上 下
8 / 58
第一章 不穏な客たち

06

しおりを挟む
 夕食時。メニューは昼食とは打って変わる。担当シェフである相馬の、故郷の料理の大盤振る舞いだった。
「うん。ボルシチか……野菜は取れるしダシも利いてるし……。日本人にも親しみやすいもんだね」
 誠はボルシチに舌鼓を打つ。キャベツや人参、豆まで入っているのは、味噌汁や鍋と似た食感だ。確かに日本人の口に合う。
 なお、ほおの紅葉は七美のものだ。結局風呂から上がった後、女性陣から取り調べを受けることになった。他の男衆に、脚立を風呂場に持ち込んだのが誠だとバラされてしまったのだ。言わば、スケープゴートとして売られる形で。まあ、実際脚立を使うアイディアを出したのは自分だ。ビンタ一発で許してもらえたのを、ありがたく思うことにした。
「でも……味付けはビーツじゃなくてトマトなんですね。まあ……ビーツのボルシチ食べたことあるけど、私もトマトの方が好みかな……?」
 同じくボルシチを口に運びつつ、七美が応じる。本場のボルシチは、テーブルビーツを煮込む。だが、ビーツが普及していない地域では、トマトで代用されることが多い。そして、世界的には知名度は前者より後者の方が圧倒的に上だ。ボルシチはトマトのスープ、と誤解している人が多いのはそのせいだ。
「あら、北条さん通ですね。あたしはどちらかというとビーツの方が好きだけど……。子どもたちが……」
 相馬がそう言って、ラリサたちの方を見やる。
「私もトマトの方が……」
 とラリサ。
「ビーツなんて小さいころ以来だしナア……」
 とニコライ。
「サーリャもトマトのボルシチ好きだよ」
 とアレクサンドラ。口の周りについているのがかわいい。
(なるほど……日本が長いと舌も日本になれていく。これを畳化というのか……)
 誠はサラート・オリヴィエ(ロシア風ポテトサラダ)を取り皿によそりながら思う。故郷で戦災孤児となってしまった彼らの生い立ちを思うと、複雑な気分だった。その時、固定電話が鳴り始める。
「ヴァシリ、コーチから電話だぞ」
 倉木が電話を取り次ごうとする。どうやら、彼が養育する中でも年長者のヴァシリに電話がかかってきたようだ。が……。
「いないって言っておいてくれよ……」
 当のヴァシリは、あからさまに不機嫌な様子になる。十八歳。黒髪で顔立ちもどちらかと言えば中央アジア系のイケメン。それもしかめっ面をすると台無しだ。
「そうもいかないだろう。このまま戻らないつもりか?」
 倉木の表情が厳しくなる。
「あの……ヴァシリさんなにかあったんですか?」
 誠はそれとなく、向かいに座る相馬に事情をたずねてみる。
「ええ……実はヴァシリ君、念願叶ってプロサッカーチームに入れたのはいいんだけど……」
 シュッとした美貌を沈痛な表情にして、語り始める。ヴァシリはサッカー選手になるのが夢で、故郷を後にして日本に来てもそれは変わらなかった。血がにじむような努力の果てに、プロサッカーチームへの入団がかなった。そこまではよかった。
 問題は、彼の生まれだった。もちろん、ヴァシリがモスカレルの出身であることは、当の本人にはどうしようもない事実だ。だが、六年前の戦争で人々の心にこびりついた「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の感情は簡単に払拭できるものではない。
 ヴァシリ・ボルゴビッチは虐殺やレイプ、強盗を働いた者たちの同族だ。そんな理不尽な憎しみを向けられたのだ。外部から嫌がらせのメールや手紙が相次いた。もちろん抗議はしたし、チーム内でもこれはいわれのない誹謗中傷だという意見は上がった。
 だが、プロスポーツというのは所詮客商売。ヴァシリを擁護することで、チームまでがやり玉に挙げられる状況はまずかった。監督やコーチもフロントも、嫌がらせの犯人捜しや刑事告訴までには踏み切れずにいた。裏切られた気持ちになったヴァシリは、病気療養という名目で家に戻った。
 これからどうするかで、養父である倉木ともギクシャクしているらしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発

斑鳩陽菜
ミステリー
 K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。  遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。  そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。  遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。  臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

一輪の廃墟好き 第一部

流川おるたな
ミステリー
 僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。    単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。  年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。  こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。  年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...

推理の迷宮

葉羽
ミステリー
面白い推理小説です

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

孤島の洋館と死者の証言

葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、学年トップの成績を誇る天才だが、恋愛には奥手な少年。彼の平穏な日常は、幼馴染の望月彩由美と過ごす時間によって色付けされていた。しかし、ある日、彼が大好きな推理小説のイベントに参加するため、二人は不気味な孤島にある古びた洋館に向かうことになる。 その洋館で、参加者の一人が不審死を遂げ、事件は急速に混沌と化す。葉羽は推理の腕を振るい、彩由美と共に事件の真相を追い求めるが、彼らは次第に精神的な恐怖に巻き込まれていく。死者の霊が語る過去の真実、参加者たちの隠された秘密、そして自らの心の中に潜む恐怖。果たして彼らは、事件の謎を解き明かし、無事にこの恐ろしい洋館から脱出できるのか?

処理中です...