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〈最終章・聖声編〉
85. 女神の声
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ヴァナディスさんが落ち着いた後。
私は彼女の手を引いて、屋上の中央まで戻ってきた。
旦那様を始め、ザターナ様、親衛隊、レイにソロ、そしてエノク主教様らエルメシア教の方々が、揃って私達を見据えている。
……そうだ。
ヴァナディスさんには、これから償いが待っているのだ。
そう思うと、私は胸が苦しくなる。
「皆さまには、私事で大変なご迷惑をおかけしました」
彼女はその場にひざまずくや、額を床にこすりつけるほどの土下座を見せた。
まさかの行動に、それを見た人達は戸惑いを隠せない様子。
私も土下座にはびっくりした。
まったく動揺せず彼女へと声をかけたのは――
「やってしまったことは仕方がないわ。フレイヤ――いいえ、ヴァナディス」
――やっぱりザターナ様だった。
「でも、その責任は取らなきゃね」
「はい。覚悟はできております」
ヴァナディスさんがゆっくりと顔を上げる。
ザターナ様へと向けるその表情には、恨みや憎しみの色はない。
まるで憑き物が落ちたかのように、実に晴れやかな顔だわ。
「ヴァナディス、あんたの力は凄いわ」
「しょせんは人を不幸にする力です」
「でも、それも使いようだと思わない?」
「と、申しますと……」
「あんたはこれから、残りの生涯すべてをかけて戦争の調停活動に従事しなさい」
「私がですかっ!?」
その場が騒然とした。
戦争の調停って、なんだかスケールの大きな話だわ。
ザターナ様は一体どういうおつもりで……?
「バトラックスやブレスタムばかりじゃない。マゴニア大陸では、まだまだいろんな国が争いを続けているの。それこそ、いろんな理由でね」
「存じています。ですが、なぜ私に……」
「あたしだけじゃ、手が足りないのよ。だから協力してちょうだい」
「私は過去、多くの人命を絶ってきた大罪人です。そんな私に、そのような大それたこと……」
「勘違いしないで――」
ザターナ様が、ヴァナディスさんの胸倉を掴み上げた。
「――監獄で刑の執行を待つより、よっぽど地獄よ」
「……それが、私の償いとなりますか?」
「戦争のない世界を作ることに貢献したなら、女神様だってぐうの音もでないでしょう」
「それが私の正しき道、なのですね」
「適材適所。あたしは言葉で、あんたは力で。離れ離れになっても、一緒に平和という理想を目指すの。ただし、人殺しは無しよ?」
「承知しました。ザターナ様」
ザターナ様の手が離れるや、ヴァナディスさんは立ち上がって踵を返した。
「行ってしまうのか、ヴァナディス」
「旦那様……」
去ろうとするヴァナディスさんを引き止めたのは、旦那様だった。
「寂しくなるな」
「……例の地図の取引現場。王国騎士団と共に近くの医療院をお訪ねください」
「なぜだ?」
「今朝の取引を要求してきた男が、今もそこのベッドの上でうめいています」
「……あの場に先んじていたのか」
「あの男は、この国に入り込んだ間者にバトラックスの指令を伝える役割を持っています。彼を捕まえれば、隠れた不穏分子をあぶり出せます」
「わかった。ありがとう」
「お世話になりました」
その時、彼女の行く手を阻むように聖堂騎士の皆さんが動いた。
彼らをけしかけたのは、エノク主教様だわ。
「申し訳ございません、聖女様! いくらなんでも、彼女ほどの危険人物を野放しにするわけには参りませんのでっ」
「エノク主教。ヴァナディスはもう危険ではありませんよ」
「それが事実であれ、彼女の罪は我が国の法で裁くべきです。ここはまかり通りませんぞ!」
「……まぁ、好きにすれば」
ザターナ様は呆れた様子で口を閉じてしまう。
一方、聖堂騎士の皆さんに囲まれたヴァナディスさんは――
「主の命で旅に出るの。邪魔をしないで」
――エプロンのポケットからおもむろに丸い玉を取り出した。
……ん?
あの玉、どこかで見たことがあるような。
もしかして!?
「元気でね、ダイアナ」
それは、私が懐に入れていたはずの煙玉。
気づいた時には、ヴァナディスさんは大量の煙に隠されていた。
◇
屋上の煙が晴れると、ヴァナディスさんの姿はどこにもなかった。
聖堂騎士達が慌てて階下へ降りて行ったけど、見つかりっこないでしょう。
「いつかまた会えますよね」
「もちろんよ。帰ってくる家があるんだもの」
ザターナ様の言葉に、私はほろりとしてしまった。
「ザターナ。〈聖声の儀〉を再開しよう」
「はい、お父様」
……そうだった。
〈聖声の儀〉がずっと中断したままだったわ。
「ダイアナ。あんたもおいで」
「えっ。でも」
「あたしの最後の務めよ。特等席で目に焼きつけなさい!」
「……はいっ!」
私はザターナ様に手を引かれて、共にバルコニーへと向かった。
周りには、笑顔を向けてくれる親衛隊の五人が。
これから〈聖声〉が始まるのだと、私は胸が躍った。
その時――
【そう。これが、最後の〈聖声〉となるでしょう】
――頭の中に不思議な声が聞こえた。
◇
「……え?」
「……ここはどこっ!?」
私はザターナ様と二人きりで、不可思議な場所にたたずんでいた。
前を向いても、後ろを向いても。
足元を見下ろしても、空を見上げても。
本当に何もない、真っ白い空間が広がっているだけ。
傍にいたはずの親衛隊の姿がない。
旦那様も、エノク教主様も、その他のみんなも。
ついさっきまで、屋上にいたはずなのに……。
「もしかして〈聖声〉が始まったのですか?」
「いいえ、違うわ。こんなこと、あたしも聖女になって初めて」
不安に駆られて、私はザターナ様にすがりついてしまった。
そんな私の肩をザターナ様は抱いてくれる。
……なんてお優しい。
【怯える必要はありません。先の騒動の働き、見事でしたよ二人とも】
「誰なのっ!?」
【聖女ザターナ。わらわの声を忘れてしまったのですか?】
「まさか……!」
ザターナ様がすごく驚いている。
でも、私もこの声に聞き覚えがあるのよね。
一体どこで聞いたのだったかしら……。
【そして、ナギの血を引く者――ダイアナ。ようやく会えましたね】
「ナギの血? 誰です。私のことを知っているのですか?」
【知っていますよ。あなたのことは、ずっと傍で見守ってきましたから】
「えぇっ!? 誰っ!?」
驚く私をよそに、ザターナ様がその場にひざまずいた。
彼女はキョトンとしている私の腕を引っ張り、執拗に屈ませようとしてくる。
「どうしたんですか?」
「罰当たりな子ね、さっさとひざまずきなさいっ」
え? なんで? どうして?
そもそもこの声は誰なの?
【混乱させてしまいましたね。でも、許してください。もう時がないのです】
その時、私の視界で何か小さな物が動いた。
視線を向けてみると、びっくり。
「カーバンクルちゃん!」
この子もいたのね。
体毛が真っ白いから気づかなかったわ。
「……」
「カーバンクルちゃん?」
私が彼に近づこうとした瞬間。
額の赤い宝石がまばゆい輝きを放ち、そこから黄金色に煌めく光が飛び出した。
「クルルッ」
カーバンクルちゃんは何事もなかったかのように走り出し、私の肩へと飛び乗った。
額の宝石をつついても、熱くもなんともない。
一体何が起こったの?
私は、ザターナ様と並んで黄金色の光を見上げた。
それは太陽のように美しく激しく煌めいているのに、不思議とまぶしくはなく、真正面から見据えることができた。
……すごく綺麗な光だわ。
【わらわの名はエルメシア。あなた方が女神と呼ぶ存在です】
エルメシア!?
女神様!?
神様って実在したの!?
「まさか、女神さまのお姿をこの目で見られる日がくるなんて……」
「でもザターナ様。ピカピカ光っているだけですよ」
「不遜な子ねっ」
私がザターナ様に叱られた直後、黄金色の光は人の形を成していった。
でも、しっかりとお顔が見えるわけではなく、髪の長い女性を思わせる形に変化しただけ。
【ごめんなさいね。わらわには人間のような特定の形はないの】
あれ?
もしかして、私の考えていること……。
【わかりますよ】
ひいっ!
本当に女神様なんだわっ!!
【信じていただけて何よりです】
黄金色の光――もとい女神様は、私達と同じ目線まで降りてきてくれた。
私が平伏しようとすると――
【楽になさい】
――と言っていただけたので、私は女神様のお姿を食い入るように見つめた。
こんな経験、もう二度とないだろうと思ったから。
「女神様。なぜ今回、私どもをこのような場所に?」
【ザターナ。先ほど申し上げたように、これが最後だからです】
「おっしゃっている意味が……」
【単刀直入に申しましょう。ごく近い将来、聖女の力はこの世界から失われます】
「えっ」
聖女の力が消滅!?
ちょっとちょっと、どういうことなの!?
説明してくれないとわからないわ、女神様っ!
【落ち着きなさい、ダイアナ。理由をお話します】
「あ、はい」
「ちょっとダイアナ! あんた、女神様にまた失礼を!?」
それは誤解です、ザターナ様……。
【神話の時代が終焉を向かえて5000年余り。
人は増え、多くの文化を生み出し、社会は発展を遂げました。
わらわはそれを嬉しく思います。
その一方で、人間は心に毒を抱えてしまいました。
傲慢。
強欲。
嫉妬。
憤怒。
色欲。
暴食。
怠惰。
人として、これらの感情を持つのは自然なことです。
しかし、時に抑制が利かなくなり、これらの感情に起因して争いが起こります。
結果として、多くの悲劇が繰り返されている。
この数千年、わらわ達はずっと見守ってきました。
人間が自らの毒を是正し、正しき道を歩んでくれることを。
ですが、その希望は叶わず。
神々は次第にこの世界を離れ……。
今では、わらわが最後の一柱となってしまいました。
わらわの力も、直にこの世界には届かなくなります。
それは聖女という存在の終焉を意味します。
そして、それが巡り巡って世界の機能不全に陥るのではないか……。
わらわは、それを案じているのです】
……はぁ。
なんともすごいお話だったわね。
ザターナ様も同じ感想のようで、険しいお顔をしているわ。
「世界の機能不全が起きた時、どうなってしまうのですか!?」
【タガの外れた世界は秩序を失い、途方もない混乱の末に人間は滅びるでしょう。10年後か、100年後か、もっと先の未来か……】
「そんな!」
【聖女とは、人々の心に調和をもたらす世界の歯車なのです。それが失われるゆえの懸念……わかっていただけますか?】
「……はい」
ザターナ様が難しいお顔で黙り込んでしまった。
でも、何の力もない私は、こんな時に何もしてさしあげられない。
私はそれがとても悔しい。
無力感に気持ちが沈んでいく中。
突然、私達の前に小さな光が現れた。
目を凝らしてみると、それは鞘に収まった黄金の短剣だった。
手が届きそうな距離にふわふわと浮いているわ。
【そして今。もはや猶予はありません。決断の時なのです】
「決断、とは……」
【世界の歯車を失わせるわけには参りません。わらわの力が届く今のうちに、その歯車を確固たるものとします】
「確固たるもの?」
【わらわの最後の力で、聖女の資格ある者を不老不死とし、その力が未来永劫離れぬよう魂へと結びつけます】
……すごい!
それって、聖女様が永遠の命を持って世界を見守り続けるということよね。
そんなことができるなんて、さすが神様!
と言うか、そんなすごい聖女様になってしまったら、ザターナ様も神様みたいなものよね。
ちょっとドキドキしてきちゃった。
「……」
【それが、わらわが人間にできる最後の贈り物です】
「そんな聖女が現れれば、たしかに世界は安泰でしょう。でも、人として――女としての幸せは送れないのではありませんか?」
【その通りです。聖女は現人神として人の毒を押さえるタガとなり、世界の歯車となる宿命が課されるでしょう】
「そして、それは……正しき道を歩んでいる者にしか務まらない」
ザターナ様が、不意に私へと視線を移した。
ここでどうして私を見るの……?
「ダイアナ。女神様はあんたを最後の聖女にすることを望んでいるのよ」
「へ?」
「憤怒に駆られて、奇跡を正しく使わなかったあたしに聖女の資格はない。でも、あんたは違う。その性根も優しさも、あんたほど聖女に相応しい女の子なんていないもの」
「……待って。待ってください!」
「女神様は、あんたにこの世界を託したいとおっしゃっている。そして、実現できる可能性がある人間もまた、あんただけなの」
「嫌です! そんな……だって、それってつまりザターナ様は……」
突如、私は真横から強い光に照らされた。
その光は、目と鼻の先に浮かぶ黄金の短剣から放たれるものだった。
【ダイアナ。剣を取り、その刃でもってザターナの命を絶ちなさい】
「は?」
【猶予はないと言ったはず。数日の後に、わらわの力が届かなくなる可能性があるのです。時は今、この場で、あなたが完璧なる聖女の力を受け継ぐのです】
「そ、そんな……」
鞘に収まったままの短剣が、私の手のひらに飛んできた。
柄の冷たい感触。
私には、それがたまらなく恐ろしかった。
【ダイアナよ。聞き分けなさい】
聞きたくない!
【これは通過儀礼なのです】
そんなこと知らない!
【これより未来に人間が存続し続けるための、節目の儀式】
そんな……。
【避けて通ることはできません】
そんなこと……。
【あなたの決断が、人間の運命を決めるのです】
……。
私は。
私の決断は――
私は彼女の手を引いて、屋上の中央まで戻ってきた。
旦那様を始め、ザターナ様、親衛隊、レイにソロ、そしてエノク主教様らエルメシア教の方々が、揃って私達を見据えている。
……そうだ。
ヴァナディスさんには、これから償いが待っているのだ。
そう思うと、私は胸が苦しくなる。
「皆さまには、私事で大変なご迷惑をおかけしました」
彼女はその場にひざまずくや、額を床にこすりつけるほどの土下座を見せた。
まさかの行動に、それを見た人達は戸惑いを隠せない様子。
私も土下座にはびっくりした。
まったく動揺せず彼女へと声をかけたのは――
「やってしまったことは仕方がないわ。フレイヤ――いいえ、ヴァナディス」
――やっぱりザターナ様だった。
「でも、その責任は取らなきゃね」
「はい。覚悟はできております」
ヴァナディスさんがゆっくりと顔を上げる。
ザターナ様へと向けるその表情には、恨みや憎しみの色はない。
まるで憑き物が落ちたかのように、実に晴れやかな顔だわ。
「ヴァナディス、あんたの力は凄いわ」
「しょせんは人を不幸にする力です」
「でも、それも使いようだと思わない?」
「と、申しますと……」
「あんたはこれから、残りの生涯すべてをかけて戦争の調停活動に従事しなさい」
「私がですかっ!?」
その場が騒然とした。
戦争の調停って、なんだかスケールの大きな話だわ。
ザターナ様は一体どういうおつもりで……?
「バトラックスやブレスタムばかりじゃない。マゴニア大陸では、まだまだいろんな国が争いを続けているの。それこそ、いろんな理由でね」
「存じています。ですが、なぜ私に……」
「あたしだけじゃ、手が足りないのよ。だから協力してちょうだい」
「私は過去、多くの人命を絶ってきた大罪人です。そんな私に、そのような大それたこと……」
「勘違いしないで――」
ザターナ様が、ヴァナディスさんの胸倉を掴み上げた。
「――監獄で刑の執行を待つより、よっぽど地獄よ」
「……それが、私の償いとなりますか?」
「戦争のない世界を作ることに貢献したなら、女神様だってぐうの音もでないでしょう」
「それが私の正しき道、なのですね」
「適材適所。あたしは言葉で、あんたは力で。離れ離れになっても、一緒に平和という理想を目指すの。ただし、人殺しは無しよ?」
「承知しました。ザターナ様」
ザターナ様の手が離れるや、ヴァナディスさんは立ち上がって踵を返した。
「行ってしまうのか、ヴァナディス」
「旦那様……」
去ろうとするヴァナディスさんを引き止めたのは、旦那様だった。
「寂しくなるな」
「……例の地図の取引現場。王国騎士団と共に近くの医療院をお訪ねください」
「なぜだ?」
「今朝の取引を要求してきた男が、今もそこのベッドの上でうめいています」
「……あの場に先んじていたのか」
「あの男は、この国に入り込んだ間者にバトラックスの指令を伝える役割を持っています。彼を捕まえれば、隠れた不穏分子をあぶり出せます」
「わかった。ありがとう」
「お世話になりました」
その時、彼女の行く手を阻むように聖堂騎士の皆さんが動いた。
彼らをけしかけたのは、エノク主教様だわ。
「申し訳ございません、聖女様! いくらなんでも、彼女ほどの危険人物を野放しにするわけには参りませんのでっ」
「エノク主教。ヴァナディスはもう危険ではありませんよ」
「それが事実であれ、彼女の罪は我が国の法で裁くべきです。ここはまかり通りませんぞ!」
「……まぁ、好きにすれば」
ザターナ様は呆れた様子で口を閉じてしまう。
一方、聖堂騎士の皆さんに囲まれたヴァナディスさんは――
「主の命で旅に出るの。邪魔をしないで」
――エプロンのポケットからおもむろに丸い玉を取り出した。
……ん?
あの玉、どこかで見たことがあるような。
もしかして!?
「元気でね、ダイアナ」
それは、私が懐に入れていたはずの煙玉。
気づいた時には、ヴァナディスさんは大量の煙に隠されていた。
◇
屋上の煙が晴れると、ヴァナディスさんの姿はどこにもなかった。
聖堂騎士達が慌てて階下へ降りて行ったけど、見つかりっこないでしょう。
「いつかまた会えますよね」
「もちろんよ。帰ってくる家があるんだもの」
ザターナ様の言葉に、私はほろりとしてしまった。
「ザターナ。〈聖声の儀〉を再開しよう」
「はい、お父様」
……そうだった。
〈聖声の儀〉がずっと中断したままだったわ。
「ダイアナ。あんたもおいで」
「えっ。でも」
「あたしの最後の務めよ。特等席で目に焼きつけなさい!」
「……はいっ!」
私はザターナ様に手を引かれて、共にバルコニーへと向かった。
周りには、笑顔を向けてくれる親衛隊の五人が。
これから〈聖声〉が始まるのだと、私は胸が躍った。
その時――
【そう。これが、最後の〈聖声〉となるでしょう】
――頭の中に不思議な声が聞こえた。
◇
「……え?」
「……ここはどこっ!?」
私はザターナ様と二人きりで、不可思議な場所にたたずんでいた。
前を向いても、後ろを向いても。
足元を見下ろしても、空を見上げても。
本当に何もない、真っ白い空間が広がっているだけ。
傍にいたはずの親衛隊の姿がない。
旦那様も、エノク教主様も、その他のみんなも。
ついさっきまで、屋上にいたはずなのに……。
「もしかして〈聖声〉が始まったのですか?」
「いいえ、違うわ。こんなこと、あたしも聖女になって初めて」
不安に駆られて、私はザターナ様にすがりついてしまった。
そんな私の肩をザターナ様は抱いてくれる。
……なんてお優しい。
【怯える必要はありません。先の騒動の働き、見事でしたよ二人とも】
「誰なのっ!?」
【聖女ザターナ。わらわの声を忘れてしまったのですか?】
「まさか……!」
ザターナ様がすごく驚いている。
でも、私もこの声に聞き覚えがあるのよね。
一体どこで聞いたのだったかしら……。
【そして、ナギの血を引く者――ダイアナ。ようやく会えましたね】
「ナギの血? 誰です。私のことを知っているのですか?」
【知っていますよ。あなたのことは、ずっと傍で見守ってきましたから】
「えぇっ!? 誰っ!?」
驚く私をよそに、ザターナ様がその場にひざまずいた。
彼女はキョトンとしている私の腕を引っ張り、執拗に屈ませようとしてくる。
「どうしたんですか?」
「罰当たりな子ね、さっさとひざまずきなさいっ」
え? なんで? どうして?
そもそもこの声は誰なの?
【混乱させてしまいましたね。でも、許してください。もう時がないのです】
その時、私の視界で何か小さな物が動いた。
視線を向けてみると、びっくり。
「カーバンクルちゃん!」
この子もいたのね。
体毛が真っ白いから気づかなかったわ。
「……」
「カーバンクルちゃん?」
私が彼に近づこうとした瞬間。
額の赤い宝石がまばゆい輝きを放ち、そこから黄金色に煌めく光が飛び出した。
「クルルッ」
カーバンクルちゃんは何事もなかったかのように走り出し、私の肩へと飛び乗った。
額の宝石をつついても、熱くもなんともない。
一体何が起こったの?
私は、ザターナ様と並んで黄金色の光を見上げた。
それは太陽のように美しく激しく煌めいているのに、不思議とまぶしくはなく、真正面から見据えることができた。
……すごく綺麗な光だわ。
【わらわの名はエルメシア。あなた方が女神と呼ぶ存在です】
エルメシア!?
女神様!?
神様って実在したの!?
「まさか、女神さまのお姿をこの目で見られる日がくるなんて……」
「でもザターナ様。ピカピカ光っているだけですよ」
「不遜な子ねっ」
私がザターナ様に叱られた直後、黄金色の光は人の形を成していった。
でも、しっかりとお顔が見えるわけではなく、髪の長い女性を思わせる形に変化しただけ。
【ごめんなさいね。わらわには人間のような特定の形はないの】
あれ?
もしかして、私の考えていること……。
【わかりますよ】
ひいっ!
本当に女神様なんだわっ!!
【信じていただけて何よりです】
黄金色の光――もとい女神様は、私達と同じ目線まで降りてきてくれた。
私が平伏しようとすると――
【楽になさい】
――と言っていただけたので、私は女神様のお姿を食い入るように見つめた。
こんな経験、もう二度とないだろうと思ったから。
「女神様。なぜ今回、私どもをこのような場所に?」
【ザターナ。先ほど申し上げたように、これが最後だからです】
「おっしゃっている意味が……」
【単刀直入に申しましょう。ごく近い将来、聖女の力はこの世界から失われます】
「えっ」
聖女の力が消滅!?
ちょっとちょっと、どういうことなの!?
説明してくれないとわからないわ、女神様っ!
【落ち着きなさい、ダイアナ。理由をお話します】
「あ、はい」
「ちょっとダイアナ! あんた、女神様にまた失礼を!?」
それは誤解です、ザターナ様……。
【神話の時代が終焉を向かえて5000年余り。
人は増え、多くの文化を生み出し、社会は発展を遂げました。
わらわはそれを嬉しく思います。
その一方で、人間は心に毒を抱えてしまいました。
傲慢。
強欲。
嫉妬。
憤怒。
色欲。
暴食。
怠惰。
人として、これらの感情を持つのは自然なことです。
しかし、時に抑制が利かなくなり、これらの感情に起因して争いが起こります。
結果として、多くの悲劇が繰り返されている。
この数千年、わらわ達はずっと見守ってきました。
人間が自らの毒を是正し、正しき道を歩んでくれることを。
ですが、その希望は叶わず。
神々は次第にこの世界を離れ……。
今では、わらわが最後の一柱となってしまいました。
わらわの力も、直にこの世界には届かなくなります。
それは聖女という存在の終焉を意味します。
そして、それが巡り巡って世界の機能不全に陥るのではないか……。
わらわは、それを案じているのです】
……はぁ。
なんともすごいお話だったわね。
ザターナ様も同じ感想のようで、険しいお顔をしているわ。
「世界の機能不全が起きた時、どうなってしまうのですか!?」
【タガの外れた世界は秩序を失い、途方もない混乱の末に人間は滅びるでしょう。10年後か、100年後か、もっと先の未来か……】
「そんな!」
【聖女とは、人々の心に調和をもたらす世界の歯車なのです。それが失われるゆえの懸念……わかっていただけますか?】
「……はい」
ザターナ様が難しいお顔で黙り込んでしまった。
でも、何の力もない私は、こんな時に何もしてさしあげられない。
私はそれがとても悔しい。
無力感に気持ちが沈んでいく中。
突然、私達の前に小さな光が現れた。
目を凝らしてみると、それは鞘に収まった黄金の短剣だった。
手が届きそうな距離にふわふわと浮いているわ。
【そして今。もはや猶予はありません。決断の時なのです】
「決断、とは……」
【世界の歯車を失わせるわけには参りません。わらわの力が届く今のうちに、その歯車を確固たるものとします】
「確固たるもの?」
【わらわの最後の力で、聖女の資格ある者を不老不死とし、その力が未来永劫離れぬよう魂へと結びつけます】
……すごい!
それって、聖女様が永遠の命を持って世界を見守り続けるということよね。
そんなことができるなんて、さすが神様!
と言うか、そんなすごい聖女様になってしまったら、ザターナ様も神様みたいなものよね。
ちょっとドキドキしてきちゃった。
「……」
【それが、わらわが人間にできる最後の贈り物です】
「そんな聖女が現れれば、たしかに世界は安泰でしょう。でも、人として――女としての幸せは送れないのではありませんか?」
【その通りです。聖女は現人神として人の毒を押さえるタガとなり、世界の歯車となる宿命が課されるでしょう】
「そして、それは……正しき道を歩んでいる者にしか務まらない」
ザターナ様が、不意に私へと視線を移した。
ここでどうして私を見るの……?
「ダイアナ。女神様はあんたを最後の聖女にすることを望んでいるのよ」
「へ?」
「憤怒に駆られて、奇跡を正しく使わなかったあたしに聖女の資格はない。でも、あんたは違う。その性根も優しさも、あんたほど聖女に相応しい女の子なんていないもの」
「……待って。待ってください!」
「女神様は、あんたにこの世界を託したいとおっしゃっている。そして、実現できる可能性がある人間もまた、あんただけなの」
「嫌です! そんな……だって、それってつまりザターナ様は……」
突如、私は真横から強い光に照らされた。
その光は、目と鼻の先に浮かぶ黄金の短剣から放たれるものだった。
【ダイアナ。剣を取り、その刃でもってザターナの命を絶ちなさい】
「は?」
【猶予はないと言ったはず。数日の後に、わらわの力が届かなくなる可能性があるのです。時は今、この場で、あなたが完璧なる聖女の力を受け継ぐのです】
「そ、そんな……」
鞘に収まったままの短剣が、私の手のひらに飛んできた。
柄の冷たい感触。
私には、それがたまらなく恐ろしかった。
【ダイアナよ。聞き分けなさい】
聞きたくない!
【これは通過儀礼なのです】
そんなこと知らない!
【これより未来に人間が存続し続けるための、節目の儀式】
そんな……。
【避けて通ることはできません】
そんなこと……。
【あなたの決断が、人間の運命を決めるのです】
……。
私は。
私の決断は――
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