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一章 笠原兄弟の恋愛事情 前編 ~笠原伊澄視点~
兄の苦悩(3)
しおりを挟む俺は女が好きだ。
女好きと言ってしまえば語弊があるが、男という生き物は総じて女が好きなものだ。
だから、この世の全ての男は全員もれなく女好きだと俺は思っている。極々一部の例外を除いては――だが。
男として生まれたからには女好きを恥じることはない。むしろ、女が好きでこその男だと俺は思う。
こんな事を言うと若干気持ちの悪い奴にも思えるが、普段はそんな事をわざわざ考えることがない俺でも、女の身体を堪能した後の俺は殊更「女はいい」という思いに駆られてしまったりする。
まあ、そういうところがまだガキで、彼女がいる日常に浮かれているだけなのかもしれないけどな。
「ただいまー……」
学校が終わったのは午前中だというのに、午後五時を少し回った頃に家に帰って来た俺は
「もーっ! 遅いよっ! お兄ちゃんっ! 学校は午前中に終わってるでしょ⁉ 一体どこをほっつき歩いてたのっ!」
玄関を開けるなり、ドアの内側で俺を待ち構えていたかのような伊織に、仁王立ちになって睨み付けられてしまった。
しかも、謎のエプロン姿で。
「お……おう。悪い」
伊織の勢いに負け、ついつい謝ってしまった俺だけど、果たして俺に謝る必要はあったのだろうか。
答えは多分「無い」だ。
少し前に美沙の家で美沙と恋人らしい時間を堪能したばかりの俺は、帰宅早々に伊織の顔を見るのも後ろめたいものがある。その後ろめたさもあって、思わず謝罪の言葉が出てしまったのかもしれない。
(っていうか、何で伊織がエプロンなんかつけてんだ?)
四日間のテスト期間と、その四日間に備えてしてきたテスト勉強というものに、俺も多少は疲れている。
美沙と別れた時まではまだ元気だったが、美沙の家から自宅に帰る途中の道でドッと疲れが押し寄せてきて、「家に帰ったらまずゆっくり休もう」と思っていたところだ。
それなのに、そんな俺の帰りを待ち構えていた伊織に帰宅早々怒られた。何か俺に緊急の用事でもあったのだろうか。
伊織が見慣れないエプロン姿というあたりも少し気になる。
「お前、何でエプロンなんかつけてんの?」
とりあえず、そこがやっぱり気になってしまったから聞いてみると
「わあ♡ 今の質問、前に頼斗からも全く同じ感じでされたことがあるよ♡ やっぱりお兄ちゃんと頼斗って似てるよね♡」
伊織には何故か喜ばれた。
(そこ、喜ぶところなのか?)
というより何より、何で伊織が頼斗の前でエプロン姿を披露しているのかがわからない。どういう状況になれば、伊織が頼斗の前でエプロン姿を披露する展開になるんだよ。頼斗と伊織って本当に一回キスしただけの関係か?
とまあ、俺が疑いたくなってしまう気持ちも仕方がないっちゃ仕方がない。何せ伊織の恋愛対象は男に限定されているんだから。
伊織は俺と頼斗の雰囲気が似ていると言っていたし、頼斗もなかなかのイケメンだ。俺の代替品として、伊織の中で頼斗以上の素材はいないのだろう。
だから、頼斗を一目見た瞬間、伊織は頼斗のことを即座に恋人候補に加えたのだろうが――。
(頼斗の感じからして、あいつが深雪以外の人間に揺らぐとは思えないよな……)
俺の前で深雪への想いをハッキリ口にした頼斗は、たとえ伊織からどれだけ熱烈なアプローチを掛けられたとしても靡かないだろう。
瞬間的に伊織と頼斗の仲を疑ってしまったが、それはするだけ無駄な心配であると思い直した。
個人的ではあるし、頼斗には申し訳ないと思うが、俺としては頼斗が伊織に誘惑されてくれた方が助かるんだけどな。ほんと、自分勝手な願望で申し訳ないけど。
「あれあれ? お兄ちゃんってばノリが悪いなぁ~♡ せっかくお兄ちゃんも深雪や頼斗と仲良くなったんだから、そこは何か返すところじゃない? 突っ込みを入れるとか賛同するとか。何かしらの相槌は打つところじゃない? テスト疲れで頭が働かないの?」
「……………………」
俺のことを好きだと言ってきておきながら、その後の伊織はこんな感じである。俺に告白してくる前と何ら変わらない伊織だった。
一体伊織がどういうつもりで、今何を考えているのかがさっぱりわからない。
あと、俺からの質問にも答えてくれていない。俺、伊織に「何でエプロンなんかつけてんの?」って聞いたよな?
俺の質問の仕方が過去に頼斗からされた質問と全く同じ感じだったがために話が脱線してしまったらしい。
そうかと思えば
「それとも、美沙ちゃんとイチャイチャしてお疲れなのかな?」
「ぐっ……」
俺の心を抉り、罪悪感を刺激してくるような発言をポロリとしてきやがるから、俺の口からは苦痛に耐える声が漏れてしまった。
「ま、テスト最終日のお兄ちゃんの帰りが遅くなる理由なんて、美沙ちゃんと放課後デートしていたか、美沙ちゃんの家でエッチしてたくらいしかないもんね~♡ わかってるから全っっっ然気にしてないよ、僕は♡」
「~……」
嘘吐け。その言い方は絶対気にしていただろ。「全っっっ然」ってところをこれ見よがしに強調してくるあたり、気にしていたのがバレバレだっつーの。
「そういう余計な話はいいから俺の質問に答えろよ。お前、何でエプロンなんかつけてんの? 親父や母さんは?」
伊織の口から美沙の話題を出されるのは耐えられない。だから、俺はその話題を強引に打ち切り、再度同じ質問を伊織に浴びせてやった。
すると、伊織からは
「お父さんとお母さんは町内会の集まりだよ♡ ほら、もうすぐ夏休みだし、八月には町内夏祭りとかあるじゃない? だから、今日はこの地域全体の大きな町内会があるんだよ。お父さんは町内会長さんだし、町内の集まりに参加しないわけにもいかないじゃん。お母さんもそれについて行ってる~♡」
という返事が返ってきた。
そう言えば、少し前にそんな話をうちの両親がしていた気がする。
もうすぐこの地域全体の大きな町内会があって、その日は帰りが遅くなるとか何とか……。
あまり自分には関係がない話だと思っていたから話半分にしか聞いていなかったし、すっかり忘れてもいたが
(そうか。それが今日だったのか……)
今の伊織の説明でその話を思い出した。
という事は、今伊織がエプロンをつけている理由というやつも
(まさかとは思うが、こいつ、今日の夕飯を作るつもりなんじゃ……)
ってことか?
(いやいやっ! 待てよっ! こいつ、料理なんか作ったことなくね⁉)
見たことのないエプロンをつけているところを見ると、このエプロンは母さんのものではなく伊織本人のものだとは思われるが、どうせそのエプロンだって学校の調理実習で数回使ったことがある程度のものだろう。
学校の調理実習と言えばメインは女子。基本的には女子が仕切ってテキパキと動き、男子は適当に女子の手伝いをする振りをしながらサボっているものだ。俺はそうだった。
うちの中でキッチンに立つ姿を滅多に見ない伊織は、学校の調理実習の授業なんかは
『僕、包丁怖いし触りたくないから見とく~♡』
とか言って、さり気なくどころか堂々とサボっていそうなんだけど。
(その伊織が作る料理って……。大丈夫なのか? 安全に食える?)
と思ってしまう。
確か、今日の帰りが遅くなるという話になった時、母さんは
『仕事先から直接集まりに行っちゃうから、夕飯は出前を取るか、どこかで外食でもしてきて。そのお金は渡しておくから』
と言っていた気がするんだが。
「な……なあ、伊織。まさかとは思うけど、今日の夕飯はお前が作るつもりでいるんじゃ……」
じわじわと込み上げてくる不安に耐えきれず、恐る恐るといった感じで伊織に聞いてみると、伊織は満面の笑みになって
「うんっ♡ そうだよ♡ 今日は僕がお兄ちゃんのために夕飯作ってあげる~♡」
なんて、元気な返事が返ってきた。
「~……」
マジかよ。何でそういう事になってんの? 一体どういう風の吹き回しだよ。
「だから、お母さんから預かったお金は僕が食材費として使わせて頂きました♡」
「おいーっ!」
しかも、母さんから預かったお金は既に使用済み。
(何と言う金の無駄遣いをっ!)
俺が悪いのか? 俺の帰りが遅かったが故に、伊織が俺の許可なく勝手な行動に出てしまったのか?
俺は今日、一学期の学期末試験の最終日だったが、それは伊織も同じだった。
夏休み前の煩わしい期末テストが終わった直後は伊織も開放的な気分になって、雪音とどこか遊びに行って帰って来るものだと思っていたのに。
しかも、今日は両親の帰りが遅いとわかっていたんだから、そのまま雪音の家で夕飯をご馳走になって帰って来ても良かったはずだ。
最近の伊織はわりと頻繁に七緒家にお邪魔をしているようだし、週末になると泊まりに行くこともあるくらいだからな。今日は七緒家に遊びに行く日でも良かったと思う。
かくいう俺も、今日は両親の帰りが遅いと憶えていれば、あのまま美沙の家で夕飯を食べて帰って来ればよかった。
美沙の家は両親共働きだから美沙が夕飯を作ることも多い。両親は午後七時を過ぎないと帰って来ないから、今日は昼も夜も美沙の作った飯で済ませれば良かった。
「何でそういう発想になったんだっ! お前、料理なんかできないだろっ!」
一日の最後に食う飯が不味いとか勘弁して欲しい。めちゃくちゃ美味しくなくてもいいから、せめて普通に食える飯が食いたい。母さんも何で俺じゃなくて伊織に今日の晩飯代を渡したんだ。
その苛立ちから、思わず伊織を怒鳴りつける形になってしまった俺に
「そんな事ないもん。僕、ちゃんと料理作れるもん」
伊織はケロッとした顔でそう言い返してきた。
更に
「って言っても、料理を始めたのは極々最近の話なんだけどね♡ 深雪が料理上手だって知って、僕も料理の腕を磨こうと思って♡ 最近は雪ちゃんの家にお邪魔した時、宏美さんや深雪から料理を教えてもらってるんだよ♡」
と付け加えてきたから
「へー……。そうだったのか」
俺はその意外さで逆に冷静になれた。
先日。俺がお邪魔した七緒家で出してもらった昼飯は確かに美味かった。両親が不在だったため、昼飯は深雪が作ってくれたのだが、確かに深雪の作る飯は美味かった。
(そういや、あの時も伊織はキッチンに立つ深雪の周りをうろちょろしてたな……)
俺を無視することにした手前、深雪の傍を離れたくないだけなのかと思っていたが、あれは深雪の作る料理を見て、何かの参考にしていたってことなのか。
「で、最近はようやく料理を作ることにも慣れてきたから、今日の夕飯は僕が作ってみようかなって♡ 本当はお兄ちゃんにも夕飯はどうするか聞こうと思ったんだよ? でも、お兄ちゃんがなかなか帰って来ないから、僕が作ることにしちゃった♡」
「ああ、そうか……」
やはり俺が悪かったらしい。俺がもう少し早く帰って来ていれば、伊織の勝手な行動を阻止できていたのに。
でもまあ、七緒家で料理の特訓をしているらしい伊織だから、思ったよりもまともなものが作れるのかもしれない。
伊織がどうしてうちではなく七緒家で料理の特訓をしているのかは知らないが、最近の伊織が七緒家によく足を運んでいる理由が何となくわかった気がする。
「今日も学校帰りに雪ちゃんの家に行って、深雪からレシピとコツを教えてもらってきたんだから♡ だから、楽しみにしててね♡」
「あー……うん。そうだな……」
一応、学校帰りに寄り道はしていたらしい。
その寄り道で深雪から夕飯の献立を伝授してもらっているあたり、伊織は最初から今日の夕飯を作る気満々だった気もするが。
(ま、いっか……)
どうして伊織が急に料理に興味を持ったのかは知らない。が、何事もできないよりできる方がいい。せっかく弟が頑張って料理の腕を磨いているのであれば、兄としてその成果を見てやってもいいのかもしれない。
「というわけだから、お兄ちゃんは僕が呼ぶまで自分の部屋にいてね♡ お兄ちゃんをびっくりさせたいから♡」
「お……おう。わかった」
俺が帰って来た直後は、帰りが遅い俺に腹を立てている様子だったのに。それも結局はただのパフォーマンスだったのだと知った。
にこにこしながら俺の背中を押し、俺を部屋に追いやる伊織に、俺はやはりどんな顔をしていいのかがわからなかった。
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