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第5話

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 高校生になっても僕たちの関係は変わらなかった。
  
 彼女は他の進学校、または僕も詳しくは知らないが、音楽系の高校や海外も視野に入れてもいい成績であった。

 ピアノも勉学も優れている彼女だ。
 僕とは違い、彼女の選択肢は多い。

 しかしながら、彼女は何故か、僕と同じ地域内の公立高校に進学した。

 彼女はその事で母と揉めたらしいが、彼女曰く、遠い高校に通うのが面倒くさいらしい。

 僕と同じだなと言えば、彼女は笑っていた。
  
 高校に進学し、放課後の演奏会を開く教室もなく、僕と彼女の接点はなくなったように思えた。

 しかし、僕らはまた週に何度か会っている。彼女の家や、吹奏楽部が使わない日は音楽室に時間を見つけて集まっていたのだ。
  
 いつからか、彼女の音は色味を増し、妖艶な色気を醸し出していた。それは、彼女の容姿と比例するように。
 小学校の頃から、可愛いとか、人形みたいだと周りに言われていたが、最近ではそこに美人、麗人だと付くようになった。
  
 長く艶のある黒い髪が腰まで伸び、くびれが出て、顔つきも大人びていた。

 僕はずっと一緒にいるのであまり、その変化に気が付かなかったが、高校に入ると先輩、同学年、関係なく持て囃されていた。
  
 僕は今日も、放課後、彼女の家に向かった。

 彼女から今日は母がいないから来てもいいとのことである。僕はどうやら彼女の母に嫌われているようだ。
 まぁ、年頃の男が自分の娘の家に入り浸ることを危惧する気持ちは分からないでもない。
  
「遅かったね………じゃあ、先に部屋に行っておいて」
  
 僕はいつも通り、二階の彼女の部屋に向かう。

 彼女の部屋には余計なものは何一つない。ピアノの楽譜だったり、教則本を置く棚に、学習机、椅子、ベッド以上だ。

 その他、ゲームやら、テレビの娯楽の類は一切置いていない。それは厳格な彼女の母の所為か、それともその母を知って娘が配慮した結果、出来上がった部屋なのか。

 僕はいつも通り、フローリングの床にそのまま座る。
 彼女が一階でピアノを弾いている音が聴こえてくる。僕はその音を聴きながら、宿題をしたり、余った時間で小説を読む。

 最近になって、彼女は自分時間で練習をして、キリの良いところで部屋に戻っては僕と雑談をして、また練習に戻っていく。
  
 それほどまでに、高校生になるとピアノのコンクールはむつかしく、苛烈を極めたものへとなるのかもしれない。まぁ、よくは知らないが。
  
「あ、終わったけど………どっか行かない?」
  
 気が付けば、彼女がドアを開けて、こちらを見ていた。
  
「ああ。小説に夢中になっていた。何?どこ行くの?」
  
「んーとじゃあ、駅前のデパートとか?」
  
 彼女は楽しそうに、タンスからジャンパーを羽織って、こちらに笑いかける。

 スカートから黒いタイツを纏った、彼女のすらりとした長い足が伸びており、煽情的に見えて、目を背ける。
 それにしても、彼女は何を着ていても、モデルのように似合っているなと感心してしまう。

 クラスの人間が今の私服の彼女を見れば、興奮するのではないかと下世話なことを考えながら、僕も小説を閉じ、出かける準備をする。
 その時、ふと気になった言葉が口から出た。
  
「あれ………コンクール近いんじゃないの?」
  
「………別に大丈夫。ほら行こう」
  
 彼女は逡巡し、目を泳がせると、努めて笑いかけ、僕の手を取った。
 僕は彼女の言葉に従って、そのまま家を出た。
  
  
  
 デパートの中にある、喫茶店で彼女と珈琲を啜りながら、雑談をしているが、それでは、喫茶店か彼女の家かという違いでしかない。

 別に外出する必要はなかったのでは?と問うと、彼女は「私の家では暖かいコーヒーを淹れないと出てこないわ。今度から私が貴方に給士のように珈琲を出せばいい?」と宣うので、僕は口を噤んだ。
  
 彼女はデパートに来ても、ブティックを見たり、ゲームセンターに行ってUFОキャッチャーをしたり、カラオケ、ボーリングなど、高校生らしいことを避けていた。
  
 服を買っても、母の気に入らないものは捨てられるし、高校生らしい遊びに興味もないと言っていたが、その実、どう思っているのかは分からない。
 彼女の肚の中ということだ。
  
 珈琲を飲んで、一段落といったように彼女が大きなため息をつく。
 僕は彼女を見る。

 デパートに入っても、大抵の男は彼女の容姿に惹かれ、目で追っていた。そんな彼女とこの公衆の面前で羽を伸ばして、遊ぶというのも何とも居心地が悪い気がする。

 しかし、彼女は天邪鬼なところがあり、本当は高校生らしい遊びに惹かれている側面があるのではないかと、僕は結局、彼女を誘うことにした。
  
「デパートの中にカラオケあるよね?クラスの子が話していたよ。リニューアルされて大きくなったとかなんとか」
  
 その話をした時、彼女の小さな耳がピクリと動いた気がした。
  
「ああ。四階にあるわね。機種が増えて、部屋も増えたそうよ」
  
 彼女は自慢げに言い放つ。行ったことがないと言っていたから、携帯で調べたのだろう。
 なんだ。やっぱり興味津々じゃないか。
  
「もしよければ行ってみない?僕はそういうところに行く機会もなかったから行ってみたいんだ」
  
 僕がそう言えば、彼女は少し、こちらを訝し気に見て、すぐに「しょうがないな」と芝居がかったため息を一つ零した。
  
 カラオケ店にはそう人はおらず、すぐに入れた。

 駅前にはもう一つ、店舗型のカラオケ屋があるが、皆、そちらに行くようで、こちらのデパート内のカラオケはもしかしたら、あまり人気がないのかもしれない。

 待ち時間はなく、すぐに受付へと向かう。
 僕と彼女は初めてのカラオケ店ということもあり、恐る恐る店内に入り、ぎこちなく受付を済ませ、カラオケルームに入った。

 彼女は緊張した面持ちで、部屋内にあったパッドを触っており、マイクを取ろうとはしなかった。

 このまま彼女を待っていれば、一曲も歌わず、店を出ることになりそうだ。僕はマイクを取ると、彼女に渡した。
 とすると、彼女はそれを受け取らず、僕を無視し、顔を赤くしてパッドを弄っている。
  
 どうやら、彼女は初めに歌うのが恥ずかしいらしい。
 なんだ、存外、可愛いところもあるじゃないかと僕はマイクをもう一つ取り、適当な流行りの曲を歌う。
 そうして、それに彼女も続いた。

 生き生きと歌う彼女を見て、やはり誘って良かったなとこちらまで気分が高揚する。
  
 一曲歌い出せば、後は簡単だ。彼女も好きな洋楽を入れたり、僕も好きな曲を入れて、二人で二時間はアッと言う間に過ぎ去っていった。

  
 そうして、ゲームセンターに向かった。

 特に用事があるわけではない。
 また、僕はガチャガチャと煩い場所は嫌いだ。目も耳も疲れる場所だなというのが第一印象だ。
 しかし、彼女が気にしていたので、僕が入りたいという体(てい)で入ることにした。
  
 彼女が色んな機体を楽しそうに見ているのに付き合う。

 彼女も初めは「やけに煩いところ……目もチカチカするし」と嫌がっていたが、シューティングゲームやら、レースゲームをやらせたら、元来の勝気な性格からか、僕に勝つごとに大いに喜んでいた。
  
 そうして、放課後を満喫し、疲れた果てに僕らは駅近くのデパートから一駅離れた、浜辺に来ていた。

 もう外は暗く、時計は七時を回っていた。

 彼女は、最後は静かなところが良いと言ったので、僕がこの浜辺を提案したのだ。

 僕は夜の海を眺めているのが好きだったので、最後の場所は本当に来たかった所だ。
  
 夜の海は何も見えず、ただ微かな波の音だけが漂う。潮の香りが鼻孔をくすぐり、黒一色に安心する。

 黒い海の先には、小さな船の灯火が見えた。また、隣町の光が漏れており、薄い光のベールがそのあたり一帯を包んでいた。
 浜辺に彼女と腰かけ、海を一望する。
  
「なんで夜の海なんて来ようと思ったの?」
  
「今日は行ったことのない場所を巡っていたから………最後にはって」
  
「そっか………一義。本当はああいう賑やかな場所、苦手でしょ?」
  
「そんなことは………いや。あるな」
  
 彼女の瞳はいつものようなギラついた勝気な瞳ではなく、優しそうな、表面がしっとりと濡れているように見えた。
 だから、僕は最後まで嘘を隠し通せなかったのだ。
  
「うん………ありがとう。楽しかった。良い息抜きになった」
  
 彼女はそう言うと、僕の肩をトントンと叩いた。
 そうして、寒いと言ってその手を僕の肩に置き、そのまま頭を預けた。

 僕は一瞬、心臓が跳ねた気がしたが、冷静に努めた。そうして、彼女が瞳を閉じたのが分かった。
  
「夜の海は何か怖いけど、ワクワクする。広い海の存在を分かっていながら、視認できないからかなぁ」
  
 僕の他愛のない言葉に彼女は答える。
  
「多分、暗いところに飲み込まれていく感覚があるからよ。だから、自分がいなくなったような気になれるから………だから安心するの」
  
 それはいつもの彼女らしくない言葉であった。しかし、彼女自身、逃げたい衝動に駆られることもあるのだろうか?

 僕は何かに熱心に打ち込んだこともなければ、何かに挫折したこともない。むしろ、何かに挫折しないために何もしないのかもしれない。
  
 僕が首をかしげて、彼女を見ると、彼女も僕を見ていた。

 後、数センチで顔が当たる距離にいる。
 波の音だけが耳に入る。耳当たりの良い音である。先ほどまでのデパート内とは全く違う、静かで、しかし激しい。

 暑く、心拍数も上がり、彼女の濡れた瞳から目が離せない。
  
 上気した頬が赤く染まっている気がする。周りが暗くて見えないのに、濡れた彼女の二つの瞳だけは、空に浮かんだ月のように、美しく魅せられる。
 そうして薄く光を持った唇に目を惹かれる。

 彼女が瞳を閉じた。
 しかし僕は彼女の頭に手を置き、言葉を吐く。
  
「疲れた?」
  
 彼女は瞬きを繰り返し、空気を濾したような薄い笑い声を出した。
 そして、立ち上がると、身体を伸ばして、「うん。今日は楽しかった」と今日一日を締めくくった。
  
 そうして、僕たちは夜の海を後にした。
  

  
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