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三日目 蹂躙の蹄

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01
 沖縄県の石城島に朝が来た。
 だが、現在石城島にいる者たちにとって、とても気持ちのいい朝とはいかなかった。
 島からの帰還を延期して駐留している陸上自衛隊混成部隊にとっても。
 「ん…?」
 諏訪部哲也二等陸尉は目を開けて、ここはどこだろうと一瞬考えを巡らせる。周りを見回して、ようやく自分が陸自の野営地のテントの中で眠っていたことを思い出す。
 眠っていたというより気絶に近かったな。諏訪部は思う。恐らく疲労のためにレム睡眠になることさえほとんどなかったのだろう。眠ったと思ったら目が覚めていて、時刻は午前6時58分だった。
 よほど自分は疲れていたらしい。と思う。
 今までも、厳しい訓練や災害救助を行った日の夜は夢さえ見ないほど深く眠ることはあった。が、夕べに限っては、夢を見る余力さえ残っていなかったらしい。
 行方不明となっていた4名の自衛隊員は突然現れた謎の島仮称“イスラ・ヌブラル”で全員死亡が確認された。彼らを捜索に島に向かった偵察隊から2名。恐竜に襲われて遭難した偵察隊を救援に向かった救出部隊からさらに1名の死者が出た。
 偵察部隊の生存者である自分たち5人も危険な目に遭いながらもなんとかヘリで脱出した。
 幸いにして、“イスラ・ヌブラル”に置き去りになっていた6名の遺体は回収された。89式装甲戦闘車と16式機動戦闘車を基幹とする機械化部隊にはさすがの恐竜たちも手が出なかったらしい。機械化部隊は恐竜たちの襲撃に遭うこともなく、遺体を回収して戻ることができた。
 だが、自衛隊員たちの心の中には、仲間が任務中に死亡したという事実は深く刻みつけられていた。彼らの遺族になんと伝えればいいのか。困惑が部隊全体を包み込んでいた。
 なにより、6500万年前に絶滅した恐竜がどういうわけか現代に出現した。そして、人間に襲いかかってきた。
 この先も戦いにならないとは限らない。恐竜とどうやって戦う?自分たちは勝てるのか?
 そんな不安が自衛隊員たちの間に蔓延していたのだった。
 
 「あ、二尉、おはようございます。早いですね。ゆっくりなさっていてもいいとは思いますが」
 「いや、恐竜たちがすぐ隣の島にいると思うとおちおち寝てもいられなくてな」
 諏訪部は起床すると歯を磨いて顔を洗い、野営地を見て回っていた。車両整備担当の三曹の言うとおり、司令部から今日はゆっくり休んでもいいと言われてはいたが、横になっていても落ち着かないのだ。
 「しかし、本当にすさまじいな…」
 車両が止められている区画のすみ、ティラノサウルスに襲われた軽装甲機動車を眺めて、諏訪部はただあっけに取られる他なかった。
 銃座を囲む装甲は紙のようにひしゃげ、巨大なミシン目のような歯形が見事に残っている。
 なるほど。確かにティラノサウルスの歯形だとわかる。他の部分の歯が幅の広いくさび形の断面をしているのに対して、門歯はDの字形の断面をしているのだ。これはティラノサウルスの顎と歯が“切り裂く”のではなく“かみ砕く”もしくは“顎で固定して引きちぎる”ことに特化していた証左だ。
 「装甲の接合部が歪んでしまって外せないんです。車両の一部ごと交換しないとだめかもしれません」
 「そりゃまあ…なあ…」
 軽装甲機動車はティラノサウルスに噛みつかれてそのまま投げ飛ばされて岩に叩きつけられたと聞いている。その場にいたわけではないが目に浮かぶ。車体そのものが無事だったのは運が良かったのだろう。
 「野党やマスコミに知られたらまたうるさそうですねえ。
 “こんなクソの役にも立たないものにいくらかけたんだ”って」
 「そりゃしょうがないさ。ティラノサウルスとケンカすることなんて想定しちゃいないよ」
 諏訪部は肩をすくめる。
 “頑丈さ”の定義は一義的ではない。何に対して強い必要があるかによって全く変わってくる。圧力に対して強いか、衝撃に対して強いか、はたまた重さに対して強いか。
 軍用車両の装甲は主に銃撃や爆風に対して強い素材が選ばれ、加工される。最大で8トンもの力を持つ顎で噛みつかれることなど想定していないのだ。
 「戦闘になった場合の戦い方を検討しなきゃならんな…」
 諏訪部は軽装甲機動車を観察しながらつぶやく。
 現状では、相手が恐竜といえども全く打つ手なしというわけでもない。
