67 / 104
〈漆黒の婚約指輪編〉
55. 空っぽの男が抱く夢
しおりを挟む
広場がどよめいた。
アトレイユ様が倒れたのと同時に、ルーク様とハリー様が剣を抜いてアントワーヌへと斬りかかる。
体が強張っていた私は、アルウェン様に手を引っ張られてその場から引き離された。
ルーク様の剣がアントワーヌの首に届こうとした時――
「何っ!?」
――その白刃をジュリアス様の剣が受け止めた。
「非力な女性に乱暴はよしてもらおう」
「女性!?」
ジュリアス様はルーク様を突き飛ばすや、入れ替わりに斬りかかってきたハリー様の剣も難なく弾いてしまう。
……この人、強いわ!
「くっ。王子殿下、あなた、剣術も一端ではないですか!」
「教本通りに宮廷剣術を振るっているだけだよ」
ハリー様とジュリアス様の剣戟が続く中、背後から回り込んだルーク様がアントワーヌへと斬りかかる。
でも、それに気づいたジュリアス様は横に転がって挟み撃ちを回避。
すぐさまお二人を見渡せる位置へと移動し、アントワーヌの瞳で彼らをけん制してしまった。
「双方とも、剣を収めよっ!!」
舞台の下から、シモン様が血相を変えて上がってきた。
主教様が止めようとすると、シモン様は彼を舞台から突き落としてしまう。
「シモン様、危険です! 舞台から降りてください!!」
「ルーク殿、ハリー殿、アトレイユ殿も! 選挙の結果は出たというのに、ジュリアスに剣を向けるとは一体何のつもりだ!?」
シモン様は私を無視して、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
選挙に負けた腹いせに、彼らがジュリアス様へと襲いかかったと思っているみたいだわ。
「……シモン。あなたは舞台に上がる資格はない」
「こんな状況ではそうも言っておれんだろう! この事態を説明してくれ!!」
「これには深い事情があるのですよ」
「どんな事情であれ、彼らの暴挙はすぐにでも審問会に――」
「やれ、アントワーヌ」
ジュリアス様が言うと、アントワーヌの青い瞳が鈍く輝いた。
ほどなくして、シモン様は仰向けに倒れてしまった。
「もうイイの? ジュリアス」
「ああ、もういい」
「コウなっては、もはやオサマリがツカナイ」
「計画を前倒しにしよう」
「ジュリアス。このサキ、ナニがアロウともワタシのココロはアナタとトモに」
「ありがとう、アントワーヌ」
……何、今の彼らの会話は。
まるで仲睦まじい恋人同士のような会話は。
ジュリアス様はアントワーヌに操られている。
その仮説を覆すような会話を耳にして、私は困惑した。
「心臓が止まっている!」
「どういうこと!? 何があったのよ!」
「誰か! すぐにシモン様を医療院へ!!」
舞台横からは、シモン様を介抱していた審問官達の悲鳴が聞こえてくる。
その動揺は、事態を見守る他のお偉方にも伝わった様子。
いち早く異常を感じた人達は、逃げるように退席していくわ。
「邪魔が入ったね。仕切り直そうか」
ジュリアス様が剣を構えて、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
対するお二人は、ジュリアス様の――いいえ。アントワーヌの瞳を見ないように顔を伏せているため、守りに徹するしかない。
「王子殿下。もしやあなたは意識があるのか?」
「僕は眠りこけていた覚えはないよ」
「そのモンスターに操られているわけでは……」
「無礼な呼び方は控えてもらおう。彼女にはアントワーヌという名前がある。それに、僕は操られてなどいない」
「なんだと!?」
「誤解しないでほしいな。アントワーヌの瞳は、美しい死を映すだけだ!」
ジュリアス様は操られていない?
彼はすべてを了承した上で、この惨状を引き起こしているというの!?
