4 / 12
四
しおりを挟む
昨日、県道や学校の裏山で地滑りが起きたからって、夏休みの登校日はなくならない。気をつけて登校せよとの連絡網がまわってきたのは、朝の七時だった。
と言っても、あたしのクラスのはまだ来ない。ひとつ下の従妹の連絡網を受けて、叔母は余裕をかましていたあたしを起こしに来てくれたのだ。転校生のあたしの出席番号はクラスでいちばん遅いので、たぶん、もう少し伝達に時間がかかるんじゃないかな。
布団に寝転がると、天井の日焼け跡が目に入る。以前は何かポスターが貼ってあったのだと思う。ここは従兄の部屋なので、実際のところはよく知らない。大学生になった従兄は、あたしと入れ違いに東京へ出ている。両親があたしの部屋を貸そうかというのを断ったのは知っている。そりゃ、ひとくちに東京ったって、神奈川県から通うのは難しい立地の大学だってあるでしょうよ。くわしい事情は知らないけど、表向き、従兄はあたしに遠慮したらしかった。
『俺が部屋を使っちゃったら、おまえ、帰れなくなるだろ?』
そう言って、俺は下宿するから気にするなと笑っていた。
3LDKのマンションに比べれば、穐鷹のこの家は部屋数も多い。従兄の帰省時には、客間や仏間を使えば、どうとでもなるとの算段なのだろう。叔母たちがあたしを仏間にやるのではなくて、わざわざ子ども部屋に住まわせてくれたことに、お客様扱いではないものを感じて、ありがたく思っている。
一方で、従妹は夏休みになるなり、東京に遊びにいきたい、お兄ちゃんのところに泊まるのだと駄々をこねていた。一学期の成績を理由に却下され、しばらくはイライラと当たり散らしていたが、そうしたやりとりが発生することをも、従兄は見越していたのかもしれない。彼があたしの家に下宿すれば、傍若無人な従妹は、平気であたしの家に泊まろうとするだろう。そして、あたしという厄介者を穐鷹に預けているうちの両親が、その申し出を断れるはずもない。
田舎モンだってバカにしてるんでしょ! だの、ここはお兄ちゃんの部屋なのに! だの、あんな時期に転校なんて、どうせ何か問題起こしたんでしょ? だのと、あたしも言いたい放題当たり散らされたけど、その程度で済んで、ホントによかった。
彼女の扱いづらい性格は小さいころからのものなので、実は越してきた当初から、従妹とはあまり関わらないようにしている。年の近い同性だからって、かならずしも仲良くはなれるとは限らない。
登校途中に直美の家に寄るのは億劫だったけど、ふだんどおりに迎えにいく。と、直美はみずほとふたり、家の前で待っていた。今朝はそろって硬い表情だった。
「おはよう! 待ったぁ?」
「ねえ、瞳はなんにもなかったの?」
挨拶にかぶせて、食い気味にみずほに問われる。さてさて、これは何についてのお話かしら。首をかしげると、肩をつかまれた。まるで、昨日の直美みたいに、みずほはあたしをゆさぶった。
「瞳がやったんじゃないわね? 違うのね?」
ことばとは裏腹に、みずほは「やった」と言って欲しそうだった。
──みずほにも、『幽霊』からのいたずら電話がかかってきたってこと?
「教えてよ。何の話なの、昨日から」
「……何よ、すっとぼけちゃって。どうせ、瞳は知ってるんでしょ? 『迎え歌』よ!」
黙っていた直美が叫ぶ。朝の住宅街に響いた大声に驚いて、みずほが止めに入る。ううん、驚愕というより、それは、恐怖や畏怖からの行動にみえた。
「何様のつもり? みずほが仲良くしてやらなきゃ、あんたなんか、ずうっとひとりぼっちだったのにっ」
つっかかってくる直美を、みずほが片腕をのばしてとめる。
「直ちゃん、やめよう。瞳は知らないのよ」
かたちばかりの制止をふりきって、直美はあたしの制服をつかんだ。
「ぜんぶあんたなんでしょ? あんた、お高くとまってるもんね。東京モンだからっていい気になってさ。どうせ、いじめか援交で退学になったんだって、みんな言ってるよ!」
叔母は、あたしのことをひとに紹介するときいつも、喘息の転地療養だと言っていた。そんな嘘がバレるのは、時間の問題だと思っていた。だって、運動部に所属するの、おかしいじゃん?
