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二章 笠原兄弟の恋愛事情 後編 ~笠原伊織視点~

   僕とお兄ちゃんの結末(3)

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 あっという間に過ぎてしまった一週間。今日はいよいよ念願だったお兄ちゃんとの初デート当日である。
 朝御飯を食べ、仕事に出掛ける両親を見送った後、それぞれの部屋で出掛ける準備をした僕とお兄ちゃんは、準備が終わり次第、再びリビングで顔を合わせることになったんだけど――。
「……………………」
「え? 何?」
 先に支度を終えて一階のリビングで僕を待っていたお兄ちゃんは、お兄ちゃんより遅れて二階から下りて来た僕の姿を見るなり、無言で僕をガン見だった。
 結局、今日の服は学校帰りに雪ちゃんと一緒に買いに行き、お兄ちゃんとのデートのために新調したものだった。
 ちょっとでもお兄ちゃんと恋人同士に見られるように、かなり可愛い服を思いきって買ったつもりなんだけど、もしかして、お兄ちゃんはお気に召さなかったのかな?
「いや……。何かすげー可愛い格好してんな、と思って」
「そ……そう?」
「一瞬、俺に妹なんかいたっけ? って思っちまったじゃん」
「えへへ♡」
 何だ。お兄ちゃんは僕の服がお気に召さなかったわけじゃなくて、僕の服が可愛過ぎてびっくりしただけだったんだ。
 デートの服は、僕が雪ちゃんの服を深雪目線で見立ててあげて、僕の服は雪ちゃんがお兄ちゃん目線で見立ててくれたんだけど、お兄ちゃんの性格を良く知る雪ちゃんの見立ては間違っていなかったってことなのかも。
「そんな格好してると、マジで女にしか見えねーな。これなら、普通に外でもお前と手を繋いで歩けるわ」
「ほ……ほんと?」
「おう」
 やったぁぁぁーっ! お兄ちゃんとの初デートが出繋ぎデートだっ! ありがとうっ! 雪ちゃんっ!
「んじゃ行こっか」
「うんっ♡」
 初っ端からいきなりテンションの上がる展開になり、僕は夢のような気分でお兄ちゃんと一緒に家を出た。
 僕と手を繋いで歩いてくれるらしいお兄ちゃんだけど
(さすがに家の近所は無理だよね。街中に出るまで我慢我慢……)
 と思っていたら、お兄ちゃんはうちの玄関を出た直後から僕の手を握ってきてくれた。
「え⁉ いいの⁉」
 うちの両親はご近所付き合いが密だから、僕とお兄ちゃんが手を繋いでいる姿を近所の人に見られたら不味いんじゃないかと焦った。
 でも、お兄ちゃんは
「問題ねーよ。ガキの頃はよくお前と手繋いで歩いてやってたし。うちの兄弟仲がいいことはみんな知ってるじゃん。今更俺達が手を繋いで近所を歩いていたところで、〈相変わらず仲がいい〉としか思われねーよ」
 とまあ、堂々としたものだった。
 なるほど。言われてみると確かにそうだよね。僕のお兄ちゃん好きは近所でも有名だった。だから、僕とお兄ちゃんがこうして手を繋いで歩いている姿を見られたところで、ご近所さんは僕達兄弟の仲を疑ったりはしないよね。
 そもそも、兄弟で恋人同士になっているとは誰も思わないはずだもん。僕が焦る必要は全く無かった。
「最初はバスに乗るぞ」
「はぁ~い♡」
 今日のデートプランは全てお兄ちゃんが立ててくれている。
 僕はこれからどこに向かうのかがわからなかったけれど、お兄ちゃんに手を引かれて歩くだけでも、もう最高に楽しい気分だった。



 お兄ちゃんの立ててくれたデートプランは、まずバスに乗って街中に出て、二日前に公開されたばかりの映画を見ることから始まった。
 映画は僕が〈公開されたらお兄ちゃんと一緒に見に行きたい〉と思っていた作品だったから、早速僕の望みを叶えてくれたお兄ちゃんに嬉しくなった。
 映画を見終わった後はお昼を食べに行ったんだけど、いつも僕や雪ちゃんが入るようなファミレスやファーストフード店ではなく、お洒落で雰囲気のいいお店に連れて行ってもらった。
 こういうお店は初めてってわけでもなかったんだけど、お兄ちゃんが僕とのデートでこういうちゃんとしたお店を選んでくれるとは思っていなかったし、お兄ちゃんと二人だけでこういうお店に入るのも初めてだったから、物凄く新鮮な感じがした。
 やっぱりずっと彼女がいるお兄ちゃんはデート慣れしてるっていうか、こういう雰囲気のいいお店をいっぱい知っているのかも……と、感心してしまったものだ。
 言っても、お兄ちゃんはまだ高校生だから、値段的にはリーズナブルなお店ではあったけれど、世の中には安くてお洒落で美味しいお店なんていっぱいあるもんね。彼女とのデートでファミレスやファーストフード店をチョイスしたくない男子は、そういうお店を日々チェックしているものなのかもしれない。
 ただまあ
(元カノや美沙ちゃんと来たことがあるお店だったら、ちょっと嫌だな……)
 と思ってしまったけれど
「この店、この前雑誌に載ってた店だし、クラスの奴にもいいって聞いた店だから選んだんだけど、なかなかいい店だな」
 ってお兄ちゃんが言ったから、僕の心配事は一瞬で消え失せた。
 お兄ちゃんがクラスメートとデートにお勧めな場所やお店の情報を交換し合っているのも意外なんだけど、お兄ちゃんの友達にも彼女持ちは沢山いるだろうから、そういう情報交換は結構大事だったりするのかも。
「美味しかったぁ~♡ 今度雪ちゃん達にも教えてあげよ♡」
 値段のわりには味も量も申し分がなかったお店の感想を述べたら
「そうしてやりな」
 お兄ちゃんはお店から出た僕の手を再び握ってきてくれて、次の目的地へと歩き出した。
 何かもう、今日はずっと僕と手を繋いで歩いてくれるらしい。思いきって可愛い服を買って良かった。
「次はどこに行くの?」
「ん~?」
 お店を出て街中を歩くこと数分。次の目的地がわからない僕がお兄ちゃんに尋ねると、お兄ちゃんからは
「水族館」
 って返事が返ってきた。
 そう言えば、ここって街中なのに水族館があるんだった。
 前に深雪や頼斗の尾行をする雪ちゃんに付き合って行った水族館ほど大きいものじゃないけれど、今日みたいに映画を見たり、買い物をしたついでにふらりと寄れる水族館というのも、デートにはもってこいって感じだよね。
「わぁ~い♡ 水族館~♪」
「映画に水族館ってちょっとベタかもしんねーけど、お前、俺と一緒に水族館に行きたいって言ってたし。お前とは初めてのデートだから、ベタなのもアリかと思って」
「王道デート大歓迎だよ♡ 確かにベタかもしれないけど、そういうベタなデートをする方が、如何にもって感じで嬉しいもん♡」
「そっか。なら良かった」
 ぶっちゃけ、ベタだろうが何だろうが、僕はお兄ちゃんとデートできること自体がどうしようもなく嬉しいから、むしろベタなデートは本当に嬉しかった。
 今頃デートの定番とも言えるテーマパークで深雪とデート中の雪ちゃんも、きっと今の僕と同じ気持ちなんだろうな。
 綺麗なビルの中に入っている水族館にやって来ると、日曜日ということもあって結構混んでいた。
 でも、ゆっくり中を見て回れないほどに人で溢れ返っているわけでもなかったから、僕とお兄ちゃんは手を繋いだまま、どこから見ても恋人同士にしか見えない水族館デートを楽しんだ。
「見て見て♡ このフグ小さくて可愛い~♡」
「ハコフグだろ? 確かにパッと見は可愛いけど、目つきは結構鋭いよな」
「そこがまた可愛くない?」
「そうか? でもこいつ、最終的にはそれなりにデカくなるらしいぞ。このちっこいのは幼魚なんだってさ」
「え。そうなの? 僕、このフグって元々小さいフグなのかと思ってた」
 子供の頃、お父さんやお母さんも一緒に家族で水族館に来たことは何回かあった。だから、僕がこうしてお兄ちゃんと一緒に水槽を覗き込むのも初めてではないけれど、子供の頃にお兄ちゃんと頬を寄せ合って覗く水槽と、お兄ちゃんと恋人同士になってから頬を寄せ合って覗く水槽は、全く別物のように思えた。
 何て言うかもう……。
(このままお兄ちゃんのほっぺたにキスしたくなっちゃう♡)
 って感じだよね。
 別物というよりは、ただもう僕がお兄ちゃんとのデートに浮かれ過ぎちゃって、お兄ちゃんと見境の無いイチャイチャをしたがっているだけ──とも言える。
「僕、次はチンアナゴが見たい♡ ここってチンアナゴいるよね?」
「いたと思うけど」
「じゃあチンアナゴ見に行こ♡」
「おう」
 ずっと繋がれたままになっているお兄ちゃんの手を引くと、お兄ちゃんはすんなりと僕について来てくれた。
 今日一日、ずっとこうして手を引いたり、引かれたりを繰り返している僕は、このまま僕とお兄ちゃんの手がくっついてしまって、永遠に離れなくなっても構わないとすら思える。
「チンアナゴってさ、何でチンアナゴっていうんだろう。チンって何? どっからきたの?」
「確か、顔がちんって犬に似てるから、そこからきてるって聞いた」
「マジ? っていうか、お兄ちゃんって何気に魚に詳しくない? 魚博士なの?」
 ハコフグが泳ぐ水槽からチンアナゴのいる水槽にやって来た僕は、砂の中からにょきっと伸びているチンアナゴの姿に癒されながらも、お兄ちゃんの持つ魚知識に驚いていた。
 水族館はデートの定番だから、今の僕と同じような質問を歴代彼女達からも何度となくされているのかも。彼女の疑問に答えてあげるために、お兄ちゃんはどんどん魚に詳しくなっていったのかもね。
 かくいう僕も、チンアナゴの名前の由来については、元カレ達に何回か聞いたことがある。
 そんな時
『さあ? こんな格好で水の中にいる魚なんて珍しいから、珍しいの珍じゃない?』
 という回答ならまだしも
『チンコのチンじゃね? 勃ってるし』
 なんていう、「絶対に違うと思う」としか言いようのない、下品な回答を返してくる人もいた。
 でも、今回はお兄ちゃんのおかげでようやく僕の謎も解けたって感じだった。
 今後、僕が誰かにチンアナゴの名前の由来について聞くことはないだろう。
(さすがお兄ちゃん♡)
 って惚れ惚れしちゃうよね。
 チンアナゴの水槽をたっぷり眺めた後は、クラゲを見に行って、その後はカワウソやペンギンのいるコーナーに行った。
 残念ながら、僕の大好きなアザラシまではいなかったけれど、アザラシのいる水族館には、また別の機会にお兄ちゃんと一緒に行こうと思う。
「はぁ~……水族館っていいよね♡ 可愛い生き物をいっぱい見られて楽しかった♡」
「そりゃ良かった。俺も来たのは久し振りだけど、何回来ても楽しめるものだよな」
「何だかんだと歩き回ったから喉渇いちゃった」
「じゃあ、そこのカフェで何か飲む?」
「うん♡」
 そんなに大きな水族館じゃなかったけれど、全部をゆっくり見て回ると二時間近くが過ぎてしまっていた。
 最後に水族館の出口手前にあるカフェでお茶をしていくことにした僕とお兄ちゃんだったけれど……。
「あれ? 伊織?」
「え?」
 カフェに入る直前、僕はカフェから出て来る男の人に声を掛けられた。
「?」
 一瞬「誰?」ってなったけど、全く見覚えがない顔ではない。
(誰だったっけ?)
 と記憶を辿ってみた僕は、その人が一番最初に付き合っていた自分の元カレであることを思い出した。
「っ……!」
 最悪……。何でこんな時にこんなところで元カレなんかと遭遇しちゃうの?
 っていうか、こっちはどっからどう見てもデート中だって見りゃわかるはずなのに、何で声なんか掛けてくるんだよ。普通、そこは気が付いてもスルーするところじゃない?
「久し振りだね」
「う……うん。久し振り……」
 気まずい……。気まず過ぎる……。気まずいんだけど、相手の声に反応してしまった以上、無視をするわけにもいかないから、それなりに会話を交わしてしまう僕。
 急に居心地悪そうになってしまう僕に、隣りにいるお兄ちゃんは不審そうな顔になるし、元カレの斜め後ろにいた人影もひょっこりと顔を出してきて
「え~? 誰? もしかして、元カノだったりする?」
 今ここで一番言って欲しくない質問を彼に浴びせていた。
 こんなところで元カレに遭遇し、あまつさえ声を掛けられたことにもびっくりだったけれど、その元カレが一緒にいる相手が紛れもなく女の子であったことに、僕は頭を強く打たれたような衝撃を受けてしまった。


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