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第四話 『記憶の欠片』

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 人にはそれぞれ記憶がある。
 人は忘れていく生き物だから、よく憶えていない記憶、既に忘れてしまっている記憶もあるけれど、いつまで経っても忘れられない記憶もあれば、人に知られたくない記憶なんてものもある。
 過去を変えることはできないから、自分にとって都合の悪い記憶は後悔という形で残ったりもするけれど、自分が忘れてしまっている記憶、憶えている記憶を含め、全ての過去が今の俺を形成しているのだと思う。
 では、他人ひとの記憶はどうだろう。
 自分の過去は自分の中にあるけれど、他人の過去はその人の記憶の中にある。
 自分が知らなかった他人の過去を知った時、自分はその過去についてどう思うのだろう。
 また、自分の過去を他人に知られた時、相手はそれをどう思うものなのだろう。



 四月になった。
 桜の花も満開を過ぎ、早くも葉桜に変わりつつある四月八日。俺や頼斗が通うことになった白鈴しろすず高等学校では、入学式が行われる運びとなっていた。
「お。同じクラスじゃん。良かったな」
「うん。あ、見て見て。伊藤や日高さん。それに桑島や三輪さんも一緒だよ。何か中学の時みたいだね」
「佐々木と桐原もいるな。同じ中学出身の生徒はもっとバラけるかと思ったのに。案外同じクラスになった奴が多いな」
「俺はその方がちょっと安心するけど」
「そうか? ま、俺は深雪と同じクラスになれればそれでいいんだけどな」
「もう……。そういう事言わないで」
 入学式が始まる前に中庭に集められた俺達新入生は、まず初めに、中庭にドドーンと設置されているクラス分けの表を見て、自分のクラスを確認するところから始まった。
 確認が済んだら、自分達のクラスが書いてある立札の後ろに、出席番号順に並ぶことになっているらしい。
 俺と頼斗は一年D組だった。
 頼斗と一緒に一年D組の立て札に向かって歩き出すと――。
「よーっす! 頼斗にみゆっちゃん! 高校でもまた同じクラスだなっ!」
 俺達より先に学校に来ていた伊藤から乱暴に肩を組まれ、俺はその勢いに負けて少しよろけてしまった。
「あのねぇ……」
 朝っぱらから元気なのは結構だし、卒業式以来の再会になるから、伊藤のテンションが上がってしまう気持ちもわからなくはないけどさ。こっちは新しく始まる高校生活に多少なりとも緊張しているんだから、いきなり肩なんか組まれるとびっくりしちゃうよ。
「相変わらず二人セットだな。お? 何か頼斗、ちょっと顔つき変わったんじゃね? みゆっちゃんも」
「え? そう?」
「そんな事ないだろ。卒業式から二週間ちょっとだぞ。それでいきなり人の顔つきが変わるかよ」
「いーや。二人ともちょっと大人っぽくなったっつーか……。頼斗は男らしさに磨きが掛かったって感じだぞ」
「そうか?」
「うん。でもって、みゆっちゃんは綺麗になった」
「は⁉」
 何それ。〈大人っぽくなった〉は素直に嬉しいけど、頼斗は男らしさに磨きが掛かって、俺は綺麗になったってどういう事? そこの違いは何なんだよ。
「ひょっとして……大人な経験しちゃったりする?」
「なっ……!」
 いきなりの下ネタかよっ! 高校初日の朝っぱらからやめて欲しいっ!
「あれ? でも、そうなると頼斗とみゆっちゃんが……って事になる? やっぱお前らってそういう関係? あー、それでみゆっちゃんは男らしさじゃなくて、美人に磨きが掛かったわけか」
「な、な、な、何言ってるの⁉ どうしてそうなるんだよっ!」
 その話を引っ張らないで欲しい。大人な経験かどうだかは知らないけれど、実際春休み中に二回もエッチな体験をしてしまった俺は、私生活を暴かれるようで非常に落ち着かなかった。
「あれ~? みゆっちゃん顔真っ赤じゃん。図星?」
「違うっ!」
「なあなあ、頼斗。どうだったの? みゆっちゃんとの初体験。男同士でもやっぱ気持ちいーの?」
「だからっ! 違うって言ってるじゃんっ!」
 もーっ! 何でそう俺の反応だけで勝手に決めつけちゃうんだよっ! 俺と頼斗は初体験なんかしてないよっ!
 そりゃまあ、それに近いことは確かにヤっちゃったけど……。俺と頼斗は伊藤が思っているようなところまでは行っていないんだからねっ!
「お前なぁ……。入学式の朝から下ネタはやめろよ。周りの女子に聞かれたら一発でドン引き対象だぞ」
 顔を真っ赤にして怒る俺の隣りで、頼斗は至って冷静な呆れ顔と落ち着いた態度だった。
 俺もこういうクールな対応を身につけたいものである。
「平気だって。誰も俺達の会話なんて気にしてねーよ。だから、ほら、教えろって。な?」
「ったく……。教えろも何も、俺と深雪は何もやってねーよ」
「え~? ほんとに?」
「当然だろ。大体、初体験がいきなり男とか難易度高過ぎんだろ。俺だってまずは女と普通のセックスしたいっての」
「まあ……それもそうだな」
 きっと心の中ではそんな事を思っていないであろう頼斗だけれど――何せ、頼斗は俺と死ぬほどセックスがしたいらしいから――、伊藤の目を誤魔化すために、今は一般的な男子高校生を演じてくれていた。
 あからさまに残念そうな顔になる伊藤を確認してから、ホッとしている俺に向かって
『これでいいんだろ?』
 と言わんばかりのドヤ顔だった。
「~……」
 そこ、ドヤ顔するところでもないんだけどね。
「おーい、涼介~。お。頼斗と深雪も一緒か」
「おー。佐々木と桐原」
「久し振りだね」
 伊藤の相手もひとまず落ち着いたところで、これまた同じ中学出身の佐々木けいと桐原がくに声を掛けられた。
 この二人は伊藤とは幼稚園からの付き合いらしく、言ってしまえば幼馴染みってやつである。
 伊藤を中心にした佐々木と桐原を含む四人グループは、学校では目立つグループとして注目を集めていた。
 あと、ここに桑島あさひって奴が加わればいつもの顔ぶれなんだけど、桑島はまだ学校に来ていないのか、今は姿が見えなかった。
 ちなみに、涼介というのは伊藤の下の名前である。
「丁度いいや。お前らにも朗報だぞ」
「え?」
「朗報?」
 先程確認したクラス分けの表によると、ここにいる五人と桑島は同じクラスである。
「俺達と同じクラスになる女子の中に、めちゃくちゃ可愛い子がいるんだ」
「え⁉ マジ⁉」
 早速クラスメイトの情報を持ってきた佐々木と桐原に、伊藤が目の色を変えて飛びついていた。
 そう言えば、伊藤って現在彼女募集中なんだっけ? これから始まる高校生活で、自分と同じクラスの中に可愛い女の子がいるとわかれば、そりゃ伊藤の目の色も変わるってものか。
 かくいう俺も、佐々木や桐原の言う〈めちゃくちゃ可愛い〉がどれほどの可愛さなのかはちょっと気になる。
「マジマジ。色白で目が大きくて、顔なんかめちゃくちゃ小さくてお人形さんみたいなんだぜ」
「背もちょっと低めでさ。笑顔がまた可愛いんだわ」
「あれはヤバい」
「俺、一瞬アイドルか何かかと思ったよ」
 へー……。そんなに可愛い子が俺達と同じクラスにいるんだ。
「今、旭が速攻声掛けてんだけど、彼女ちょっと困った顔してたな」
「ありゃ振られるな。がっつき過ぎだっての」
 ははは……。まだ来ていないと思っていた桑島だけど、実際はもう学校に来ていて、入学式前から女の子をナンパしているわけだ。
 健全な高校生活を出逢いの場とでも思っているんだろうか。「がっつき過ぎ」と言われても仕方がない。
「お。噂をすれば戻ってきた」
「どうせ笑顔で追い返されたんだろう……って! ちゃっかりあの子連れて来てんじゃんっ! 何⁉ ナンパ成功なの⁉」
「ラッキー。俺も自己紹介くらいしとこ」
 え⁉ 連れて来ちゃったの⁉ その子っ!
「……………………」
 あまり女の子には免疫がないし、積極的でもない俺だけど、そんなに可愛い子なら一目見ておきたい。
 咄嗟に頼斗の後ろに隠れるようにしながら、頼斗の背中から顔だけ突き出す俺に
「何? 深雪も可愛い女には興味あんの?」
 頼斗がちょっと面白くなさそうな顔をした。
「だ……だって……。〈めちゃくちゃ可愛い〉なんて言われたら、少しは興味が湧いちゃわない?」
 別に俺がその子のことを「可愛い」と言ったわけでもないのに。俺がちょっと異性に興味を持っただけで、頼斗はあからさまなヤキモチを焼いてきた。
 たかが可愛い女の子に興味を持ったくらいでヤキモチを焼かれても……。それはそれで、頼斗が俺のことを好きなんだってことを認識させられて、恥ずかしくなっちゃう気分だよ。
「うおーっ! マジで可愛いっ! 頼斗の姉ちゃんとはまた違った可愛さっ! やべーっ!」
 既に彼女の姿を見ている佐々木や桐原は、得意気な顔で俺達の反応を眺めていたけれど、初めて彼女の姿を見た伊藤はすっかりテンションが上がってしまい、最早興奮状態だった。
 俺も頼斗の陰からこっちに向かって歩いて来る彼女の姿を控えめに確認してみたんだけれど、やや遠目から見ただけでも、彼女が物凄く可愛い顔をしていることは確認できた。
(うわー……本当に色白で小さい。可愛くてお人形さんみたいな子だなぁ……)
 なんて感心していると――。
「あっ! 深雪君っ! 深雪君だよね? 久し振り~っ!」
 俺と目が合ったその子は、顔をパッと明るくして俺に駆け寄って来た。
(えっ⁉ 誰っ⁉)
 俺は一気にパニック状態へと陥る。
「あれ? その顔は忘れちゃってるのかな? 私のこと」
「え……えっと……」
 本当に誰ーっ⁉ 俺、女の子の友達なんかいないし、こんな可愛い子なんて知らないんだけどっ!
(あれ? でも……)
 この子の顔、確かにどこかで見たことがあるような……。
 それも、チラッと一瞬見ただけとかではなく、しばらくの間、日常的に見ていた記憶があるような……。
「……あ! もしかして、翼ちゃん?」
 思い出した。この子、俺と同じ幼稚園でいつも一緒に遊んでいた小日向翼こひなたつばさちゃんだ。幼稚園時代に俺が一番仲良くしていた女の子で、俺が大好きだった女の子じゃん。
 誰にも言ったことがない、俺の初恋の相手とも言える小日向翼ちゃん――だよね?
「そうっ! 思い出してくれたんだっ! 嬉しい~っ!」
「う……うん……」
「さっきクラス分けの表の中に深雪君の名前を見つけて、どこにいるんだろう? って探してたんだよ」
「そ……そうなんだ」
「そしたら、この桑島君が〈知ってるから会わせてあげる〉って」
「へー……」
 なるほどね。それで桑島がナンパした翼ちゃんを俺達のところに連れてきたわけだ。何か俺、桑島に利用されてない?
 それにしても、こんな事ってあるんだ。幼稚園を卒業して以来、一度も会っていなかった翼ちゃんと高校が同じになるだなんて。
 翼ちゃんは幼稚園の時から物凄く可愛い子ではあったけれど、高校生に成長した翼ちゃんは、更に可愛さに磨きが掛かったような気がする。
「深雪君、幼稚園を卒業してすぐに引っ越しちゃったじゃない? だから、その後どうしているのかな? ってずっと気になっていたの。高校でまた一緒になれるなんて感動だよ」
「そ……そうだね。俺もまた翼ちゃんと同じ学校に通えて嬉しい」
 何だ何だ? この甘酸っぱい恋の予感というか、昔大好きだった女の子との再会という、恋の始まりを予感させるようなこの展開。
 ここ最近、俺の身近にいる男二人から言い寄られるという、謎の怪奇現象に見舞われている俺は、この再会が何かを変えてくれそうな予感がする。
 もしかして、ついに俺にも春がきたの? 高校生活の開始と同時に、輝かしい未来へのスタートが始まった?
「深雪君、背がだいぶ伸びたね。すっかり男の子らしくなってる」
「そういう翼ちゃんも随分女の子らしくなったよ」
「え~? そうかな~?」
 最初は頼斗の陰に隠れるようにして翼ちゃんを覗いていた俺も、相手が幼稚園時代に仲良くしていた翼ちゃんだとわかるなり、堂々としたものだった。
 そんな俺の姿に唖然としていた頼斗をはじめとする他の四人は、ハッと我に返るなり
「おい。どういうご関係だ」
 五人揃って物凄く怖い顔になると、俺を責めるような顔で聞いてきた。


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