 救出部隊が挙げた報告書によれば、ティラノサウルスに対して小銃弾はまるで無力だが、50口径重機関銃はダメージを与えることはできたという。大型の恐竜に対しても、攻撃ヘリの機銃やロケット弾、あるいは無反動砲の成形炸薬弾などは有効なはずだ。
 だが、こちらにとって不利な要素も1つならずある。
 まず、恐竜たちは当然のようにエンジンが着いているわけではないから、赤外線放出量が車両やヘリに比べて小さい。赤外線誘導式のミサイルでは、動く恐竜に当たるかどうか微妙だった。
 加えて、21世紀に暮らす自分たちは恐竜についてあまりにもよく知らない。恐竜がどのような生き物だったか、今まで化石から推測するしかなかったのだ。恐竜の急所はどこか。どこに銃弾を撃ち込めば致命傷を与えられるか。あるいはどこを攻撃すれば苦痛を与えて追い払えるか。全く見当もつかなかった。
 なにより、ここ数日石城島周辺で局地的に発生している通信障害や電子機器の不調が大問題だ。自衛隊に限らないが、最近の人類はあまりにも機械に依存しすぎている。通信と電子機器にトラブルが起きただけでパニックだ。
 ヘリは墜落や周辺への接触を怖れて低空で飛ぶことができず、映像は送信速度が遅くなり、データリンクもまともに機能しないので情報共有もわざわざ無線を用いて口頭で行う羽目になっている。
 極めつけに、超局地的な低気圧はまだ収まる様子がない。それだけならまだしも、極めて不安定で気まぐれだ。時々風と雨がぴたりと止んだと思うと数分後には突風と豪雨に見舞われているという理不尽さで、ヘリは飛ぶのも下りるのも命がけだ。
 今の状態では自分たちは半分の力も出すことはできないだろう。恐竜に対して負けるとは思わないが、勝てたとしても多数の犠牲が出ることが予想された。
 どうすればいい?どう戦う?戦わずにすむ方法はないのか?
 諏訪部は自問し続けた。

02
 「なんだろう?」
 ところ変わってこちらは天文学研究所の調査チームが宿泊する民宿。チームの一因である桑島美智子は、外がにわかに騒がしくなったことに気づいてパソコンから顔を上げた。
 電子機器の不調で本来の仕事であるニュートリノの観測どころではなく、かといって悪天候で船も運休とあってはすることもない。せめて研究者らしく、この島で起きていることを観察して報告しようと活動を始めて2日。いろいろと不思議な現象を発見したのでレポートにまとめているところだった。
 ちょうど一段落したところだし、外の騒がしさは尋常ではない。桑島はレインコートをはおり、外の様子を見てみることにした。
 「あの、何かあったんですか?」
 「それが…よくわからないんだけど、恐竜がこっちに向かってくるとか言ってるんだよ」
 近くにいる中年の女を捕まえて聞いてみるが、返ってきたのはそんな答えだった。ともあれ、桑島は特に驚きもしなかった。
 なんと言っても、局地的な低気圧と通信障害に加えて、突然今まで海だったはずのところに謎の島が出現したのだ。どんなおかしなことがこれ以上起きても驚かない。
 桑島はさらに状況を詳しく確認すべく、高台に上がってみる。既にそこは島民たちが様子を見ようと押し寄せていた。
 「こりゃいったいどうなってるんだ…?」
 「ハリウッドが映画撮ってる…なんてことはないか…?」
 「あれがCGに見えるか?それよりも、あんなのが上陸してきたらやばくないか…?」
 住民たちが島の西側を見ながら口々に騒いでいる。
 その理由は桑島にもすぐにわかった。
 「なんてこと…」
 石城島とあちらの島は砂州によって地続きになっている。まるで橋のようだ。
 そしてその上を巨大な生き物の集団がこちらに向けて歩いてくる。間違いようがない。あれは恐竜だ。
 恐竜には詳しくはないが、遠目にもわかりやすいシルエットをしている。
 三本の角を持ち、首の周りを巨大なフリルが取り巻いた姿をしているのはトリケラトプス。
 全体的にカンガルーに似ているが、ずんぐりしたはるかに巨大な身体をもち、カモノハシのように平たい口をもつのはハドロサウルス類だろう。
 桑島は確信するものがあった。あの島がどこからどうやって現れたのか?考えられるいくつかの推測の中には、タイムスリップで過去の地球から飛ばされてきたのではないかというものもあったが、それが正解だろう。
 「自衛隊だ!」
 そんなことを思った時、誰かが叫んだ。そして次の瞬間、頭上をヘリが飛んでいく。無骨なシルエットは、遠目にも陸自の攻撃ヘリだとわかる。
 「大変…いけない!」
 桑島は人混みを押し分けて元来た道を戻っていた。
 もし自衛隊があの恐竜たちを攻撃したらどうなるか?