「この数日で宮廷の要人が続けざまに倒れたのも、あなたの仕業なのか? アントワーヌに命じて、選挙が有利になるように仕向けたのか!?」
「きみも侯爵家の者なら、兄上達の権力は知っているだろう。その点できみとは分かり合えると思ったんだが、親しくなる前に宗旨替えされてしまったのは残念だったよ」
「俺は道を踏み外す前に救われた。だが、あなたは……すでに後戻りできない場所にいるようだ」
「否定はしない」
ジュリアス様が一気にお二人との距離を詰め始めた。
途中、コートのポケットからおもむろに何かを取り出し、前方へと放り投げる。
……それは手鏡だった。
舞台上に落ちた手鏡はハリー様の足元まで滑っていき、ちょうど彼が視線を落としている床の上で止まった。
「うっ!?」
直後、急にハリー様の身が強張ったかと思うと――
「……っ」
――彼は舞台の上に倒れ込んでしまった。
鏡にアントワーヌの顔を映り込ませたんだわ。
顔を伏せていたのに、鏡越しに邪視を効かされてしまった。
最初の邪視は反魔鏡を砕いたのに、こんな使い方もできるなんて……。
きっと呪いの強弱をコントロールできるのね。
「次はきみだ、ケノヴィーくん」
言うが早いか、ジュリアス様がルーク様へと激しく剣を打ちつける。
かろうじてその攻撃を受け止めたルーク様だけど、二度、三度と剣を打ちつけられるたび、舞台端まで追いやられていく。
こんな不利な状況では、やられるのを待つばかりだわ!
「アルウェン様、応援に――」
「アルウェン! ザターナを連れて逃げろ!!」
私の声にかぶせるように、ルーク様が叫んだ。
彼はジュリアス様の顔を見上げて、剣を振りかぶっていた。
「いけない! 見てはダメです、ルーク様!!」
私の忠告も空しく、ルーク様の顔をアントワーヌが覗き込む。
「がっ……」
「どうだい、ケノヴィーくん。死の色は美しいだろう?」
ルーク様が剣を取り落として、足元から崩れ落ちる。
「逃げ、ろ」
その声を最後に、彼は動かなくなってしまった。
……信じられない。
アラクネの群れとも渡り合った三剣の貴公子が、睨みつけられただけでこんな簡単にやられてしまうなんて。
私は、邪視を軽く考えていたのかもしれない。
たやすく退治できる相手ならば、魔法時代の人々が魂を切り分ける魔法まで持ち出すわけがないもの。
「ザターナ嬢。広場の様子がおかしい!」
「えっ」
アルウェン様が言うので、広場を見渡してみると――
「な、何が起こっているの!?」
――信じられない光景が私の視界に映った。
ルーク様の後方――広場を埋め尽くしていた市民が、バタバタと倒れていく。
舞台を見入っていた人々が、アントワーヌの瞳を見てしまったんだわ。
「どこで彼女のことを知ったのかは知らないが、情報不足だね」
「なんですって……?」
「邪視には距離なんて関係ない。例え数百m離れていようとも、視線を交わした瞬間に死は魂へと届く。呪いとはそういうものだよ、ザターナ」
ジュリアス様は肩に乗るアントワーヌを撫でながら、私へと振り返った。
その顔には、お城で初めて会った時と同じ笑みをたたえている。
「どうしてこんな恐ろしいことをして、そんな顔でいられるのです!?」
目の前で起こる大惨事に、私は血の気が引いていく思いだった。
一体、何人がアントワーヌの瞳を見てしまったのか。
何十人では済まない。
何百人……? 何千人……!?
