しばらく市街をドライブして、会合は終わる。
 取りあえず、この戦争の大義に対しては眉につばをつけるべき、という認識は全員が共有していた。

 別れ際、なぜか男たちがじゃんけんを始める。
 「?」
 エスメロードはなにが起きたのかさっぱりわからなかった。
 じゃんけんの勝者はリチャードであるようだ。
 「じゃあ、エスメロード先輩行きましょうか」
 「え?行きましょうかってどこに?」
 リチャードのまったく脈絡のない話に、エスメロードは困惑する。
 「じゃんけんで勝った人が、先輩とデートできるって決めごとなんすよ」
 さらりとそんなことを言う。
 余談だが、フューリー基地所属パイロットの中でエスメロードより軍歴が浅いのはリチャードだけだ。ゆえに先輩と呼ぶ。
 「ちょっと、私は聞いてないわよ!」
 エスメロードはケンたちをにらみつける。
 「まあそう言わずに。
 それとも、これから先約があるのかな?」
 ケンはいつものノリではぐらかす。
 そう言われると、エスメロードは特に断る理由もないことに気づく。
 「わかった。で、どこに行くの?」
 「よっしゃ。じゃ、行きましょ」
 あきれ顔のエスメロードを連れて、リチャードは喜々として歩き出すのだった。
 
 「あら、いいところじゃない」
 「でしょ」
 リチャードに連れられていった場所は、高層ビルにある夜景の見えるバーだった。
 ヨークトーの街が一望できる。
 (不思議な気分ね)
 理屈でなく、夜景というのはロマンチックな気分を誘わずにはおかないのだ。
 注文したミモザが、他の店で呑むより美味しく思える。
 「空から見下ろすのとは違って見えるわね」
 「そりゃもう。
 飛んでいる時は景色をゆっくり見ている余裕なんかありませんから」
 戦闘機は構造上、往々にして失速しやすい。
 超音速で飛行する必要があるから、低速での安定性はどうしても犠牲にならざるを得ないのだ。
 のんびり下界の景色を眺めている余裕はまずない。
 「で、私をデートに誘った理由をそろそろ話してもらえるかしら?」
 「理由ですか?」
 エスメロードの言葉に、リチャードがにわかに真面目な顔になる。
 どうやら、ただ一緒に酒を飲むために連れてきたわけではないようだ。
 先ほどからリチャードがなにか言いたそうなのを、エスメロードは見逃さなかった。
 「先輩にはかなわないな。
 先輩、首都が解放された後も、ご家族に会ってらっしゃらないとか?」
 「あれ、なんで知っているの?」
 エスメロードは驚く。
 自分は勘当された身だ。
 首都解放後も、家族に遭いに行くどころか手紙や電話のやりとりさえしていない。
 だが、それをリチャードが知っているとは意外だった。
 「なんでもなにも、みんな知ってますよ。
 先輩は有名人すからね」
 エスメロードがその実力を示し続けるにつけ、フューリー基地内でも彼女への関心は高まっていった。
 家族と確執を抱えていて、華々しい戦果を上げたにも関わらず、家族に報告もしていないということが噂となっているというのだ。
 「老婆心ですが、家族と手紙でも電話でもいいから連絡を取るべきです。
 次にまた会える保証なんてどこにもないんすから」
 「経験があるような言い方ね?」
 混ぜ返されたエスメロードの言葉に、リチャードが顔を曇らせる。
 マンハッタンを一気にあおると、語り始める。
 「実は俺、傭兵養成学校に入るとき親父と大げんかしたんです。
 元々親父は俺に家業のレストランを継がせたがってました。
 パイロットになるにしても、大学出て正規の軍に入れって言われたけど、俺は正規の軍にはあまり興味を持てなくて。
 それから2年音信不通でした。
 そして、お袋から突然連絡が来た。再開した親父は、仏さんになってた」
 なんでも、インフルエンザであまりにもあっけなく逝ってしまったらしい。
 体調が悪いと早めに床について、翌朝家族が様子を見に行くと、すでに事切れていたのだという。
 「そうだったの…」
 エスメロードはどうしたものかと思う。
 たしかにリチャードの言うとおりだ。
 人間いつ死ぬかわかったものではない。
 幸いにして家族は全員元気だから、連絡を取るなら早い内という考え方もある。
 (でも、お父様は私を許してくれるかしら?)
 そこが気がかりだった。
 父は悪い人間ではないが、貴族の体面にはとにかくうるさい。
 手紙など書こうものなら怒りに油という可能性も考えられた。
 「手紙だけでも書いたらどうすか?
 軍機に触れることは書けないにしても、元気でやってるって伝えるだけでも安心すると思うんすよね。
 実は…俺の親父も俺に会いたがってたみたいで…」
 「そうか…」
 エスメロードはおかわりを注文しながら、帰りに封筒と便せんを買って帰ろうかと考えた。
 リチャードの気遣いが、今は嬉しかった。
 (ガキだと思ってたけど、けっこういい男じゃない)
 夜景の美しさとこの店のいい雰囲気も絡んで、そんなことを思ってしまうのであった。

 翌日エスメロードが実家に向けて書いた手紙の返事は、すぐに届いた。
 元気でやっているようでなにより。仕事は大変だろうけど頑張りなさい。
 ありふれているが、そんなことが書かれているのがエスメロードには嬉しかった。
 父親も、内心では自分のことを心配しているという一文も。
 
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