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一章 笠原兄弟の恋愛事情 前編 ~笠原伊澄視点~

   兄の失態(7)

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 俺が予想外にも七緒家で一晩を過ごした日の翌日。朝目を覚ました俺は、一瞬自分がどこにいるのかがすぐにはわからなかったりもした。
 まあ、初めて泊まる家だし。外泊そのものが久し振りだったからな。寝起きの俺が「ここどこ?」ってなるのも仕方がない。
 朝食は宏美さんや稔さんと一緒に食べた。
 今日は平日なので、稔さんや宏美さんは普通に仕事がある。俺達と朝食を食べ終わった後は、二人揃って仲良く仕事に出掛けて行った。
 宏美さん達を見送った後の俺達はというと、昨日と同じで勉強に勤しんでいたわけだが、昨日頼斗の家に泊まりに行ったままの深雪が気になる雪音は、やや集中力が散漫になっているように思われた。
 午後になり、一時過ぎにようやく深雪が頼斗と一緒に帰って来ると、雪音は勉強そっちのけで深雪に構うことに忙しくなった。
 これまでヤった女を全員ことごとく使い捨てにしてきた雪音を知っている俺は
(彼女になると扱いが全然違うな……)
 と、俺の知らない雪音の姿に感心すると同時に呆れる思いだった。
 まさか雪音が惚れた相手にはここまでべったりな奴だとは思わなかった。女の扱いが適当というか、いい加減で雑な雪音だったから――そのわりには何故かあまり女に恨まれることがない――、彼女ができたところで、その関係は結構淡白なものだと思っていた。
 ところが、いざ彼女ができた雪音は深雪にデレデレだし、深雪が好きで堪らないといった様子。まあ、ちゃんと彼女を大切にしているっぽいからいいんだけど。
 しかし、そうやって雪音が集中力を完全に切らせてしまったから、その後は勉強って感じじゃなくなってしまった。
 伊織も深雪達が帰って来ると勉強する気が失せてしまったようだから、今日の勉強は終了ってことにした。
 一応午前中はしっかり勉強したと思うし、集中力が切れた状態で勉強をしてもあまり意味はないからな。今日は早めに勉強を切り上げて、また明日から頑張ればいいだけの話だ。
 勉強をやめにした後の俺達は、「昨日はどうしてたの?」みたいな話になったけれど、至って健全な時間を過ごしていた俺達は特に話すようなこともなかった。
 ただ、深雪の父親がいい人であることだけは伝えておいた。
 宏美さんとは面識があるが、稔さんに会うのは昨日が初めてだったからな。深雪の知らないところで稔さんと初対面を果たした俺が、稔さんのことをどう思ったのかは深雪も気にしていると思った。
 稔さんの人柄の良さに好感を持った俺を知って、深雪の顔はホッとしていた。
 一方、深雪と頼斗の方も頼斗の家でひたすらイチャイチャしていただけなんだろうから、そんな話を雪音の前でするのは気が引けるようだった。
 当然と言えば当然だし、俺も別に聞きたいとは思わない。適当に誤魔化したりぼかしたりする微妙な会話に、あえて突っ込みも入れなかった。
 でも、隙を見て深雪と頼斗にも昨日雪音にした質問と同じ質問――つまり、「ぶっちゃけ男同士ってどうなん?」という質問はしてみた。
 まず深雪に聞いてみると、深雪からは
「思いの外に普通……っていうか、意外とすぐ慣れちゃうものなんだと思いました。二人のことを好きだって認識する前は俺もあれこれ悩んじゃったし、男同士なんて絶対に無理っ! って思ってたんだけど、いざ二人のことを好きだなって自分が認めちゃうと、常識よりもそっちの気持ちの方が大事に思えるっていうか。もちろん、周りの目とかは気になるし、雪音や頼斗の関係を人前で堂々と話すことはできないけど、俺は二人を好きになって良かったと思います」
 という、至極真面目な返事が返ってきたし、頼斗からは
「全然普通ですよ。お互いに好き合ってる気持ちは普通の恋人同士と一緒だし。男同士だからどうだってことも気にしてないです。まあ、周りからは普通じゃないって目で見られることはわかってますけどね。でも、俺は深雪が好きだし、深雪が俺のことを好きって言ってくれるのが嬉しい。だから、自分達が間違っていることをしているとは思わない」
 とまあ、相変わらず堂々とした返事が返ってきたから、俺も思わず頷いてしまっていた。
 雪音の時は雪音があまりにも軽い口調で「男同士もいいよ」みたいに話すうえ、俺と伊織のことまで話題にしてきたから俺も色々突っ込んでしまったが、雪音にしても深雪にしても頼斗にしても、それぞれ相手のことを好きだと思う気持ちが根底にある。そして、その相手を好きだと思う気持ちが自分達にとって一番大事なのだとわかった。
(恋は盲目……か)
 早い話、好きになったらその気持ちが何よりも重要で、何よりも優先するべき気持ちになってしまうという事だろうか。周りの人間にどう思われようと。
 残念ながら、俺はまだそこまで激情的に誰かを好きになったことがないから、一般常識から逸脱してしまうような恋に自分が堕ちるという想像ができなかった。
 もちろん、今現在付き合っている美沙のことは好きだし、彼女としては申し分ないと思っている。
 でも、美沙のことが好き過ぎて我を忘れることはないし、〈周りからどう思われようが、俺は美沙が好きだから関係ない〉とまでは思わない。
 そういう意味では、雪音達の方が俺よりも情熱的な恋愛をしているのではないか――と思わなくも無いが、それを羨ましいとは思えなかった。



 昨日は七緒家に一泊した俺達兄弟だったが、今日は夕方になると七緒家を後にした。
 行きはバスに乗って七緒家に遊びに行った。しかし、帰りは歩いて帰ることにした。
 本当はバスに乗って五駅の距離だったりもするんだけどな。歩いて帰れないこともないから歩いて帰ることにした。
 夕方になってもまだ日はあるし、夕方の夏の日差しというのも日中に負けないくらい暑く感じられたが、今日一日、ずっとクーラーの効いた涼しい部屋にいたからな。少しは暑い日差しを受けておいた方がいいと思った。
 どうせ家に帰ったら飯食って風呂入って寝るだけだし。
「ふふふ♡ 何だかんだとお兄ちゃんも深雪や頼斗とすっかり仲良くなっちゃって♡ 僕はそれが嬉しい♡」
 俺と並んで一緒に歩く帰り道。伊織は嬉しそうな顔で俺にそう言ってきたが、俺があの二人と急速に仲良くなっている理由は、伊織が何かと俺をあの二人に関わらせようとするからだ。
 別にそれが嫌だという気持ちは無い。深雪も頼斗もいい奴だから。
 ただ、そこには伊織の計算が含まれていることが俺はちょっと複雑だし、このままあの三人と当たり前のように付き合っていてもいいのか? という不安もある。
 伊織の計算通りにはなりたくないが、実際身近に同性カップルがいるとなぁ……。自分には一生無縁だと思っていた同性同士の恋人がどうしても身近な存在になってしまうし、そいつらの話を聞くたびに、同性間の恋愛が当たり前になってしまいそうで怖い。
 これがまだ、雪音達三人が好きで付き合っているだけならまだしも、伊織が俺のことを恋愛的な意味で好きだと言っている以上、俺としては同性カップルが当たり前の存在になって欲しくないという思いがある。
「ところでさ、昨日の夜、お兄ちゃんと雪ちゃんって何の話してたの? 時々隣りの部屋からお兄ちゃんの怒鳴り声みたいなのが聞こえてきて、僕、ずっと気になってたりするんだけど」
「う……」
 昨日、風呂から出た後の俺は寝るまでの間を雪音とずっと喋って過ごした。
 時々声を荒げる場面や、雪音に激しく突っ込むこともあったから、その時の俺の声が隣りの部屋で寝ている伊織の耳にも届いてしまっていたのだろう。
(迂闊だった……)
 すぐ隣りの部屋で伊織が寝ていることを忘れていたわけじゃないが、雪音の発言があまりにもあまりだったから、伊織の存在を一瞬忘れてしまうことも多々あったように思う。
 昨日の俺と雪音の間で交わされた会話の内容は、できることなら伊織に知られたくない――が、どうせ雪音は伊織に全部話してしまうんだろうな。伊織だって聞きたがるだろうし。
 だから、今ここでの無駄な抵抗は本当に無駄だし意味がない。俺がここでかたくなに雪音との会話の内容を伊織に教えなかったら、伊織は益々俺と雪音の間で交わされた会話の内容が気になって、何が何でも雪音から聞き出そうとするだろう。
 それが俺にもわかっているから
「何の話って言ったら、まあ……色々だよ」
「色々って?」
「だから、その……雪音の惚気話だったり、深雪とはどうなんだ? って話だよ。男同士の恋愛ってどんな感じ? って話」
 気が進まない感を全面的に押し出しながらも、大まか過ぎる雪音との会話の内容を教えてやった。
 まあ、この説明で伊織が「そうなんだ」と納得してくれるとは思わなかったが。
 案の定
「へー、そうなんだ。具体的には?」
「え」
「もっと具体的な会話の内容が知りたい♡ 雪ちゃんは男同士の恋愛はどうだって言ってたの?」
 伊織は更に詳しい会話の内容を知りたがった。
「具体的にって言われてもなぁ……。俺もそこまでちゃんと憶えてるわけじゃねーし」
「えー」
「ただまあ、雪音は俺とお前にくっついて欲しいみたいだけどな」
「え? 雪ちゃんがそう言ったの?」
「似たようなことは前にも言われた。そこは無理って言ったけど」
 だがしかし、伊織に雪音との会話の内容を詳しく知りたがられても困るだけの俺は、若干伊織を突き放すような言い方しかできなかった。
 俺の口から素っ気無い言葉が飛び出した直後、俺は自分のことを
(小さい男だなぁ……)
 と、うんざりした気持ちになってしまった。
 それは何も俺が伊織の気持ちを受け入れてやれないことを言っているわけではなくて、弟相手に思いやりのある言葉を掛けてやれない自分の余裕の無さだったり、気の利かなさをそう思うのである。
 ただでさえ、俺は今まで伊織に対して散々無神経なことをしてきているんだ。もう少し伊織を傷つけない言い方があるんじゃないかと反省する。
「むぅ……」
 俺の素っ気ない発言に伊織はちょっとだけムッとした顔になったし、拗ねたような表情も見せたが
「でも、いいもん♡ 僕がお兄ちゃんを好きって気持ちは変わらないんだから♡」
 すぐさまいつも通りの愛想のいい笑顔になると
「それにしても、やっぱり夏って暑いよね~♡ 歩きじゃなくてバスで帰った方が良かったかなぁ?」
 自分から俺に振ってきた話題を、全く別の話にガラリと変えてしまった。
 多分、俺に気を遣ってくれたんだろう。そういうところは俺より伊織の方がずっと気が利くと思う。
「ああ、そうかもな」
 当たり障りのない会話に自然な返事を返す俺だったが、心の中では
(何をやってるんだよ、俺は……)
 自分の不甲斐なさを諫めたい気持ちでいっぱいだったりもした。


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