もはや広場は死屍累々の地獄絵図。
こんな怪物を、私は止められるのだろうか。
「ザターナ。きみは聖女として認められてから、自分を縛りつける宿命に抗いたいと思ったことはないのかい?」
「何を言っているの」
「僕はあるよ。物心ついた時から思っていた――」
ジュリアス様が、舞台横で立ち尽くしている宮廷のお偉方を指さし始める。
すると、指さした人物が順々に倒れていく。
アントワーヌの邪視を、完全に彼が操っているわ。
「――王子に生まれたばかりに、僕の人生は自由のない牢獄だった。国民の模範になれ。弱き民を助けよ。悪を挫く正義の心を持て。父も母も兄も家臣も誰もが同じことを言う。おかげで僕は、誰かが用意したもので育てられた空っぽの人間になってしまった」
「空っぽの……」
「僕は、自分の内側に芯を通したかった。自分の外側を支える軸を求めていた。僕が僕だと認められるような、核となる何かをずっと欲していたんだ」
「それがアントワーヌ?」
「そう。彼女は、僕が自分の力で手に入れた唯一の存在。だから僕は、彼女と静かに穏やかに暮らしていける理想の世界を望んだ。僕と彼女だけが存在する理想郷だよ!」
「邪視による大虐殺で造り出す世界が、理想ですか」
「他人はいらない。僕達だけでいいんだ。その夢のような世界で、僕らは悠久を生きていく」
「……人と獣は、アダムとイヴにはなれませんよ」
この人は正気を失っている。
何がなんでも、この場で私が止めなければならない。
「あなたは長い悪夢を見ているのです。今日この場で、その夢を覚まして差し上げます」
「悪夢とは、今! 僕達の外側に広がっている世界のことだよ、ザタァーナッ」
アントワーヌの青い瞳が鈍く輝く。
間一髪のところで、私はアルウェン様の腕に顔をかばわれて瞳を見ずに済んだ。
「ダイアナ。悔しいけど、もはや彼らを止められるのはきみしかいない」
「はい。必ず私が止めてみせます」
「守ってやると約束したのに……すまない」
「守ってくれましたよ。今もこうして」
「ダイアナ……」
アルウェン様の腕をくぐり抜けて、私はアントワーヌへと視線を向けた。
「ワタシをミツメルとは……ショウキか、ザターナ」
「睨めっこしましょう」
「ナニ?」
「聖女の奇跡と悪霊の呪い。雌雄を決するには、相応しいのではなくて?」
「メガミのノロイにトリツカれたアワレなムスメ。せめてエイエンのヤスラギを」
再び、アントワーヌの青い瞳が鈍い輝きを放った。
私に魔除けの眼――白虹眼があるのなら、彼女の呪いを跳ね返せるはず。
彼女をやっつければ、倒れた人々も元に戻る!
「いざ!」
アントワーヌから向けられる邪視に対して、私も真っ向から睨みつける。
……まぶしい。
まるで青い太陽を見つめているような感覚だわ。
「うっ」
……あれ?
心臓が何かに握りしめられるような。
思考がぼんやりとしてくるような。
何か大事なものが体から抜けていくような。
「な、なんで……?」
急に体がだるくなってきたわ。
私はいつの間にか両膝をついて、脂汗が全身を濡らしていることに気がついた。
吐き気もしてきて、視界も狭まってきた。
……これ、まずいんじゃないかしら?
「――――!!」
私の両肩がにわかに揺さぶられるのを感じる。
アルウェン様の声が、小さく聞こえてくるような……。
お、おかしいわね。
呪いが跳ね返るはずなのに。
「ワタシのシセンをウケて、ソクシしないトハ。ノロイへのタイセイがアルのか?」
アントワーヌの声だけがしっかりと私の耳に届いてくる。
呪いへの耐性……?
そうよ。私の目には、それがあるはず。
それなのに、なぜ力を発揮できないのだろう。
思い起こせば、アスラン様やアルウェン様に見えたのに、他の親衛隊には私の白虹眼が見えなかった。
フラメール様も、私に白虹眼があるとお気づきだった。
なぜ、気づく者と気づかない者が……?
アルウェン様は、薄暗い霊安室で。
フラメール様は……いつ気がついたのかしら。
あの方とじっくり顔を会わせて話したのは、夜遅くにセイントレイクのご自宅へ訪ねた時だった。
アスラン様は……思いだした。
彼のお部屋を鍵穴から覗いた時、私は彼と見つめ合ったのだった。
……そうか。わかったわ。
私の瞳に白虹眼が現れる条件が!
