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〈漆黒の婚約指輪編〉

55. 空っぽの男が抱く夢

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 広場がどよめいた。

 アトレイユ様が倒れたのと同時に、ルーク様とハリー様が剣を抜いてアントワーヌへと斬りかかる。
 体が強張っていた私は、アルウェン様に手を引っ張られてその場・・・から引き離された。

 ルーク様の剣がアントワーヌの首に届こうとした時――

「何っ!?」

 ――その白刃をジュリアス様の剣が受け止めた。

非力な女性・・・・・に乱暴はよしてもらおう」
「女性!?」

 ジュリアス様はルーク様を突き飛ばすや、入れ替わりに斬りかかってきたハリー様の剣も難なく弾いてしまう。
 ……この人、強いわ!

「くっ。王子殿下、あなた、剣術も一端いっぱしではないですか!」
「教本通りに宮廷剣術を振るっているだけだよ」

 ハリー様とジュリアス様の剣戟けんげきが続く中、背後から回り込んだルーク様がアントワーヌへと斬りかかる。
 でも、それに気づいたジュリアス様は横に転がって挟み撃ちを回避。
 すぐさまお二人を見渡せる位置へと移動し、アントワーヌの瞳で彼らをけん制してしまった。

「双方とも、剣を収めよっ!!」

 舞台の下から、シモン様が血相を変えて上がってきた。
 主教様が止めようとすると、シモン様は彼を舞台から突き落としてしまう。

「シモン様、危険です! 舞台から降りてください!!」
「ルーク殿、ハリー殿、アトレイユ殿も! 選挙の結果は出たというのに、ジュリアスに剣を向けるとは一体何のつもりだ!?」

 シモン様は私を無視して、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
 選挙に負けた腹いせに、彼らがジュリアス様へと襲いかかったと思っているみたいだわ。

「……シモン。あなたは舞台に上がる資格はない」
「こんな状況ではそうも言っておれんだろう! この事態を説明してくれ!!」
「これには深い事情があるのですよ」
「どんな事情であれ、彼らの暴挙はすぐにでも審問会に――」
「やれ、アントワーヌ」

 ジュリアス様が言うと、アントワーヌの青い瞳が鈍く輝いた。
 ほどなくして、シモン様は仰向けに倒れてしまった。

「もうイイの? ジュリアス」
「ああ、もういい」
「コウなっては、もはやオサマリがツカナイ」
「計画を前倒しにしよう」
「ジュリアス。このサキ、ナニがアロウともワタシのココロはアナタとトモに」
「ありがとう、アントワーヌ」

 ……何、今の彼らの会話は。
 まるで仲睦まじい恋人同士のような会話は。

 ジュリアス様はアントワーヌに操られている。
 その仮説を覆すような会話を耳にして、私は困惑した。

「心臓が止まっている!」
「どういうこと!? 何があったのよ!」
「誰か! すぐにシモン様を医療院へ!!」

 舞台横からは、シモン様を介抱していた審問官達の悲鳴が聞こえてくる。
 その動揺は、事態を見守る他のお偉方にも伝わった様子。
 いち早く異常を感じた人達は、逃げるように退席していくわ。

「邪魔が入ったね。仕切り直そうか」

 ジュリアス様が剣を構えて、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
 対するお二人は、ジュリアス様の――いいえ。アントワーヌの瞳を見ないように顔を伏せているため、守りに徹するしかない。

「王子殿下。もしやあなたは意識があるのか?」
「僕は眠りこけていた覚えはないよ」
「そのモンスターに操られているわけでは……」
「無礼な呼び方は控えてもらおう。彼女・・にはアントワーヌという名前がある。それに、僕は操られてなどいない」
「なんだと!?」
「誤解しないでほしいな。アントワーヌの瞳は、美しい死を映すだけだ!」

 ジュリアス様は操られていない?
 彼はすべてを了承した上で、この惨状を引き起こしているというの!?

「この数日で宮廷の要人が続けざまに倒れたのも、あなたの仕業なのか? アントワーヌに命じて、選挙が有利になるように仕向けたのか!?」
「きみも侯爵家の者なら、兄上達の権力は知っているだろう。その点できみとは分かり合えると思ったんだが、親しくなる前に宗旨替え・・・・されてしまったのは残念だったよ」
「俺は道を踏み外す前に救われた。だが、あなたは……すでに後戻りできない場所にいるようだ」
「否定はしない」

 ジュリアス様が一気にお二人との距離を詰め始めた。
 途中、コートのポケットからおもむろに何かを取り出し、前方へと放り投げる。
 ……それは手鏡だった。

 舞台上に落ちた手鏡はハリー様の足元まで滑っていき、ちょうど彼が視線を落としている床の上で止まった。

「うっ!?」

 直後、急にハリー様の身が強張ったかと思うと――

「……っ」

 ――彼は舞台の上に倒れ込んでしまった。

 鏡にアントワーヌの顔を映り込ませたんだわ。
 顔を伏せていたのに、鏡越しに邪視イビルアイを効かされてしまった。

 最初の邪視イビルアイは反魔鏡を砕いたのに、こんな使い方もできるなんて……。
 きっと呪いの強弱をコントロールできるのね。

「次はきみだ、ケノヴィーくん」

 言うが早いか、ジュリアス様がルーク様へと激しく剣を打ちつける。
 かろうじてその攻撃を受け止めたルーク様だけど、二度、三度と剣を打ちつけられるたび、舞台端まで追いやられていく。
 こんな不利な状況では、やられるのを待つばかりだわ!

「アルウェン様、応援に――」
「アルウェン! ザターナを連れて逃げろ!!」

 私の声にかぶせるように、ルーク様が叫んだ。
 彼はジュリアス様の顔を見上げて、剣を振りかぶっていた。

「いけない! 見てはダメです、ルーク様!!」

 私の忠告も空しく、ルーク様の顔をアントワーヌが覗き込む。

「がっ……」
「どうだい、ケノヴィーくん。死の色は美しいだろう?」

 ルーク様が剣を取り落として、足元から崩れ落ちる。

「逃げ、ろ」

 その声を最後に、彼は動かなくなってしまった。

 ……信じられない。
 アラクネの群れとも渡り合った三剣みつるぎの貴公子が、睨みつけられただけでこんな簡単にやられてしまうなんて。
 私は、邪視イビルアイを軽く考えていたのかもしれない。
 たやすく退治できる相手ならば、魔法時代ルーン・エイジの人々が魂を切り分ける魔法まで持ち出すわけがないもの。

「ザターナ嬢。広場の様子がおかしい!」
「えっ」

 アルウェン様が言うので、広場を見渡してみると――

「な、何が起こっているの!?」

 ――信じられない光景が私の視界に映った。

 ルーク様の後方――広場を埋め尽くしていた市民が、バタバタと倒れていく。
 舞台私達を見入っていた人々が、アントワーヌの瞳を見てしまったんだわ。

「どこで彼女のことを知ったのかは知らないが、情報不足だね」
「なんですって……?」
邪視イビルアイには距離なんて関係ない。例え数百m離れていようとも、視線を交わした・・・・・・・瞬間に死はへと届く。呪いとはそういうものだよ、ザターナ」

 ジュリアス様は肩に乗るアントワーヌを撫でながら、私へと振り返った。
 その顔には、お城で初めて会った時と同じ笑みをたたえている。

「どうしてこんな恐ろしいことをして、そんな顔でいられるのです!?」

 目の前で起こる大惨事に、私は血の気が引いていく思いだった。

 一体、何人がアントワーヌの瞳を見てしまったのか。
 何十人では済まない。
 何百人……? 何千人……!?

 もはや広場は死屍累々の地獄絵図。
 こんな怪物を、私は止められるのだろうか。

「ザターナ。きみは聖女として認められてから、自分を縛りつける宿命に抗いたいと思ったことはないのかい?」
「何を言っているの」
「僕はあるよ。物心ついた時から思っていた――」

 ジュリアス様が、舞台横で立ち尽くしている宮廷のお偉方を指さし始める。
 すると、指さした人物が順々に倒れていく。
 アントワーヌの邪視イビルアイを、完全に彼が操っているわ。

「――王子に生まれたばかりに、僕の人生は自由のない牢獄だった。国民の模範になれ。弱き民を助けよ。悪を挫く正義の心を持て。父も母も兄も家臣も誰もが同じことを言う。おかげで僕は、誰かが用意したものありあわせの部品育てられた組み上げられた空っぽの人間人形になってしまった」
「空っぽの……」
「僕は、自分の内側に芯を通したかった。自分の外側を支える軸を求めていた。僕が僕だと認められるような、核となる何かをずっと欲していたんだ」
「それがアントワーヌ?」
「そう。彼女は、僕が自分の力で手に入れた唯一の存在。だから僕は、彼女と静かに穏やかに暮らしていける理想の世界を望んだ。僕と彼女だけが存在する理想郷だよ!」
邪視イビルアイによる大虐殺で造り出す世界が、理想ですか」
「他人はいらない。僕達だけでいいんだ。その夢のような世界で、僕らは悠久を生きていく」
「……人と獣は、アダムとイヴにはなれませんよ」

 この人は正気を失っている。
 何がなんでも、この場で私が止めなければならない。

「あなたは長い悪夢を見ているのです。今日この場で、その夢を覚まして差し上げます」
「悪夢とは、今! 僕達の外側に広がっている世界のことだよ、ザタァーナッ」

 アントワーヌの青い瞳が鈍く輝く。
 間一髪のところで、私はアルウェン様の腕に顔をかばわれて瞳を見ずに済んだ。

「ダイアナ。悔しいけど、もはや彼らを止められるのはきみしかいない」
「はい。必ず私が止めてみせます」
「守ってやると約束したのに……すまない」
「守ってくれましたよ。今もこうして」
「ダイアナ……」

 アルウェン様の腕をくぐり抜けて、私はアントワーヌへと視線を向けた。

「ワタシをミツメルとは……ショウキか、ザターナ」
「睨めっこしましょう」
「ナニ?」
「聖女の奇跡と悪霊の呪い。雌雄を決するには、相応しいのではなくて?」
「メガミのノロイにトリツカれたアワレなムスメ。せめてエイエンのヤスラギを」

 再び、アントワーヌの青い瞳が鈍い輝きを放った。
 私に魔除けの眼――白虹眼ハイロゥ・アイがあるのなら、彼女の呪いを跳ね返せるはず。
 彼女をやっつければ、倒れた人々も元に戻る!

「いざ!」

 アントワーヌから向けられる邪視イビルアイに対して、私も真っ向から睨みつける。

 ……まぶしい。
 まるで青い太陽を見つめているような感覚だわ。

「うっ」

 ……あれ?

 心臓が何かに握りしめられるような。
 思考がぼんやりとしてくるような。
 何か大事なものが体から抜けていくような。

「な、なんで……?」

 急に体がだるくなってきたわ。
 私はいつの間にか両膝をついて、脂汗が全身を濡らしていることに気がついた。
 吐き気もしてきて、視界も狭まってきた。

 ……これ、まずいんじゃないかしら?

「――――!!」

 私の両肩がにわかに揺さぶられるのを感じる。
 アルウェン様の声が、小さく聞こえてくるような……。

 お、おかしいわね。
 呪いが跳ね返るはずなのに。

「ワタシのシセンをウケて、ソクシしないトハ。ノロイへのタイセイがアルのか?」

 アントワーヌの声だけがしっかりと私の耳に届いてくる。

 呪いへの耐性……?

 そうよ。私の目には、それがあるはず。
 それなのに、なぜ力を発揮できないのだろう。

 思い起こせば、アスラン様やアルウェン様に見えたのに、他の親衛隊には私の白虹眼ハイロゥ・アイが見えなかった。
 フラメール様も、私に白虹眼ハイロゥ・アイがあるとお気づきだった。
 なぜ、気づく者と気づかない者が……?

 アルウェン様は、薄暗い霊安室で。

 フラメール様は……いつ気がついたのかしら。
 あの方とじっくり顔を会わせて話したのは、夜遅くにセイントレイクのご自宅へ訪ねた時だった。

 アスラン様は……思いだした。
 彼のお部屋を鍵穴から覗いた時、私は彼と見つめ合ったのだった。

 ……そうか。わかったわ。
 私の瞳に白虹眼ハイロゥ・アイが現れる条件が!

「あ、アルウェン……様」
「――! ――――――!!」
「舞台を照らす煌々石こうこうせきを……すべて……砕いて」
「――――!?」
「砕いてっ」

 まぶたがとても重くなってきた。
 全身に行き渡っていたはずの五感が失われていくのがわかる。

 これ以上は……耐えられそうに……ない……。

「オヤスミ、ザターナ」

 アントワーヌの声が聞こえた、その時。

 真っ暗となった舞台上にて、突然、私の五感が回復した。
 床の感触、広場の喧騒、そして傍に立つアルウェン様も息遣い、すべて戻った。
 何よりも、今の私にはアントワーヌの顔がハッキリと見えている。
 ……でも、ひとつだけ様子が違った。

「もう青い瞳は見えないわ」

 私がアントワーヌへと意識を向けると、彼女は悲鳴を上げた。
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