僕らの恋愛経過記録

藤宮りつか

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Season 3

    勇気の行方(5)

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 四泊五日のロケ撮影はスケジュール通りに進み、一日一日はあっという間に過ぎていった。
 陸はロケ三日目でなんとか宿題を終わらせ、京介の方も、ようやく宿題の終わりが見えてきた四日目の夜である。
 ここでの撮影もあと一日に迫った今日、僕はある一つの決意を胸に秘めていた。
「あー……。こうして毎日律と一緒にお風呂に入れるなんて幸せ~。家では絶対一緒に入ってくれないもんね」
「当たり前でしょ。うちのお風呂は男二人で入るような広さじゃないし。そもそも、普通お風呂って一人で入るものでしょ」
「でも、司さんと悠那君は一緒に入ってるよ?」
「あそこの二人と一緒にしちゃダメだよ。よそはよそ。うちはうち」
「でもさ、たまには……」
「たまにもダメ。こういう広いお風呂なら、一緒に入ってあげるんだからいいじゃないか」
 初日は抵抗があった海との入浴タイムも、四日目になるとちょっと慣れてきた。
 もちろん、全く恥ずかしい気持ちがないわけじゃないし、できれば一緒に入りたくないって気持ちも多少はある。でも、一度は一緒に入ったことがあるし――その時は悠那さんも一緒だったけど――、海とエッチなことをするようになって以来、海に裸を見られること自体には抵抗が薄くなっているおかげもあって、思った以上に羞恥心はなかった。
 それに、そんなに広くないと聞いていたお風呂も、二人で入るには充分な広さがあったから――正直、五、六人は一緒に入っても問題ないくらいの広さだ――、お風呂が広い分、あまり気恥しさを感じることもなかった。
「明日でロケも終わっちゃうのか……。五日間なんて長いと思ってたけど、結構あっという間だったね」
「うん」
 広い浴槽の中で存分に身体を伸ばした僕は、「明日でロケも終わっちゃう」という海の言葉に、ちょっとだけ緊張が走った。
 このロケに出掛ける前、僕はある決心をしていた。それを実行する日は特に決めていなかったけど、このロケの間に勇気を出して実行に移そうと決めていた。
 初日は様子見に使い、問題がないと判断したので、二日目からは実行に移すことを考え始めたけれど、なかなか勇気が出ず、結局最後の夜を迎えてしまった。
「メンバーと五日間も離れて過ごすなんて、年末年始に帰省した時以来だね。律と一緒なのは嬉しいけど、メンバーに会えないのはちょっと寂しいよね」
「そうだね」
 いつも通りのやり取りをする中、僕の心臓はどんどん大きく脈打っていくのがわかる。
(だ……大丈夫……ちゃんと言える……)
 なんでもない顔をしながらも、心の中で強く自分に言い聞かせる。
 海の言うように、僕達がメンバーと離れて過ごす時間というのは、纏まった休みを貰った際に帰省するとか、こうしてメンバー抜きでロケに出掛ける時くらいしかない。もしくは、僕達以外のメンバーが家を空けるという逆のパターンもあるけれど、今のところ、僕達以外の三人が、一斉に家を空けるという状況になることがなかった。
 だから、メンバーの目がないチャンスというのは、今日が最後になるといえば最後になる。次にその機会が訪れるのは、いつになるかわからないから……。
「そろそろ出よう。海」
「そうだね。もう充分身体もあったまったしね」
 僕と一緒にお風呂に入れる貴重な時間が名残惜しそうではあったけど、海はどちらかと言えば長風呂ができない性格で、普段から入浴時間は短い方だった。
 それでも、僕と一緒にお風呂に入れるこの四日間は、海にとって長風呂の毎日だったと言えるんじゃないだろうか。
 幸い、この四日の間、僕と海がお風呂に入っている時間にお風呂に入りに来る人はおらず、海は僕と二人っきりの入浴タイムを堪能できたみたいだ。
 初日に先にお風呂に入った陸や京介が
『言うほど狭くないから一緒に入ろうよ』
 と、二日目の夜に誘ってきたけれど、海以外の人間に裸を見られることにはやっぱり抵抗がある僕は、何かと理由をつけて断ってしまった。
