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06 鮮血の京都編
桔梗の旗
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01
京都、北山。
そこかしこで桜がほころび、月明かりに照らされて幻想的な光景を作り出している。
“神仏よ。この美しい光景を血で汚すわが罪業を、どうかお許し下さい”
家の紋である桔梗をあしらった鎧をまとった明智光秀は、胸の奥でそう念じる。信心深く、本来は穏やかな気性であるのが彼女だ。月が美しい夜に桜が美しく咲き誇る光景は、みな心穏やかに、春を楽しむべし、争いを忘れるべし、と神仏が呼びかけているように感じるのだ。
だが。と光秀は思う。
自分たちに今停滞は許されない。自分の主に仇なす者を討ち、日の本に安定と真の平和をもたらすためには、ためらいは許されない。
(違うな。これは私情だ)
光秀は、自分を騙すのはやめようと思う。
自分は織田信長という人物が怖ろしいのだ。
自衛隊と呼ばれる集団の、恐るべき破壊力を持つ兵器をためらうことなく用いて屍の山を築く。
それに留まらず、自軍にも革新的で殺傷力は高いが、残酷な結果を敵にもたらす兵器を多数配備し実戦で使用する。
畿内での一向一揆殲滅戦の折、全身に棒火矢の破片が刺さって苦しみながら事切れた者を見た。ライフル銃で狙撃され、手当がうまく行かずに足を切断しなければならなかった者を見た。
無論、悪いのは一向一揆の方であるのはわかる。法を無視し、秩序を破壊し、にもかかわらず罪人としての負い目などかけらもない。
そういった者たちに容赦はできない。それは頭では理解できる。
だが、恐怖というのは理屈ではないのだ。
もしあれらの兵器が、自分の主に向けられたら。
いや、もしではない。このまま行けば、十中八九そうなる。
(織田信長という人物は、自分の妹さえ殺めたのだ)
親子や兄弟で殺し合いが起きるのは戦国の世では珍しくもない。だがそれは理屈だ。
妹を殺すことができた織田信長という女を、光秀は怖ろしいと思わずにはいられなかった。
織田信長を捨て置いてはならない。
目的のためには手段を選ばず、神仏の罰を恐れず、古い権威や格式を重んじることをしない。そういう人物に、大きな力を持たせてはならない。
口ではなんとでも言えたし、理屈はいくらでも後付けできただろう。
だが、光秀に決意をさせた理由は一つ。信長が怖かったのだ。
織田信長の冷徹さと闘争心が、自分にとってこの世でもっとも大切な存在に向けられることは絶対に避けたい。
被害妄想と言われようと、器の小ささと言われようとかまわない。
これは大切なものを守るためなのだ。
光秀は馬を止めると、将兵たちと向き合う。
これから重要なことを伝えなくてはならない。将兵たちには、作戦目的は丹波で起きた国人一揆の鎮圧と伝えてあるのだ。
「将兵たちよ!
我々はこれより作戦を変更する!
新たな目標は京都、本能寺。狙うは織田信長の首!」
光秀はそこで言葉を句切る。
「皆々を騙していたこと、すまなく思う。
だが、私はもはや織田信長を捨て置くことはできない。
かの人物は幕府や朝廷の権威を軽んじ、権力を欲しいままにしている。
また、敵対する者に対するあまりにも冷酷無残、残虐非道な戦いぶり、もはや見過ごすことはできぬ。
“結果は手段を正当化する”“強いものこそが正義”
そのような論法で戦や政を行うものは、この日の本にとって、多くの民にとって必ず災いとなるだろう!
私に続いて、織田信長を成敗するのだ!」
光秀の言葉に、将兵たちはあっけにとられ、次いで困惑した様子で互いに顔を見合わせる。
“今や実質的な天下人たる織田信長公に弓を引く?”“織田信長に弓引くと言うことは、彼女の同盟者であるじえいたいに弓引くも同然”“そんなことをすれば自分たちは返り討ちではないのか?”“だが、織田信長のやり方を認められないという話もわからなくはない”“かの人物の横暴と増長はひどくなる一方で、将軍や関白にまで恫喝めいた物言いをしているとか”
将兵たちは互いに判断がつきかねていた。が…。
「もし、どうしても織田信長に弓引くのは嫌だという者は、離脱を許可する。決して追い打ちなどしない。
真にこの明智光秀と心を同じくする者のみ、私に続け!」
光秀のその言葉で、将兵の多くの心は決まっていた。
光秀の配下の者たちは、みな主である光秀が好きであった。
恐怖や利益で臣下の者たちを従わせている君主はいくらでもいる。“主従は友達ではない”と言い訳して、上下関係にあぐらをかき、人間関係を軽んじ、好かれようと努力しようともしない者たち。
だが、光秀の配下の者たちは光秀の人柄に心服していたのだ。
武に優れていることはもちろん、風流の道にも通じている。
政治においても、弱い者に負担を押しつけることを決してせず、領地では百姓たちからさえ慕われている。
また、根っこのところでは穏やかであるのに、主である足利義昭のこととなると鬼にも蛇にもなる。義昭のことを自分のことのように喜び、悲しみ、そして怒る。
その不器用なまでの実直さ、優しさ、慈悲深さが、多くの将兵たちに慕われていたのだ。
軍勢の中からは、多少離脱する者も出た。が、多くの将兵は背筋を伸ばし、引き締まった表情で整列していた。
光秀は、彼らの忠義と優しさに感謝した。
「時はいま 蝶桜舞う 弥生かな」
光秀は、ふと思いついて一句詠んでいた。夜だというのに、揚羽蝶が桜の間を縫って飛んでいくのが見えたからだ。
“時”は光秀の旧名であり、源流の血筋、美濃源氏の“土岐”にかかっている。
“蝶”は織田家の紋である揚羽蝶。“桜”は自衛隊にかかっている。
句としては今ひとつだが、自分の心境をうまく表現できたし、将兵たちの意思統一をさらに確固たるものにできた気がした。
が…。
息を吸い込んで号令を発しようとして、光秀は今になってためらいの気持ちを抱く。
今以上の好機はない。
織田の軍勢と自衛隊は、畿内の反抗勢力を制圧するために出張っている。
信長を排除することで同心した者たちも、同時に動く手はずだ。
信長は京都の本能寺、自衛隊の上級幹部たちは安土城にいて、彼らの周囲には少数の手勢しかいないことも確認済みだ。
彼らを抵抗させず、逃がさないための手も打ってある。
だが、今が好機という考えは落とし穴のように今さら思えてきたのだ。
彼女の知る歴史を振り返っても、有能で聡明なはずの人物が、“今しかない”“今やらないとやれなくなる”という思いに駆られて、とんでもなく愚かな決断をしてしまったことも枚挙に暇がない。
平治の乱しかり、細川政元暗殺事件である永正の錯乱しかりである。自分たちの障害となる人物を討つという取りあえずの目的を達しただけ。その先がない。結局当事者たちは罪人として葬られ、結果としては意味もなく世を乱しただけに終わった。
自分も同じことをしようとしていないか。そんな思いが光秀をためらわせたのだ。
(そんなことはない)
だが、無理に号令を発しようとせず、目を閉じて深呼吸をすると、不思議なくらい光秀の心からためらいは消えていた。
敬愛して止まない主君、そしてこの世でもっとも大切な存在である者の顔を思い浮かべてみる。
自分は決してはやっているのでも拙速になっているのでもない。
これは大切なものを守るための戦いだ。
たとえ自分の首が四条河原にさらされたとしても、足利義昭が健在である限り自分の目的、理想は果たされることだろう。
