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第一章 不穏な客たち
06
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夕食時。メニューは昼食とは打って変わる。担当シェフである相馬の、故郷の料理の大盤振る舞いだった。
「うん。ボルシチか……野菜は取れるしダシも利いてるし……。日本人にも親しみやすいもんだね」
誠はボルシチに舌鼓を打つ。キャベツや人参、豆まで入っているのは、味噌汁や鍋と似た食感だ。確かに日本人の口に合う。
なお、ほおの紅葉は七美のものだ。結局風呂から上がった後、女性陣から取り調べを受けることになった。他の男衆に、脚立を風呂場に持ち込んだのが誠だとバラされてしまったのだ。言わば、スケープゴートとして売られる形で。まあ、実際脚立を使うアイディアを出したのは自分だ。ビンタ一発で許してもらえたのを、ありがたく思うことにした。
「でも……味付けはビーツじゃなくてトマトなんですね。まあ……ビーツのボルシチ食べたことあるけど、私もトマトの方が好みかな……?」
同じくボルシチを口に運びつつ、七美が応じる。本場のボルシチは、テーブルビーツを煮込む。だが、ビーツが普及していない地域では、トマトで代用されることが多い。そして、世界的には知名度は前者より後者の方が圧倒的に上だ。ボルシチはトマトのスープ、と誤解している人が多いのはそのせいだ。
「あら、北条さん通ですね。あたしはどちらかというとビーツの方が好きだけど……。子どもたちが……」
相馬がそう言って、ラリサたちの方を見やる。
「私もトマトの方が……」
とラリサ。
「ビーツなんて小さいころ以来だしナア……」
とニコライ。
「サーリャもトマトのボルシチ好きだよ」
とアレクサンドラ。口の周りについているのがかわいい。
(なるほど……日本が長いと舌も日本になれていく。これを畳化というのか……)
誠はサラート・オリヴィエ(ロシア風ポテトサラダ)を取り皿によそりながら思う。故郷で戦災孤児となってしまった彼らの生い立ちを思うと、複雑な気分だった。その時、固定電話が鳴り始める。
「ヴァシリ、コーチから電話だぞ」
倉木が電話を取り次ごうとする。どうやら、彼が養育する中でも年長者のヴァシリに電話がかかってきたようだ。が……。
「いないって言っておいてくれよ……」
当のヴァシリは、あからさまに不機嫌な様子になる。十八歳。黒髪で顔立ちもどちらかと言えば中央アジア系のイケメン。それもしかめっ面をすると台無しだ。
「そうもいかないだろう。このまま戻らないつもりか?」
倉木の表情が厳しくなる。
「あの……ヴァシリさんなにかあったんですか?」
誠はそれとなく、向かいに座る相馬に事情をたずねてみる。
「ええ……実はヴァシリ君、念願叶ってプロサッカーチームに入れたのはいいんだけど……」
シュッとした美貌を沈痛な表情にして、語り始める。ヴァシリはサッカー選手になるのが夢で、故郷を後にして日本に来てもそれは変わらなかった。血がにじむような努力の果てに、プロサッカーチームへの入団がかなった。そこまではよかった。
問題は、彼の生まれだった。もちろん、ヴァシリがモスカレルの出身であることは、当の本人にはどうしようもない事実だ。だが、六年前の戦争で人々の心にこびりついた「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の感情は簡単に払拭できるものではない。
ヴァシリ・ボルゴビッチは虐殺やレイプ、強盗を働いた者たちの同族だ。そんな理不尽な憎しみを向けられたのだ。外部から嫌がらせのメールや手紙が相次いた。もちろん抗議はしたし、チーム内でもこれはいわれのない誹謗中傷だという意見は上がった。
だが、プロスポーツというのは所詮客商売。ヴァシリを擁護することで、チームまでがやり玉に挙げられる状況はまずかった。監督やコーチもフロントも、嫌がらせの犯人捜しや刑事告訴までには踏み切れずにいた。裏切られた気持ちになったヴァシリは、病気療養という名目で家に戻った。
これからどうするかで、養父である倉木ともギクシャクしているらしい。
「うん。ボルシチか……野菜は取れるしダシも利いてるし……。日本人にも親しみやすいもんだね」
誠はボルシチに舌鼓を打つ。キャベツや人参、豆まで入っているのは、味噌汁や鍋と似た食感だ。確かに日本人の口に合う。
なお、ほおの紅葉は七美のものだ。結局風呂から上がった後、女性陣から取り調べを受けることになった。他の男衆に、脚立を風呂場に持ち込んだのが誠だとバラされてしまったのだ。言わば、スケープゴートとして売られる形で。まあ、実際脚立を使うアイディアを出したのは自分だ。ビンタ一発で許してもらえたのを、ありがたく思うことにした。
「でも……味付けはビーツじゃなくてトマトなんですね。まあ……ビーツのボルシチ食べたことあるけど、私もトマトの方が好みかな……?」
同じくボルシチを口に運びつつ、七美が応じる。本場のボルシチは、テーブルビーツを煮込む。だが、ビーツが普及していない地域では、トマトで代用されることが多い。そして、世界的には知名度は前者より後者の方が圧倒的に上だ。ボルシチはトマトのスープ、と誤解している人が多いのはそのせいだ。
「あら、北条さん通ですね。あたしはどちらかというとビーツの方が好きだけど……。子どもたちが……」
相馬がそう言って、ラリサたちの方を見やる。
「私もトマトの方が……」
とラリサ。
「ビーツなんて小さいころ以来だしナア……」
とニコライ。
「サーリャもトマトのボルシチ好きだよ」
とアレクサンドラ。口の周りについているのがかわいい。
(なるほど……日本が長いと舌も日本になれていく。これを畳化というのか……)
誠はサラート・オリヴィエ(ロシア風ポテトサラダ)を取り皿によそりながら思う。故郷で戦災孤児となってしまった彼らの生い立ちを思うと、複雑な気分だった。その時、固定電話が鳴り始める。
「ヴァシリ、コーチから電話だぞ」
倉木が電話を取り次ごうとする。どうやら、彼が養育する中でも年長者のヴァシリに電話がかかってきたようだ。が……。
「いないって言っておいてくれよ……」
当のヴァシリは、あからさまに不機嫌な様子になる。十八歳。黒髪で顔立ちもどちらかと言えば中央アジア系のイケメン。それもしかめっ面をすると台無しだ。
「そうもいかないだろう。このまま戻らないつもりか?」
倉木の表情が厳しくなる。
「あの……ヴァシリさんなにかあったんですか?」
誠はそれとなく、向かいに座る相馬に事情をたずねてみる。
「ええ……実はヴァシリ君、念願叶ってプロサッカーチームに入れたのはいいんだけど……」
シュッとした美貌を沈痛な表情にして、語り始める。ヴァシリはサッカー選手になるのが夢で、故郷を後にして日本に来てもそれは変わらなかった。血がにじむような努力の果てに、プロサッカーチームへの入団がかなった。そこまではよかった。
問題は、彼の生まれだった。もちろん、ヴァシリがモスカレルの出身であることは、当の本人にはどうしようもない事実だ。だが、六年前の戦争で人々の心にこびりついた「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の感情は簡単に払拭できるものではない。
ヴァシリ・ボルゴビッチは虐殺やレイプ、強盗を働いた者たちの同族だ。そんな理不尽な憎しみを向けられたのだ。外部から嫌がらせのメールや手紙が相次いた。もちろん抗議はしたし、チーム内でもこれはいわれのない誹謗中傷だという意見は上がった。
だが、プロスポーツというのは所詮客商売。ヴァシリを擁護することで、チームまでがやり玉に挙げられる状況はまずかった。監督やコーチもフロントも、嫌がらせの犯人捜しや刑事告訴までには踏み切れずにいた。裏切られた気持ちになったヴァシリは、病気療養という名目で家に戻った。
これからどうするかで、養父である倉木ともギクシャクしているらしい。
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