 ちょっと感じが悪いかな? と心配になったけど、二人は特に気にする様子もなく、三日目の夜からは誘ってこなくなった。
 これは後から聞いた話だけど、僕が昔から人と一緒にお風呂に入ることが苦手だという話を海から聞いた二人は、嫌な顔をするどころか酷く納得した顔になり、そこから僕達をお風呂に誘わなくなったそうだ。
 因みに
『海はいいの?』
 という陸からの質問に対し、海は
『律に耐性をつけるためのリハビリだからいいんだよ。そのうちみんなで一緒に温泉旅行しようね』
 と答えたらしい。
 勝手に旅行の約束をするな。と言いたいけど、僕が人との距離をもっと縮めることができれば、そういうことも可能になるわけで、今回のロケ先で海と一緒にお風呂に入ることは、僕にとってのリハビリになるのは間違いないのかもしれない。
 現に、この先海と一緒にお風呂に入る機会に見舞われた際、僕は躊躇うことなくそれを実行できるようになったと思う。だからって、家のお風呂まで一緒に入るつもりはないけれど。
「はぁ~……今日も疲れたね~……」
 お風呂から上がり、部屋に戻って来た海は、空調の効いた部屋のベッドの上に仰向けで倒れ込むと、両手を広げ、大きな溜息を吐いた。
 建物の外観に合わせた調度品はやや古めかしく、年季も入っているように見えるけど、それがまた落ち着くし、アンティーク好きの人には堪らない品々だと思うに違いない。僕もこういう昔っぽい家具はわりと好きだ。
 それに、年季は入っていても物はしっかりしているようで、海の大きな身体がベッドに倒れ込んでも、どっしりとしたベッドが軋む音はしなかった。
 部屋のドア、床板、天井板、各部屋を仕切っている壁板もしっかりとした厚みがあって、廊下の音や隣りの部屋の音に悩まされることもない。
 つまり、防音性には優れているということで、僕が初日に様子を窺っていたのは、この建物の防音性がどれくらいのものかという点だった。
 何故、そんなことを気にしていたのかというと……。
「ねえ、海」
「うん?」
「~……」
 ダ……ダメだ。言えない。言おうって決めてるのに、どうしても言葉が口から出てきてくれない。
「何? どうしたの?」
「ぁ……あの……あのね……」
「ん?」
 ベッドの上で正座になる僕を、身体を起こした海が不思議そうな顔で見返してくる。
 決心が揺らいでテンパり始めた僕は、この場をどう取り繕うかで頭がいっぱいになってしまい、今にも泣き出してしまいそうだ。
 数日前、お風呂上がりに陽平さんとお喋りした時は、勇気を貰った気分になっていたのに……。僕はまた、ここで振り出しに戻ってしまうんだろうか。
 あれからずっと考えているし、正直、自分でももううんざりしている。海のことが好きなのは明白なのに、海との進展についてあれこれ頭を悩ませるのは。いつまでも同じ場所に留まって、同じ考えで頭を悩ませるより、一歩先に進んでしまいたい。その結果、後悔することになったとしても、何一つ変わらない状況よりはマシだろう。
 陽平さんとの会話の後から、そんな気持ちが日増しに強くなっていった僕は、このロケに出掛ける前、ロケ中に海との関係を先に進める決心をした。
 いつもと変わらない自分を演じながらも、ロケバスに乗り込んだ時点から計画は始まっていて、逃げ出しそうになる自分を何度も鼓舞してきた……つもりだ。
 なかなか勇気の出ない僕は、何かしらのきっかけが……と、淡い期待を抱いていたりもしたけれど、四泊五日のこのロケ旅行が、今の僕にとっては他にないチャンスであり、唯一のきっかけになりうる状況だった。
 多分、僕はメンバーとの共同生活を続ける以上、家の中で海と今以上の関係を進めることはできない。どうしても家の中にある人の気配が気になって、海と一線を越えることはできないだろう。
 エッチなことはしてるのに何が違うの? と言われてしまえば答えに迷ってしまいそうだけど、ただ触れ合って気持ち良くなるのと、肉体的な繋がりを伴う快楽は僕の中では全く別物で、同一視できないものだった。
 だから、この問題にケリをつけるのは今日しかない。今日を逃してしまえば、僕はまた、同じところでグルグルと頭を悩ませることになってしまう。