でもさ、そんな話まで持ち出してくる必要、あった? 顔を真っ赤にしていきりたつ直美を見ていると、何をうろたえているんだろうと、本気で思う。
『迎え歌』が、何よ。迷信深いのもたいがいにして。怒鳴りたいのをこらえる。ゆっくりと息を長く吐く。気持ちを落ち着ける。
黙って見つめるのを、にらんだとでも思ったのか、莫迦にしてると勘違いしたのか、直美がまた口を開く。それを遮って、みずほがたしなめる。
「直美、いいかげんにしなって! あの歌がどれだけヤバいもんなのか、よそ者にはわかんないのよ」
守ってくれたんだ。好意的にとろうとして、でも、できなくて。
一歩、あとずさっていた。みずほがこちらを見ていぶかしげにしてから、はっと口許に手をやった。我慢できなくて、きびすを返す。別に走ったわけじゃないのに、みずほも直美も、追いかけては来なかった。
叔母の家までの道を逆に辿って、寺の前まで来て、あたしはこのさきどうしようかと、立ち止まった。心配をかけるし、家には戻れない。でも、学校に行くのも気まずかった。
そうしているうちに、ひとの気配が近づいてくる。前方、叔母の家のほうから。
──従妹だ。友達といっしょに、こちらへ歩いてきている。
とっさに電柱のうしろに隠れてはみたものの、いずれ従妹もここを通るし、完全に見つかってしまう。
どうしたもんかなあ。きょろきょろと他の隠れ場所を探していたあたしは、はたと目が合ったひとと思わず見つめ合ってしまった。
階段のうえ、山門の前に、昨日の作務衣の君がいた。
彼からは、あたしの置かれた状況がよく見通せたのだろう。彼の手招きに誘われるように、あたしは一目散に階段を駆け上がっていた。
と言っても、あたしのクラスのはまだ来ない。ひとつ下の従妹の連絡網を受けて、叔母は余裕をかましていたあたしを起こしに来てくれたのだ。転校生のあたしの出席番号はクラスでいちばん遅いので、たぶん、もう少し伝達に時間がかかるんじゃないかな。
布団に寝転がると、天井の日焼け跡が目に入る。以前は何かポスターが貼ってあったのだと思う。ここは従兄の部屋なので、実際のところはよく知らない。大学生になった従兄は、あたしと入れ違いに東京へ出ている。両親があたしの部屋を貸そうかというのを断ったのは知っている。そりゃ、ひとくちに東京ったって、神奈川県から通うのは難しい立地の大学だってあるでしょうよ。くわしい事情は知らないけど、表向き、従兄はあたしに遠慮したらしかった。
『俺が部屋を使っちゃったら、おまえ、帰れなくなるだろ?』
そう言って、俺は下宿するから気にするなと笑っていた。
3LDKのマンションに比べれば、穐鷹のこの家は部屋数も多い。従兄の帰省時には、客間や仏間を使えば、どうとでもなるとの算段なのだろう。叔母たちがあたしを仏間にやるのではなくて、わざわざ子ども部屋に住まわせてくれたことに、お客様扱いではないものを感じて、ありがたく思っている。
一方で、従妹は夏休みになるなり、東京に遊びにいきたい、お兄ちゃんのところに泊まるのだと駄々をこねていた。一学期の成績を理由に却下され、しばらくはイライラと当たり散らしていたが、そうしたやりとりが発生することをも、従兄は見越していたのかもしれない。彼があたしの家に下宿すれば、傍若無人な従妹は、平気であたしの家に泊まろうとするだろう。そして、あたしという厄介者を穐鷹に預けているうちの両親が、その申し出を断れるはずもない。
田舎モンだってバカにしてるんでしょ! だの、ここはお兄ちゃんの部屋なのに! だの、あんな時期に転校なんて、どうせ何か問題起こしたんでしょ? だのと、あたしも言いたい放題当たり散らされたけど、その程度で済んで、ホントによかった。
彼女の扱いづらい性格は小さいころからのものなので、実は越してきた当初から、従妹とはあまり関わらないようにしている。年の近い同性だからって、かならずしも仲良くはなれるとは限らない。
登校途中に直美の家に寄るのは億劫だったけど、ふだんどおりに迎えにいく。と、直美はみずほとふたり、家の前で待っていた。今朝はそろって硬い表情だった。
「おはよう! 待ったぁ?」
「ねえ、瞳はなんにもなかったの?」
挨拶にかぶせて、食い気味にみずほに問われる。さてさて、これは何についてのお話かしら。首をかしげると、肩をつかまれた。まるで、昨日の直美みたいに、みずほはあたしをゆさぶった。
「瞳がやったんじゃないわね? 違うのね?」
ことばとは裏腹に、みずほは「やった」と言って欲しそうだった。
──みずほにも、『幽霊』からのいたずら電話がかかってきたってこと?