光秀は決意も新たにゆっくりと息を吸う。
「敵は本能寺にあり!」
大きく透き通った声で号令し、采配で本能寺の方向を指し示す。
その姿は月の光と咲き乱れる桜の情景に映えて、もともと美人である光秀を幻想的なまでに美しく見せていた。
光秀の軍勢から一斉に鬨の声が挙がる。
「全軍、前へ!」
光秀の号令を合図に、軍勢は京市街になだれ込んでいく。
明智の紋である桔梗の旗が風にひるがえる。
明智光秀を中心としたクーデター。後に「本能寺の変」と呼ばれる戦いの始まりだった。
京都、北山。
そこかしこで桜がほころび、月明かりに照らされて幻想的な光景を作り出している。
“神仏よ。この美しい光景を血で汚すわが罪業を、どうかお許し下さい”
家の紋である桔梗をあしらった鎧をまとった明智光秀は、胸の奥でそう念じる。信心深く、本来は穏やかな気性であるのが彼女だ。月が美しい夜に桜が美しく咲き誇る光景は、みな心穏やかに、春を楽しむべし、争いを忘れるべし、と神仏が呼びかけているように感じるのだ。
だが。と光秀は思う。
自分たちに今停滞は許されない。自分の主に仇なす者を討ち、日の本に安定と真の平和をもたらすためには、ためらいは許されない。
(違うな。これは私情だ)
光秀は、自分を騙すのはやめようと思う。
自分は織田信長という人物が怖ろしいのだ。
自衛隊と呼ばれる集団の、恐るべき破壊力を持つ兵器をためらうことなく用いて屍の山を築く。
それに留まらず、自軍にも革新的で殺傷力は高いが、残酷な結果を敵にもたらす兵器を多数配備し実戦で使用する。
畿内での一向一揆殲滅戦の折、全身に棒火矢の破片が刺さって苦しみながら事切れた者を見た。ライフル銃で狙撃され、手当がうまく行かずに足を切断しなければならなかった者を見た。
無論、悪いのは一向一揆の方であるのはわかる。法を無視し、秩序を破壊し、にもかかわらず罪人としての負い目などかけらもない。
そういった者たちに容赦はできない。それは頭では理解できる。
だが、恐怖というのは理屈ではないのだ。
もしあれらの兵器が、自分の主に向けられたら。
いや、もしではない。このまま行けば、十中八九そうなる。
(織田信長という人物は、自分の妹さえ殺めたのだ)
親子や兄弟で殺し合いが起きるのは戦国の世では珍しくもない。だがそれは理屈だ。
妹を殺すことができた織田信長という女を、光秀は怖ろしいと思わずにはいられなかった。
織田信長を捨て置いてはならない。
目的のためには手段を選ばず、神仏の罰を恐れず、古い権威や格式を重んじることをしない。そういう人物に、大きな力を持たせてはならない。
口ではなんとでも言えたし、理屈はいくらでも後付けできただろう。
だが、光秀に決意をさせた理由は一つ。信長が怖かったのだ。
織田信長の冷徹さと闘争心が、自分にとってこの世でもっとも大切な存在に向けられることは絶対に避けたい。
被害妄想と言われようと、器の小ささと言われようとかまわない。
これは大切なものを守るためなのだ。
光秀は馬を止めると、将兵たちと向き合う。
これから重要なことを伝えなくてはならない。将兵たちには、作戦目的は丹波で起きた国人一揆の鎮圧と伝えてあるのだ。
「将兵たちよ!
我々はこれより作戦を変更する!
新たな目標は京都、本能寺。狙うは織田信長の首!」
光秀はそこで言葉を句切る。
「皆々を騙していたこと、すまなく思う。
だが、私はもはや織田信長を捨て置くことはできない。
かの人物は幕府や朝廷の権威を軽んじ、権力を欲しいままにしている。
また、敵対する者に対するあまりにも冷酷無残、残虐非道な戦いぶり、もはや見過ごすことはできぬ。
“結果は手段を正当化する”“強いものこそが正義”
そのような論法で戦や政を行うものは、この日の本にとって、多くの民にとって必ず災いとなるだろう!
私に続いて、織田信長を成敗するのだ!」
光秀の言葉に、将兵たちはあっけにとられ、次いで困惑した様子で互いに顔を見合わせる。
“今や実質的な天下人たる織田信長公に弓を引く?”“織田信長に弓引くと言うことは、彼女の同盟者であるじえいたいに弓引くも同然”“そんなことをすれば自分たちは返り討ちではないのか?”“だが、織田信長のやり方を認められないという話もわからなくはない”“かの人物の横暴と増長はひどくなる一方で、将軍や関白にまで恫喝めいた物言いをしているとか”
将兵たちは互いに判断がつきかねていた。が…。
「もし、どうしても織田信長に弓引くのは嫌だという者は、離脱を許可する。決して追い打ちなどしない。
真にこの明智光秀と心を同じくする者のみ、私に続け!」
光秀のその言葉で、将兵の多くの心は決まっていた。
光秀の配下の者たちは、みな主である光秀が好きであった。
恐怖や利益で臣下の者たちを従わせている君主はいくらでもいる。“主従は友達ではない”と言い訳して、上下関係にあぐらをかき、人間関係を軽んじ、好かれようと努力しようともしない者たち。
だが、光秀の配下の者たちは光秀の人柄に心服していたのだ。
武に優れていることはもちろん、風流の道にも通じている。
政治においても、弱い者に負担を押しつけることを決してせず、領地では百姓たちからさえ慕われている。
また、根っこのところでは穏やかであるのに、主である足利義昭のこととなると鬼にも蛇にもなる。義昭のことを自分のことのように喜び、悲しみ、そして怒る。
その不器用なまでの実直さ、優しさ、慈悲深さが、多くの将兵たちに慕われていたのだ。
軍勢の中からは、多少離脱する者も出た。が、多くの将兵は背筋を伸ばし、引き締まった表情で整列していた。
光秀は、彼らの忠義と優しさに感謝した。
「時はいま 蝶桜舞う 弥生かな」
光秀は、ふと思いついて一句詠んでいた。夜だというのに、揚羽蝶が桜の間を縫って飛んでいくのが見えたからだ。
“時”は光秀の旧名であり、源流の血筋、美濃源氏の“土岐”にかかっている。
“蝶”は織田家の紋である揚羽蝶。“桜”は自衛隊にかかっている。
句としては今ひとつだが、自分の心境をうまく表現できたし、将兵たちの意思統一をさらに確固たるものにできた気がした。
が…。
息を吸い込んで号令を発しようとして、光秀は今になってためらいの気持ちを抱く。
今以上の好機はない。
織田の軍勢と自衛隊は、畿内の反抗勢力を制圧するために出張っている。
信長を排除することで同心した者たちも、同時に動く手はずだ。
信長は京都の本能寺、自衛隊の上級幹部たちは安土城にいて、彼らの周囲には少数の手勢しかいないことも確認済みだ。
彼らを抵抗させず、逃がさないための手も打ってある。
だが、今が好機という考えは落とし穴のように今さら思えてきたのだ。
彼女の知る歴史を振り返っても、有能で聡明なはずの人物が、“今しかない”“今やらないとやれなくなる”という思いに駆られて、とんでもなく愚かな決断をしてしまったことも枚挙に暇がない。
平治の乱しかり、細川政元暗殺事件である永正の錯乱しかりである。自分たちの障害となる人物を討つという取りあえずの目的を達しただけ。その先がない。結局当事者たちは罪人として葬られ、結果としては意味もなく世を乱しただけに終わった。
自分も同じことをしようとしていないか。そんな思いが光秀をためらわせたのだ。
(そんなことはない)
だが、無理に号令を発しようとせず、目を閉じて深呼吸をすると、不思議なくらい光秀の心からためらいは消えていた。
敬愛して止まない主君、そしてこの世でもっとも大切な存在である者の顔を思い浮かべてみる。
自分は決してはやっているのでも拙速になっているのでもない。
これは大切なものを守るための戦いだ。
たとえ自分の首が四条河原にさらされたとしても、足利義昭が健在である限り自分の目的、理想は果たされることだろう。
光秀は決意も新たにゆっくりと息を吸う。
「敵は本能寺にあり!」
大きく透き通った声で号令し、采配で本能寺の方向を指し示す。
その姿は月の光と咲き乱れる桜の情景に映えて、もともと美人である光秀を幻想的なまでに美しく見せていた。
光秀の軍勢から一斉に鬨の声が挙がる。
「全軍、前へ!」
光秀の号令を合図に、軍勢は京市街になだれ込んでいく。
明智の紋である桔梗の旗が風にひるがえる。
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