 僕に足りないのは勇気だけで、それ以外の準備はとっくにできているはずなんだ。そうじゃなきゃ、海とエッチなこと自体できないだろうし、海と一緒にお風呂に入ることも、断固拒否していたに違いないんだ。
「どうしたの? 律。なんか可愛い顔して凄く困ってるみたいだけど」
 僕の様子がおかしいことに気付いた海は、自分のベッドから下り、僕のベッドに上ってきた。
 そして、膝の上で両手を握り締めたまま、身動き一つ取らない僕を、大きな腕でふんわりと包み込んできた。
「何か悩み事? 撮影中に嫌なことでもあった?」
 耳元で囁く海の声は甘く優しくて、僕の顔は耳まで真っ赤になる。
 頼りなくて子供っぽいところがまだまだある海だけど、こういう時だけは妙に大人っぽくなったり、色っぽさを出してくるから困る。
 始業式の日。夏休みの宿題を終わらせていなくて僕に怒られ、メンバーにも説教されてしょんぼりしていたのはなんだったんだ。あの時の海からは、こういう姿を想像できないっていうのに……。
「黙ってちゃわからないよ? ちゃんと口で説明してくれなきゃ。律はすぐ隠し事しようとするから、聞き出す僕の方は大変」
「うぅ……」
 隠し事をしようとしているつもりはないんだけど、臆病で口下手な僕は、何をどう言えばいいのかがわからないから、口を閉ざしてしまうことも多い。
 海もそのことはわかっているから、ここで言う“大変”は、僕を責めているわけではなく、僕をからかっているだけである。
 それがわかっていても、身に覚えのある僕は決まりが悪い。少なくとも、僕の口が重いせいで、海が苦労したことがあるのには違いがないわけだから。
「そう言えば、今日の撮影で上手く行かないところがあったから、そのことを引き摺ってるの?」
「……………………」
「でも、ちゃんとオッケー貰えたし、僕の目には上手くできてたように見えたよ?」
 様子がおかしいことには気付いても、僕の胸の内までは測れない海が見当外れなことを言ったけど、お風呂に入る前まではそれも少しあった。
 でも、「大事なのは失敗した時よりも失敗した後」という陽平さんの言葉を思い出すと、引き摺るのはやめようって気持ちになれた。
 今回がドラマ初出演になる僕は、自分の演技に百点満点をつけることは最後までできないだろうし、このドラマの仕事がきっかけになり、演技力を磨きにかけていくことになるだろう。
 だから、自分の演技に満足することができなくても、今の自分にできる精一杯を発揮できればいいと思うことにした。そう思うことで、自分の中のプレッシャーも少しは軽くなった。
 陽平さん同様、海も僕が自分に厳しい人間だと思っているようだから、僕の悩み事といえば、もっぱら仕事関係だと思っているところがあるけれど、僕だって恋の悩みくらいある。だからこそ、今も恋人の海を目の前にして、どうしていいのかがわからなくなっているんだ。
 むしろ、僕が一番困る悩みは恋愛絡みのことで、その悩みが一番解決させられない。延々と悩み続けてしまう難題でもあるから、恋の悩みがない時の方が少ないのかもしれない。
「律は完璧主義だもんね。そのぶん、僕なんかよりいろんなことですぐ悩んじゃうみたいだけど、僕の中では……」
「海っ! セックスしようっ!」
 すっかり僕が落ち込んでいると思い込んでいる海に、僕はこれまでの人生の中で一番の勇気を振り絞り、海の言葉を遮った。
「……………………」
 僕を慰めるため、優しい笑顔で微笑んでいた海は、その柔らかい笑顔のまま、まるで時が止まってしまったかのように固まった。
 そして
「……………………ん?」
 ピクッと眉毛が反応したかと思うと、その顔は笑顔のままではあるものの、物凄く困惑したものへと変わった。
「……………………」
「……………………」
 お互い向かい合ったまま、しばしの沈黙が続く。
 それは物凄く気まずい時間に感じるものの、勢い任せにとんでもないことを言ってしまった僕は、そこから続ける言葉が思いつかなかった。
 一人で勝手に焦って追い詰められたとはいえ、なんとも格好悪い展開だ。どうして僕はこういう時、もっとスマートにことを進めることができないんだろう。恋愛以外のことならば、もっと落ち着いて冷静な展開も作れるのに……。
「~……」
 沈黙が長引けば長引くほど、僕は恥ずかしさで身体中が熱くなる。多分、今の僕は頭のてっぺんから爪先まで、真っ赤な茹蛸状態に違いない。自分の発言でここまで恥ずかしがっていること自体が余計に恥ずかしい。
 やっぱり僕にこういう展開はまだ早かったんだろうか。僕に足りないのは勇気だけだと思っていたけれど、こんなに無様な姿しか見せられないのであれば、心の準備ができていなかったのかもしれない。
「えっと………………本気?」
 僕の発言を理解するまでに、熱湯を注いだカップ麺が出来上がってしまうくらいの時間を有した海は、困った笑顔のまま二、三度瞬きをしてから、急に真顔になって聞き返してきた。
 今やすっかり勢いを失ってしまっている僕だけど、一度口から出した発言を取り消すような真似はしたくなかったから、海の言葉に小さく首を縦に振った。
 物凄く格好悪い状態ではあるけれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
「……………………」
 そこでまた言葉に詰まる海は、俯く僕の顔をマジマジと見下ろし
「嘘だ~……これ、夢とかじゃないよね?」
 眩暈でも起こしそうなのか、額を抑えて天井を仰いだりする。
 自分でも唐突な展開だとは思ったけど、海の方は僕よりもっと唐突で、信じられない展開だったようだ。
 それもそのはず。今まで散々焦らし続けていた僕が、自分から海を誘うような発言をするなんて思わないよね。
「って言うか、そういうことはもっと早く言ってよ。なんで最終日の夜に言うの? 一日目に言ってくれてれば、もっと色々できたのに」
「は……?」
「せっかくの律とのお風呂タイムも無駄にしちゃったじゃん。僕、お風呂の中で律としたいこととかあったのに」
「はあ⁈」
 待ってよ。混乱してるんじゃないの? なんでいきなりいつもの海に戻っちゃうんだ。しかも、渾身の勇気を振り絞った僕に対してダメ出しまで……。
 っていうか、お風呂の中で僕としたいことってなんだ。仮に初日に海とそういう関係になっていたとしても、お風呂の中でいかがわしい行為なんて絶対しないからな。そこは断固阻止する。変な期待とかしないで欲しい。
「僕と二人っきりになった途端、なんか律がそわそわしてると思ってたけど、初めてのロケで緊張してるとか、落ち着かないとかじゃなかったんだ。心配して損しちゃった」
「損したって……そういう言い方はないんじゃないの?」
「だって……律がそんな可愛いこと考えてるなんて知らなかった僕は、どうやって律の緊張を解してあげればいいんだろうって、必死に考えてたんだよ? 初めてのドラマの仕事なうえ主演だから、そう簡単にはリラックスできないんだって思ってたし。撮影に支障が出たらいけないと思って、律に手を出すことさえ控えてたのに」
「え……ってことは……僕とエッチなことをしたいって思ってたの?」
「当たり前じゃん。せっかく二人っきりなんだから」
「……………………」
 だったら手を出してくれれば良かったのに。そしたら、僕もその流れで海との関係を進展させやすかったのに。
 僕的にも、どこかでそういう流れになるんじゃないかと期待していた部分があった。部屋の防音性が高いことはすぐにわかったし、撮影の合間に二人っきりになれるチャンスを、海が逃すはずがない……と。
 それなのに、海が全然そういう雰囲気にならないどころか、全く僕に手を出してきそうになかったから、僕もどうやって話を切り出せばいいのかわからなくなって、結局最終日の夜になるまで行動を起こせず仕舞いになってしまった。
 まさか、僕に気を遣っていたとは思わなかった。自分ではいつも通りにしているつもりだったのに、海には僕の僅かな変化を見破られていたらしい。
「それにしても、律からのお誘いはいつも唐突で突拍子がないね。初めて律とエッチなことした時も、いきなり“僕も経験しておいた方が……”って言い出すし」
「だって……それは……」
 僕とそういうことしたいって思っているわりには、海は自分から僕に手を出そうとしない。僕を想ってのことなのはわかるし、恋愛沙汰に疎い僕相手じゃ、強引になれない気持ちもわかるけど。
 もちろん、僕も海にグイグイ来られると困っちゃうし、「待つ」って言ってくれる海に、安心しきっているところはあった。
 でも、一度セックスしそうになってから五ヶ月以上経ってるのに、全くそういう流れにならないままだと、些か僕も不安になるっていうか……。海が変な勘違いをしてるんじゃないかな? って心配になってくる。エッチなことはしても、その先を促すようなことを海が全然言ってこないから、消極的な僕にうんざりし始めてるのかと思ったし。
 僕がセックスに対して並々ならぬ恐怖心を抱いているとか、海としたくないって思っていると思われるのは嫌だった。そう思うことによって、海にまでその気がなくなってしまうのも、海の僕に対する愛情が冷めてしまうようで怖くて……。だから、僕も今回行動に出ようと思ったわけで……。
 恋愛に対して積極的になれない僕が行動に出ようとすると、どうしても唐突な感じになっちゃうし、突拍子のない感じになってしまうのは仕方ない。自分から言い出すということに慣れていないから、タイミングなんてわからないし。
 正直、海とは今まで通りでいいと思っている自分がいるのは認める。でも、付き合い始めて二年以上経っても、恋人と肉体的繋がりを持ちたがらないままでいると、海のことを好きじゃないって思われそうで怖かったという気持ちもある。
 愛情表現が下手で、悠那さんにもしょっちゅう「冷めてる」って言われる僕だけど、海が好きな気持ちに嘘はないし、海が僕を大事にしてくれるのと同じように、僕も海を大事にしたいと思っている。
 海が望むものを与えてあげたいと思うし、海が喜ぶことをしてあげたいとも思う。だけど、今のままだと、僕が海に与えてあげられるものは限られているように思うし、僕達が今していることって、恋人同士じゃなくてもできそうなものばかりって感じもする。
 もちろん、エッチなことをするのは別だけど、そのエッチなことだって中途半端だから、僕の海に対する気持ちも中途半端って気分にならなくもない。
 中途半端な気持ちじゃないってことを、海に証明してあげたいって気持ちはあった。
「海は僕を大事にし過ぎちゃうから、僕が言い出さないと先に進めない気がして……」
 いつも通りの海に戻ってしまったのかと思いきや、今度は僕に触れてきた大きな手が、僕を慈しむように優しく頬を撫でるから、僕達を包む空気が一気に甘くなった気がした。
 僕に触れる海の手はいつも優しい。きっと海は自分の気持ちや欲望を押し殺して、僕を傷つけないように……って、ずっと我慢してきたんだろうな。僕が臆病だったばっかりに……。
「うん。律が大事。大事過ぎて怖くなるくらい」
 僕が海のシャツの裾をキュッと握ると、それが合図だったかのように、海の腕が再び僕をふんわりと包み込んできた。
 優しくはあるけどしっかりと……。海の腕の中に引き込まれた僕は、海の温もりを感じながら、胸が熱くなっていくのを感じていた。
「臆病なのは僕も一緒だよ。律に嫌われるのが怖くて、律に言われるまで、自分から先に進むことができなかった」
「それは、僕が嫌がる素振りとか見せちゃうからで……海がそうなるのは仕方ないっていうか……」
「でも、律から言い出してくれると安心する。律も僕のこと、ちゃんと好きでいてくれてるんだって思えるよ」
「当たり前でしょ。好きじゃなきゃ付き合ったりなんかしない」
「そっか。そうだよね」
「っ……」
 僕を抱き締めたまま嬉しそうに笑う海は、海への気持ちを疑われて面白くない僕のおでこに、チュッとキスを落としてきた。
「おでこがちょっと熱いよ? 顔も真っ赤だし。恥ずかしいの?」
「うん……」
 ただでさえ、恋人らしいことをするのは未だに恥ずかしいと思ってしまう僕だから、更に恋人らしいことを……ってなると、恥ずかしさも一入ひとしおである。
「今からそんなに恥ずかしがってたら最後までもたないよ? これからもっと恥ずかしいことするんだから」
「もう……そういうこと言うな……」
 最初に僕が言い出した時はどうなることかと思ったが、海は完全にスイッチが入ったみたいだった。
 僕を優しくベッドの上に押し倒すと、緊張で強張る僕の頭を撫でながら
「今日は気を失ったりしないでね」
 おとぎ話に出てくる王子様のように整った笑顔で笑った。



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