「あ、アルウェン……様」
「――! ――――――!!」
「舞台を照らす煌々石を……すべて……砕いて」
「――――!?」
「砕いてっ」
瞼がとても重くなってきた。
全身に行き渡っていたはずの五感が失われていくのがわかる。
これ以上は……耐えられそうに……ない……。
「オヤスミ、ザターナ」
アントワーヌの声が聞こえた、その時。
真っ暗となった舞台上にて、突然、私の五感が回復した。
床の感触、広場の喧騒、そして傍に立つアルウェン様も息遣い、すべて戻った。
何よりも、今の私にはアントワーヌの顔がハッキリと見えている。
……でも、ひとつだけ様子が違った。
「もう青い瞳は見えないわ」
私がアントワーヌへと意識を向けると、彼女は悲鳴を上げた。
アトレイユ様が倒れたのと同時に、ルーク様とハリー様が剣を抜いてアントワーヌへと斬りかかる。
体が強張っていた私は、アルウェン様に手を引っ張られてその場から引き離された。
ルーク様の剣がアントワーヌの首に届こうとした時――
「何っ!?」
――その白刃をジュリアス様の剣が受け止めた。
「非力な女性に乱暴はよしてもらおう」
「女性!?」
ジュリアス様はルーク様を突き飛ばすや、入れ替わりに斬りかかってきたハリー様の剣も難なく弾いてしまう。
……この人、強いわ!
「くっ。王子殿下、あなた、剣術も一端ではないですか!」
「教本通りに宮廷剣術を振るっているだけだよ」
ハリー様とジュリアス様の剣戟が続く中、背後から回り込んだルーク様がアントワーヌへと斬りかかる。
でも、それに気づいたジュリアス様は横に転がって挟み撃ちを回避。
すぐさまお二人を見渡せる位置へと移動し、アントワーヌの瞳で彼らをけん制してしまった。
「双方とも、剣を収めよっ!!」
舞台の下から、シモン様が血相を変えて上がってきた。
主教様が止めようとすると、シモン様は彼を舞台から突き落としてしまう。
「シモン様、危険です! 舞台から降りてください!!」
「ルーク殿、ハリー殿、アトレイユ殿も! 選挙の結果は出たというのに、ジュリアスに剣を向けるとは一体何のつもりだ!?」
シモン様は私を無視して、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
選挙に負けた腹いせに、彼らがジュリアス様へと襲いかかったと思っているみたいだわ。
「……シモン。あなたは舞台に上がる資格はない」
「こんな状況ではそうも言っておれんだろう! この事態を説明してくれ!!」
「これには深い事情があるのですよ」
「どんな事情であれ、彼らの暴挙はすぐにでも審問会に――」
「やれ、アントワーヌ」
ジュリアス様が言うと、アントワーヌの青い瞳が鈍く輝いた。
ほどなくして、シモン様は仰向けに倒れてしまった。
「もうイイの? ジュリアス」
「ああ、もういい」
「コウなっては、もはやオサマリがツカナイ」
「計画を前倒しにしよう」
「ジュリアス。このサキ、ナニがアロウともワタシのココロはアナタとトモに」
「ありがとう、アントワーヌ」
……何、今の彼らの会話は。
まるで仲睦まじい恋人同士のような会話は。
ジュリアス様はアントワーヌに操られている。
その仮説を覆すような会話を耳にして、私は困惑した。
「心臓が止まっている!」
「どういうこと!? 何があったのよ!」
「誰か! すぐにシモン様を医療院へ!!」
舞台横からは、シモン様を介抱していた審問官達の悲鳴が聞こえてくる。
その動揺は、事態を見守る他のお偉方にも伝わった様子。
いち早く異常を感じた人達は、逃げるように退席していくわ。
「邪魔が入ったね。仕切り直そうか」
ジュリアス様が剣を構えて、ルーク様とハリー様へと詰め寄って行く。
対するお二人は、ジュリアス様の――いいえ。アントワーヌの瞳を見ないように顔を伏せているため、守りに徹するしかない。
「王子殿下。もしやあなたは意識があるのか?」
「僕は眠りこけていた覚えはないよ」
「そのモンスターに操られているわけでは……」
「無礼な呼び方は控えてもらおう。彼女にはアントワーヌという名前がある。それに、僕は操られてなどいない」
「なんだと!?」
「誤解しないでほしいな。アントワーヌの瞳は、美しい死を映すだけだ!」
ジュリアス様は操られていない?
彼はすべてを了承した上で、この惨状を引き起こしているというの!?
「この数日で宮廷の要人が続けざまに倒れたのも、あなたの仕業なのか? アントワーヌに命じて、選挙が有利になるように仕向けたのか!?」
「きみも侯爵家の者なら、兄上達の権力は知っているだろう。その点できみとは分かり合えると思ったんだが、親しくなる前に宗旨替えされてしまったのは残念だったよ」
「俺は道を踏み外す前に救われた。だが、あなたは……すでに後戻りできない場所にいるようだ」
「否定はしない」
ジュリアス様が一気にお二人との距離を詰め始めた。
途中、コートのポケットからおもむろに何かを取り出し、前方へと放り投げる。
……それは手鏡だった。
舞台上に落ちた手鏡はハリー様の足元まで滑っていき、ちょうど彼が視線を落としている床の上で止まった。
「うっ!?」
直後、急にハリー様の身が強張ったかと思うと――
「……っ」
――彼は舞台の上に倒れ込んでしまった。
鏡にアントワーヌの顔を映り込ませたんだわ。
顔を伏せていたのに、鏡越しに邪視を効かされてしまった。
最初の邪視は反魔鏡を砕いたのに、こんな使い方もできるなんて……。
きっと呪いの強弱をコントロールできるのね。
「次はきみだ、ケノヴィーくん」
言うが早いか、ジュリアス様がルーク様へと激しく剣を打ちつける。
かろうじてその攻撃を受け止めたルーク様だけど、二度、三度と剣を打ちつけられるたび、舞台端まで追いやられていく。
こんな不利な状況では、やられるのを待つばかりだわ!
「アルウェン様、応援に――」
「アルウェン! ザターナを連れて逃げろ!!」
私の声にかぶせるように、ルーク様が叫んだ。
彼はジュリアス様の顔を見上げて、剣を振りかぶっていた。
「いけない! 見てはダメです、ルーク様!!」
私の忠告も空しく、ルーク様の顔をアントワーヌが覗き込む。
「がっ……」
「どうだい、ケノヴィーくん。死の色は美しいだろう?」
ルーク様が剣を取り落として、足元から崩れ落ちる。
「逃げ、ろ」
その声を最後に、彼は動かなくなってしまった。
……信じられない。
アラクネの群れとも渡り合った三剣の貴公子が、睨みつけられただけでこんな簡単にやられてしまうなんて。
私は、邪視を軽く考えていたのかもしれない。
たやすく退治できる相手ならば、魔法時代の人々が魂を切り分ける魔法まで持ち出すわけがないもの。
「ザターナ嬢。広場の様子がおかしい!」
「えっ」
アルウェン様が言うので、広場を見渡してみると――
「な、何が起こっているの!?」
――信じられない光景が私の視界に映った。
ルーク様の後方――広場を埋め尽くしていた市民が、バタバタと倒れていく。
舞台を見入っていた人々が、アントワーヌの瞳を見てしまったんだわ。
「どこで彼女のことを知ったのかは知らないが、情報不足だね」
「なんですって……?」
「邪視には距離なんて関係ない。例え数百m離れていようとも、視線を交わした瞬間に死は魂へと届く。呪いとはそういうものだよ、ザターナ」
ジュリアス様は肩に乗るアントワーヌを撫でながら、私へと振り返った。
その顔には、お城で初めて会った時と同じ笑みをたたえている。
「どうしてこんな恐ろしいことをして、そんな顔でいられるのです!?」
目の前で起こる大惨事に、私は血の気が引いていく思いだった。
一体、何人がアントワーヌの瞳を見てしまったのか。
何十人では済まない。
何百人……? 何千人……!?
もはや広場は死屍累々の地獄絵図。
こんな怪物を、私は止められるのだろうか。
「ザターナ。きみは聖女として認められてから、自分を縛りつける宿命に抗いたいと思ったことはないのかい?」
「何を言っているの」
「僕はあるよ。物心ついた時から思っていた――」
ジュリアス様が、舞台横で立ち尽くしている宮廷のお偉方を指さし始める。
すると、指さした人物が順々に倒れていく。
アントワーヌの邪視を、完全に彼が操っているわ。
「――王子に生まれたばかりに、僕の人生は自由のない牢獄だった。国民の模範になれ。弱き民を助けよ。悪を挫く正義の心を持て。父も母も兄も家臣も誰もが同じことを言う。おかげで僕は、誰かが用意したもので育てられた空っぽの人間になってしまった」
「空っぽの……」
「僕は、自分の内側に芯を通したかった。自分の外側を支える軸を求めていた。僕が僕だと認められるような、核となる何かをずっと欲していたんだ」
「それがアントワーヌ?」
「そう。彼女は、僕が自分の力で手に入れた唯一の存在。だから僕は、彼女と静かに穏やかに暮らしていける理想の世界を望んだ。僕と彼女だけが存在する理想郷だよ!」
「邪視による大虐殺で造り出す世界が、理想ですか」
「他人はいらない。僕達だけでいいんだ。その夢のような世界で、僕らは悠久を生きていく」
「……人と獣は、アダムとイヴにはなれませんよ」
この人は正気を失っている。
何がなんでも、この場で私が止めなければならない。
「あなたは長い悪夢を見ているのです。今日この場で、その夢を覚まして差し上げます」
「悪夢とは、今! 僕達の外側に広がっている世界のことだよ、ザタァーナッ」
アントワーヌの青い瞳が鈍く輝く。
間一髪のところで、私はアルウェン様の腕に顔をかばわれて瞳を見ずに済んだ。
「ダイアナ。悔しいけど、もはや彼らを止められるのはきみしかいない」
「はい。必ず私が止めてみせます」
「守ってやると約束したのに……すまない」
「守ってくれましたよ。今もこうして」
「ダイアナ……」
アルウェン様の腕をくぐり抜けて、私はアントワーヌへと視線を向けた。
「ワタシをミツメルとは……ショウキか、ザターナ」
「睨めっこしましょう」
「ナニ?」
「聖女の奇跡と悪霊の呪い。雌雄を決するには、相応しいのではなくて?」
「メガミのノロイにトリツカれたアワレなムスメ。せめてエイエンのヤスラギを」
再び、アントワーヌの青い瞳が鈍い輝きを放った。
私に魔除けの眼――白虹眼があるのなら、彼女の呪いを跳ね返せるはず。
彼女をやっつければ、倒れた人々も元に戻る!
「いざ!」
アントワーヌから向けられる邪視に対して、私も真っ向から睨みつける。
……まぶしい。
まるで青い太陽を見つめているような感覚だわ。
「うっ」
……あれ?
心臓が何かに握りしめられるような。
思考がぼんやりとしてくるような。
何か大事なものが体から抜けていくような。
「な、なんで……?」
急に体がだるくなってきたわ。
私はいつの間にか両膝をついて、脂汗が全身を濡らしていることに気がついた。
吐き気もしてきて、視界も狭まってきた。
……これ、まずいんじゃないかしら?
「――――!!」
私の両肩がにわかに揺さぶられるのを感じる。
アルウェン様の声が、小さく聞こえてくるような……。
お、おかしいわね。
呪いが跳ね返るはずなのに。
「ワタシのシセンをウケて、ソクシしないトハ。ノロイへのタイセイがアルのか?」
アントワーヌの声だけがしっかりと私の耳に届いてくる。
呪いへの耐性……?
そうよ。私の目には、それがあるはず。
それなのに、なぜ力を発揮できないのだろう。
思い起こせば、アスラン様やアルウェン様に見えたのに、他の親衛隊には私の白虹眼が見えなかった。
フラメール様も、私に白虹眼があるとお気づきだった。
なぜ、気づく者と気づかない者が……?
アルウェン様は、薄暗い霊安室で。
フラメール様は……いつ気がついたのかしら。
あの方とじっくり顔を会わせて話したのは、夜遅くにセイントレイクのご自宅へ訪ねた時だった。
アスラン様は……思いだした。
彼のお部屋を鍵穴から覗いた時、私は彼と見つめ合ったのだった。
……そうか。わかったわ。
私の瞳に白虹眼が現れる条件が!
「あ、アルウェン……様」
「――! ――――――!!」
「舞台を照らす煌々石を……すべて……砕いて」
「――――!?」
「砕いてっ」
瞼がとても重くなってきた。
全身に行き渡っていたはずの五感が失われていくのがわかる。
これ以上は……耐えられそうに……ない……。
「オヤスミ、ザターナ」
アントワーヌの声が聞こえた、その時。
真っ暗となった舞台上にて、突然、私の五感が回復した。
床の感触、広場の喧騒、そして傍に立つアルウェン様も息遣い、すべて戻った。
何よりも、今の私にはアントワーヌの顔がハッキリと見えている。
……でも、ひとつだけ様子が違った。
「もう青い瞳は見えないわ」
私がアントワーヌへと意識を向けると、彼女は悲鳴を上げた。
0
お気に入りに追加
533
あなたにおすすめの小説
溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!
参
恋愛
男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。
ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。
全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?!
※結構ふざけたラブコメです。
恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。
ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。
前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。
※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。
【本編完結】五人のイケメン薔薇騎士団団長に溺愛されて200年の眠りから覚めた聖女王女は困惑するばかりです!
七海美桜
恋愛
フーゲンベルク大陸で、長く大陸の大半を治めていたバッハシュタイン王国で、最後の古龍への生贄となった第三王女のヴェンデルガルト。しかしそれ以降古龍が亡くなり王国は滅びバルシュミーデ皇国の治世になり二百年後。封印されていたヴェンデルガルトが目覚めると、魔法は滅びた世で「治癒魔法」を使えるのは彼女だけ。亡き王国の王女という事で城に客人として滞在する事になるのだが、治癒魔法を使える上「金髪」である事から「黄金の魔女」と恐れられてしまう。しかしそんな中。五人の美青年騎士団長たちに溺愛されて、愛され過ぎて困惑する毎日。彼女を生涯の伴侶として愛する古龍・コンスタンティンは生まれ変わり彼女と出逢う事が出来るのか。龍と薔薇に愛されたヴェンデルガルトは、誰と結ばれるのか。
この作品は、小説家になろうにも掲載しています。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
魔力なしと虐げられた令嬢は孤高の騎士団総長に甘やかされる
橋本彩里(Ayari)
恋愛
五歳で魔力なしと判定され魔力があって当たり前の貴族社会では恥ずかしいことだと蔑まれ、使用人のように扱われ物置部屋で生活をしていた伯爵家長女ミザリア。
十六歳になり、魔力なしの役立たずは出て行けと屋敷から追い出された。
途中騎士に助けられ、成り行きで王都騎士団寮、しかも総長のいる黒狼寮での家政婦として雇われることになった。
それぞれ訳ありの二人、総長とミザリアは周囲の助けもあってじわじわ距離が近づいていく。
命を狙われたり互いの事情やそれにまつわる事件が重なり、気づけば総長に過保護なほど甘やかされ溺愛され……。
孤高で寡黙な総長のまっすぐな甘やかしに溺れないようにとミザリアは今日も家政婦業に励みます!
※R15については暴力や血の出る表現が少々含まれますので保険としてつけています。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
悪役令嬢は二度も断罪されたくない!~あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?~
イトカワジンカイ
恋愛
(あれって…もしや断罪イベントだった?)
グランディアス王国の貴族令嬢で王子の婚約者だったアドリアーヌは、国外追放になり敵国に送られる馬車の中で不意に前世の記憶を思い出した。
「あー、小説とかでよく似たパターンがあったような」
そう、これは前世でプレイした乙女ゲームの世界。だが、元社畜だった社畜パワーを活かしアドリアーヌは逆にこの世界を満喫することを決意する。
(これで憧れのスローライフが楽しめる。ターシャ・デューダのような自給自足ののんびり生活をするぞ!)
と公爵令嬢という貴族社会から離れた”平穏な暮らし”を夢見ながら敵国での生活をはじめるのだが、そこはアドリアーヌが断罪されたゲームの続編の世界だった。
続編の世界でも断罪されることを思い出したアドリアーヌだったが、悲しいかな攻略対象たちと必然のように関わることになってしまう。
さぁ…アドリアーヌは2度目の断罪イベントを受けることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができるのか!?
「あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?」
※ファンタジーなので細かいご都合設定は多めに見てください(´・ω・`)
※小説家になろう、ノベルバにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる