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番外編 モノグサ男子の恋

    モノグサ男子の恋(3)

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 一学期の間はまだ俺に気を遣っておどおどする姿が窺えた智加も、夏休みが終わる頃には俺に対しておどおどしなくなってきた。
 夏休み中に一臣や光稀も交えていっぱい遊びに行ったことで、俺との交流が益々深まったからだろう。
 でもまあ、初めて高城家の豪華すぎる別荘(プライベートビーチ付き)に招待された時は、恐れおののいてぷるぷる震えるチワワになっていたけどな。
 馬鹿みたいにデカい高城家の別荘の玄関前で、俺の服の裾を握ってぷるぷる震える智加が可愛かった。怯える智加を抱き上げて、宥めながら別荘の中に連れて入ってやろうかと思ったくらいだ。
 もちろん、そんなことはしなかったが。
 夏休み中にしっかりと交流を深め、二学期はもっと仲良くなった智加と、それまでよりも少しだけ砕けた感じの付き合いを重ねた俺は、冬休みには智加と二人で遊びに行く回数も増え、初詣にも智加と二人で行った。
 智加は寒がりなのか、冬の智加は厚着でもこもこしているのが堪らなく可愛かったものだ。
 特に白い服を着てもこもこされると――なんのつもりか、智加は真っ白なダウンジャケットを着ることが多かった――完全に雪だるまの妖精、もしくはオコジョみたいで、俺は何度智加を“転がしたい!”という衝動に駆られたことか。
 その数は両手ではとてもじゃないが収まらないくらいである。
 そして、寒い冬も終わり、もうすぐ智加と出逢って一年が経とうとしている三月のある日――。
「天馬はさ、智加のこと、どう思ってるの?」
 今日は風邪を引いて学校を休んでいる智加がいないのをいいことに、光稀からそんな質問を浴びせられた俺。
 なんだ、その質問は。
「どうって……まあ……可愛い」
 一体どういう質問をしてくるんだ? と思ったものの、質問に対する答えを素直に口にすると
「え⁈ そうなんだ。へー。天馬は智加のことを可愛いと思ってるんだ」
 光稀は一瞬驚いた顔になってから、何やら嬉しそうな顔になってにやりとした。
「そうだねぇ。確かに智加って小動物みたいで可愛いよね。でも、天馬の口から誰かの容姿を“可愛い”なんて褒める言葉が出てくるなんて意外だな」
 光稀のいるところに一臣あり。俺と光稀が話している会話の内容は当然傍にいる一臣の耳にも入るわけで、光稀の質問に答えた俺には、もれなく一臣からのコメントもついてきた。
 どうでもいいけど、なんでこの二人の顔はこんなに嬉しそうなんだ。俺が智加のことを「可愛い」と言ったことが、二人にとっては嬉しくなるような出来事なのか?
 もしかして俺、他人に対して一切なんの感情も持たない冷血漢だとでも思われているのか?
(心外だな……)
 実際、俺は自分の感情が表に出にくいだけで、感情の起伏は結構ある方だし、人並みの感情だって持ち合わせているのだが。
「それで?」
「は?」
「天馬は智加のどういうところが可愛いの?」
「はあ?」
 おいおい。その質問はまだ続くのか? 聞いてどうする。勘弁してくれ。智加のどういうところが可愛いのかを聞かれてもなぁ……。
 二人が知りたいと言うなら答えても構わないが、それを言ってしまうと、俺が智加のことをあまり自分と同じ人間だと思っていないことがバレてしまいそうだ。それは大丈夫なのだろうか。
「……………………」
 期待に満ちた目で俺を見てくる一臣と光稀に
『何を期待しているんだ』
 と突っ込みたくなる気持ちを抑え、二つ目の光稀からの質問に答えるべきかどうかで逡巡してしまう俺。
(でもまぁ……言っても問題はないだろう)
 あまり気は進まないが、この場合、言わないままでいる方が後々しつこく言及されて面倒臭いことになりそうだ。下手に智加の前で話題にされても困るしな。
 俺が智加のことを可愛いと思っていることは、できれば智加に知られたくない。理由は当然恥ずかしいからだ。
