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イケメンがモテすぎてオタクに目覚めたら
しおりを挟む第0話
頭上の古びた蛍光灯のカチカチという点滅の雑音が一定のリズムを保ち、病院の待合室に響く。 その音に比例して、髙屋の貧乏ゆすりは続く。
彼の綺麗な二重の瞳が鬱陶し気に、蛍光灯をねめつけた。
そうして、彼は深くため息をつくと、意味もなく腕時計を一瞥する。 憂鬱そうな面持ちで、病院の受付を見つめても、この腹の奥にある痛みが引くわけでもなし。彼は、苛立ちも、憂鬱も腹に溜めこみすぎたわけである。
「46番、46番の方」
受付の人の声が聞こえてくると、髙屋はこれまた鬱陶し気に立ち上がると、低く鼻にかかった声が返事をする。 その際、周りの女性、また男性までも彼の方へ振り返る。
その端整な顔立ちに、モデルか、はたまた俳優かと訝しむ彼らを、髙屋は歯牙にもかけず、悠然と受付へと歩きだす。
そうして、医者の診察が始まる。
「君、若いのにねぇ。これはね、単なる胃腸炎ですよ。髙屋さんが言うようなものではありません」
若者。それは携帯を一度手に取れば、何時間でもその精密機器とにらめっこするもの。髙屋は頭に浮かんだ症状を片っ端から検索し、該当する病名を医者に確認していた。
髙屋の当たった医者は良い人であったのであろう、馬鹿な検索エンジンの虜となった若者の誤解を、解きほぐすように詳しく説明してくれた。
彼は安堵の息を吐くと、ストレス性のものであるとの医者の回答に、眉間に皺が川の字に寄る。
「こんな美形に、そんなフウに睨まれるとおじさんテレちゃうなぁ。でも、そんな顔だと、常人には分からないストレスでもあるのかねぇ」
老齢の医者のやけに優し気な声に、髙屋はこれまた眉間の皺が深まり、そうしてそれを指でほぐす。
「それで、どうしたら治まりますか?」
「数日で治まりますよ。お薬を処方しておきましょう。それでも、ストレスの元を断たないとねぇ」
「だから、それです。ストレスを完全に取り払う薬なんてないでしょ?」
「それは。そうです………まぁ、よくある現代病の一種ですわ」
なんとも抽象的な回答に、髙屋は「はぁ。わかりました」と生返事をして、診察室を後にした。
髙屋 総太郎は、稀にみるイケメンである。美人、麗人。普段、女性に使われる言葉も彼には当てはまる。 そうして、その顔に、似合わぬ性格難でもある。
なんとも言えぬ二枚目のこの男。つまりは少し残念なのである。
第一話
「あの……髙屋先輩!私と付き合ってください!」
何度、聞かされたか分からぬ告白の言葉を、髙屋は丁寧にお断りする。
放課後の、夕日がやけに目にしみる。
というか、それで告白してきた女子の顔もぼやけて見える。 そうして、残念そうな顔をしたであろう女子に背を向けて、一仕事終えた顔つきで髙屋は歩き出した。
とすると、すぐに周りから別の女子たちが姿を現し、告白した女子に駆け寄っていく様が視界の端に見える。 この光景は、我が学校内では一種の恒例行事となっていた。
学校一のイケメンに記念受験ならぬ記念告白である。
何度も見たことのある光景であった。 いや。一人で来る女子の方が少なかった。
そうして、また憂鬱な面持ちで帰路に就く。今日の晩飯のことを考えながら。
髙屋 総太郎。 この高校に通う人間なら、誰もが知っている有名人である。
高校に入学して二年に進級したのが二カ月前。
それまでに複数回、告白を受け、同級生、先輩、後輩問わず、告られてきたが、すべて断ってきた。髙屋は告白されてきた数は10回から数えるのを辞めた。
好きとかどうとかよく分からんし、そもそも呼び出してきた奴のことはもっと分からん。 素性の分からん人間に好かれても迷惑であるが、それを表に出せば、生活に支障をきたす。 だから告白を受けても、やんわり断ってきたのだ。
また、告白してきた人間に、何故告白してきたのかと動機を問うても、答えはイケメンであったり、イケメンだから、イケメンと聞き飽きたことを何度、聞かされてきたことか。
それだけが断っている理由というわけでもないが………。
中学の時に、仲の良かったグループ内の子と付き合ったこともあるが、付き合っているという心地のないまま、別れた。浮遊感でとでも言うのか、ラピュ〇である。
それはそうだ。そもそも特別に仲が良かったわけでもなし。また相手の女性が髙屋の顔のみを愛していたわけである。
かくして告白に成功した彼女一号は髙屋の顔を手に入れたと、まるで宝石か高級ブランド品のように周りに触れ回った。
そうして、別れれば、グループ内の別の女子に目をつけられ、また告白され断れば、その子を好きだったグループ内の別の男子に牙をむかれる。 面倒なことこの上ない。
女性関係は総じて、面倒なことこの上ない。 髙屋の短い人生経験の中で、それだけは断言できた。
男子は髙谷を利用しようと近づいてくる。
意中の子と近づくために、髙谷をつかうことは当然ながら近道ではある。しかし、総じてその誰かの意中の子は髙谷を好きになった。
高校入学当初は、クラスで目立つ連中に近場のファミリーレストランに連行され、次の日からはもう友達だと公言されていた。
自称友達ののっぽと茶髪と眉薄めの三人の名前を正確に確認できたのは、出会って一か月後のことであった。
外堀を全て埋められた気がした。 サッカー部のエースに、軽音楽部のイケメン等、幅広い人間が帰宅部の髙屋の周りを固め、その取り巻き女子みたいな連中も合わさった陽キャグループに髙屋は籍を置いていることとなる。
大勢でキャッキャッと騒げば楽しい。 とはいかず、ただ沈痛な面持ちでいれば、そんな顔も素敵だとか宣った女子生徒は、次の日には告白してきた。
たまったものではないと髙屋は、徐々に女子に対し淡泊な対応になっていく。 しかしながら、人は彼を放っておくはない。 光あるところに虫は集まるのだ。
中学の時も、帰宅部なのに陽キャグループに気が付けば入っており、連れ回された。
それは自身の自主性のなさも起因しているような気もするが。
小学生の時、少し体が弱かった髙屋は、よく保健室に通っていた。 しかし、保健室の女性の教師は意味もなく髙屋の服を剥ぎ、身体をべたべたと触ってきたため、それ以降、保健室には行かなかった。
気持ちが悪いので、保健室に行ったのに、そこではより気持ち悪い思いをした。そんな不条理に小学生の精神では耐えられなかったのか、腹の調子はそのころから悪かった。
中学の時、家からの帰り道、中年の男に追い回されたこともある。髙屋の顔を見た瞬間、追いかけてきたのだ。
そうして、高校に入ると、電車通学の際に、逆痴漢にあったりもした。局部に違和感を覚え、顔を上げてみれば、こちらに微笑むOLに恐怖し、それ以降、電車の時間をズラして乗るため早起きを強いられていた。
高校一年の時には、女子の先輩から、急に呼び出され、文字通り襲われたこともあった。二人がかりで襲われるとは思わず、髙屋も気を抜いていたのだ。 それから三度襲われたが、難無く逃れることができた。
思えば、このころから女性対して嫌悪感が芽生えていた。
そうして、現在に至る。
そんな日々の中で、一週間近く、学校を休んだ。
そうして、腹痛から病院に行けば、ストレスだと言われた。どうしろと言うのか。
髙屋はまた痛みがじんわりと下から這い上がってくるのを感じ、ため息を漏らす。 腹痛と、体の怠さからの1週間の自主休校。 そうして、親がそろそろ行けというので、再び通学し始めた。距離を置けば、自分の存在など皆、忘れていると淡い期待もしていた。
しかし、何も変わりはしなかった。 戻ってきた髙屋を、陽キャ連中は温かく迎いいれ、前と同じく女子に告白される日々へと帰っていった。
休みの期間、髙谷は現実逃避にテレビをぼーっと観る時間が増えた。 若干、不眠の為に深夜もテレビを見続ける日々は少しずつ変化を見せる。
それは、初めは馬鹿にしていたアニメであった。
最近のアニメはストーリーも凝ってるなあと見ていれば、次を見たくなり、サブスクを登録。 また違うアニメもオススメに入り、見てしまう。
腹痛は徐々に消えて、しかしまた暇になれば嫌なことを思い出すので、次の作品を血眼で探す。 かくして一週間の休息は、単に髙屋をオタクにしただけであった。
「あ、髙屋君。今日もほんと綺麗。女子よりも綺麗な顔で、あの声だし。もう反則でしょ?あんなのと一緒のクラスだと他の男子なんて目に入らないよ」
「うんうん。やっぱり目の保養っての?必要よね。まぁ私たちは見てるだけで幸せっていうか」
クラスの女子たちは目を爛々と輝かせて、教室に入ってきた髙屋を見て騒ぐ。もう、この教室ではいつもの光景である。
男子はその光景になんの反応も示さない。髙屋の容姿を目の当たりにし、嫉妬する気すら失せてしまい、この光景にも慣れてきたのだ。
髙屋の後ろから、さらに数名の生徒が続く。 男子、女子がともに数名。その中でも、一人の女子生徒が入ってくると、次に教室の男子たちが色めき立つ。
「おお。三嶋さん。いつ見ても美しい。ほんとにマジで、あんなthe清楚みたいな女子いるんだなぁ」
「ほんとにな。黒髪清楚ロングなんて、ドラマの中だけだと思ってぜ。付き合いてーなぁ!!」
確かに、容姿だけ見れば、この女はthe清楚といっても過言ではない。 艶のある濡れ烏色の髪に、切れ長の双眸、高い鼻梁、血色の良い唇は白磁のような肌に艶かしく映る。 出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる絵にかいたようなモデル体型に、男子は下心を、女子は羨望の眼差しを向ける。
そう。容姿だけを見るならば、髙屋も彼らと一緒になって喜んでいただろうが、
「あ、見てみて、髙屋くん。また男子が私を見て欲情してるよ。ほんと、気持ち悪い」
三嶋は心底、気持ち悪いといった歪んだ表情で侮蔑の言葉を吐く。
それは、彼らには届かない、抑えられた声量であるが、髙屋はそんな彼女に適当に相槌を打つ。
髙屋は話題を変えようと、三嶋に天気の話題でも振っておく。 外国のドラマでもあるまい、そんな興味のない話を振っても三嶋は応えてくれるが、髙屋はもう話すのも億劫だと、欠伸を一つ。
それを見て、女子がまた騒いでいる声が聞こえてくる。
「やっぱり……髙屋君と三嶋さんって付き合ってるのかな」
「やっぱりそうだよね。あんなお似合いの二人ってなかなかいないよ。イケメンと美女なんて、もう出き過ぎでしょ」
女子たちの勝手な言いように、髙屋は顔を顰めて、携帯を見る。 隣で、三嶋が「お似合いだって。髙屋くん、照れてる?」とかなんとか言っているが、髙屋は今日放送されるアニメシリーズの情報を追うので精一杯である。
そう。この男、悩みに苦しみ、現実世界から逃げる方法を模索し、アニメ(非現実)に希望を見出したのだ。
そうして、いろいろな非現実な青春に触れて、今は空から魔女っ娘降ってこないかなとか、そろそろ魔力が目覚めてなどなど………中学生オタクが陥る病気に今になって苛まれているわけである。
「ん?なんだって?」
「もう。バカ。なんでもない」
三嶋はフグのように、頬を膨らませて、こちらを睨んでくる。 普通の男子ならば秒で陥落しているであろう膨れ面の美女、もといフグ女。
髙屋はそれを見て、同じように頬を膨らませて睨み返そうとするも、すぐにそれはキモイと客観視し、ため息に消えていく。
この伝家の宝刀「ん?なんだって?」もアニメから得たテクニックだったので、あながち一週間の休息も無意味ではなかったのかもしれない。
そして、一週間の休息から髙屋はある行動に出る。 そう。 安息の場を求めて、放課後、自称親友たちである彼らの誘いを振り切り、とある場所へと向かった。
思えば、これが初めて彼が自発的に行動したことであった。
「文芸部」 そう書かれた掛札に夕日が指し、風に揺れている。
そう。ここは文芸部。 主に、読書、物書きをする部活である。
自分にこれほどあっている部活もあるまいと髙屋は興奮気味に部室のドアをノックする。 この男、最近になってライトノベルの楽しさに気が付き、自分は本のおもしろさに気が付いたと喜び勇んで、一般文学に挑み敗北したわけである。
結局、ラノベ、漫画だけを愛読するライトオタクが出来上がってしまった。
ドアの奥では、物音がして髙屋は息を飲む。
すると、中から「はーい」と部員であろう女性の声が聞こえてくる。 ノックはしたが本当に人がいるとは思っておらず、髙屋は返事をするのも忘れてしまう。
我が校の文化系の部活は数多くあれど、文芸部は部活紹介にも現れず、部員を聞いても誰も知らないらしい。
そんな部活であるから、女子の声が聞こえてくるとは思わなかった。 髙谷は女子の声に一瞬、眉間に皺が寄る。
髙屋がドアを開けて入っていくと、女子生徒の息を飲む音がこちらまで聞こえてきた。 部室は狭く、本棚が二つに、小さな勉強机が二つに、椅子が二つ。 棚には髙谷の好きなライトノベルから一般文芸、教科書等、数多くの本が並んでいた。 そこにはショートボブに、黒い眼鏡をした150cmに満たないであろう小柄な女性が驚いた表情でこちらを見ていた。
「えっと、なにか御用でしょうか?」
少し頬を赤く染めながらも、一歩引いたような控えめな声が聞こえてくる。
「入部希望で来ました」
「え?………入部希望?………えっとなんで文芸部に?」
「本が好きだからです」
「あ、そうですか。えっとうちは特に、面白みのある部活ではないですし、たまり場にするには狭い部室ですが」
と彼女は、4畳ほどの、物置部屋のような部室を見渡す。 彼女が言外に髙屋の入部を拒んでいるのが分かる。がしかし、こんなことでくじけてはいけない。
いつもいつも帰宅部を理由に、女子やら、自称仲間たちに毎日呼び出されているわけだが、今後は、部活を理由に断れる。 そして、好きにラノベが読めるならば、ここに入部しない理由はない。
「気にしませんが」
「えっと………気にしてほしいです……。えっと、うちは部員も私一人で、放課後に本を読むだけです。そんな部活です………」
彼女は伏し目がちにこちらを見て、尻すぼみしていく声。 それに相反するような溌剌とした声が部室に響く。
「最高です」
「えっと……顧問も校内で偏屈教師と名高い数学の竹内先生です。部室も、部活棟の一番端っこで幽霊部です」
「めっちゃ良いです」
「えっと………えっと」
「俺が入ると、何か問題がありますか?」
「えっと………入部届は?」
「もちろん。あります」
「………あ。はい」
眼鏡越しに見える彼女の粒らな瞳が困ったように揺れている。というか困っていた。口元もプルプルと震えている。 怯えながらも、観念したように髙屋の入部届を受け取る。
彼女はため息と共に、椅子に座ると、嫌そうにこちらを見て、「えっと。ようこそ文芸部へ」と小さく呟いた。 何故だか、髙谷の眉間の皺は消えていた。
第二話 (部長目線)
「部長。先週のやつ見ましたか」
彼の低くも、艶のある、鼻にかかった声が聞こえる。
私が適当に本が読みたくて作った部活である文芸部に先日、入部生が現れた。
こんな部活に人が来ることはないと思っていた。それも髙屋くんが来るのは本当に予想外である。
学校一のイケメンであり、モテ男であるところの髙屋 総太郎を私が知ったのは、この高校の入学式であった。 並み居る生徒の中で、その端整な顔立ちと、身長180cm以上に小顔というモデルのような体躯に女子も、男子も彼に注目していた。
それに対し彼は、どこ吹く風と言ったように何食わぬ顔で颯爽と廊下を闊歩する。
私は、高校に入ったらこんな綺麗な人がいるんだ。高校ってすごいなとアホな感想を浮かばせて、その次には大好きな小説の新刊のことを考えていた。
私は彼とは別のクラスになったものの、うちのクラスでも彼の噂は今でも絶えず、教室の話題に上がる。
やれ、歩く姿がモデルウォークのようであったとか、窓際の席で太陽の光に顔を顰めるその姿がドラマのようであっただのと。
しかし、おかしなことに彼自身の性格や、人間性に関する噂は全く聞いたことがない。優しいそうとか、頭が良さそうとか上っ面の、不確かなものしか私の耳には入ってこなかった。
雲の上の人。王子様。フィクションの人。と思っていた。
そんな彼が私と今、目の前で嬉々としてアニメ話に花を咲かせている。 この事実に私は、狐に化かされたような気分で彼のその大きな双眸に目をやる。
「はい。良かったです」
「やはり、今回はあのキャラのシーンで涙が止まりませんでしたね。本当に感動ものでした」
彼は楽しそうに、破顔させてこちらに居直る。 やめてほしい。 そんな笑顔を、恋愛経験ゼロの私に向けてこないでほしい。
この笑顔で今までいったい何人の女子を仕留めてきたのか。いや、知っている。 同じ学年の女子では足らず、後輩から先輩まで、毎週、告白されているという噂を。
罪作りな人である。
私は、目線をそらすために窓から指す日の光を気にしているふりをする。火照る頬を冷ますために頬に手をやると深く頷く。
「そうですね。あのシーンは私も家で見て号泣してしまいました。あのクオリティーで終わりまでいってほしいです」
「ええ。本当にそう思います」
そういうと彼は、スッと静かに立ち上がり、窓のカーテンを閉じた。 そうして何事もなかったようにこちらにまた、笑顔を向ける。
だから、やめてほしい。 そういう、モテるテクニックみたいなものをこんな地味な私に、ためらいなく披露しないでほしい。
というか、貴方はこんなところにいないで、同じクラスの超絶美女の三嶋さんとよろしくやっていてほしい。
そこで私はふと思い出した。
そうだ。 最近、同じクラスのギャルに髙屋君と三嶋さんの仲について聞いて来いと脅されていたのだ。
彼の動向は学校のコミュニティで当たり前のように共有されている。
それこそ、天気の話と同様レベルで話されるわけであり、彼が文芸部を出入りしていることはもう周知の事実ということである。
あのギャルもまた、髙屋君の美貌に心を犯されてしまったのである。
「時に、髙屋君は同じクラスの三嶋さんとお付き合いされているのでしょうか?」
「え?三嶋?……なんで?」
彼の先ほどまでの笑顔は鳴りを潜め、こちらに酷く冷めた瞳を向ける。いや、そういう顔で見られるとこちらは全くマゾッ気がなくとも、変なものに目覚めそうになる。やめてほしいと苦笑いで向かえる。
「いえ。クラスの噂で聞きまして」
「そう………気になりますか?」
不適に笑う彼。 それに私は、目を合わせていられなくなり、上気する顔を冷ますようにペットボトルに手を伸ばす。 そうして、暑いと額に持って行く。
「えっと……では気になります」
「それは………どうして?」
「………野次馬根性ですかね?」
愛想笑いで隠そうとするも、彼の「じゃあ。教えてあげません」と蠱惑的な笑みに、こちらはさらに心拍数が上がるのを感じる。 だからやめろと言っている。
そうして、彼は部室にあるラノベを読む。 いつも通り、静謐な空間に彼と私は読書に勤しむ。 足を組んで椅子に座り、本をめくる指。活字を追う視線。そういった所作一つとっても艶かしくも綺麗に映る。
はてさて。これはおかしい。
こんな人間と何故に私は一緒の空間にいるのか。 未だ狐に化かされたような面持ちで、ため息を一つ。
「どうしました?」
彼が本を机に置くと、こちらを見ていた。私は視線を逸らして、ためらいがちに問う。
「えっと、どうしてこんな部活に未だ来続けているんですか?もう一か月ですよ」
「不思議ですか?」
「だから聞いてます」
私が不思議そうに尋ねると、髙屋君は少し思案すると、こちらに微笑む。
「いや、普通に楽しいからです」
「で、でもうちはそんなアクティブな部活でもないですし、綺麗な部員も陽キャの人もいませんよ。そろそろ飽きてきたのではと………本を読んでいるだけですし」
「それがいいんですよ。誰かの誘いを断る理由にもなって、好きなラノベを読める空間。それに部長は俺に、オタクの先駆者としていろいろなアニメを教えてくれる。これほど良い空間はありません」
「は、はぁ。まぁ……私も、教えたアニメをすぐに見てくれる髙屋君と感想を言い合うのは楽しいですけど。久々に見返してみたくもなりますし」
「そうなら………良かったです」
髙屋君はなぜか、少し照れたように笑った。それは、恋愛ゲームのスチルみたいで、こちらはなぜか得した気になる。
「あの羽の名を忘れない。通称、あの羽もよかったです。教えてもらった日に、全話観てしまいました。あの一話を初めて見た時の、これは神作品であると予兆させるゾクリとしたあの感じは忘れられないですね」
「ああ。記憶なくせないかな」
「え?」
「ううん。記憶なくして、また初めて名作を観たあの感じを味わいたいなって」
「はは。それでいうと俺は今迄、観てこなかったのも得な気がしていいですね」
髙屋くんは、私のオタク丸出しな反応にも、優しく笑ってくれる。そこに、ただ惹かれる自分は、たぶん、ほかの子と同じで髙屋君の熱に浮かされている哀れな女子の一人だろう。 しかし、こんな時間もいつまでもつかわからない。
髙屋君がアニメにも、ラノベにも飽きたら、こんな部室のことは忘れてしまうだろう。 そんなことを考えると、ふと一人になった時のこの部室の光景が頭をよぎった。本のページをめくる音だけが鳴り、私は一人、本の世界に没入する。 それは幸せだけど、いまよりも味気ないものであるに違いない。
第三話
「いい加減、なんの部活か教えてよ」
「そうだよ。総太郎。教えてくれてもいいじゃん」
三嶋たちの姦しい声に、髙屋は苦笑いで「ええ。嫌だけど」と答えると、三嶋が作ったような困り眉で「けちっ。意味わかんない」と悪態を吐く。
それを見ているクラスメートは、また美男美女カップルが痴話喧嘩していると、ドラマを鑑賞するように、うっとりとした視線を送る。
髙屋は、今日も今日とて、ラノベやらアニメの情報を頭で反芻していた。 そこに割って入る、活気のある声が一つ。
「てか。そろそろ遊ぼうぜ」
「は?」
「最近、全然遊んでくれねぇじゃんか。たまには遊ぼうぜ」
その男は、名を真田という。 サッカー部のエースもとい、クラスの人気者。陽キャの陽を一手に引き受ける者。と言えるだろう。 顔は読者モデルにいそうな感じである。笑いかけてくる彼に、髙屋は苦笑いで、「部活あるんで」と短く答える。
「じゃあ、待ってるから。な?」
とさらに詰め寄る真田。そんなやり取りを五回ほどして、髙屋もその日は折れてしまった。
そうして、気が付けば、カラオケにおり、周りには他校の女子。他校の女子。右を向いても、左を向いても女子であった。
どうやら髙屋をダシに、真田、また軽音楽部の一谷が結託し、開いた合コンに連れてこられていた。
髙屋は、癇に障る高音使いの女と、チャラい発情女に挟まれながらポテトを食べる機械となっていた。
そうして、右から「髙屋くん、歌ってよ」と言われれば、神妙な顔で「緊張するなぁ」と言い。左から「髙屋くん、抜け出さない?」と言われれば、これまた「緊張するなぁ」と言う。
真田は、この高音の使い手が気に入ったようで、「また、髙屋がモテてんなぁ。やっぱり顔かよ?」とテンション高めに使い手ににじり寄る。
「だってこんなイケメンそうそういないじゃない?」 とうっとりとした顔で髙屋を見やる女を、髙屋は「緊張するなぁ」と言いポテトを一口。
と、その時、発情女がブレザーを脱ぎ捨て、髙屋に寄り掛かる。コロンなのか、香水なのか匂いに顔をしかめて、天井を仰ぎ見る。
「横顔もきれいだね」
うるせぇよと髙屋は、カラオケのパッドを操作しながら曲を見る。プリキュ〇でも歌ってやろうかとしかめっ面で、流行りの曲を入れる。
その時、今まで存在を忘れていた向かいに座る女がこちらに「この曲知ってる。髙屋くん趣味良いね」と上から目線の物言いで髙屋に笑いかける。
それから、いかにこのバンドがすごいのかと話しだした。 知らんがな。
髙屋はただ単に、CMで流れていた曲を歌っていただけである。ほとんどサビまでしか知らなかったが、なぜか真田が「この曲、俺も好きなんだ!」と躍り出てきた。
そのおかげか、途中からマイクを真田に預けることに成功した。
その間も、ご高説は続いた。 私もバンドをやってるとか、ベースやってるとか知らないし、どうでもよい。
右の方だけ伸びた前髪。左は不自然に短い。 アシンメトリー。通称アシメというらしい。 散髪の途中で美容師が突然死んだのであろう。
それに、猫っぽい目に、おちょぼ口が動き、気怠そうな声を発する。
その顔は、なんだか不自然で、聞いていて気持ちの良いものではない。
髙屋は、先に用事があると言い、そろそろお暇しようかしらと席を立つ。 正直な話し、この部屋で知らない女子と話すたびに腹痛が蘇ってきていたのである。 三嶋達と話す時でさえ、小さなストレスを抱えていたのに、知らぬ女子など話にならない。
ズキズキと痛む頭と腹。 真田達からは、「盛り下がるなぁ……そんな大事な用事かよ?」と野次が飛ぶ。
その様子にアシメが意味ありげな視線を送ってくる。 俺は適当に作った用事を真田に告げて、その場を後にした。
無論、用事などはない。
真っ直ぐ家に帰りアニメを観るためだ。 このストレスを散らすのだ。 また早く部長と同じくらいのアニメ知識を得なければならない。
…ん? ……いや、なんでただアニメやラノベというコンテンツが好きで享受していたというのに、部長のことを考えたのだろう。
それに、部長の顔を思い出すとストレスは徐々になくなっていくような気がする。 苦手である女子のはずなのに。 彼女には嫌悪感はない。
何故だろう? そんな疑問が頭に浮かぶ中、それを不自然に感じながらも髙屋はカラオケ屋を後にした。
第四話
カラオケ騒動から1週間。 アシメの娘からはときたま連絡が来るが、それは、軽音楽部の一谷が髙屋の連絡先をダシに彼女と連絡交換をしたからである。
のちに彼から謝罪の連絡が入っていた。髙屋はアシメとのやり取りは非常に淡白であり、平気で3日は通知を無視したりしていた。
無論、故意ではなく、単純に彼女に興味がないのである。
ファーストインプレッションでアシメだの、講釈たれ娘だのと言おうと、その中身は未知数。連絡を取り合えば、はたまた彼女の中身を知れば、良い部分も見えてくるかもしれない。 しかし、髙屋総一郎にそんな余裕はなかった。 それは、件の部長とアニメ等で頭がいっぱいであるからだ。
「部長は新刊読みましたか?」
いつもと同じ、月曜日の放課後。部長と二人、部室に籠ってラノベを読みながら、彼女との歓談。
彼女と知り合って1カ月になろうか。
それが日常と化していた。
小動物のように小さな体躯にきょろきょろと動く目。あどけない表情。部長はオールウェイズ、俺に最高の癒しを与えてくれると髙屋は今日も上機嫌である。
「えっと……まだ読んでないです。どうでした?」
「めっちゃ良かったですよ!とくにあの主人公と」
「ちょっと待ってください!髙屋君!ネタバレは万死に値しますよ」
むっとした膨れ面で部長が髙屋をにらむ。それを見て、髙屋はやはり癒されるなと感じ、自然と破顔してしまう。
部長はそんな髙屋を見て、これまた少し上気した顔で目線をそらす。
「そういえば、髙屋くん。この間、言っていた行きたくないカラオケはどうでした?」
部長はあさらさま話を逸らす。
「ああ。面白くはなかったですね………部長だとどんな歌を歌いますか?」
「えっと………アニソンとか。………いや!流行りの歌も歌えますよ!」
部長は恥ずかしそうにこちらに宣言したあと、下を向く。
一挙手一投足、可愛さが付きまとうのは、彼女の才能か、はたまた髙屋の意識の問題であろうか。
髙屋は彼女に対して、女性であるのに嫌悪感なんぞは微塵も感じていなかった。
「アニソン……いいじゃないですか。俺は好きですよ」
好きですよの部分の音程が不意に下がったのは故意なのか。
それは分からない。
「………そう…ですか」
イケメンの似非告白に部長は小声で返事するのがやっとであった。
「よければ俺は部長とカラオケに行きたいですけどね」
髙屋は笑顔で部長に視線を合わせる。部長は一層、ほほを赤らめて返事をする。
「ですね……機会があれば……」
「絶対ですよ!俺、部長から勧められたアニメのオープニングとか練習しておくので」
髙屋のまっすぐな笑顔に、部長は返す攻撃力も防御力も持ち合わせてはいない。
それに彼女の髙屋に対する負い目が、彼女の後ろ髪をひく。
髙屋の直情に、彼女は何も返すことはできないのである。
一見すれば、それは彼氏彼女のような関係にも見える幸せそうな二人。しかし、そんな幸せは早くも終わりを見せようとしていた。
ある日、髙屋が部室に入ろうとすると、いつもなら聞こえない騒がしい声が聞こえてきた。 それは、聞き覚えのある声であり、髙屋は胸騒ぎを覚え、即座に部室のドアを開ける。
「あ、本当に来た!!髙屋じゃん!お前、マジで文芸部だったんだな!」
同級生の笑い声が耳朶を打つ。
髙屋は事態を把握できず、狼狽していた。
そうして、部室を見回すと、小さな部室の机、二つの椅子に四人ほど髙屋の良く知る同級生メンツである、一谷、真田、三嶋、名の知らぬギャルがたむろしていた。 そして、肩身狭そうに部長は怯えた表情で小さな椅子に、その小さな体を預けている。
そうしないと消えてしまいそうなほどである。呆然とした表情は髙屋も部長も共通している。
「えっと………なんでここに?」
髙屋は本当にわからないといった表情で問う。
「髙屋くんが最近、よくわかんない部活に出入りしているって噂になっていたからじゃん?それを確かめに来たのよ」
三嶋の良く通る声はさも当然といったように髙屋に答える。 髙屋はまた頭痛がしていた。そうして、文字通り頭を抱える髙屋を、部長はなんともいえぬ困ったような表情で見る。
腹痛もそこまで来ている。
ああ。俺はそんな顔を部長にさせてしまったのかと髙屋の眉間にいっそう皺が寄る。 部長の困った表情は頭痛、腹痛よりも深刻に髙屋の心を締め付けた。
「そんで、ここに髙屋って入ってんの?」
ギャルの声が聞こえる。こいつって名前なんだったかなと思いつつ髙屋は答える。
「ああ」
「へぇ~。ああ!わかった!ここたまるには最適だもんね!」
ギャルは閃いたと目をかっぴらいて、陽キャグループに進言する。
「あ、それいいな。ここだと、丁度いいよな。だべるには教室って、すぐ教師が来て帰れってうるせぇしな」
一谷の言葉に皆が同意する。そのやり取りに一層、部長の表情は曇った。 そうして小さな声が聞こえてきた。
「あ………あの。ここ……ここは文芸部ですので、あまり大きな声はやめてください」
「それ髙屋が来る前も聞いたし。俺らもここの部活に入れば別によくね?」
「それは………どういう……」
一谷のあっけからんとした、軽い声が聞こえる。それに続く消え入りそうな、羽音程度の部長の声。
ここは地獄なのだろうか。
いや、俺よりも部長の方がよほど不快な思いをしているだろう。
この状況をどうにかしなくてはという焦燥感と、得も言われぬ怒り。
髙屋さえも自分で気づかない、今までの交友関係ではなかった明確な怒りが自我を上回ろうとしている事実に反応できず、ただただその言葉の応酬を聞いていることしかできなかった。
「え?なに?………だから一谷の言う通り、俺らが入るって。それなら万事解決でしょ?」
「えっと……えっと」
「確かに。髙屋君もそれでいいでしょ?」
真田と三嶋が話は終わったと髙屋を見る。 髙屋は自分の置かれている状況を鑑みていた。自分が学校でどういう存在で、どう行動すれば、どのような結果をもたらすのか。
自分が幽霊部と揶揄される文芸部に入れば、部長に迷惑をかける事態に陥ることを。
そんなことは考えればすぐにわかることであり、自分は本当に馬鹿だなと思った。
今迄の経験からすぐに分かることであった。自分なりに彼らが奇襲をかけてくる前に、ケアし、止めることもできたはずであった。
しかし、最近の充実した毎日に、髙屋はそんなことも忘れてアニメ、ひいてはこの文芸部の活動に猛進してしまった。 周りを見る余裕がなかった。それが、現状を招いた。
ああ。腹が立つ。 自分に腹が立つ。 眉間の皺は深く入り、拳を強く握りしめた。
そうして、自分のへの怒りをなんとか抑えようと努力する。それは今迄、直面したことのない怒りにである。
「髙屋も食べようぜ。さっきコンビニで買ってきたから」
早くもたまり場認定しているのか、そう空気を読まずに真田が菓子をこちらに出す。ここは食べ物厳禁である。そう初めに部長から言われた。
あと、一谷が机に座っているが、それも厳禁。ここは静かに座って本を読む場であると入部当初、部長が説明していた。
多分、初めて入った部員が俺だったのだろう。
恥ずかしそうに初めて部活の説明をする部長の顔を思い出した。初めての部員に嬉しそうに笑う部長の表情を。
部長を一瞥する。彼女の手は軽く握られており、少し震えていた。
感情が激しく揺れ動くと、他への配慮などなくなって、身じろぎできなくなる。
そうして少しはさえた頭で、無理やり言葉を吐き出す。
「いや。いい」
そう言って真田の手を払いのけた。
「え………」
考えていたよりも、深く低い声が部内に響いた。 ああ。抑えきれそうもない。多分、初めて俺は誰かに純粋な怒りをぶつけているのかもしれない。不快だとか、不機嫌。気分ではなく、はらわたが煮えくり返りそうになる怒りそのもの。
それは、隠そうとも、隠しきれない。自分への怒り。
「ここは文芸部で、俺は部員だ。関係者以外は入るな」
それは別に怒鳴っているわけではない。地を這うような低音の声。
「えっと………髙屋、怒ってる?」
ギャルがひきつった顔でこちらに問う。 その時、初めて一谷、真田、三嶋が髙屋を見る。彼にいつもの気だるげそうな表情はなく、一同は息を飲む。
いつもよりも切れ長の瞳に、縦に入った皺が一層険しく、彼は静かに一人一人を凝視する。 先ほどのまでのバカ騒ぎは鳴りを潜め、重い空気が去来する。
「誰がここに来ようといったんだ?」
それは尋問のように聞こえる声。のど元に鋭利な刃物を突き刺すようなひどく尖った声音。 その問いに誰も答えない。空白の時間。
そこになんとか答える声が一つ。
「私よ。私が確認しようって言った………でも髙屋君が悪いのよ?変に隠し事するから」
「は?」
「えっ………えっと」
髙屋に気圧され、三嶋は黙り込む。
「あのさ。らしくないって。髙屋も何、怒ってるんだよ?」
真田の無理をしたおちゃらけた声が聞こえてくる。しかし、髙屋の表情は変わらない。
「もう一度、言うぞ。ここは文系部だ。即刻、部室から出ていけ!」
髙屋の声に皆が一斉に、ドアを開けて出ていく。初めて聞いた髙屋の怒鳴り声に、皆が体を一瞬、硬直させ、即座に部室を後にした。
しかし、三嶋は途中でその歩を止めた。そして、振り返る。
「なんで?………意味わかんない。みんなで楽しくしよって話でしょ?」
「ここはそういう場でない。そんなことをいちいち口に出さないとわからないのか?それにここは部長が一から作り上げた部活だ。それを壊すことは許さない」
髙屋は静かに告げる。それを聞いた三嶋は少し涙をためて、「ああ………そういうこと」と呟いて、部室を後にした。
五話(部長目線)
「すいません。俺の友達がご迷惑をおかけしました」
静まり返った部室に、髙屋君は心底申し訳ないといった表情で言葉を落とす。
「い………いえ」
嵐が過ぎった後の静けさ。そこに冷静な髙屋くんの声と私の声が交差する。 髙屋君は深いため息をひとつ零した。
「で………でも髙屋君のお友達が来たのなら、私はお邪魔ですかね?……えっといいですよ。お友達が入られて、ここを使われても。本ならばどこでも読めますし」
それは本音であった。
正直、髙屋君の怒りがなんであるのかはわからない。
私をかばってくれのかもしれないが、何にしても端正な顔つきの怒った顔というのは素直に恐怖を覚え、私は冷えた体を温めるように手をさすった。
そして、私は前から決めていたことがあった。
もし髙屋君のお友達グループがここに来たのなら、私が部室を去る。普通のことである。覚悟していた。
彼が部室を行き来している噂が広がっているのだから、いつかはこうなるであろうと。
今迄がおかしかったのだ。 こんな有名な人と自分が、毎日放課後を共有している。なんの取り柄もない、本が好きなだけの私がである。身の丈にあった生活に戻るときがきたのだ。
夢の終わり。
でも、もうちょっと続けていたかったなと今迄の生活を回顧する。
そう楽しかったのだ。
顔だとか、有名だとかそんなことは関係なく、彼と趣味の話をして、一緒に本を読むのが。
「部長はそう思ってるんですか?」
髙屋君は心底悲しそうにこちらを見る。 なぜ彼は傷ついたような表情でいるのだろう。それは、私がそう彼に思ってほしいと願う気持ちが見せているものだろうか。
「えっと……やっぱりおかしかったんですよ。いつか、こんな日々は終わると私は思ってました」
「おかしい?……何がおかしいんだ?俺がアニメを好きなこと?それともラノベが好きなこと?部長は俺の趣味を否定するんですか?」
彼の縋り付くような、それとも自己の否定に対する焦燥感、怒りが綯い交ぜになったような声音。それは、私を部室に縛り付ける言葉に聞こえてくる。まだこんな時間が続くような錯覚を生む。 彼の趣味を肯定し、私がその趣味の沿線に入りこむことは、ひどく楽しく、手放したくないものになっていた。
「いえ……それは私は嬉しいことですよ。でも、私は………私がいると髙屋君のグループにとって面白くないことになる。………私は……」
「なんだそれ………部長。勝手に話を進めるな。俺はあんたとこの部室で本を読むことが今の楽しみなんだよ。あいつらは今後、近づけない」
乱暴な物言いに私は少したじろぐ。しかし、彼に私は伝えなければならない。誰のためでもなく自分のために。
「だから……それがおかしいって話です。私なんかといるより、髙屋君は彼らとの仲をもつべきです」
何が正しいかなんてわからなくて、でも、私は私に自信がない。それだけだ。だから彼とはいられないのだ。そう結論づけることは何よりも簡単なことだと思っていた。
しかし、彼の言葉を否定するたびに心をやすりで削られてるような感覚に陥る。それがなぜかは今の私にはわからない。
「それとこの部については無関係だ。俺はこれからも部長との時間を作る」
髙屋君は半ば投げやりに断言する。 それに多少の苛立ちを覚える。何かがはじけた気がした。私が気を遣って言っているのに、なぜ彼は頑ななのかと。
「だから………だから!言ってるんです!こんな部活来なくても、本は読めるし、アニメも見れます!趣味は続けたらいいじゃないですか!」
「違う!」
「何が違うんですか!?」
「そこに部長がいないだろう!」
彼は何を怒っているのだろう。アニメが好きな女子は掃いて捨てるほどいる。でもあなたのようなカリスマを持った人はほんの一握りなのだ。 私なんてものに固執する必要は彼にはない。
それは分かりきっていたことで、今一度、自覚すると悲しさが去来する。
嫌なことを思わせる。
人格形成において自己の客観視などとうに終えているというのに、自分の小ささを再認識させられるような話である。
「なんで………わかってくれないんですか……私は、私はコミュ症で、陰キャで、クラスでも話す人なんてほとんどいませんよ?そんな暗い人間なんです」
「俺は部長と同じクラスではない。それに部長を暗い人間なんて思ったこともない」
「違います。そういうことじゃなくて………だから!髙屋君みたいな恰好良くて、優しくて、それで有名人で………えっと……王子様みたいなそんな人にはわからないんですよ!」
自分の語彙力のなさに辟易する。 しかし、もう言葉は止まらなくて、ただ彼を突き放したいのだ。なんだこれは。これではアニメや漫画みたいな状況ではないか。 私は、読む方だ。
ましてやこんな青春とは遠いところに位置していたはずなのに。
私は途端に恥ずかしく、その場から逃げ去りたい気分になってきた。
しかし、私の言葉に返事がない。 なぜだろうと彼を見る。 するとそこにはなぜだか、恥ずかしそうに顔を背ける彼がいた。
「え……えっと。部長にとって俺ってそんな風に見えているのか?」
「はい?……それはそうです。恰好良いし………なにより私の話も優しく聞いてくれて、それに髙屋君の話は面白いし……一緒にいて楽しいなって。それはモテるだろうなって……え?」
何故だか髙屋君は顔を赤くし、口元を隠していた。 彼のこんな顔を私は見たことがなかった。 学校一のモテ男のこんな困惑した子供のような顔は。
六話
今、目の前の女性を抱きしめたら駄目なのだろうか。
初めてそんな感情が生まれた。
今迄、女性と言えば自分に対して、まるで品定めするかのような嫌な目線を送ってくる不快な存在であったはず。
それが、まったく違う。
か弱く見える。
自己をひたすら否定する彼女を肯定し、彼女と長く一緒にいたいと思う。
彼女の自分への誉め言葉が胸に直接突き刺さる。 それは頭がくらくらとするほど、嬉しいことで、今までの女子の誉め言葉ではまったく感情は動かされなかったのに、彼女の言葉はすっと心に入ってくる。
そう。この残念イケメンこと髙屋総一郎は初恋を自覚していた。 そうして、ここにきて、もう部室だの、友達グループだのは頭から吹き飛んでおり、今は目の前に女性になんと言葉をかけようかという思考が頭を占拠していた。
「わた……私、何を言ってるんだろう」
部長はそう零すと、手を額に当てて、気まずそうに下を向く。 その仕草、一つとっても可愛らしさが髙屋を魅了する。なんなのだろうこの可愛い生き物は。 女性に対して思ったこともない感情。 それは髙屋をゆっくりと動かす。 気が付けば髙屋は彼女の肩に手をのせていた。
「えっと……どうしました?」
彼女が不可解だと、困ったような表情を浮かべる。 しかし、彼は止まらない。
「えっと……部長。いえ、穂乃井 凛さん。俺はあなたのことが好きです。だから、これからも一緒にいませんか?」
彼の鬼気迫る突然の告白に、彼女は口をぱくぱくと閉口させ、やっとの思いで「はい?」っと疑問を浮かべた。
しかし、彼にその言葉はどうやら届かなかったらしい。
何を勘違いしたのか、それ肯定と受け止め、彼は、彼女を抱きしめる。 彼女は叫び声を上げることもできず、しかし、それを受け止めてしまう。 なんだかんだ彼女もまた初恋を自覚したに過ぎないのである。
そうして、耳元で愛をささやくイケメンに彼女のネガティブなど何の意味もなく吹き飛ばされる。
当たり前である。
残念であろうとなんであろうと、百戦錬磨のイケメンが初めて本気で女性を口説いているのだ。
勝ち目などとうにないのであった。
後日談といえば、髙屋は友達グループには彼に付き合った女性ができたこと、それが部長であるということを明かせば、「髙屋よかったなぁ!なんかそんな感じしてたんだよなぁ。あの時、尋常じゃないほど髙屋が切れてたしな!」と割とすんなり男性陣には受け入れられていた。
三嶋は「まぁ、別にいいんじゃない。私も大学生の彼氏できたし」と不貞腐れたような言葉を吐いた。ギャルは「はは。まあいいんじゃね」と一番男らしい返事が返ってきた。
結局、髙屋の自主性のなさに起因していたことで、彼らは話せば普通に話の分かる気のいい奴らであったのは言うまでもないことである。
こうして学校一のモテ男こと残念イケメン、髙屋総一郎には彼女が初めてできた。 そうして、彼の不機嫌、体の不調は徐々に解消され、毎日、楽しそうに過ごす彼に周りは何も言えなくなり、部長との交際は順調に進んでいくのであった。
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