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〈漆黒の婚約指輪編〉

47. 聖女の心変わり

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 私はアルウェン様と街路を歩く傍ら、彼女からザターナ様との思い出話を聞いていた。

「……ザターナ様がお変わりになられた?」
「彼女が真贋しんがん裁判で聖女と認められた後、しばらくしてからのことです。エルメシア教の聖地巡礼のお役目で、辺境の地へと赴いたことがありました――」

 それって今から六、七年くらい前のことかしら。
 ザターナ様は、そんな子供の頃から聖女のお役目を果たしていたのね。

「――彼女は目立ちたがり屋だったので、あの多忙な日常も受け入れていました。でも、辺境から帰ってきた彼女はいつもと様子が違ったのです」
「違った、とは……?」
「聖女としての威厳がまったく無くなってしまいました。宮廷やエルメシア教のお偉方と会うことを拒否し、屋敷に閉じこもってしまったのです」
「ザターナ様にそんなことが……」
「それから聖女のお役目を拒否することが続いて、大変だったようです。そのことで陛下がお怒りになり、トバルカイン子爵に授与されるはずだった伯爵号の話も無くなったとか」
「辺境で何かあったのでしょうか?」

 アルウェン様は悲痛な面持ちで、首を横に振った。

「それから彼女とは疎遠になってしまったので、私は何も知らないのです。国境警備に配属された後にいろいろ調べてみたのですが、当時の巡礼で何か騒ぎが起きたという記録はありませんでした」
「そうですか……」
「当時の私は、彼女がそっけなくなったのは中途半端な・・・・・自分のせいだと解釈しました。それで一念発起して騎士を目指したのですが……結局、彼女の悩みを解決してあげることはできなかった」
「アルウェン様……」
「ザターナが出奔したのなら、その責任の一端は私にもあるかもしれない。彼女を捜すというのであれば、ぜひ私にも協力させてください」

 アルウェン様が爽やかな笑顔と共に、私に手を差し出してきた。
 私にその手を握ることを拒む理由はない。

「アルウェン様にそう言っていただけると、心強いですわ」 
「当面の課題は、婚約の回避……といったところでしょうか?」
「それが可能ならば是非にでも。とは言え、陛下や大主教様の決定ですから覆すことはとても困難で……」
「……」
「どうかしましたか?」

 アルウェン様が急に難しい顔をして、押し黙ってしまった。

「……私に考えがあります」
「考え、ですか」
「はい。しかし、それが聖女にとって適切かどうかはわかりません。ですから、あまり当てにはしないでください」
「心の隅に止めておきます」
「それでいい」

 アルウェン様の顔に笑みが戻った。

「ところで」
「はい」
「今日、あなたは宮廷に行っているはずでは?」
「あっ!」

 私は、お城から抜け出していたことをすっかり忘れていた。
 あれからずいぶん時間が経っている。
 すぐにヴァナディスさん達と合流して、お城へ戻らないと!

「ごめんなさい、アルウェン様! 私、すぐにお城へ戻りますっ」
「もちろんお供しますよ。ザターナ嬢・・・・・

 その後、私は合流したヴァナディスさんに怒られた。
 そして、お城に戻ったヴァナディスさんと私は、旦那様に怒られた。
 さらに、旦那様と私は、国王陛下に怒られた。

 ……疲れた。


 ◇


 ザターナ様わたしの婚約者については、親衛隊五名による直談判でいったん公表が控えられることになった。
 ケノヴィー侯爵やコリアンダ伯爵など、宮廷に影響力を持つ彼らのお父上が反対派として名乗りを上げたことも大きいみたい。

 宮廷は大いにざわついてしまった。
 そして、人の口に戸は立てられない――

「聖女様の婚約者が、ジュリアス様に決まったんですって!」
「てっきりルーク様かアトレイユ様のどちらかになると思っていたのになぁ」
「待て待て。ハリー様が聖都から聖女を連れ出して、告白したって聞いたぞ?」
「ペベンシィ家の次男が、聖女を手に入れるためにアラクネを復活させたってのはデマなのか?」
「王国騎士団のホープとの密会が目撃されたって聞いたばかりだぞ!」
「陛下のご子息でご結婚されていないのはジュリアス様だけだ。年齢も近いし、お似合いじゃないか」

 ――当代聖女の婚約者が第三王子ジュリアス様であると国民に知れ渡るのは、間もなくのことだった。


 ◇


 翌日、早くも聖都市民の間で婚約者問題がにわかに盛り上がり始めた。
 そんな中、私は旦那様の書斎へと呼び出されて、ヴァナディスさんと共に今後の方針を練ることになった。

「アルウェンが味方についたことは大きい。彼――いや、彼女の力を借りれば、騎士団の国内情報網を利用してザターナの行方を追うのに役立つ」
「そうですね……。アルウェン様なら……そういった協力もしてくださるでしょう。はぁ……」
「どうした、ヴァナディス? 気分が優れないようだが」
「そうでしょうか? ……はぁ。そうでしょうね……」

 ヴァナディスさんにいつもの覇気がない。
 ……アルウェン様の秘密を知って、少々落ち込んでしまったみたい。

「ヴァナディスさん、大丈夫ですか?」
「はぁ。大丈夫、大丈夫よ……。だって私、まだ27だもの」

 ……少々どころじゃないわね。
 これはかなり重症だわ。

「と、とにかく――」

 旦那様は、ぼ~っとしているヴァナディスさんを横目に、本題に入った。

「――王子殿下と婚約したとなれば、宮廷で過ごす時間も多くなる。そうなれば、替え玉であることをごまかしきれなくなるだろう」
「婚約が白紙になることはあるのでしょうか?」
「それは難しい。公表を差し控えるだけで、宮廷としては彼を婚約者に据えたいはずだからな」
「……とっくに市民には知れ渡っちゃってますけどね」
「宮廷には、聖女の情報を売って小銭を稼ぐ馬鹿者がいるのだ! 忌々しいっ」

 旦那様が苛立ちを隠さずに執務机を叩いた。
 その音で我に返ったのか、ヴァナディスさんが懸案について話し始める。

「王子殿下から悪い噂は聞きません。むしろ、聖都の貧民街の改善や孤児院への寄付など、慈善事業に注力する聖人と称えられていますわ」
「私としても、彼がザターナの夫になることに反対しているわけではない。だが、時期が悪すぎる」
「宮廷の第三王子ジュリアス派閥は、〈聖声せいせいの儀〉までに婚姻を結ばせたいそうですね」
「そうだ。〈聖声せいせいの儀〉の場に、王子を立たせたいのだろう。そうすることでエルメシア教にも彼が特別な存在となり、第三王子ジュリアス派閥の勢力も増す」

 ……政治かぁ。
 陛下のご子息と、当代聖女ともなれば、その立場が利用されるのはわかる。
 でも、政略結婚なんかで本当に愛し合える家庭ができるのかしら。
 ザターナ様が結婚なされるのなら、温かい家庭を持ってもらいたいのに……。

「このまま婚姻が回避できないのであれば、なんとしてもお嬢様を見つけるしかありませんね」
「そうだな。しかし、シルドライトで消息を絶ってから、いまだに足取りは掴めていない」
「まさか、すでにどこかの国で囚われてしまっているのでは……!?」
「そんなことがあれば、何かしらの情報がセントレイピアにも入ってくる。いまだ音沙汰なしと言うことは、最悪の事態には陥っていないはずだ」

 以前、旦那様も言っていたわね。
 聖女の奇跡は世界のバランスを保つ天秤そのものだって。
 となると、やっぱりザターナ様には聖都に帰って来ていただかないと……。

 私は、アルウェン様から聞いた話を思い返した。
 辺境に巡礼に行ってから、ザターナ様はお変わりになられた。
 彼女が鉄の聖女・・・・と呼ばれるようになったのは、きっとそれからだわ。

 ……ザターナ様の行方の手がかりは、その辺境にこそあるのかもしれない。

「旦那様、ヴァナディスさん。実は――」

 私は、自分なりの考えをお二人に伝えた。
 かつてザターナ様が辺境にお立ち寄りになった時、何かが起こった。
 それが原因――もしくは遠因――となって、二ヵ月前にザターナ様は出奔なされたのではないか。
 ……さすがに駆け落ちの可能性までは伝えなかったけど。

「辺境への巡礼か……。七年前、辺境都市フロンテに行った時のことだな。たしかに帰国後、ザターナに元気がなかったことを覚えている」
「フロンテと言えば、東方国境線近くの都市ですね。グリトニル辺境伯が統治されているという」
「そこでザターナに何があったのか。それがわかれば、あの子がなぜ出奔したのかわかるかもしれない……ということか?」

 私は旦那様の問いにこくりと頷いた。

「そして、それはザターナ様が今、何を目的に行動しているのかに繋がります。目的がわかれば、きっと居場所に繋がる手がかりが得られるのではないかと」
「……その理屈はわかる。しかし、今の東方国境は非常に危険だぞ。それに、私は彼へのツテを持っていない」
「ツテならあります。東方国境線で警備任務についていたアルウェン様なら、あちらに遠征している騎士団に親しい方もいるはず」
「……そうか。そうだったな。今すぐアルウェンを呼べ!」


 ◇


 アルウェン様を書斎に招いて、事情を説明した後。
 彼女は苦い顔をしながら口を開いた。

「残念ながら、お力にはなれないかと……」
「どういうことだ?」
「私が中央に戻ってこれたのは、軍神トールを追い返した功績だと報告されていると思いますが、それは表向きの理由なのです」
「……別の理由があったのか?」
「実は、私の秘密は東方国境警備隊の間では周知の事実でして。他に女性騎士が一人もいない中、私の正体が明るみになったことで隊内の風紀が問題視されたのです」
「なるほどな。それで、名誉を盾に中央へと追いやられてきたわけか。表向きは栄転という形で」
「はい。聖都に戻りたかった私としては、抵抗する理由もありませんでしたので」
「となれば、警備隊から辺境伯に根回ししてもらうことは期待できんか……」
「申し訳ありません」

 アルウェン様の数年間は、本当に大変だったのでしょうね。
 ようやく聖都に帰ってきて、念願の聖女が偽物だったと知った時の胸中を想像すると……胸が張り裂けそう。

「仕方ない。時間はかかるが、辺境伯とツテのある者を捜すしかあるまい」
「ハリー様のお父様にお願いしては?」
「たしかにリンデルバルド伯爵ならツテはあるだろう。しかし、彼に借りを作り過ぎるのは良くない」
「エルメシア教の方はどうでしょう? 聖塔の主教様など、前にお会いした時はとても好意的でしたけど」
「エノク主教か? エルメシア教を頼りすぎると、今度は宮廷側に角が立つぞ」

 ……あちらを立てればこちらが立たず。
 面倒臭いわね、政治って!

 そういう殿方の見栄やら政治やらに左右されない、私だけのツテがあればいいんだけど――

「……あ」

 ――その時、私は思い出した。

 美しい銀色の髪の女性――レイア元王女殿下。
 彼女は宮廷審問会の判決で、辺境への追放が下された。

 辺境――まさにグリトニル辺境伯が統治されている地方だわ。

「旦那様、アルウェン様、ヴァナディスさん。たったひとつだけ、ツテがありました」
「なんだと?」
「加えて、婚約者の人となりをお訊ねするのに、もっとも打ってつけの相手です」
「誰のことを言っているのだ?」
「彼女なら――レイア様なら、きっと私の助けになってくれます!」

 ……翌日、私は親衛隊と共に辺境へ旅立つことが決まった。
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