彼が選んだ結末は

かぐら

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本編

1 〜 白蛇ヴァイス

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 悔しい、と心の奥底からヴァイスは思った。

 ヴァイスはこの世界に数多いる神々のうちの一柱、治水の女神エリスの眷属である。
 エリスの象徴は白蛇であるためか、ヴァイス自身も白蛇だ。
 だが、今のヴァイスは艷やかな鱗はボロボロに、右目には一筋の傷跡があり、赤い瞳は閉ざされていた。


 この世界は、魔素と呼ばれるものが空気に混じって当たり前のようにそこら中にある。
 魔素は体内に取り込まれると魔力に変換される。魔法を使う際に必要なものなのでそこら中にあっても問題ないのだが、一箇所に溜まると一転、問題が発生する。
 あらゆる生物を死に向かわせる瘴気と呼ばれるものに変わるのだ。

 瘴気は魔力とは異なる神聖力と呼ばれるもので払うことが可能だ。
 そのため、神聖力を持つ人間は概ね神官と呼ばれる立場になり、各国がそれぞれの神を祀る大神殿に所属する。
 そこから国内のあちこちにある神殿へと配属され、小規模な瘴気は神官が払うことになっている。

 だが神聖力を持つ者は少ない。そのため必ず見落としが発生する。
 小規模な段階で払えずその場に留まり続けた瘴気はやがて大瘴気と呼ばれるものに発展する。
 こうなると一介の神官では手に負えない。

 そこで神々は、自ら加護を与える聖者・聖女を誕生させた。
 条件は以下の4つ。

 ひとつ、加護を与える神との相性が良い者。
 ひとつ、神から与えられる加護に耐えうる素質を持つ者。
 ひとつ、健康体であること。
 ひとつ、驕らぬ者であること。

 、すべての条件に合致する者を聖者・聖女として神々は加護を与えた。
 例外事項は最後の驕らぬ者、すなわち性格云々の部分だ。
 どこを探しても、それこそ宇宙の果てまで行っても見つからない場合にのみ神は致し方なしとしてその者に加護を与えることにしている。
 ただし、例外事項なだけあって別途条件があり、神から派遣された眷属と力を合わせなければ加護の力を発動できないようになる。はるか昔「寄付したところだけ、瘴気を払ってやる」とした聖者がいたからだ。

 だからなのだろう、とヴァイスは思う。

 エリスとその夫である山岳の神マオが庇護するギルディア王国の大神殿の長であるバチス・ガムエル枢機卿は正しく理解していた。
 彼女の側でよく支えたルミナ・ジャクレー上級神官も、大神殿内の混乱を収めようとしたマクス・スカーチェ上級神官も。

(尊き御方が眷属を派遣したのは4つ目の条件のせいではない。尊き御方が加護を与えられない状況であったと、あらかじめ説明があったのに)


 ヴァイスはベッドで静かに眠る女性を見つめる。年は31、未婚。
 容姿は黒髪黒目、中肉中背の朗らかな女性。様々な髪色があるこの世界では、黒髪黒目の組み合わせは白銀の髪と同様に非常に珍しい。

 彼女は正しく、治水の女神エリスの加護を受けるに相応しい女性であった。
 ヴァイスたちが住むこの惑星世界から見て遥か遠く、宇宙の果てにある地球という惑星世界からエリスが頼み込んでわざわざ来てもらった女性。

 エリスとマオが庇護するギルディア王国で大瘴気が発生したが、この世界には二柱の聖者・聖女の条件に該当する者はいなかった。
 宇宙の果てにあるという地球にまで行ってようやくエリスの力と相性が良い、聖女となり得る女性を探し出せたのだ。
 残念ながらマオの方は該当者がいなかったようだ。

 地球にはない魔素という存在のせいでもう故郷に帰ることはできないが、彼女はそれでも了承してきてくれたのだという。
 彼女が了承して、この世界に来てくれた時点までは問題がなかったのだ。
 だがあの神のせいで彼女はエリスからの加護を得られなかった。
 マオは完全に封じられ、エリスはほとんどの力を封じられてしまい、辛うじて残っている力を使ってバチスへと神託を伝えた。
 山岳の神マオと治水の女神エリスが不調であること、そのため異例ではあるが見つかったエリスの聖女の補佐として眷属――ヴァイスを遣わしたこと。
 神官たちも民衆もそれで納得していた。それで問題なかったのだ。


「…ヴァイス?」

 不意に、声をかけられて意識を戻す。
 ベッドの上の彼女は包帯だらけで、痛々しい姿だ。
 自分で体を起こすこともままならない程で、横になったままわずかに首をこちらに向けてヴァイスを見つめている。
 ベッドサイドの上に設置されていた、ヴァイス専用のクッションから降りてマキの枕元にスルスルと寄る。

「どうした、マキ」
「ぼんやりしてたから、どうしたのかなって」
「…少し考え事をしていただけだよ」
「そっか…。あ、瘴気、どうなったかな。なにか聞いてたりする?」
「マキ。君は今、どんな状態なのか理解しているのか?まずは君自身の怪我を治すことに集中するんだ」
「でも…」
「マキ」
「……うん」

 うとうとと彼女――マキが微睡む。
 完全に寝入る様子を見届けてから、ヴァイスはベッドから降りた。
 ドアに設置されたヴァイス用に作られた出入り口を潜り抜ける。廊下には誰もいない。
 それを確認すると、ヴァイスはボンと煙を立てて姿を変えた。

 煙が晴れると、そこには白銀の短髪に赤い瞳の美丈夫が立っていた。右瞼から頬にかけて傷跡があり、右目が閉じられたまま。
 元は白蛇のヴァイスだが、女神の眷属でもあるためこのように変身することも可能だ。この姿は色々と面倒だったので白蛇の姿でずっといたのだが、今回はそうも言ってられない。

 ふつふつと腸が煮えくり返る感覚を覚えながらヴァイスは不機嫌な様子で廊下を進む。
 途中、すれ違った神官たちが見慣れないヴァイスに怪訝な表情を一瞬浮かべたが、すぐに男女問わずヴァイスの容姿に見惚れた様子を見せた。
 だがヴァイスはそんなものは無視して歩く。

 進む、進む。
 目的地は聖堂だ。
 重厚なドアを軽々と、乱暴にバンと押し開ければ、二柱の神の像の前で憔悴した様子だった老齢の男―― この国の最高神官であるバチス・ガムエル枢機卿と目を怒らせていたマクス・スカーチェ上級神官が驚いた表情を浮かべた。

 それから、群衆と、その先頭にいた女も驚いたように振り返る。


 本来であればマキが享受すべき賛辞はすべてあの女に奪われた。
 から加護を得て聖女となった女に。


「ヴァイス様」
「貴様に名を呼ぶ許しを与えた覚えはない」

 ヴァイスの地を這うほどの恐ろしい声に女は僅かに動揺を見せた。
 だが、すぐに立て直したようでにこりと微笑む。

「大瘴気はすべて払い終わりました。マキ様に危害を加えた者共はすでに処罰を受けております。マオ様、エリス様にご報告いただけないでしょうか?」
「全てご存知だ」
「左様でございますか。今後はマキ様と共にわたくしもグエルナフ様の聖女として、この国を支えてゆく所存です。国王陛下からもグエルナフ様の神像を建立する許可をいただきましたが…」

 ちらりとバチス枢機卿を女が見やる。
 だがバチス枢機卿は険しい顔で首を横に振った。

 当然だ、とヴァイスは思う。
 ここは治水の女神エリスと山岳の神マオの神殿。
 夫婦神である彼らなら同じ神殿に祀っても違和感はないが、そこにグエルナフを入れるのはおかしい。

「民も今回、わたくしに力をお与えくださったグエルナフ様もマオ様、エリス様と共に崇めたいと言っていますの。別棟でも構わないとグエルナフ様から神託にてお言葉を頂戴しております。どうか、眷属様からも枢機卿を説得いただけないでしょうか?」

(どうして僕が、あの神の擁護すると思っているのだこの女は)

 ヴァイスはグエルナフの眷属ではない。
 なりたくもないし、そうなれと命令されれば自害するほどには嫌悪している。
 怒鳴り散らしてやりたい、大蛇となって彼らを千切ってやりたい。
 そんな衝動を理性で必死に抑え、ヴァイスはエリスからの神託を、この者たちに伝えることにした。

 エリスの最後の慈悲だ。

「お前たちのするがいい。尊き御方、我が主治水の女神エリスとその夫たる山岳の神マオはを受け容れるだろう」


 ―― バチス枢機卿とマクス上級神官の顔色がさっと変わった。
 この場にいる上級神官のうち、数名も意味を理解できたようだ。

 当然、女や群衆、その他上級神官共は理解できていないようだった。
 歓喜に湧き、相談を始めた彼らを一瞥してヴァイスは踵を返した。もう神託は伝えた。あとは彼らが選択するだけだ。

 マキの部屋に戻るヴァイスの背に「ヴァイス様!」と声が届き、ヴァイスは足を止めて振り返った。
 ヴァイスの名を呼ぶことを許したのはごくわずか、その許したうちのひとり、マクス上級神官が駆け寄ってくる。
 バチス枢機卿は、急ぎ王家に連絡を取っているところだろう。

「マキ様をどちらへ護送すれば良いでしょうか」
「この大神殿にある転移陣を使う。共に来たい者がいれば来ても良いとすでに尊き御方から使用許可が下りている」
「承知いたしました」

 マクス上級神官は頷くと、バタバタと駆けていった。
 普段、神官の見本となる立場の彼がああも慌てた様子で動き回るのはこれが最初で最後だろうと思いながら、ヴァイスは止めていた歩みを再開した。
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