7 / 13
本編
5 〜 白蛇ヴァイス
しおりを挟む
ヒノモト公国の中でも秘匿された場所。
マリア枢機卿、補佐する上級神官2名。公主であるミズチしか知ることができない場所に、それはあった。
山岳の神マオと治水の女神エリスの像。
大神殿や小神殿にも設置されている像よりも精巧なそのふたつの神像は泉の中心にある小島に設置されており、周囲は木々に囲まれている。
上級神官のうち、1名をルミナ上級神官としてくれたのはマリア枢機卿の配慮だろう。
彼女はマキがこの世界に招聘されてからずっと補佐として傍にいて、常に味方であった。
無論、ヴァイスもこの場にいる。
マキに加護が授かるのを見守るのと、自身の選択を主であるエリスに伝えるために。
久々に神官服を身に着けたマキは、ゆっくりと泉に素足で踏み入れた。
湖の水深は小島が近くになるにつれ深くなっていく。
マキの身長は160cmほどだが、泉の縁と小島の間半分のところで胸元まで水が浸かった。
そこでマキがそっと両手を組んだのを見て、マリア枢機卿が祝詞を口上する。
「天におわします我らが女神、エリスよ。あなたの聖女が参られました。どうか、あなたの加護を彼女に与えたまえ」
マリア枢機卿の祝詞に呼応するかのようにエリスの神像が光り始める。
マキは目を瞑り、両手を組んで祈っている。
いつ見ても幻想的な光景だとヴァイスは思う。
エリスの神像から溢れた光はいくつもの球体となって、不規則な動きをしながらマキの体に吸い込まれていく。
やがてマキの体の周りが光り始め、泉へと光が伝わっていく。
泉が全て光に覆われると、エリスの神像がより一層光り輝いた。
ふわり、と泉の上に誰かが降り立った。
「―― 長かった。ようやく会えたな、マキ」
マキが目を開けて、見上げた。
濡烏のような美しい黒髪、夏の青空を思い起こさせるような碧眼。
ややふっくらとした体型に纏っている白い衣服は一枚布でできたドーリス式のキトン。
彼女こそ、治水の女神エリスと呼ばれる存在。
エリスが両手を下から上に持ち上げれば泉に浸かっていたマキの体がふわりと持ち上がった。
そのまま、エリスと同じように泉の上に立つと、水に浸かっていたマキの衣服がふわりと乾く。
「すまなかったな。色々と巻き込んで、怪我まで負わせてしまって…」
「い、いえ…。ヴァイスやバチス様をはじめとする皆さんに色々と助けていただいて、逆に感謝したいぐらいです」
ゆっくりとエリスに手を引かれて、マキは何度も目を瞬かせながら、水面を歩く。
そうして岸辺で待っていた皆の前にたどり着き、マキの足が陸地に着くとヴァイス以外の全員がエリスとマキに向かって跪拝していた。
ヴァイスは右手を胸にあて、軽く腰を曲げて頭を下げる。
「ヴァイス、よくやった」
「有難きお言葉です、尊き御方」
「して、決めたか?」
「はい」
ヴァイスが顔を上げる。
マキは何が何やらといった困惑した表情で、エリスとヴァイスを交互に見ていた。
ひとつ、深呼吸して。
「―― 暇をいただきたく思います」
「何の力もない、ただの白蛇になりたいと?」
「はい」
そのやり取りを聞いたマキの目が大きく見開かれる。
マリア枢機卿たちは跪拝したままだが、動揺したのが見て取れた。
「な、なん…なんでヴァイスが」
マキが狼狽えながらそう尋ねたが、ヴァイスは答えずただ左目を伏せるだけだった。
説明するつもりはない。
眷属であるにも関わらずマキを怪我させた責任を取るという姿勢を見せておけば、彼女はエリスに縋り、エリスからの返答で納得するだろう。
案の定、マキはそう勘違いしてエリスに縋る。
「エリス様、違う、違うんです!ヴァイスは悪くありません!」
「うん?」
「私を怪我させたことによってヴァイスが責任を感じてるのなら、それは違うんです!私がちゃんと、できなかったから…」
「それは前にも話したが、マキのせいでもヴァイスのせいでもない。どちらかといえば妾たち神側の責任だ」
マリア枢機卿たちの様子に思い至ったエリスは彼女らに「直って良い」と言いながら、マキと視線を合わせる。
「妾から離れるというのであれば、引き留める理由はない。すでにヴァイスは千年妾に仕えておる。十分忠義は尽くしてもらったからな、ヴァイスの希望であれば叶えてやりたい」
「で、でも…っ」
「なんだヴァイスのやつ、説明しておらなんだか。意外と意気地がないな」
笑うエリスに、マキはきょとんとした表情を浮かべる。
(意気地なしで良いのです、尊き御方)
元よりこの身は白蛇。
彼女と結ばれるなど、ありえないことだとヴァイスは思う。
本当はただの人であれば良かった。
そうすれば彼女と結ばれる道もあっただろう。
だが、ただの人であれば彼女と会うこともなかった。
本当はただの白蛇であれば良かった。
そうすれば彼女に身を焦がすような恋慕を抱くこともなかっただろう。
だが、ただの白蛇であれば大瘴気を払う手助けはできなかった。
手の届かぬところで彼女の幸せを見守るしかないのであれば、ただの白蛇として彼女の幸せをすぐ隣で見届けたい。
例え、彼女が別の誰かを愛し、子を産んだのならばヴァイスはその子も見守ってみせるつもりだ。
この生命が尽きるまで。
「ヴァイス」
「はい」
「明日のこの時間、暇を出そう。それまでにきちんと身の回りを整理せよ」
「はい」
「ではな、マキ。困ったことがあったら呼ぶといい」
そう言うないなや、エリスの姿は光に包まれ霧散した。
きらきらと、その残滓が水面に吸い込まれていく。
沈黙が続く。
沈黙の原因と自覚していたヴァイスはひとつため息を吐くと「戻ろう」と声をかけた。
その声がけにマリア枢機卿がホッとしたような表情を浮かべる。
「ヴァイス」
マキの声に、ヴァイスは振り返った。
彼女は真剣な表情だ。
「夜に時間を作って。話したいことがあるの」
この後、マキは聖女としてのお披露目があるので夜まで時間がない。
マキとヴァイスが面と向かって話せるのは今夜が最後だ。
「…わかった」
苦しいと叫ぶ心を抑え込み、ヴァイスは静かにそう答えた。
マリア枢機卿、補佐する上級神官2名。公主であるミズチしか知ることができない場所に、それはあった。
山岳の神マオと治水の女神エリスの像。
大神殿や小神殿にも設置されている像よりも精巧なそのふたつの神像は泉の中心にある小島に設置されており、周囲は木々に囲まれている。
上級神官のうち、1名をルミナ上級神官としてくれたのはマリア枢機卿の配慮だろう。
彼女はマキがこの世界に招聘されてからずっと補佐として傍にいて、常に味方であった。
無論、ヴァイスもこの場にいる。
マキに加護が授かるのを見守るのと、自身の選択を主であるエリスに伝えるために。
久々に神官服を身に着けたマキは、ゆっくりと泉に素足で踏み入れた。
湖の水深は小島が近くになるにつれ深くなっていく。
マキの身長は160cmほどだが、泉の縁と小島の間半分のところで胸元まで水が浸かった。
そこでマキがそっと両手を組んだのを見て、マリア枢機卿が祝詞を口上する。
「天におわします我らが女神、エリスよ。あなたの聖女が参られました。どうか、あなたの加護を彼女に与えたまえ」
マリア枢機卿の祝詞に呼応するかのようにエリスの神像が光り始める。
マキは目を瞑り、両手を組んで祈っている。
いつ見ても幻想的な光景だとヴァイスは思う。
エリスの神像から溢れた光はいくつもの球体となって、不規則な動きをしながらマキの体に吸い込まれていく。
やがてマキの体の周りが光り始め、泉へと光が伝わっていく。
泉が全て光に覆われると、エリスの神像がより一層光り輝いた。
ふわり、と泉の上に誰かが降り立った。
「―― 長かった。ようやく会えたな、マキ」
マキが目を開けて、見上げた。
濡烏のような美しい黒髪、夏の青空を思い起こさせるような碧眼。
ややふっくらとした体型に纏っている白い衣服は一枚布でできたドーリス式のキトン。
彼女こそ、治水の女神エリスと呼ばれる存在。
エリスが両手を下から上に持ち上げれば泉に浸かっていたマキの体がふわりと持ち上がった。
そのまま、エリスと同じように泉の上に立つと、水に浸かっていたマキの衣服がふわりと乾く。
「すまなかったな。色々と巻き込んで、怪我まで負わせてしまって…」
「い、いえ…。ヴァイスやバチス様をはじめとする皆さんに色々と助けていただいて、逆に感謝したいぐらいです」
ゆっくりとエリスに手を引かれて、マキは何度も目を瞬かせながら、水面を歩く。
そうして岸辺で待っていた皆の前にたどり着き、マキの足が陸地に着くとヴァイス以外の全員がエリスとマキに向かって跪拝していた。
ヴァイスは右手を胸にあて、軽く腰を曲げて頭を下げる。
「ヴァイス、よくやった」
「有難きお言葉です、尊き御方」
「して、決めたか?」
「はい」
ヴァイスが顔を上げる。
マキは何が何やらといった困惑した表情で、エリスとヴァイスを交互に見ていた。
ひとつ、深呼吸して。
「―― 暇をいただきたく思います」
「何の力もない、ただの白蛇になりたいと?」
「はい」
そのやり取りを聞いたマキの目が大きく見開かれる。
マリア枢機卿たちは跪拝したままだが、動揺したのが見て取れた。
「な、なん…なんでヴァイスが」
マキが狼狽えながらそう尋ねたが、ヴァイスは答えずただ左目を伏せるだけだった。
説明するつもりはない。
眷属であるにも関わらずマキを怪我させた責任を取るという姿勢を見せておけば、彼女はエリスに縋り、エリスからの返答で納得するだろう。
案の定、マキはそう勘違いしてエリスに縋る。
「エリス様、違う、違うんです!ヴァイスは悪くありません!」
「うん?」
「私を怪我させたことによってヴァイスが責任を感じてるのなら、それは違うんです!私がちゃんと、できなかったから…」
「それは前にも話したが、マキのせいでもヴァイスのせいでもない。どちらかといえば妾たち神側の責任だ」
マリア枢機卿たちの様子に思い至ったエリスは彼女らに「直って良い」と言いながら、マキと視線を合わせる。
「妾から離れるというのであれば、引き留める理由はない。すでにヴァイスは千年妾に仕えておる。十分忠義は尽くしてもらったからな、ヴァイスの希望であれば叶えてやりたい」
「で、でも…っ」
「なんだヴァイスのやつ、説明しておらなんだか。意外と意気地がないな」
笑うエリスに、マキはきょとんとした表情を浮かべる。
(意気地なしで良いのです、尊き御方)
元よりこの身は白蛇。
彼女と結ばれるなど、ありえないことだとヴァイスは思う。
本当はただの人であれば良かった。
そうすれば彼女と結ばれる道もあっただろう。
だが、ただの人であれば彼女と会うこともなかった。
本当はただの白蛇であれば良かった。
そうすれば彼女に身を焦がすような恋慕を抱くこともなかっただろう。
だが、ただの白蛇であれば大瘴気を払う手助けはできなかった。
手の届かぬところで彼女の幸せを見守るしかないのであれば、ただの白蛇として彼女の幸せをすぐ隣で見届けたい。
例え、彼女が別の誰かを愛し、子を産んだのならばヴァイスはその子も見守ってみせるつもりだ。
この生命が尽きるまで。
「ヴァイス」
「はい」
「明日のこの時間、暇を出そう。それまでにきちんと身の回りを整理せよ」
「はい」
「ではな、マキ。困ったことがあったら呼ぶといい」
そう言うないなや、エリスの姿は光に包まれ霧散した。
きらきらと、その残滓が水面に吸い込まれていく。
沈黙が続く。
沈黙の原因と自覚していたヴァイスはひとつため息を吐くと「戻ろう」と声をかけた。
その声がけにマリア枢機卿がホッとしたような表情を浮かべる。
「ヴァイス」
マキの声に、ヴァイスは振り返った。
彼女は真剣な表情だ。
「夜に時間を作って。話したいことがあるの」
この後、マキは聖女としてのお披露目があるので夜まで時間がない。
マキとヴァイスが面と向かって話せるのは今夜が最後だ。
「…わかった」
苦しいと叫ぶ心を抑え込み、ヴァイスは静かにそう答えた。
72
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説
強引に婚約破棄された最強聖女は愚かな王国に復讐をする!
悠月 風華
ファンタジー
〖神の意思〗により選ばれた聖女、ルミエール・オプスキュリテは
婚約者であったデルソーレ王国第一王子、クシオンに
『真実の愛に目覚めたから』と言われ、
強引に婚約破棄&国外追放を命じられる。
大切な母の形見を売り払い、6年間散々虐げておいて、
幸せになれるとは思うなよ……?
*ゆるゆるの設定なので、どこか辻褄が
合わないところがあると思います。
✣ノベルアップ+にて投稿しているオリジナル小説です。
✣表紙は柚唄ソラ様のpixivよりお借りしました。
https://www.pixiv.net/artworks/90902111
【完結】転生した悪役令嬢の断罪
神宮寺 あおい
恋愛
公爵令嬢エレナ・ウェルズは思い出した。
前世で楽しんでいたゲームの中の悪役令嬢に転生していることを。
このままいけば断罪後に修道院行きか国外追放かはたまた死刑か。
なぜ、婚約者がいる身でありながら浮気をした皇太子はお咎めなしなのか。
なぜ、多くの貴族子弟に言い寄り人の婚約者を奪った男爵令嬢は無罪なのか。
冤罪で罪に問われるなんて納得いかない。
悪いことをした人がその報いを受けないなんて許さない。
ならば私が断罪して差し上げましょう。
異世界転移したので、のんびり楽しみます。
ゆーふー
ファンタジー
信号無視した車に轢かれ、命を落としたことをきっかけに異世界に転移することに。異世界で長生きするために主人公が望んだのは、「のんびり過ごせる力」
主人公は神様に貰った力でのんびり平和に長生きできるのか。
最低ランクの冒険者〜胃痛案件は何度目ですぞ!?〜
恋音
ファンタジー
『目的はただ1つ、1年間でその喋り方をどうにかすること』
辺境伯令嬢である主人公はそんな手紙を持たされ実家を追放された為、冒険者にならざるを得なかった。
「人生ってクソぞーーーーーー!!!」
「嬢ちゃんうるせぇよッ!」
隣の部屋の男が相棒になるとも知らず、現状を嘆いた。
リィンという偽名を名乗った少女はへっぽこ言語を駆使し、相棒のおっさんもといライアーと共に次々襲いかかる災厄に立ち向かう。
盗賊、スタンピード、敵国のスパイ。挙句の果てに心当たりが全くないのに王族誘拐疑惑!? 世界よ、私が一体何をした!?
最低ランクと舐めてかかる敵が居れば痛い目を見る。立ちはだかる敵を薙ぎ倒し、味方から「敵に同情する」と言われながらも、でこぼこ最凶コンビは我が道を進む。
「誰かあのFランク共の脅威度を上げろッッ!」
あいつら最低ランク詐欺だ。
とは、ライバルパーティーのリーダーのお言葉だ。
────これは嘘つき達の物語
*毎日更新中*小説家になろうと重複投稿
異世界召喚されたのは、『元』勇者です
ユモア
ファンタジー
突如異世界『ルーファス』に召喚された一ノ瀬凍夜ーは、5年と言う年月を経て異世界を救った。そして、平和まで後一歩かと思ったその時、信頼していた仲間たちに裏切られ、深手を負いながらも異世界から強制的に送還された。
それから3年後、凍夜はクラスメイトから虐めを受けていた。しかし、そんな時、再度異世界に召喚された世界は、凍夜が送還されてから10年が経過した異世界『ルーファス』だった。自分を裏切った世界、裏切った仲間たちがいる世界で凍夜はどのように生きて行くのか、それは誰にも分からない。
追放された薬師でしたが、特に気にもしていません
志位斗 茂家波
ファンタジー
ある日、自身が所属していた冒険者パーティを追い出された薬師のメディ。
まぁ、どうでもいいので特に気にもせずに、会うつもりもないので別の国へ向かってしまった。
だが、密かに彼女を大事にしていた人たちの逆鱗に触れてしまったようであった‥‥‥
たまにやりたくなる短編。
ちょっと連載作品
「拾ったメイドゴーレムによって、いつの間にか色々されていた ~何このメイド、ちょっと怖い~」に登場している方が登場したりしますが、どうぞ読んでみてください。
転生発明家は異世界で魔道具師となり自由気ままに暮らす~異世界生活改革浪漫譚~
夜夢
ファンタジー
数々の発明品を世に生み出し、現代日本で大往生を迎えた主人公は神の計らいで地球とは違う異世界での第二の人生を送る事になった。
しかし、その世界は現代日本では有り得ない位文明が発達しておらず、また凶悪な魔物や犯罪者が蔓延る危険な世界であった。
そんな場所に転生した主人公はあまりの不便さに嘆き悲しみ、自らの蓄えてきた知識をどうにかこの世界でも生かせないかと孤軍奮闘する。
これは現代日本から転生した発明家の異世界改革物語である。
聖女業に飽きて喫茶店開いたんだけど、追放を言い渡されたので辺境に移り住みます!【完結】
青緑
ファンタジー
聖女が喫茶店を開くけど、追放されて辺境に移り住んだ物語と、聖女のいない王都。
———————————————
物語内のノーラとデイジーは同一人物です。
王都の小話は追記予定。
修正を入れることがあるかもしれませんが、作品・物語自体は完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる