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スナック紫苑とワスレナグサ
十一
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事前に、交流試合の詳細は何も聞こうとしなかった。どのくらい弁当を作ればいいのすら、わからなかったのに。試合後、女子に囲まれている林たちを見ても、話が違うと、抗議しようともしなかった。挨拶ひとつせず、隠れたまま弁当を持ち帰ってきた。
どれもこれも、『逃げ』だった。麻衣は、拒絶されることも、林に選ばれないことも、知りたくなかった。その分岐が来る手前で、急いで回れ右して、見ないふり、なんにもなかったふりをした。そうしたら、明日には元通りの学校生活が始まって、林はただの仲のよい同級生に戻る。
佳介は、惣菜を口に運ぶ。麻衣は、手にしたおにぎりを小皿に置いた。
もうひとつ、大事なことに気がついていた。
麻衣は今日、林の試合を口実に、母の婚約者に会うことから逃げた。自分では抵抗だと思っていた。父を忘れて、新しい恋人と家庭を築こうとする母への反発からの行動だと、自分の行為を正当化しようとしていた。
だが、それは、とんでもない間違いだった。
父のことをずっと待っていた。死を告げられてもなお、ほんとうは生きているのだと信じ、忘れられずにいた。それは真実だ。でも、生きているなら、なぜ麻衣に会いにこないのか。母とは不仲になったとしても、血を分けた娘には、気持ちがあれば会える。会いにこないのは、麻衣との生活を、父が選ばなかったからなのではないか。そのことからは、ずっと目を背けていた。
麻衣は、父を思いながら母と平穏に生活できればじゅうぶんだった。それなのに、あの寝耳に水の結婚話だ。母は、麻衣の鼻先につきつけた。父はもう決して帰らないことを。
麻衣は急に心地よい夢から覚まされて、へそを曲げていただけだったのだ。
佳介はみっつめのおにぎりを手にすると、重ねてできを褒め、麻衣の目を見た。
「先日の打ち明け話も、要は同じことです。常から絹江さんとお父様について話していなかったから、掛け違っているのですよ。
『今昔物語集』に、こんな話があります。父を亡くした兄弟がいて、兄は悲しみを忘れようと、父の墓に忘れ草を植えました。弟は墓に日参していましたが、兄がすっかり父を忘れたのを見て、自分は決して忘れまいと、思い草を父の墓に植え、墓参りを続けるんです。すると、墓守の鬼が弟の心意気に感心して、明日起こることを教えてくれるようになる、というものです」
「忘れ草と、思い草、ですか」
「はい。仏教説話の要素があるようで、故人を忘れずに憶えていることや、思いつづけ、供養しつづけることをこそ、善行とした話です。でも、悲しみを忘れることが、そんなに悪行でしょうか」
指についた米粒を口に含み、佳介は重箱の中身をのぞき込む。
「善悪の話ではなくて、どう生きたいかの話なのだと、私は思います。こころがつらくてやりきれないから、忘れてしまいたい。もう傍にないあの笑顔を思いだすだけで、つらいことを乗りこえられる。どちらも、残された者のひとつのありようです。……まあ、もっとも、私はいっぺん死んでいるので、知り合いがどっち派なのかはあまり知りたくないですねえ」
ふざけた調子で笑ったものの、彼の目は真剣だった。
「いいと思いますよ、いつか帰ってくると思い続けたって。絹江さんが結婚したからって、血のつながったお父様はおひとりでしょう。お父様の話題だって、タブーではないはずです。腹を割って話したり、考えをすりあわせていったりすることを、恥ずかしがったり面倒くさがったりしないことです。そうすれば、こちらの弁当の君とも和解できるでしょう」
「!!」
最後に爆弾を投げて、佳介は手を合わせる。
「ごちそうさまでした。たいへん結構なお味でございました」
各惣菜がひとくちずつ残された重箱に、麻衣は目をむいた。
「すごい! ずいぶん食べましたね」
「男の食欲なんてそんなものですよ。お若い方なら、もっと召し上がるかもしれません」
ひょうひょうと言って、茶を淹れなおしに席を立ち、佳介は「そうでした」と見返った。
「お食事が済んだら、佳景につきあってやってください。どうやら、タイミングを図ってくれているみたいですから」
「はい、いいですけど?」
あのあやかしがいったい自分に何の用だろう。首をかしげながら、麻衣はようやく、食べかけのおにぎりを手に取った。
どれもこれも、『逃げ』だった。麻衣は、拒絶されることも、林に選ばれないことも、知りたくなかった。その分岐が来る手前で、急いで回れ右して、見ないふり、なんにもなかったふりをした。そうしたら、明日には元通りの学校生活が始まって、林はただの仲のよい同級生に戻る。
佳介は、惣菜を口に運ぶ。麻衣は、手にしたおにぎりを小皿に置いた。
もうひとつ、大事なことに気がついていた。
麻衣は今日、林の試合を口実に、母の婚約者に会うことから逃げた。自分では抵抗だと思っていた。父を忘れて、新しい恋人と家庭を築こうとする母への反発からの行動だと、自分の行為を正当化しようとしていた。
だが、それは、とんでもない間違いだった。
父のことをずっと待っていた。死を告げられてもなお、ほんとうは生きているのだと信じ、忘れられずにいた。それは真実だ。でも、生きているなら、なぜ麻衣に会いにこないのか。母とは不仲になったとしても、血を分けた娘には、気持ちがあれば会える。会いにこないのは、麻衣との生活を、父が選ばなかったからなのではないか。そのことからは、ずっと目を背けていた。
麻衣は、父を思いながら母と平穏に生活できればじゅうぶんだった。それなのに、あの寝耳に水の結婚話だ。母は、麻衣の鼻先につきつけた。父はもう決して帰らないことを。
麻衣は急に心地よい夢から覚まされて、へそを曲げていただけだったのだ。
佳介はみっつめのおにぎりを手にすると、重ねてできを褒め、麻衣の目を見た。
「先日の打ち明け話も、要は同じことです。常から絹江さんとお父様について話していなかったから、掛け違っているのですよ。
『今昔物語集』に、こんな話があります。父を亡くした兄弟がいて、兄は悲しみを忘れようと、父の墓に忘れ草を植えました。弟は墓に日参していましたが、兄がすっかり父を忘れたのを見て、自分は決して忘れまいと、思い草を父の墓に植え、墓参りを続けるんです。すると、墓守の鬼が弟の心意気に感心して、明日起こることを教えてくれるようになる、というものです」
「忘れ草と、思い草、ですか」
「はい。仏教説話の要素があるようで、故人を忘れずに憶えていることや、思いつづけ、供養しつづけることをこそ、善行とした話です。でも、悲しみを忘れることが、そんなに悪行でしょうか」
指についた米粒を口に含み、佳介は重箱の中身をのぞき込む。
「善悪の話ではなくて、どう生きたいかの話なのだと、私は思います。こころがつらくてやりきれないから、忘れてしまいたい。もう傍にないあの笑顔を思いだすだけで、つらいことを乗りこえられる。どちらも、残された者のひとつのありようです。……まあ、もっとも、私はいっぺん死んでいるので、知り合いがどっち派なのかはあまり知りたくないですねえ」
ふざけた調子で笑ったものの、彼の目は真剣だった。
「いいと思いますよ、いつか帰ってくると思い続けたって。絹江さんが結婚したからって、血のつながったお父様はおひとりでしょう。お父様の話題だって、タブーではないはずです。腹を割って話したり、考えをすりあわせていったりすることを、恥ずかしがったり面倒くさがったりしないことです。そうすれば、こちらの弁当の君とも和解できるでしょう」
「!!」
最後に爆弾を投げて、佳介は手を合わせる。
「ごちそうさまでした。たいへん結構なお味でございました」
各惣菜がひとくちずつ残された重箱に、麻衣は目をむいた。
「すごい! ずいぶん食べましたね」
「男の食欲なんてそんなものですよ。お若い方なら、もっと召し上がるかもしれません」
ひょうひょうと言って、茶を淹れなおしに席を立ち、佳介は「そうでした」と見返った。
「お食事が済んだら、佳景につきあってやってください。どうやら、タイミングを図ってくれているみたいですから」
「はい、いいですけど?」
あのあやかしがいったい自分に何の用だろう。首をかしげながら、麻衣はようやく、食べかけのおにぎりを手に取った。
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