 謎の島がタイムスリップによって過去から飛ばされてきたと仮定して、なおかつこの2日いろいろと島を調査して得られたデータを照らし合わせる。
 その結果、怖ろしい可能性に気づいたのだった。
 自衛隊の攻撃をやめさせなければならない。なんとしても。
 桑島は民宿に向けて全力で走った。

 「41頭数えました。まっすぐにこちらの島を目指してきます」
 陸上自衛隊混成部隊の司令部では、砂州を渡ってこちらに向かってくる恐竜の群れに対する対策会議が招集されていた。幕僚の1人がヘリからの報告を伝える。
 「“トンビ”からの報告では、島の東側の植物が食い尽くされていたようです。島に食料がなくなったのでこちらに向かってきたものと」
 諏訪部がOH-6からなんとか送られて来た航空写真を机に拡げながら報告する。気になって島の植物の状況をヘリに偵察させたところ、島が現れた当初はあったはずの茂みや草むらが消えていて、木立は葉がなくなり枯れ木のようになっているのが確認できたのだ。
 「“イスラ・ヌブラル”は、タイムスリップで飛ばされてくる前は半島か岬のような地形で、大陸と地続きであったものと推測されます。
 いまや孤立した島となってしまった場所に、多数の大型の草食動物を養う餌はなく、こちらに向かってくると考えられます」
 諏訪部が続けた言葉に、司令部の誰もが戸惑いを隠せなかった。あんな巨大な動物たちがこの島に大挙して乗り込んできたら大変なことになる。
 しかし、ではどうすればいい?前例もなく、想定すらしていなかったこの事態に、自分たちはどうすればいい?
 「諏訪部二尉、連中が生きていたのは6500万年前だ。
 現代の植物を喰うかな?」
 司令である池田真吾三等陸佐の言葉に、諏訪部は少し考えて口を開く。
 「自分は学者ではありません。あくまで素人考えです」
 前置きして、諏訪部は見解を述べていく。
 「白亜紀後期は、多数の生物が緩やかに衰退したり滅んだりしていった時期です。
 環境の変化が原因とされています。植物の生態の変化もそのひとつであるようです。それまでの裸子植物に変わって被子植物が台頭し、草食動物にも影響を与えたことでしょう。
 その草食動物の中でもトリケラトプスら角竜の顎は良くできています。万能と言ってもいい。固いくちばしと強力な筋肉で固い木の実さえかみ砕く。一方でデンタルバッテリー構造が発達している上に、顎が上下だけでなく左右にも動くので石臼のように植物をすりつぶすことが可能です」
 池田には諏訪部の説明がどこに行くのか見当もつかなかった。
 「まどろっこしいな。結論を言ってくれ」
 「やつら、植物であれば何でも喰ってしまうでしょう。そうやって白亜紀の過酷な環境を生き延びて繁栄してきたんです」
 司令部に重苦しい空気が流れる。
 この石城島は小さな島だが、農業は盛んだ。作物もいろいろあるが、とくにこの島でとれるパイナップルや柑橘類は、ちょっとしたブランドで、海外にも輸出されている程だ。恐竜が体重に比してどれだけのえさを必要としたかは現在でも議論が分かれているが、とりあえずこの島の農業に深刻な打撃を与えることは間違いなさそうだ。収穫前の作物を食われてしまうことによる直接の損害はもちろん、木がなぎ倒され畑が蹂躙されれば、来年から収穫がなくなる可能性もある。
 「司令、ご命令をいただければ恐竜の群れを攻撃します。
 やるならこの島に上陸する前の方がいいかと」
 AH-64D攻撃ヘリのパイロットである一尉が池田に具申する。
 「待って下さい。自分は反対です。
 あれだけの巨大な恐竜の群れが銃撃でパニックになって暴走したらどうなります?
 エドモントサウルスでも3トン以上。トリケラトプスにいたっちゃ6トンもあります。交通事故ってレベルの騒ぎではすまなくなります」
 諏訪部が意見を差し挟む。
 アジアやアフリカでは度々ゾウが暴走する事故による死傷者が出る。ましてこちらに向かってくるのは大型の草食恐竜41頭だ。
 パニックになったら、中型車両が集団で暴走するに等しいことになる。
 「じゃあ何もせずに見ているってのか?」
 「違います。まずは住民の避難を優先しましょう。攻撃は最終手段、いよいよ住民や我々が危険で攻撃しかないとなったときまで待つべきです」
 攻撃ヘリのパイロットの言葉に、諏訪部はぴしゃりと反論する。
 ともあれ、これも本音ではないな。と諏訪部は思う。
 本当のことを言えば、恐竜たちを攻撃したくなかったのだ。彼らは何も悪いことはしていない。タイムスリップは当然彼らが意図的に起こしたことではないだろう。この島に向かってきていることにしたって、えさを欲しがっているだけだ。
 彼らも生命であるなら生きたいだろう。そして、自分たちは何も悪いことをしていない野生動物を殺すために自衛隊員になったのではないはずだ。
 そんな感情論に後付けした理屈をつけたに過ぎなかったのだ。
 「わかった。取りあえずは住民の避難を優先してくれ。
 恐竜たちへの攻撃となると、俺の一存では決められない。総監部に相談してみる」
 池田はそう言うしかなかった。それが自衛隊という組織だ。
 現実に起こりうる、侵略やテロと言った事態にさえまともに対処するマニュアルや規則、法的な権限の所在などが確立されていない。恐竜の出現というまるで想定外の事態に、誰が決定しどう命令を下すのかなど考えても見ないことだった。
 「会議中失礼します、一般人の学者の方がお見えになって、ぜひ自衛隊の責任者にお取り次ぎ願いたいとおっしゃっていますが。
 あの島と恐竜たちのことでお耳に入れておきたいことがあると」
 池田が固定電話の受話器を取ろうとした瞬間、司令部のテントに入って来た伝令が報告する。
 池田は、司令部の全員を見回す。
 いつもの池田であれば、この忙しい時に一般人の意見など聞いている暇はないと即答しただろう。だが、あまりにも想定外で、誰もが内心どうすべきかわからない状況で、一応どんな意見や情報でも聞いておくべきか、という考えが働いたのだ。
 「司令、われわれには情報が少なすぎます。
 取りあえず話だけでも聞いてみちゃいかがでしょう?」
 皆が顔を見合わせる中で、諏訪部が口を開いた。
 「わかった。お通ししてくれ」
 池田はため息を1つついて伝令に向けて言う。
 決断から逃げたわけじゃない。難しい状況だからこそどんな情報でも集めておくべきだし、もしかしたら事態を解決する方法が見つかるかも知れない。
 自分に言い訳していることは百も承知で、池田はそう考えることに決めた。

03
 「みなさん、お忙しいところすみません。
 どうしてもお耳に入れておきたいことがあったもので」
 司令部に通された桑島はレインコートの水滴を払うと、池田におじぎをする。
 「手短に願えますか。
 恐竜たちが向かってきているんです」
 話を急ぐ池田に、桑島はバッグから取り出したA4に印刷された写真を差し出す。
 「昨日丘の上の小学校の校庭で撮ったものです。
 これではわかりづらいですが…」
 写真は地面に貼られた白いラインを撮影したものだった。一見すると何が問題なのかわからなかったが、桑島はアクリルのじょうぎをラインに当てる。
 「線が曲がっている?」
 「その通りです。撮影したときはピンと張ったつもりだったんですが」
 言われてみれば妙だと同席している諏訪部は思う。平らな校庭にきれいに弧を描くようにラインを張るのは、ピンと張るよりも難しいだろう。
 「実は、島の写真を撮っているうちに、学校の校舎や体育館が歪んで映ることに気づいたのが始まりだったんです。
 複数のデジカメで撮ったんですが、結果はどれも同じでした」
 桑島が取り出した写真は、たしかに直線であるはずの校舎や体育館のシルエットが微妙に曲線を描いていた。
 「つまりどういうことです?」 
 「全くばかげた想像ですが、空間や光そのものが歪んでいるんじゃないでしょうか?
 通信の障害や電子機器のトラブルも、空間そのものが歪んでしまって電波や電気信号がまっすぐに伝わらないんだとしたらどうでしょう?」
 池田の問いに、桑島が言葉を選びながら答える。
 池田も、同席する幹部たちも、普段なら何を馬鹿なと一笑に付しただろう。だが、実際に説明不可能な通信障害や電子機器の異常が発生して、あまつさえ光が曲がっている証拠が見つかってしまったのだ。
 誰もが閉口するほかなかった。 
 「ちょっと待って下さい。
 光や電磁波も重力の影響を受けるってことは聞いたことがありますが、そんなものすごい重力が働いてたら俺たちはとっくにぺしゃんこになってるんじゃ?」
 諏訪部が混ぜ返す。昔暇つぶしにネットで調べた知識だ。
 アインシュタインが、「光は粒子であり重力の影響を受ける」と提唱したとき、その証明に用いられたのが皆既日食の観測だった。結果として光が重力によって影響を受け曲げられることは証明された。とはいえ、太陽ほど大きな天体の重力を持ってしても天体望遠鏡でわずかに観測できるほどの影響だった。
 もし近くで光が曲がっているのを肉眼で観測できるほどの重力が働いているとしたら?自分たちは自分の重さでつぶれているはずだ。
 「いい質問ですが、光や電磁波に干渉しているのは重力でないとしたら?
 タイムスリップが起こるほどの力が働いたとしたら、私たちは体感できなくとも、光や電気信号、電波だけに干渉するなにかがあっても不思議はないと思います」
 桑島の返答に、諏訪部も口を閉じるほかなかった。
 一方で、桑島も推測でものを言っているに過ぎない自覚はあったのだが。なにせ、タイムスリップを科学的に説明できる人間など現状はいないのだ。
 「問題は光の偏向だけじゃないんです。
 昨日から時間をおいて同じ場所で何度も写真を撮っているんですが…」
 桑島が日付と時刻が乗った写真を順番に並べていく。
 「歪みが大きくなっている?」
 自衛隊員の中で変化に一番早く気づいたのは池田だった。
 わかりづらいが、時間が進むごとに校庭に張られたラインの屈折が次第に大きくなっている。
 「おっしゃるとおりです。干渉する力が強くなっている」
 「つまり?」
 「これも推測ですが、揺り戻しが起こる可能性があるかと思っています。
 タイムスリップはものすごい振動と一緒に起こりました。この歪みの拡大は、例えるなら地震に対する余震のように、反動が起こる前兆なのかも知れません。
 それともうひとつ、島が出現する数時間前から私たちの受信機がおかしな電磁波をとらえていたんです。
 その電磁波は次第に強くなったんですが、地震が起きて島が出現してからぱったり止まりました。
 ところが、今朝微弱ですが、それに近い電磁波をまた観測したんです」
 「もしかして、電磁波がまた強くなっていると?」
 「その通りです。極めてゆっくりとですが」
 司令部全員が頭を抱えた。タイムスリップが起きたと言うだけでも一大事なのに、さらに揺り戻しが起こる可能性があるとは。
 全員が不吉な予感を抱いていた。揺り戻しが起こったときなにが起きるかわからない。すさまじい揺れが起こるかも知れないし、空間そのものがすさまじいエネルギーに耐えられず消滅してしまうかも知れない。
 そこまで行かなくとも、万一揺り戻しに巻き込まれたら6500万年前にご招待だ。片道切符で。
 「そうなると問題だ。恐竜たちや“イスラ・ヌブラル”にうかつに手を出せない」
 「ええ、タイムパラドックスが起きる可能性があります」
 諏訪部の言葉に桑島が相槌を打つ。
 “イスラ・ヌブラル”と恐竜たちが恒久的にこちらに存在するわけではなく、一時的に送られて来ているだけだとするとまずいことになる。恐竜を殺したり、恐竜がもとの時代に戻れなかったりした場合、歴史改変が起きてしまう可能性がある。島も恐竜たちも、まだ歴史のパズルのピースの一部として組み込まれているかも知れないのだ。
 「しかし、恐竜は結局絶滅する運命にあるわけだろ?」
 「絶滅と言っても一朝一夕に起きたわけじゃありません。彼らが元の時代に帰還して生命の歴史になんらかの役割を果たす可能性はあります。
 もし彼らがここで死んだり、帰れなかったりしたら?
 パズルのピースがかけて歴史が狂い、その結果人類が誕生しないという可能性も考えられるのでは?」
 希望的観測にすがる幕僚の1人に、諏訪部が言い返す。司令部の全員が、桑島も含めて何も言えなくなってしまう。
 諏訪部にも確信があるわけではもちろんない。そもそも、タイムスリップが歴史にどういう影響を与えるのかさっぱりわからないのだ。
 タイムパラドックスに関しては、様々な映画や漫画、小説などで考察がされている。
 一番理解しやすいのが、“ドラゴンボール”や“ジパング”で描かれたパラレルワールドが生じるというパターンだ。過去に歴史改変が行われたとしても平行世界、別の時間軸が生じるだけで、特に現在に影響が及ぶことはないというものだ。あるいは登場人物たちが自分たちの史実とは違う別の時間軸に存在し続けることになる。歴史に矛盾は生じず、タイムパラドックスは起きようがないことになる。
 逆に、どんな小さな歴史改変であっても、即座にタイムパラドックスを引き起こす危険性があるという考え方もある。“サウンドオブサンダー”がこれを描いていた。過去に遡った人間がほんの少しの干渉を与えただけで歴史が根本的に変わってしまい、その先に現代の生態系は全く別のものになってしまうというものだった。だが、もし歴史改変がこれほど簡単に起こってしまうとしたら、恐竜たちが“イスラ・ヌブラル”ごと現代に飛ばされてきた時点で現代が影響を受けていなければおかしい。
 両者の折衷として、タイムパラドックスは起きうるものの、歴史には復元力があり、歴史改変は簡単には起こらないというものがある。“戦国自衛隊1549”がこれを採用していた。織田信長が尾張を統一する前に殺されたとしても、変わりになる人物が登場して天下統一に向けて動いて行く。結果として織豊政権から江戸幕府、そして明治という流れに復元されるというわけだ。ただし、歴史改変が復元力の範囲を超えて起こされた場合、現代の世界は消滅してしまうという設定だった。
 考えて答えが出る問題ではないが、恐竜たちに下手に手を出すのは得策ではない。という認識では司令部全員が一致した。
 「とにかく、総監部に連絡を取ってみる。いざという時に備えて武器使用の許可も取っておく必要があるしな」
 沈黙を破ったのは池田だった。とにかく万全の備えをしておかなければならない。
 「桑島さんから頂いた情報も合わせて報告すべきじゃないでしょうか?」
 諏訪部が慎重に池田に問いかける。
 「しかし、揺り戻しやタイムパラドックスに関しては何一つ確証はないだろう。できれば憶測でものは言いたくない」
 「それはそうかも知れませんが、状況をよく見て下さい。
 元に恐竜が時を越えて出現したんです。今我々に確証を持って言えることなんかひとつもないと言っていい。
 憶測でも何でも、今我々の持っている情報は全て上に上げるべきです。
 後々また隠蔽だの改ざんだのと言われないためにも」
 池田は諏訪部の最後のひと言にぐっと詰まった表情を見せる。確かに、揺り戻しもタイムパラドックスも起きるとは断言できない。が、一方で起きないとも断言できないのだ。もし起きた場合、後になって自衛隊が持っていた情報を隠した、あるいは報告を怠ったという非難になって返ってくるのは容易に想像できた。
 実際、昨今の自衛隊海外派遣にからんで資料の隠蔽や不当破棄などが疑われたことを考えると、それは非常にまずいことになる。残念ながら世の中は起きた結果が全てで課程は評価されない。結果だけ見て“それみたことか”と非難する声に対して、憶測でものを言うのは避けたかったという抗弁が受け入れられる可能性はゼロと言って良かった。
 「わかった。諏訪部の言うとおりだな。
 桑島さん、申し訳ないが報告に立ち会ってくれませんか?あなたがさっき言ったことを上にもう一度伝えてもらいたい」
 「わかりました」
 池田の申出を桑島は快諾する。こうなった以上もう自分も状況の一部だと腹を括った、からではない。万一タイムパラドックスが起こって今の世界が消滅してしまうかも知れないと言うときに、何かをしないではいられなかった。本能的な焦りから出た行動だった。

 結局、池田の判断で恐竜の群れに対する攻撃は保留とされた。とにかくも住民の避難が最優先とされ、混成部隊は駐在と役場の職員と協力して避難誘導に全力を挙げることとされた。
 そして、状況が西部方面隊総監部に報告され、総監部で対策が協議されている間に草食恐竜の群れは砂州を渡りきり石城島に上陸を果たしていた。
 トリケラトプスとエドモントサウルス、計41頭の群れは、砂浜を越えて防風林を抜け、島の内部へと歩を進めつつあったのだった。
 
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