 智加の前ではいつも澄ました顔をしている俺が、実は心の中では智加を揉みくちゃにしながら愛で倒したいほどに可愛いと思っていることが智加に知られたら、ドン引きされること間違いなしだからな。
「そうだな……。智加の小さくて、白くて、ころころしてるところが可愛い」
 一臣と光稀が聞きたそうな顔をするから、智加の可愛さについて簡潔に述べた俺に対し、二人からは
「え?」
 全く同じ反応を返されてしまった。
 寸分の違いもなく全く同じ反応を返してくる二人に、俺の方が驚いてしまいそうだ。
 と言うより、その反応はなんだ。俺に智加のどういうところが可愛いと思うのかを聞いてきたのは光稀だろ。俺はその質問に素直に答えただけだぞ。
「ねぇ、一臣。智加ってそんなに太ってないよね?」
「あ……ああ。どちらかと言えば痩せてる方だと思う。小さくて白いのは事実だけど」
「じゃあ、ころころって何? 智加のどのあたりがころころしてるの?」
「さあ? 俺にはちょっと……。もしかして、天馬の前ではよく転がってるのかも。ほら、智加ってちょっと鈍臭いところがあるから」
「そういうこと?」
 顔を突き合わせてひそひそと囁き合う一臣と光稀だったが
「おい。いくらなんでも智加はそこまでドジじゃないぞ」
 その会話は一字一句漏らさず、全て俺の耳に届いていた。
 俺の前でよく転がってる智加ってなんだ。もし、それが事実だったとしたら、俺が智加を放っておけるはずがないだろ。
 智加が俺の前で実際にころころ転がっていたら、それはもう家に連れて帰って一日中転がして遊んでやりたくなるくらいの愛玩動物だ。俺は実際に智加が転がっている姿をこの目で見たいと思っているくらいだ。
 だが、実際の智加は俺の前でつまずくことはしょっちゅうあっても、転がるほどにドジではなかった。それが俺はちょっと残念である。
 いっそのこと転んで怪我でもしてくれれば、手当てを口実に智加をだっこしてみることができるかもしれないのに。
 入学式の日の朝。横断歩道に飛び出した智加の身体を引き寄せたついでに抱き締めたことがあるが、あの時腕に感じた智加の柔らかい感触は今でも覚えている。
 男らしい身体つきとは程遠い智加の身体には、きっと筋肉というものが付いていないのだろう。
 案外、俺が別に太ってもいない智加のことをころころしていると感じてしまうのは、智加の身体の柔らかさを知っているからなのかもしれない。
 あの柔らかい感触を腕に感じた瞬間、俺はマシュマロとか大福やらを連想してしまったからな。
「ああそう? じゃあ、ころころって何?」
「ん?」
「ん? じゃないよ。天馬は智加のどこを見て、ころころしてるとか言ってるの?」
「そりゃまあ……」
 うーん……実際に口で説明しろと言われると難しいものがあるな。言い方によっては悪口と捉えられかねないし。
 別段太っているわけでもない智加のことを、俺がころころしていると思う理由を、一臣と光稀にどう説明すればわかってもらえるのだろうか。
 強いて言うなら智加は顔が丸いから、そこがころころしていると言えばわかってもらえそうではあるが、智加の首から上が地面に落ちて転がってでもいない限り、ころころという表現はおかしいか。
 智加の首から上だけが地面に転がっている時点で、ころころとか呑気なことを言っている場合ではなくてホラーなんだけど。
「なんて言うか……イメージ?」
「イメージ?」
「ああ。智加って俺の目には元気な子犬みたいに見えるからな。それで智加がころころしているように見えるんだよ。ほら、子犬ってころころしてるじゃないか。だから」
 行き当たりばったりで考えた説明ではあったが――さすがにマシュマロとか大福とは言わなかった――、我ながら上手い説明だった。と思ったら――。
「何それ。天馬って馬鹿なの?」
「え?」
 何故か光稀からは辛辣な言葉を浴びせられるし
「あー……そういう意味での“可愛い”なんだ」
 一臣にはがっかりした顔をされた。
 だから、俺は光稀にされた質問に答えただけで、罵られる理由もがっかりされる理由もないはずなのだが?
 一体俺からどんな答えを期待していたんだ。
「天馬が智加のことを“可愛い”って言うから期待したのに。さすが天馬。っていうか、やっぱり天馬って感じでがっかり」
「あのなぁ……」
 そうあからさまにがっかりされても……だ。俺の方こそ「言わなきゃ良かった」という気持ちになってがっかりだぞ。
「せっかく智加にいい報告ができると思ったのに。そういう意味だってわかったら、逆に天馬が智加のことを可愛いと思ってる話なんかできないじゃん」
「智加に言うつもりだったのか⁈」
「そうだけど?」
「っ……」
 しかも、信じられないことに、俺に智加をどう思っているのかを聞いてきた光稀は、その答えを智加に伝えるつもりでいたらしい。
 それを知った俺は絶句すると同時に、光稀をがっかりさせるような返事を返して良かったとすら思った。
 だってそうだろう。もし、俺が光稀を満足させる返事を返していたら、その返事は智加の耳に入ってしまっていたわけだから。
(危ない危ない。油断も隙もあったものじゃないな)
 手放しで喜べることでもないが、とりあえず、光稀の口から俺が智加のことを可愛いと思っている話は伝わらないようだから安心した。
 その代わりと言ってはなんだが
「はぁ……まあいいや。その代わり、罰として天馬には帰りにこれを智加の家に届けに行ってもらうから」
 そう言った光稀に一枚の紙を差し出された俺は
「は?」
 罰とはなんだ? という気持ちと、何を頼まれたのかがわからなくて、きょとんとなってしまった。
 その紙は確か、今朝のホームルームで担任の先生から配られた進路希望の提出用紙では?
 ホームルームが終わった後、前方の席に座っている光稀が担任と何やら会話を交わす姿は見掛けたけれど……。
(もしかして、放課後に智加の家に行って渡すように頼まれたのか?)
 だとしたら、何故俺に渡してくる。そもそも、そんなに急を要するものだったか?
 俺の記憶が正しければ、進路希望の提出用紙は来週までに出せば良かったような気がするのだが。
 智加はたまたま今日は風邪を引いて学校を休んでいるだけで、明日になればまた元気になって登校してくると思う。明日渡すでも充分な気がするのだが。
「ちょっと待て。届けに行けと言われても、俺は智加の家になんか行ったことがないぞ」
「え。なんで?」
「なんで⁈」
 質問される意味がわからない。「なんで?」ってなんだ。なんで俺が智加の家に行ったことがある前提なんだ。俺、智加の家に行ったことがあるだなんて一言も言った記憶がないぞ。
「だって、最近は天馬と智加の二人で帰ることも多いじゃない。たまにはお互いの家に寄って帰ろうって話にはならないの?」
「生憎そんな話にはなっていない。帰りに智加と寄り道することはあっても、さすがに家までお邪魔はしないだろ」
「ちっ……」
「何故舌打ちする」
 なんなんだ。どういうことだ? 俺は智加の家に遊びに行っていなくちゃいけなかったのか? 一体なんのために?
 今日の光稀はなんだかおかしい。さっきから質問の意図も、言っていることもよくわからない。光稀は俺に何を求めているんだ。俺と智加にもっと仲良くなって欲しいのか?
 でも俺、最近やたらと一臣や光稀が俺と智加を二人きりにしようとしてくるおかげで、智加とはかなり仲良くなったと思うんだけど。
 それじゃ足りないとでも言うのか?
「天馬に期待はしていなかったけど、智加は智加で天馬を自宅に連れ込む勇気なんてないから仕方がないか」
「は? 何か言ったか?」
「なんでもないっ! いいからこれ、帰りに智加の家に届けに行ってね! ここに住所のメモも付いてるからっ!」
 不満そうに何事かを呟く光稀の言葉が聞き取れなくて聞き返してみたが、光稀はそれに答えてくれない代わりに、俺に差し出したままになっていた進路希望の提出用紙を俺の胸に押し付けてきた。
「お……おう……」
 なんだかえらく理不尽な感じがしないでもないが、そんなことをされたら、俺も用紙を受け取らないわけにはいかない。
 俺が反射的に受け取る形になってしまった進路希望の提出用紙に、光稀は
「ふんっ……」
 仏頂面で鼻を鳴らした。
 全く……何をそんなに怒っているんだよ。俺には光稀の不機嫌な理由がさっぱりわからない。



 かくして、予定外にも放課後に智加の家に寄って行くことになった俺は、用紙の左上にクリップで留められた智加の自宅住所のメモと、スマホのナビ機能を頼りに、今頃家でゆっくり休んでいるであろう智加がいる自宅を目指した。
 正直、風邪で学校を休んでいる人間の家に押し掛けるのってどうなんだ? という気持ちにもなる。
 向こうからしてみれば、体調を崩して学校を休んでいるわけだから、そっとしておいて欲しいところのように思う。
「だからって、このまま智加の家に寄らずに帰ったら、また光稀が怒りそうだよな」
 俺には全く怒られる筋合いがないにも関わらず……だ。
 そもそも、担任から用紙を受け取ったのは光稀なんだから、本来なら光稀が届けに行くのが筋だと思う。それなのに、なかば強引に……いや、完全に強引だったとしか言えない感じで俺に用紙を押し付けてきた光稀は、ちょっと勝手が過ぎるようにも思える。
「まあ……別にいいんだけどな」
 部活に入っているわけでもない俺は学校が終われば暇な身だし。風邪でダウンしている智加のことも心配ではある。俺がいきなり智加の家を訪ねたら智加はびっくりするだろうが、用紙を託されたついでに智加の見舞いでもしてやろう。
「そうなると……」
 見舞いに行くなら手ぶらもなんだから、通学路の途中にある洋菓子店でプリンとシュークリーム――高校生に優しい値段――を二つずつ買って行った。
 誰かの家に出向く際、わざわざ自分で手土産を買って持って行くのは初めてである。
 智加の家に辿り着くまでは、そんなに時間も苦労も掛からなかった。
 元々通学路の半分は一緒だからな。いつも智加と別れる場所から、智加が歩いて行く方に向かえばいいわけだ。
「お。ここか」
 いつもの分かれ道から五分ほど歩いた場所に智加の家はあった。
 メモを見た時から、部屋番号がないからマンションではなく一軒家であることは想像がついていたが、最近は一軒家でも表札を出していない家が多いから、智加の家もそうだったら困る、と心配していた。
 せっかく家の前まで来てみても、表札が出ていないとそこが智加の家だという確信が持てないからな。
 “桐生”と彫ってある表札の下にあるインターフォンを押す。
 今日は智加が風邪を引いて学校を休んでいるわけだが、智加の母親が家にいて、智加の看病でもしているのだろうか。
 もしそうだとしたら、俺は智加の家族と初めて対面することになる。それはちょっと緊張する。
「……………………」
 インターフォンを押して玄関先で待つこと数秒。インターフォンを鳴らした直後から、家の中で人が動く気配は感じていたが
「はぁーい」
 それが風邪を引いて寝込んでいるはずの智加本人だとは思わなかった。
 智加の家のインターフォンはカメラ付きだったから、まずはインターフォン越しのやり取りがあると思っていたのだが――カメラ付きじゃなくても、突然の訪問者にはまずインターフォンで対応するのが一般的である――、智加は誰が来たのかも確認しないまま、いきなり玄関のドアを開けてきた。
 しかも、パジャマ姿でおでこには冷却シートを貼った状態で。
「……………………」
 無防備にもほどがある。警戒心ゼロか。
 今回は俺だから良かったものの、この家に良くないことをしようと思っている人間だったらどうするつもりだ。
 家の中に風邪を引いて寝込んでいる人間一人だとわかったら、縛り上げられて転がされるぞ。なんのためのカメラ付きインターフォンだ。
「てっ……天馬っ⁈」
 あまりにも無警戒な智加の姿に苛つく俺に気付かない智加は、玄関先に立っている俺の姿を見るなり酷く驚いた。
 それはそうだろう。智加は玄関を開ける前、家の中にあるはずのモニターで俺の姿を確認していないわけだから。
「なっ……えっ? どうして⁈ なんで天馬がうちに⁈」
 そして、顔を真っ赤にして狼狽えながら、ドアを開けたままあたふたと慌て始める智加に、俺の苛立ちは秒で収まった。
(可愛い……)
 慌てふためき、ちょこちょこ動き回る智加の姿に萌えたからである。
「まあ、ちょっと……智加の様子を見に……な」
 無防備な姿で無警戒に玄関のドアを開けた智加には色々と言いたいこともあるのだが、すっかりテンパってしまっている状態の智加に言っても意味がないだろう。
 なので、それはひとまず置いといて、俺がここに来た理由を伝えると
「お……俺の様子をわざわざ見に来てくれたの?」
 智加は真っ赤な顔のまま、信じられないと言わんばかりの顔で俺を見上げてきた。
「ん……まあな」
 本当は光稀から智加に届け物をするように命じられたからではあるのだが、何故か光稀に
『いい? 僕が天馬に智加の家に行くように言ったことは絶対に智加に言っちゃダメだからね。進路希望の提出用紙のこともついでにするんだよ。風邪を引いて休んでる智加が心配になった天馬が、自分の意思で智加の様子を見に行ったことにしてね』
 と、何度も念を押されたから、俺は智加の家に来た本当の理由を言うことができなかった。
「そ……そうなんだ。嬉しいな」
「……………………」
 まあいいか。なんか智加が嬉しそうにしているから、本当の理由なんて言わなくても。俺が今日一日、風邪で学校を休んでいる智加のことを気にして、心配していたのは事実だし。
「あっ! 俺ってば、いつまでも天馬を玄関先に立たせっぱなしだよねっ! ごめんなさいっ! 入って入って! あんまり綺麗にしてない……わけでもないけど、どうぞっ!」
「お……おう……」
 何やらもじもじと恥じらい、ドアの影に隠れるようにして俺と話していた智加は、ここが玄関先であることを思い出すと、慌ててドアを開け放って俺を家の中に招き入れようとした。
 俺は智加の様子が窺えて、渡すものさえ渡すことができるのであれば玄関先での立ち話だけでも良かったが、俺を家の中に招き入れるつもり満々な智加を見ると、その好意を無下にすることもできない。
 智加に遅れて玄関のドアを潜ると、先に家の中に入った智加が、俺のためにスリッパを用意してくれているところだった。
「俺に構わなくても大丈夫だぞ。智加は病人なんだから、何もしなくてもいいくらいだ」
「え? で……でも……」
「気にするな。適当にするから」
 俺のためにスリッパを用意してくれた智加の頭を二回ほど撫でてやってから、俺は智加の用意してくれたスリッパを履いて家の中に上がった。
「そんなことより、具合はどうなんだ?」
「へ? あ、うん。ずっと寝てたからだいぶいいよ。熱ももう下がったみたいだし」
「そうか。それなら良かった」
 玄関を開けた時の智加はぼーっとした顔をしていて、目も虚ろだったから、あまり具合が良さそうには見えなかったが、俺を家の中に招き入れた後の智加は元気だった。
 とりあえず、風邪をこじらせて重症って感じではなさそうだから一安心だ。
「一人なのか?」
「うん。うちは共働きだから。俺ももう高校生だし、風邪もそんなに酷くないから、一人で大丈夫って言ったんだ。どうせ薬飲んで寝てるだけだし。お昼はお母さんがおうどん作っていってくれたから、俺はうどんを茹でるだけで良かったし」
「昼もちゃんと食べてるなら安心した」
「えへへ」
 俺をリビングに案内してくれた智加は、何もしなくていいと言っているのに台所へと歩いて行く。
 おそらく、俺をもてなそうとしてお茶でも淹れてくれようとしているのだろう。
 全く。言うことを聞かない可愛いわんこだな。
「こらこら。あまりうろちょろ動き回るな。言ったらお茶くらい淹れるぞ」
「ううん。いいの。俺も喉が渇いてたから、ちょうど何か飲もうって思ってたし。天馬はお客さんなんだから座ってて」
「……悪いな」
 智加の喉が渇いていたのかどうかは知らないが、智加がそう言うのであれば、俺もおとなしく座っている他にない。
 お茶くらい淹れる、とは言ってみたものの、人様の家の台所を我が物顔で使うのも気が引けるからな。
 智加も思ったより元気そうだから、ここは智加の言うことに従うことにする。
「……………………」
 それにしても、あまり人の家にお邪魔することがない俺にとって、人の家のリビングって落ち着かないな。
 智加がお茶を淹れてくれている間、することがなくて手持ち無沙汰になった俺は、リビングのソファーに座ったまま、ぐるりと室内を見渡してみた。
 俺の目が、外のインターフォンと繋がっているモニターを捉える。
「そうだ、智加」
「なあに?」
「インターフォンが鳴ったからって、相手を確認せずにすぐ玄関のドアを開けるのはやめた方がいい」
「へ?」
 モニターを見つけた瞬間、智加がいきなり玄関のドアを開けて出て来たことを思い出した俺は、お節介だとは思ったが、ここぞとばかりに智加に忠告をしておくことにした。
 今の世の中は何かと物騒だからな。智加にも防犯意識を持たせておかなくては。
 俺と智加が出逢ったきっかけも、智加が不注意にも赤信号の横断歩道に飛び出したことにある。智加はあまり防衛本能が備わっていない生き物なのかもしれない。
「突然の訪問者が善人だとは限らないだろ? 世の中物騒なんだから、そこのモニターで相手を確認してからドアを開けるようにしろ」
「あ……」
 台所に立つ智加は、最初俺に言われていることがよくわかっていない顔だったが、俺が壁に設置された訪問客用のモニターを見ていることに気が付くと
「そっか。そうだよね。俺、普段うちに来た人の対応をすることがないから、ついつい慌ててドアを開けちゃった。今度から気を付けるね」
 と、にこにこと嬉しそうな笑顔で返してきた。
 本当にわかっているのだろうか。智加にあまり警戒心がないとなると、俺としては心配だし不安になる。
(智加の安全は俺が守ってやらなくては……)
 なんて、智加に対して頗る過保護になってしまいそうである。
「はい。どうぞ」
 俺が心の中で勝手なお節介でしかない決意を固めつつある中、来客用のティーカップを二つ乗せたトレーを持った智加がリビングに戻ってきた。
 俺を家に上げてからというもの、智加は始終嬉しそうな顔である。
 智加はあまり人付き合いが得意なタイプではないから、友達が家に来ているというシチュエーションが嬉しいのかもしれない。
 智加の嬉しそうな笑顔を見ていると、智加の家に来てやって良かったと思える。
「生憎お客さんに出すようなお菓子がなくて。飲み物だけでごめんね」
 俺の前にティーカップを置いた智加が、その時だけは申し訳なさそうな顔になって言ってきたが
(どんだけ俺をちゃんともてなしたかったんだっ!)
 そんなことでしょんぼりしてしまう智加を、めちゃくちゃに撫でまわして慰めてあげたくなってしまった。
 そもそも、突然訪問してきた友達にグラスに注いだ飲み物を出すだけでも充分なのに、わざわざ来客用のティーカップで紅茶を淹れ、ティースプーンやスティックシュガー、ミルクやレモンポーションまでちゃんと用意して出してくるあたり、高校生男子としては上出来だと思う。
 俺だったら、下手するとペットボトルごと飲み物を渡しているかもしれないというのに。
「そんなことは気にしなくてもいい。というか、お菓子ならプリンとシュークリームを買ってきたぞ。食べるか?」
「え⁈」
 手土産を買ってきたのはいいが、どのタイミングで渡そうかと悩んでいた俺は、智加がお茶のお供のお菓子がないことを残念がっているこのタイミングで渡すことにした。
 別に俺が食べるためではなく、智加と智加の家族のために買ってきたプリンとシュークリームだったのだが、俺に出すお菓子がないとしょんぼりしていた智加の顔はパッと明るくなり、キラキラと目を輝かせた。
「プリンとシュークリーム⁈」
「お……おう……」
 な……なんだ? その宝石のようにキラキラと光り輝く目は。もしかして、好きなのか? プリンとシュークリームが。
「食べるっ! 天馬も一緒に食べよっ!」
「っ……そ、そうだな。じゃあ一緒に食おう」
 どうやら好きらしい。買ってきて良かった。
「俺、プリンもシュークリームも大好き。だから嬉しいなぁ」
 俺の買ってきたプリンとシュークリームにすっかり上機嫌の智加は、とても病人とは思えないテンションだった。
「おまけに天馬が買ってきてくれたプリンとシュークリームとなれば、喜びも美味しさもひとしおだよ」
 上機嫌ついでにそんなお世辞まで言って、俺と自分の前にプリンとシュークリームを一つずつ置いた。
 プリンとシュークリームのどちらも食べるつもりらしい。食欲旺盛なのはいいことだ。
 しかし、本当は智加と智加の家族にと思って買ってきたプリンとシュークリームを、俺が食べてしまってもいいものだろうか。
 以前、智加の家は両親と兄と自分の四人家族だと言っていたのを思い出したから、プリンもシュークリームも二つずつしか買ってきていない。そのプリンとシュークリームを俺と智加で一つずつ食べてしまったら、智加の家族の口には入らなくなってしまう。
(まあ……いいか)
 どのみち智加がプリンもシュークリームも食べるつもりなら、俺が買ってきた手土産は桐生家全員の口には入らない。それならば、今ここで俺と智加の二人で食べきってしまった方がいいのかもしれないよな。
 元々智加の見舞いの品として買ってきたものだし。智加の手に渡った時点で、俺の手土産を智加がどうしようと智加の自由だ。
「う~ん……どっちから食べようかなぁ~」
 自分の前に二つ並べたプリンとシュークリームにご満悦な智加は
「プリン、シュークリーム、プリン、シュー…………プリンにしよっ!」
 可愛い以外の何物でもなかった。



 それから約一時間ほど智加の家のリビングで過ごすことになってしまった俺は、光稀から託された進路希望の提出用紙を智加に渡すことを忘れなかったし、そのついでに智加と少しだけ進路について話をしたりもした。
 智加はまだ進路について明確な目標がないと言っていたが、そこは俺も似たようなものだ。
 ただ、大学には進学しようと思っているから、行きたいと思っている某有名大学の名前を挙げると、智加は不安そうな顔になって
「俺、頑張って勉強しなくちゃ……」
 と呟いていた。
 口にはしなかったが、智加もその大学に通いたいと思っているのかもしれない。明確な進路は決まっていなくても、智加も大学には進学するつもりでいるようだから。
 それ以外には、普段家で何をしているのかとか、今日はどうしていたのかとか、もうすぐ新学期でクラス替えがあるとか……。そういう話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまったという感じだった。
 時計の針が五時半を回ろうかという頃。いい加減に俺もおいとました方がいいと思い、智加にその旨を伝えようとしたら
「俺、ちょっとトイレ行ってくるね」
 俺が口を開くより先にそう言った智加は立ち上がり、スリッパを鳴らしながらリビングを出て行った。
「……………………」
 まあいい。智加が戻って来たら「そろそろ帰る」と伝えよう。
 元気そうに見える智加だが、まだ身体は本調子じゃなさそうだしな。
 その証拠に、始終嬉しそうにしている智加の顔は、始終ほんのりと赤かったりもする。
 もしかしたら、まだ少し熱があるのかもしれない。だとしたら、あまり智加に無理をさせてもいけない。
 せっかく智加の見舞いに来たのに、俺が見舞いに来たせいで智加に無理をさせ、明日も智加が学校を休むことになってしまったら目も当てられないからな。
 だが、その前に
「使った食器くらい洗っておくか」
 すっかり空になった二つのティーカップくらい洗っておこう。二人分のティーカップを洗うなんて手間でもなんでもないし。これをこのままテーブルの上に置いて帰ってしまったら、俺が帰った後で智加がこのティーカップを洗うことになってしまう。
 構わなくていいと言ったのに、わざわざちゃんとした紅茶を淹れてくれた智加に、後片付けまでさせるわけにはいかない。
 俺は上着を脱いでソファーの上に置くと、空になった二つのティーカップを持って台所へと向かった。
 そして、流しの前でシャツの袖を捲ってから、洗剤をつけたスポンジで二つのティーカップを丁寧に洗った。
 洗ったティーカップを水切りラックに伏せて置き、濡れた手をタオルで拭いていると
 ゴトンッ
 すぐ傍で何やら重そうなものが落ちる音が聞こえた。
 不審に思って顔を上げた俺は
「あ……」
 見たことがないスーツ姿の女性に、一瞬全ての動きが止まってしまった。
 床に彼女が持っていたであろう大きなカバンが落ちていることから、さっきの音は俺の姿に驚いた彼女が、思わず手にしていた鞄を床に落としてしまった音だったのだろう。
「あの……」
 今この場に智加がいないことが悔やまれるが、俺は決して怪しい者ではない。そう説明しようと思ったのだが――。
「イケメン不審者っ!」
「は⁈」
 俺が説明するより先に、彼女から不審者認定されてしまった残念な俺だった。
(不審者なのにイケメン扱い⁈)
 不審者とイケメンという言葉を同時に使われ、頭の中が混乱してしまいそうになる俺。
 智加との出逢いもかなり衝撃的ではあったが、俺は智加の母親とも、かなり衝撃的な初対面になったことを疑わなかった。


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