「教えてよ。何の話なの、昨日から」
「……何よ、すっとぼけちゃって。どうせ、瞳は知ってるんでしょ? 『迎え歌』よ!」
黙っていた直美が叫ぶ。朝の住宅街に響いた大声に驚いて、みずほが止めに入る。ううん、驚愕というより、それは、恐怖や畏怖からの行動にみえた。
「何様のつもり? みずほが仲良くしてやらなきゃ、あんたなんか、ずうっとひとりぼっちだったのにっ」
つっかかってくる直美を、みずほが片腕をのばしてとめる。
「直ちゃん、やめよう。瞳は知らないのよ」
かたちばかりの制止をふりきって、直美はあたしの制服をつかんだ。
「ぜんぶあんたなんでしょ? あんた、お高くとまってるもんね。東京モンだからっていい気になってさ。どうせ、いじめか援交で退学になったんだって、みんな言ってるよ!」
叔母は、あたしのことをひとに紹介するときいつも、喘息の転地療養だと言っていた。そんな嘘がバレるのは、時間の問題だと思っていた。だって、運動部に所属するの、おかしいじゃん?
でもさ、そんな話まで持ち出してくる必要、あった? 顔を真っ赤にしていきりたつ直美を見ていると、何をうろたえているんだろうと、本気で思う。
『迎え歌』が、何よ。迷信深いのもたいがいにして。怒鳴りたいのをこらえる。ゆっくりと息を長く吐く。気持ちを落ち着ける。
黙って見つめるのを、にらんだとでも思ったのか、莫迦にしてると勘違いしたのか、直美がまた口を開く。それを遮って、みずほがたしなめる。
「直美、いいかげんにしなって! あの歌がどれだけヤバいもんなのか、よそ者にはわかんないのよ」
守ってくれたんだ。好意的にとろうとして、でも、できなくて。
一歩、あとずさっていた。みずほがこちらを見ていぶかしげにしてから、はっと口許に手をやった。我慢できなくて、きびすを返す。別に走ったわけじゃないのに、みずほも直美も、追いかけては来なかった。
叔母の家までの道を逆に辿って、寺の前まで来て、あたしはこのさきどうしようかと、立ち止まった。心配をかけるし、家には戻れない。でも、学校に行くのも気まずかった。
そうしているうちに、ひとの気配が近づいてくる。前方、叔母の家のほうから。
──従妹だ。友達といっしょに、こちらへ歩いてきている。
とっさに電柱のうしろに隠れてはみたものの、いずれ従妹もここを通るし、完全に見つかってしまう。
どうしたもんかなあ。きょろきょろと他の隠れ場所を探していたあたしは、はたと目が合ったひとと思わず見つめ合ってしまった。
階段のうえ、山門の前に、昨日の作務衣の君がいた。
彼からは、あたしの置かれた状況がよく見通せたのだろう。彼の手招きに誘われるように、あたしは一目散に階段を駆け上がっていた。
1
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
トランプデスゲーム
ホシヨノ クジラ
ホラー
暗闇の中、舞台は幕を開けた
恐怖のデスゲームが始まった
死にたい少女エルラ
元気な少女フジノ
強気な少女ツユキ
しっかり者の少女ラン
4人は戦う、それぞれの目標を胸に
約束を果たすために
デスゲームから明らかになる事実とは!?
小径
砂詠 飛来
ホラー
うらみつらみに横恋慕
江戸を染めるは吉原大火――
筆職人の与四郎と妻のお沙。
互いに想い合い、こんなにも近くにいるのに届かぬ心。
ふたりの選んだ運命は‥‥
江戸を舞台に吉原を巻き込んでのドタバタ珍道中!(違
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる