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午前一時。暗い部屋のなか、手元だけがぼうっと青白く光る。ベッドに寝転がりながら、芙美はスマホの画面に見入る。
翌朝は五時に家を出なければ、アルバイトに間に合わない。わかっているけれど、スクロールの手は止まらない。
芸能人のゴシップ、政治批判、四コマ漫画つきの泣ける話、剽窃すれすれの名言もどき。それぞれの引用数は刻一刻と上昇していく。
短文投稿型のSNS「チャッター」では、利用者の記事投稿を「つぶやき」略して「粒」と呼ぶ。日本でのアクティブユーザー四千五百万人を数える国内最大規模のSNS、チャッターには、日々いろいろな情報が寄せられる。さいきんでは、チャッターの速報がNHKの地震速報に先んじて流れると言われるほどで、ニュースサイトの役割も担う。集められたさまざまな粒を自分のアカウントに引用して表示したり、それに対する意見を述べたり、はたまた知人同士のおしゃべりに興じたりと、利用者はチャッターの海を縦横無尽に泳ぎまわり、それぞれに楽しんでいる。
芙美もまた、チャッターに常駐するひとりだ。もっぱら、他人の粒を眺めている。気になる粒をする人物を分野ごとの閲覧リストに分けて、ひたすら読む。読み物として気に入った粒はお気に入りとして保存するものの、引用したり拡散したりまではしない。
個人的に楽しむだけ。それが性に合う。
チャッターで気になって訪ねた観光地や飲食店、読んだ本、観た映画は数知れない。情報に気づいて、別サイトで情報を集めたり、テレビをつけたりすることもある。
引用数が一万を超えたつぶやきへの返信を辿りながら、有益な情報をぼんやりと探す。
『通知とまらないww』
『ちょ、RC伸びすぎww おまえ、有名人じゃんwwwww』
どこでも目にするやりとり。続く「ついでの宣伝行為」。発言者への暴言。読解力のな
いだれかの敵意。返信欄には、自分の体験を披露したいひとや論拠を示して反論するひと、ただ絡みたいひとなど、発言者とは何の関わりもないひとびとがひしめいていた。
芙美は指先を機械的に動かしていたが、ふと、妙な返信粒に指をとめた。
『あの子が欲しい』
どういう意味だ?
この粒に対する返信がツリーになっている。リンクをクリックしてみると、別のだれかが『あの子じゃわからん』と返していた。それに対し、『先越されたww』『横レス失礼します。最近、これよく見ますけど、何なんですか』と、さらに第三者同士の会話が繋がっている。
芙美は興味を引かれて、発端となっている『あの子が欲しい』という粒の投稿者のアイコンをクリックする。不気味な片目のアップのアイコン写真とは対照的に、アカウントトップは何の変哲もない青空の写真だった。
IDは無意味なアルファベットの羅列。アカウント名はなく、自己紹介文は簡素だった。
「花いちもんめが好きです」
思わず口に出して読んで、芙美はああ、と理解した。さきほどの粒は、花いちもんめの歌詞か。だから、続きが投稿されたわけだ。
しかし、何の意味があって、こんな返信をするのだろう。というか、さきほどの返信以外にこのアカウントの粒はない。
さいきんこのフレーズをよく見るのであれば、よそで話題になっているかもしれない。検索するしかないかと、芙美はスマホの画面を切り替える。
花いちもんめ、チャッターとキーワード設定したが、さすがにそれだけでは出てこない。IDでも出ない。だが、IDを一部削って、検索をかけたときだ。無関係そうな英語圏のウェブサイトに混じって、一件だけ、大型掲示板のスレッドが表示された。
『【被害者は】銀観察スレ 二匹目【数知れず】』と題されたスレッドを開いて、サイト内検索をかける。だれかへの返信として書かれたアルファベットがヒットしたらしい。何への返信? 確かめると、「銀って誰。ヒントプリーズ」と書かれた投稿への返信だった。だが、この投稿には、多くが「過去スレを読め」と返信しており、親切心を出して、一部とは言え、IDを記述した人物は周囲から集中砲火を浴びていた。
「そりゃそうだ。本人がたどり着いちゃったら困るもんねえ」
芙美はつぶやき、スレッドの頭から読み返してみた。このスレッドは、いわゆるネットウォッチを行うものだ。ストーカーまがいのおっかけを行うひとびとが運営するものである。隠語で「銀」と名付けられた人物の行動を追って、話題のわかる内輪で楽しんでいるらしい。しかし、ここ最近は、動きがないらしく、投稿は停滞していた。
『また助っ人入ったか』『意味知らないで返信してるヤツも多いイマゲ』『1809182223期待してたのに』
数字はおそらく日時だろう。2018年の9月18日22時23分。何の日時だ?
芙美は前スレッドを辿った。銀は、なぜ、ネットウォッチャーの目に留まったのだろう。自分の目には、不気味なアイコンを使ってはいるものの、変な返信をしかけるだけの割に無害な利用者に思えるのだが。
前スレのタイトルには、まだ銀の文字もなかった。なぜ、銀と名付けられたのかは、読み進めると、案外かんたんにわかった。
ウォッチ対象の人物は、金曜日の午前二時から四時ごろにのみ、活発に動くということらしい。曜日の「金」と時刻の「艮」を合わせたひねりの利いた命名だった。
ここまでひねってあれば、現行スレッドのようにチャッターIDを記載するたぐいの凡ミスを犯さない限り、当人にも容易には気づかれまい。まあ、IDの一部分だけで検索するような入念なエゴサーチを行う人間など、ごくごく少数派なのは確かだ。いまもって、スレッドの存在が銀には知られていない可能性のほうが高いだろうと思う。
ひとつめのスレッドには、これまでの銀の行動が記されていた。
銀は、チャッターのなかで引用数が多く、話題になっている粒に童謡の返信を行う。童謡の次の歌詞がだれかから返信されれば、何の行動も起こさない。返信がなかったときの行動が特異なものらしい。
スレッドには画像アップローダーのリンクが続く。どうやら、スクリーンショット画像を載せていたらしいが、半年も前のものなので、すでに画像は削除されており、リンク切れしていた。画像の内容はわからないが、スレッドの進行を見るに、銀はネットストーカーまがいの行動をとり、返信のなかった粒主の周辺に現れるようだ。その証拠写真を撮影し、チャッターに投稿する。ただ、掲載は一時的なもので、すぐに削除されてしまうようだった。
その手腕が恐ろしく際立っているのもネットウォッチャーたちに粘着される理由のひとつのようだった。
『銀様やばい』『別サイトのアカウントも突き止めたけど、住所までは割れなかった』
ネットウォッチャーたちのなかには、『投稿主の個人情報』の特定スピードを銀と競っている者もいる。だが、銀は彼らの能力の及ばない速度でことを成し遂げ、成果をぽんと投げてよこす。そして、長くは見せびらかさずにあっけなく消してしまう。
芙美は概要を理解すると、チャッターに画面を切り替え、銀を見つけたつぶやきに立ち戻った。
「やっぱり」
『あの子じゃわからん』の返信がついた粒の投稿時刻は9月18日22時23分。粒主の個人情報が『割られる』のをネットウォッチャーたちは待ちわびていたワケか。
「気色わる」
言ってから、芙美は自嘲して笑った。真夜中にスマホを食い入るように見つめ、ひとりごとをつぶやき続ける自分も、たいがいだ。
もう、やめておこう。スマホの電源を落とす前に、何気なく銀のアカウントをチャッターの閲覧リストに放り込む。相手からは気取られないようにと、新しく作った鍵付きのリストだ。相手には芙美の閲覧リストに入ったことは知らされないし、芙美が銀の粒を追っていることはだれからもわからない。
さて、これで自分もあのネットウォッチャーたちの仲間入りだなと思いながら、芙美は今度こそスマホの電源を切って、枕に顔を半分うずめ、疲れた目を閉じた。
翌朝は五時に家を出なければ、アルバイトに間に合わない。わかっているけれど、スクロールの手は止まらない。
芸能人のゴシップ、政治批判、四コマ漫画つきの泣ける話、剽窃すれすれの名言もどき。それぞれの引用数は刻一刻と上昇していく。
短文投稿型のSNS「チャッター」では、利用者の記事投稿を「つぶやき」略して「粒」と呼ぶ。日本でのアクティブユーザー四千五百万人を数える国内最大規模のSNS、チャッターには、日々いろいろな情報が寄せられる。さいきんでは、チャッターの速報がNHKの地震速報に先んじて流れると言われるほどで、ニュースサイトの役割も担う。集められたさまざまな粒を自分のアカウントに引用して表示したり、それに対する意見を述べたり、はたまた知人同士のおしゃべりに興じたりと、利用者はチャッターの海を縦横無尽に泳ぎまわり、それぞれに楽しんでいる。
芙美もまた、チャッターに常駐するひとりだ。もっぱら、他人の粒を眺めている。気になる粒をする人物を分野ごとの閲覧リストに分けて、ひたすら読む。読み物として気に入った粒はお気に入りとして保存するものの、引用したり拡散したりまではしない。
個人的に楽しむだけ。それが性に合う。
チャッターで気になって訪ねた観光地や飲食店、読んだ本、観た映画は数知れない。情報に気づいて、別サイトで情報を集めたり、テレビをつけたりすることもある。
引用数が一万を超えたつぶやきへの返信を辿りながら、有益な情報をぼんやりと探す。
『通知とまらないww』
『ちょ、RC伸びすぎww おまえ、有名人じゃんwwwww』
どこでも目にするやりとり。続く「ついでの宣伝行為」。発言者への暴言。読解力のな
いだれかの敵意。返信欄には、自分の体験を披露したいひとや論拠を示して反論するひと、ただ絡みたいひとなど、発言者とは何の関わりもないひとびとがひしめいていた。
芙美は指先を機械的に動かしていたが、ふと、妙な返信粒に指をとめた。
『あの子が欲しい』
どういう意味だ?
この粒に対する返信がツリーになっている。リンクをクリックしてみると、別のだれかが『あの子じゃわからん』と返していた。それに対し、『先越されたww』『横レス失礼します。最近、これよく見ますけど、何なんですか』と、さらに第三者同士の会話が繋がっている。
芙美は興味を引かれて、発端となっている『あの子が欲しい』という粒の投稿者のアイコンをクリックする。不気味な片目のアップのアイコン写真とは対照的に、アカウントトップは何の変哲もない青空の写真だった。
IDは無意味なアルファベットの羅列。アカウント名はなく、自己紹介文は簡素だった。
「花いちもんめが好きです」
思わず口に出して読んで、芙美はああ、と理解した。さきほどの粒は、花いちもんめの歌詞か。だから、続きが投稿されたわけだ。
しかし、何の意味があって、こんな返信をするのだろう。というか、さきほどの返信以外にこのアカウントの粒はない。
さいきんこのフレーズをよく見るのであれば、よそで話題になっているかもしれない。検索するしかないかと、芙美はスマホの画面を切り替える。
花いちもんめ、チャッターとキーワード設定したが、さすがにそれだけでは出てこない。IDでも出ない。だが、IDを一部削って、検索をかけたときだ。無関係そうな英語圏のウェブサイトに混じって、一件だけ、大型掲示板のスレッドが表示された。
『【被害者は】銀観察スレ 二匹目【数知れず】』と題されたスレッドを開いて、サイト内検索をかける。だれかへの返信として書かれたアルファベットがヒットしたらしい。何への返信? 確かめると、「銀って誰。ヒントプリーズ」と書かれた投稿への返信だった。だが、この投稿には、多くが「過去スレを読め」と返信しており、親切心を出して、一部とは言え、IDを記述した人物は周囲から集中砲火を浴びていた。
「そりゃそうだ。本人がたどり着いちゃったら困るもんねえ」
芙美はつぶやき、スレッドの頭から読み返してみた。このスレッドは、いわゆるネットウォッチを行うものだ。ストーカーまがいのおっかけを行うひとびとが運営するものである。隠語で「銀」と名付けられた人物の行動を追って、話題のわかる内輪で楽しんでいるらしい。しかし、ここ最近は、動きがないらしく、投稿は停滞していた。
『また助っ人入ったか』『意味知らないで返信してるヤツも多いイマゲ』『1809182223期待してたのに』
数字はおそらく日時だろう。2018年の9月18日22時23分。何の日時だ?
芙美は前スレッドを辿った。銀は、なぜ、ネットウォッチャーの目に留まったのだろう。自分の目には、不気味なアイコンを使ってはいるものの、変な返信をしかけるだけの割に無害な利用者に思えるのだが。
前スレのタイトルには、まだ銀の文字もなかった。なぜ、銀と名付けられたのかは、読み進めると、案外かんたんにわかった。
ウォッチ対象の人物は、金曜日の午前二時から四時ごろにのみ、活発に動くということらしい。曜日の「金」と時刻の「艮」を合わせたひねりの利いた命名だった。
ここまでひねってあれば、現行スレッドのようにチャッターIDを記載するたぐいの凡ミスを犯さない限り、当人にも容易には気づかれまい。まあ、IDの一部分だけで検索するような入念なエゴサーチを行う人間など、ごくごく少数派なのは確かだ。いまもって、スレッドの存在が銀には知られていない可能性のほうが高いだろうと思う。
ひとつめのスレッドには、これまでの銀の行動が記されていた。
銀は、チャッターのなかで引用数が多く、話題になっている粒に童謡の返信を行う。童謡の次の歌詞がだれかから返信されれば、何の行動も起こさない。返信がなかったときの行動が特異なものらしい。
スレッドには画像アップローダーのリンクが続く。どうやら、スクリーンショット画像を載せていたらしいが、半年も前のものなので、すでに画像は削除されており、リンク切れしていた。画像の内容はわからないが、スレッドの進行を見るに、銀はネットストーカーまがいの行動をとり、返信のなかった粒主の周辺に現れるようだ。その証拠写真を撮影し、チャッターに投稿する。ただ、掲載は一時的なもので、すぐに削除されてしまうようだった。
その手腕が恐ろしく際立っているのもネットウォッチャーたちに粘着される理由のひとつのようだった。
『銀様やばい』『別サイトのアカウントも突き止めたけど、住所までは割れなかった』
ネットウォッチャーたちのなかには、『投稿主の個人情報』の特定スピードを銀と競っている者もいる。だが、銀は彼らの能力の及ばない速度でことを成し遂げ、成果をぽんと投げてよこす。そして、長くは見せびらかさずにあっけなく消してしまう。
芙美は概要を理解すると、チャッターに画面を切り替え、銀を見つけたつぶやきに立ち戻った。
「やっぱり」
『あの子じゃわからん』の返信がついた粒の投稿時刻は9月18日22時23分。粒主の個人情報が『割られる』のをネットウォッチャーたちは待ちわびていたワケか。
「気色わる」
言ってから、芙美は自嘲して笑った。真夜中にスマホを食い入るように見つめ、ひとりごとをつぶやき続ける自分も、たいがいだ。
もう、やめておこう。スマホの電源を落とす前に、何気なく銀のアカウントをチャッターの閲覧リストに放り込む。相手からは気取られないようにと、新しく作った鍵付きのリストだ。相手には芙美の閲覧リストに入ったことは知らされないし、芙美が銀の粒を追っていることはだれからもわからない。
さて、これで自分もあのネットウォッチャーたちの仲間入りだなと思いながら、芙美は今度こそスマホの電源を切って、枕に顔を半分うずめ、疲れた目を閉じた。
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