すくいや

Green hand

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森戸銀子~裁き~

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『森戸銀子~裁き~』

「・・・・・・・。」

銀子は、苦悩していた。

「・・・何故黙ってたの。」

「・・巻き込みたくなかったからだ。」

創一から話を聞いたその日の夜、家を雅紀達に任せて、銀子は父親の店へ訪れた。
到着するやいなや、創一から聞いて初めて知った事実を問いただした。

「父ちゃんに姉がいることも、甥がいることも・・・どうして?」

「・・姉は、勘当同然で嫁いでいった身で、息子の慧については、お前達に会わせるのは良くないと、ワシの直感が働いたからだよ。直感は・・・正しかったようだな。」

父親の直感はよく当たるのを、銀子は知っていた。

「話して。全部。」

父親は、ゆっくり頷き、カウンター席へ座るよう促した。
銀子は、しかめっ面したまま渋々席につく。

「姉の・・初美の旦那は、村のある家の息子だった。その家長は村の嫌われ者でな、やめておけと初美を説得したが、元々こうと決めたら聞かん人だった。意志が硬くてな、勘当に近い状態で嫁いでいった。」

「嫌われ者っていうと、[開拓者]の一族?」

「あ、ああ。よく知ってるな。そんな話。」

「小さい頃聞いたことがあったの。学校の先生や、村の人から。」

「そうか。当時は、まだこんなに道が整備されてなくて、街の学校へ通うのにかなりの時間がかかった。村で何が起きていたのか、ワシはあまり詳しくは知らんが、余所から人が入って来て、この村を切り拓いて繁栄させようとしていたのは知っていた。村の人から聞いた話だと、手始めに山で暮らす野生の動物達を排除したらしい。村の中には、狩猟で生計を立てている者達もいた。村と獣はうまく共存関係を築いていたにも関わらず、所有者に半ば強引に金を握らせて、土地に入り込み、森林伐採や土地の開拓など、反対する者の話も聞かず、やりたい放題やったそうだ。だから、嫌われていた。」

父親は、カウンターの向こうへ手を伸ばし、湯呑みを1つ取ると、急須に入った茶を注ぐ。

「ちなみに、現村長はその末息子だ。そして、初美の旦那は長男にあたる。ある日の夜、親のした所業のせいで、家長と共に兄弟5人が暮らす屋敷に、村の者が火を放ち殺されかけた。身重の初美も巻き込まれて、顔に大きな火傷を負ったが、当時5歳の末息子と何とか難を逃れた。他の者達は助からなかった・・・。ワシは、村の人達が大好きだ。貧しくても、皆明るく元気で優しい。困ったことがあれば、互いに助け合ってきた。だが、村人達の団結力は、時として狂気になる。当時、[開拓者の血は悪]と思い込んでいた。火災を逃れた2人の前に、あんなに心優しい人達が、農具を握りしめて立ちはだかる姿を見て、とてもショックを受けたよ。」

哀しそうに話す父親を、銀子は黙って見つめる。

「子に罪などないのになぁ。山の動物達を虐殺され、微々たる金で家や土地を奪われて、逆上していたんだ。それも、分からなくはない。勘当されたとはいえ、実の姉を失いたくない一心で、弱い者に刃を向けたら開拓者達がしてきた事と同じじゃないかと、ワシは村人を何とか説得した。それでも、彼らの意志は揺るがなかった。仕舞いには、うちの両親が間に入って、一緒に土下座して、命乞いをした。その姿に、村の人達が目を覚まして、ようやく武器をおろしてくれた。その後、初美は何処かへ失踪し、末息子は成人するまで家で面倒を見た。」

「なるほど。本当の意味で、父ちゃんは村長の命の恩人だったんだ。」

「実際助かったのは、親の人徳だ。両親は、自分よりも周りを気遣う性格で、村人達をよく助けていた。だから、村人達も怒りを鎮めてくれたんだ。中には、差別的な人もいたが、大概の人がワシも末息子も分け隔てなく接してくれた。名字は捨てなかったが、村長はしっかり村の一員となったんだ。」

「たしか、崖の傍に石碑があったね。もしかして・・・」

「ああ、そうだ。虐殺は、ここで行われた。昔から酷い荒波でな、あそこから落ちたら死体は上がらない。それを利用して、鹿・猪・熊、野良犬や野良猫まで、大量の亡骸を崖から捨てたらしい。この崖は聖地で、神の座とされてきた。神社の宮司が1人で管理をしてきたが、開拓者を止めることが出来なかった。胸を痛めた宮司は、崖の隅に動物達の供養塔を建てて、動物達が安らかに眠れるよう毎日祈りを捧げてきた。元々体が弱いせいもあって、間もなく病死してしまったがね。宮司は、森戸家の直系で独身。跡継ぎはおらず、神社は廃屋と化した。せめてこの地は守ろうと、現村長の提案で、ワシとお前の母さん2人でここで店を始めた。戦後で、まだまだ貧富の差が激しくてな、生活苦や病気などを理由に、何処からともなくこの崖に身投げに来る者が集まってきた。何故か、虐殺のあったこの場所へな。そんな人達に、母さんは料理を振る舞い、ワシは少しでも気持ちが軽くなるよう、話を聞いて励ました。うちの親が、村人達にしてきた事を見習って、何とか思いとどまらせようとした。成功もあったが、失敗もあった・・・。そうやって、[すくいや]は出来たんだ。」

銀子は、父親が淹れた茶を啜る。

「・・それで?どうやって慧は村に来たの。」

「お前が上京した頃、突然初美が帰ってきた。一人息子の慧を連れて。」

「どうして帰ってきたの。」

「初美は、重病を患っていた。恐らく癌だったんだろう。医者へは行かず、せめて最後は実家で過ごしたいと言ってきてな。だが、帰ってきて1ヶ月ももたずに逝ってしまった。慧は、出会った時から、何処か違和感があった。会話は出来るのに、とうに成人を迎えた30代半ばだというのに幼くてな。最初は個性と取っていたが、他人に対する思いやりや配慮に疎く、仕事を与えても、ずっと同じ作業をして次の作業に進まなかったり、分からないことはすぐに投げ出した。だが、ワシが感じた違和感はそれじゃあなかった。その内、小さな小動物を虐める姿を見るようになった。厳しく叱っても、その場では泣いて謝ったが、やめはしなかった。飼い犬をやられた住民が、警察に通報して逮捕されたが、障害のせいで責任能力が無いと見なされて、すぐに釈放された。村長は、施設へ入れるべきだと言ったが、ワシは自分の監視下に置くからと何とか説得して、初美が使っていた離れの部屋に錠前を付けて、店にいる間は慧をそこへ閉じ込めた。お前達が、里帰りした時も、そこにいた。その時、きっと慧は創一と話をしたんだろう。」

「・・・慧は、父ちゃんが守ってくれていると思い込んでるよ。だから創一は、父ちゃんとの約束を果たしたくても、出来なかった。慧の味方だと勘違いしてね。早く施設へ送るべきだった。慧は、父ちゃんの手に余るよ。」

「・・確かに。だが、無理なんだ。施設へ送ったら、アイツは何をしでかすか。」

「心配いらないよ。施設へ行けばその道のプロがいるから。今からでも・・・」

「そうじゃないんだ、銀子。厄介なことにアイツは・・・力を持っている。」

「・・・え?」

「ワシ等の力とは少し違う。アイツは、死期の近い人間が分かる。母親の死期も感じ取り、本人に教えたらしい。そして、付け入る隙を突いて暗示をかけて、母親を実家へ戻した。初美が、今際の際に打ち明けてきたんだ。本当は帰って来たくなかったのに、あの子に帰ろうと言われたら、自然に足が向いて、ワシに思ってもない事を言ってしまったと。」

「・・・・・・。」

「慧は、危険だ。アイツの居場所は、何処にも無い。」

「・・・父ちゃんは?」

「ん?」

「暗示、かけられたことある?」

「さぁな・・・。思い当たる節は無いが、ワシが知る限り、暗示は誰でもかかるもんじゃない。」

「そう。隙のある人がかかりやすい。創一は、暗示にかけられたんだ。それなら説明がつく。」

地域は、腹の底から溜め息をつく。

「ああ。創一が見た猫は、慧が見せたまやかしだ。慧に追い詰められて、隙ができたんだろう。」

「でも、創一は暗示を打ち消した。自覚はないけど、それだけの力はある。この事実を知れば、創一ならきっと上手く防げる。でも、もう創一を慧に会わせるつもりはない。」

「それはワシも同じだ。すぐ隔離の強化をする。」

「それだけじゃ足りない。」

「他にどんな方法がある?」

そう口にしてから、父親は[あの時]の緊迫した娘からの電話を思い出し、目を見開く。

「父ちゃん、離れの鍵貸して。」

「銀子・・・早まるんじゃない。きっといい方法が・・・」

「やだ、勘違いしないでよ。親として、息子にこれ以上危害が及ばないように、やれることはやっておきたいだけだよ。殺してしまうのが一番簡単な方法だよ。でも、安易な方法を選ぶと、後で必ず大きな代償を生む。それに、人を殺した手で家族のご飯作るなんて、あたしには考えられない。だから、安心して。」

父親は、その目を見て頷く。

「・・そうだな。お前がそんな真似するわけがない。それは、誰よりもワシが知ってる。」

そう言って、父親はポケットから車のキーと一緒にしてある、錠前の鍵をホルダーから外して、銀子に手渡す。

「・・何をする気か知らないが、ワシはお前を信じている。それだけは、覚えておいとくれ。」

「大丈夫。少し話をするだけだから。お店の方は平気?」

「ああ、問題ないよ。お前のことだから、心配ないと思うが、くれぐれも気をつけるんだぞ?」

「うん。それじゃ。」

銀子は、何かを決意した表情で、店を後にした。

「・・・らしくなったなぁ。」

その背中を、父親は暖かな笑みを浮かべて見送った。



父親の自宅の庭は広い。いつもなら、車を乗り入れて駐車するが、今夜は敷地外の路上に駐車した。
銀子は、エンジンを切って車を降りると、足を忍ばせて中へ入る。
広い庭を突っ切り、敷地の一番奥のどん詰まりに佇む、離れへ向かう。窓には格子がついていて、隙間から明かりが漏れている。
玄関へ着くと、銀子は錠前を解除しようとして、ふと建物の裏が気になり、そちらへ向かった。
すると、離れの裏から物音が聞こえ、銀子は、ズボンのウエストに挟んでいた懐中電灯を手に取り、音がする方へ照明を当てた。

「わ・・・・ッ!?」

そこには、土にまみれた中年男の後ろ姿があった。身長は約170程で、中肉中背。男は顔だけこちら側へ向け、酷く驚いた表情を見せた。
その足元には、穴を掘った跡があった。
銀子は、全く動じる事なく、相手を見据える。

「夜更けに穴掘りかい?精が出るじゃないか。」

「・・おばさん・・・誰?誰?」

「創一の母親だよ。」

「・・・へぇ~・・・。」

中年男、慧の目の色が変わる。慧は棒っ切れを捨てて、銀子の方を向く。

「じゃあ、おじさんの娘さんだ!」

「ああ、そうだ。あんたと話がしたくて来たんだ。」

「あんたじゃないよ!あんたじゃないよ!僕は慧!」

「ああ、知ってるよ。さっさと出てきた所から部屋へ戻りな。あたしは客だから、客らしく玄関からお邪魔するよ。ちなみに、あたしは銀子。きっと、あんたにとって死んでも忘れられない名前になるだろう。」

ゆっくり、静かに銀子はドスをきかせた声で慧を威圧する。

「・・・えぇ~・・・?銀子こわ~い。」

そう言って、慧はニタニタ笑いながら、足元の穴へ入り込み、後ろ向きに穴の中を這って戻っていった。
その姿を、銀子は穴の上から見下ろし、近くに放置してあった漬物石サイズの石を転がしてきて、穴を塞いだ。
それから玄関へ回ると、錠前の鍵を開けて、銀子は扉を開けた。

「いらっしゃい銀子!」

「・・・・・・・。」

銀子は、無言で扉を閉める。

「僕たちイトコ同士だから、呼び捨てでいい?いい?」

「何とでも呼べばいい。」

銀子は靴を脱ぎ、慧が顔をひょっこり出している、奥の部屋のめくれた畳の下までズカズカと歩いていく。

「よかった!でもこういう時、何したらいいか・・・僕初めてだから分からないよ。」

話しながら畳の下から這い上がろうとする慧の上に、めくれた畳を勢いよく倒した。

「ぐ・・・っ。」

畳が、慧の背中を圧迫する。

「不思議だねぇ。子供を脅すのはお得意なのにねぇ。」

「へ・・へへっ。そんな事してないよぉ~!僕はただ創一くんに・・・」

「ただ?何だい。」

ニヤけ面した慧に顔を近づけ、逃げ場を塞ぐ。射るような目に、慧が戸惑う様が、銀子にひしひしと伝わる。

「・・友だちになって・・ほしくて・・・。」

「ほう・・・友だち。」

銀子は、倒した畳を今度は蹴り上げて退かす。

「言葉の意味を知らないみたいだから、教えてやるよ。友だちっていうのは、仲間のことだ。親兄弟以外の、あかの他人との間で築く関係だ。一緒に遊んで、学んで、時には助け合う。そして、それは人間同士だけではなく、人と動物の間にも芽生える。一緒にいるだけで楽しくて、元気にしてくれる存在。」

「うんうん!そうなりたいんだ!」

「そうか。だが生憎、間に合ってんだよ。うちの息子には、ちゃんと友達がいる。村にも、以前居た街にも。皆、いい仲間だ。動物を殺したり、瀕死状態の動物を相手に始末させて[共犯だ]と脅して追い詰めるようなろくでなしはいない。」

「・・・あ~あ。話しちゃったんだぁ。」

慧は、畳の下の土の上に尻餅をついて、感情を帯びない死んだ魚のような目で、天を仰ぐ。

「茶番はおしまい。あんたの手の内は分かってる。分からないのは、何故そうまでして弱い者を傷つけながら生きようとしているかだ。分からなかったのは、母親も同じだろう。だから母親は死ぬ間際、弟にあんたを押しつけた。」

「違う。僕がここを選んだんだ。」

「いいや、それは違う。母親ってのはね、あんたみたいな手に負えない子でも、愛していたなら自分が死ぬ前に自分の手で始末をつける。あんたの母親は、あんたを置いて死んだ。この意味が分かるか?」

「・・・どういう意味。」

「今のあんたに対して、愛情なんざ無かったってことだ。あんたに無いようにね。これから、あんたは死ぬまで、この部屋で生きてるのか死んでるのか分からない時を1人で過ごしていく。沢山の[被害者達]に囲まれて、少しずつ・・・蝕まれていく。これは、あんたがした事への罰だよ。」

銀子は、慧の周りにいる何かを目で追うかのように、畳の上にわざと視線を這わす。それを見て、慧も自分の周囲に目をやる。

「もう一つ、勘違いを正しておいてやるよ。おじさんが、あんたにこの離れを与えたのは、別にあんたのためなんかじゃない。あたしの家族や、他人様や動物達を守りたかっただけだ。あんたの味方は誰もいない。」

「・・・・・・・。」

「おじさんの作戦は失敗した。おかげで、また動物が痛めつけられ、創一が心を病んだ。次は、あたしが相手をしてやる。1日に2度、おじさんの代わりに食事を運んで話を聞かせてやる。」

「それって・・僕の友だちになるってこと?」

慧が目を輝かせて、銀子を見上げる。
銀子は微笑み、汚れた慧の頬に優しく触れる。

「だといいけどねぇ・・・。」

慧は、柔らかな表情に隠れた冷徹な瞳に身をすくませた。
銀子は、その耳元に唇を近づけると、

「いつまでもつか、楽しみだよ。」

そう囁いて、出ていった。




翌日。

「食事だよ。」

銀子は、手前の茶の間に食事を置き、奥の部屋の布団の上で眠る、慧を叩き起こす。

「んん・・・なに銀子ぉ~。僕まだ・・・」

「あ・・・?」

銀子は、慧の顔を両手で掴んで揺さぶり、目をこじ開けて顔を近づける。

「あたしが来た時間が、あんたの起床時間だ。分かったね?」

ゆっくりと、静かに話す銀子の声が、慧の脳に刻まれ、首を縦に振る。

「食べるか?聞くか?」

「・・食べる。」

「ほう・・・。あんたが友だちになりたがった創一は、食欲を無くして床に伏してるってのに、あんたは食べるのか。」

「・・食べなきゃ聞けないよ!」

慧は、銀子の手を振り払い、逃れるように茶の間へ行って食べ始める。

「・・いい年して、働きもしないで飯が食える。いいご身分だね。」

「んぐ・・・銀子も一緒でしょ。」

「そう思うか?つくづくあんたは幸せだねぇ。」

「・・・違うの?」

「これも仕事だよ。この村の村長に正式に託された。」

「・・・・・・?」

「つまり、お偉いさんから直接、[あんたを自由にしていい]と任されたってワケだ。」

「・・僕にはさっぱり。」

口に食事を放りこみながら、慧は誤魔化す。

「嘘だね。あんたは馬鹿じゃない。あたしが言ってる事、ちゃんと分かってる。ちゃーんと。」

「食べ終わったら、僕は散歩に行く。」

「ダメだ。」

慧は目を見開き、銀子を見上げる。

「創一のこと、心配じゃないの?そんな事ないよね?銀子は、息子が心配で仕方がない。いい母親だから。」

慧の態度の変化に気づいて、銀子はその目を見つめる。

「もう、帰ったほうがいいよ。少し散歩したら、僕はすぐにここへ戻るから。約束する。銀子を困らせるような真似はしないよ。」

若干、目眩のようなものが押し寄せてきて、銀子は何が起きているのか瞬時に察知した。

「なるほど。そうやって実の母親に暗示をかけたワケか。」

「・・・・・・!」

「どうやら、あたしには効かないようだね。」

慧は無視して、苛ついたように食事を口へ放り込む。

「逃げたくなったか?あたしから。」

「・・・・・・。」

「そうはいかないよ。あんたには、もっと聞かせたいことがあるんだ。」

「・・・僕は、慧。僕は、慧。僕は、慧。僕は・・・」

慧は、追い詰められていた。
銀子も、それを目で、耳で、しっかりと感じ取っていた。

その日の日中、離れの周りには、まるで動物園の檻のような背の高い鉄柵が設置され、地面にはコンクリートが敷かれた。
そして、夜。
銀子は、家で用意してきた夕飯を持って、離れへやって来た。
コンクリートがまだ固まっていないため、鉄柵の扉とその向こうの離れの扉までの通路には板が敷かれている。

「随分と、我が家は物騒になったもんだ。」

母屋から、父親が出てきて、銀子の隣りに立つ。

「違うよ。これでようやく安全を確保出来た。」

「・・・なら、もうお前が関わる必要は無い。」

「大見得切っちゃったからね。村長から任されてるって。」

「嘘つきは身を滅ぼすぞ。」

「沢山の人に言い触らせばね。これは違う。」

「創一の調子はどうだ?」

「熱は下がったよ。多分、自分にしがみ付いていた猫は幻だって分かったからだと思う。でも、まだあまり食べない。」

「傍にいてやるべきだ。」

「分かってる。すぐに帰るから。」

そう言って、鉄柵へ向かう銀子の背を見つめ、父親は溜め息をつく。

「・・執着は、人を壊す。」

そう呟いて、父親は軽トラに乗って店へ戻った。

「・・また来たの。」

「ああ。何だい、しけた面になってきたね。まぁ、ニヤついてるよりずっとマシか。」

「1日中、ドンドンガタガタ・・・。ぜんっぜん休めなかった!」

「安らかに眠りたいか?方法ならあんたが一番よく知ってる筈だよ。」

「・・・そうか・・そうなんだ・・・。銀子は、僕が自分で死ぬのを待ってるんだ・・・。」

「ほう、冴えてるね。でも、少しハズレだ。」

銀子は、食事を叩きつけるようにテーブルに置く。

「ひと思いに死ねたらどんなに楽かを味わって、ゆっくり死んでいくのを待ってるんだよ。」

「・・・そんな事にはならないよ。絶対に。」

「あんたは、自分を完璧に理解しているつもりなんだね。何が辛くて苦しいのか、本当に把握しているか?真の恐怖は、実際に味わってみないと分からないよ。」

慧は目をそらし、皿からラップを力任せに剥がす。

「たかだか、約50年親の脛を囓って生きてきただけの身で、一体何を知っているつもりなんだ?」

「・・・・・・・。」

慧は、初めて反抗的な目を向けてきた。気にせず銀子は続ける。

「あんたには、食欲がある。その上健康体だ。だから時間はたっぷりある。少しずつでいい。ほんの少しずつ、苦しんで、死に近づいていくことを願っているよ。他人の痛みを理解出来ないなら、せめて自分の痛みに苦しんで、それから死にな。」

「・・・銀子は、何を分かってるつもり?僕の何を・・・」

「さぁてね・・・。そんなもん、知りたくもない。」

2人は向かい合い、テーブルに手をついて睨み合う。

「あたしを殺したそうな顔だ。」

「・・そんな事しないよ。それじゃあ、銀子の思うつぼ。そうでしょ?」

「ほう・・あたしが怖いのか?」

「・・怖いよ。銀子は、死ぬのを怖がってないから。」

「そうじゃない。あたしは、あんた如きに殺せない。その自信があるだけだよ。」

「・・強いな、母親って。全部、創一の為なんでしょ?」

「あんたの母親だって、こんなしょーもない息子、死ぬまで抱えてきたんだ。障害があろうがなかろうが、捨てる親はいる。」

「あるよ。」

「・・・・・・・?」

「・・子供の頃、何度か捨てられたよ。すぐに戻ってきたけど。お金が無いから、学校も行ってない。」

「・・再婚しなかったのか。」

「無理だよ。あの顔じゃあ。」

「・・・・・・・。」


帰り道、銀子は考えた。
初美は、火事で顔に火傷を負った。祖父から聞いた話を思い出し、初美が生きてきた時代に想像を巡らす。

当時は、戦後で貧困は当たり前だった。戦災、食料難、孤児、失業、浮浪児、母子。女手一つで大変だったはずだ。村に・・・実家にいれば食べるのには困らなかったはずなのに、なんで失踪したのか。
開拓者側の人間になって、家族や村人に合わせる顔が無いと思ったのか。殺気立つ村人達を見て、こんな所で子供は育てられないと思ったのか。村が、嫌いになったのか。
自分も、かつて村を出た身だ。理由は、この村にいたら父親の跡を継がなければならなくなるからだった。死にたがっている人を、思いとどまらせる仕事。自分には荷が重すぎるし、見えるのは死んだ動物達だけだ。そんな力を、どう使えば人を救えるというのか。理解出来なかった。
だから、自分は村を出た。というより、逃げたという言葉の方が正しい。

「・・・・・・・。」

分かっている。生まれつきの悪なんていない。村人達は、本当にいい人達ばかりだった。開拓者に生活を脅かされて、あんな行動に出てしまった。
慧だってそう。
障害は、有るか無いかで言えば、確かに有る。けれど、殆どの事を理解している。最初は障害者じみた態度を見せていたが、今では普通に話している。慧はきっと、障害のせいで見下され、馬鹿にされて生きてきた。

「・・・だから、なんだってんだい。」

その腹いせに、動物を虐待してきた可能性が高い。そんな状況下、自分の障害を利用する事で慧は生き抜いて、刑務所行きも免れた。
全てには、こうして理由がある。
自分がしている事にも。
これは、慧の言うとおり、創一の為だ。だから絶対にやめないし、慧を許しはしない。



夏が終わり、木の葉が色づいて、やがて枯れた。
林道の木々は殆どが常緑樹のため、冬でも緑を望める。けれど、夏のあの活き活きとした緑と比べて、心なしかくすんでいて、寒さも合わさって何処か寂しい。
創一は、半纏を羽織り、厚手の靴下を履いて庭にいる。その頭には、野球帽を被っている。

「日光浴かい?」

「あ・・けんさん。こんにちは。」

林道を、ここから更に上がった所に住んでいる、隣りの家のけんがやって来た。けんは、銀子の幼馴染みの友人でもある。

「すいません。母は今お店の手伝いに・・・。」

「そうか。年中無休は大変だなぁ。」

「お昼過ぎにはいつも帰って来ますけど・・・。何か伝言ありますか?」

「いや、ちょっと気晴らしに散歩に出ただけだから。はぁ・・・寒ぃけど、いい天気だな。」

「はい。縁側で休んでいって下さい。今、お茶を・・・」

「いいよ、気ぃ遣わんで。ホレ!」

けんは、創一に向かって何かを投げ、創一は反射的に両手を伸ばして受け取る。
熱々の汁粉の缶ジュースだった。
創一は、慌てて半纏の袖に乗せる。

「ストーブの上で温めてきた。気をつけて開けろよ。」

「あ、はい。いただきます。」

若干膨らんでいる缶を見て、創一は恐る恐るプルトップに指をかける。
ほんの少し力を掛けて、小さな隙間を作ると、紫と茶色の間の液体が、隙間から少し飛び出した。

「聞き飽きてると思うが、調子はどうだ?」

「まぁ・・・相変わらずです。」

そう言って、汁粉に口を付ける。

「ん・・美味しい。」

「そうだろ。そのメーカーは汁粉が美味いんだ。まぁ、お袋には負けるが。」

そう言って、けんもチャンチャンコのポケットから汁粉缶を取り出して飲む。

「お母さん、どうですか?」

「こっちも相変わらずだ。寝たきりじゃないだけ、有り難く思わんとな。」

けんは、少しやつれているようだ。

「あの・・大丈夫ですか?」

「えぇ?ハハッ、人の心配してる場合かぁ?平気だよ。これは順番だ。皆年を取って、だんだん動けなくなる。お前さんの爺さんより上だからな。」

「・・皆、いつか死んじゃうんですね。」

「・・・こればっかりは、銀ちゃんやお前さんの力をもってしても、変えられんよ。でも、考えてみろ。周りの皆が死んでいくのに、自分だけ生き続ける事が出来たら・・・。死ぬより、ずっと怖くないか?というより、寂しいと思うぞ。」

「・・・そうですね。」

「だから、それでいいんだ。」

悟ったように口にしていたが、創一には自分に言い聞かせている様にも見えた。

「ソレ、飲んだら寝ろよ?顔色が良くない。」

「はい。」

「何かあっても・・無くてもいいから連絡しろ。家族には話しにくいが吐き出したいこととか、何でもいい。俺は、誰にも話さない。銀ちゃんにも。気晴らしに丁度良いおじさんだから、安心しろ。」

「はい。気遣ってくれて、ありがとうございます。」

「ああ、じゃあまたな。」

そう言って庭を出て、林道を自宅へ向かって上がっていった。
きっと家に戻ったら、また家事と介護に追われるのだろう。
そうやって、皆何かを抱えて生きている。父親も、母親も、雅紀も、自分も。
創一は、そんな事を考えながら、重い足を運んで、タロの墓へ行く。

「僕は、自分が死んでも、皆にはずっと生きててほしいな・・・。」

そう言って、好きだったジャーキーを供えて、じっと足元を見つめていた。



その頃、銀子は。

「・・・どうした。」

「ごちそうさま・・・。」

慧が、食事を半分近く残した。

「良かった。あんたの分の食費を半分減らせる。」

「・・・これで、満足?」

「あ?満足かって?」

銀子は、鼻で笑いとばす。

「お話を聞く時間だ。」

「・・頭が痛い・・・。」

「あたしの知ったことじゃないね。」

「この事・・・皆知ってるの?創一は?」

「知ってたらなんだってんだ。あんたはもう、あたし以外と接触する事はない。今まで、何度でも誰かと接触する機会があってしなかった。味方を作る努力も、他人に寄り添うこともしなかった。そのツケが、今回ってきてるんだよ。全て、あんたの行いが招いたことだ。」

「・・・銀子は・・・僕が創一を傷つけたから、そんな酷い事言って、僕を責めるんだよね。」

「酷く聞こえるか?それが事実で、胸を傷めてる証拠だ。」

「・・・そんなに、嬉しい?」

「・・まだ、こんなもんじゃないよ。」

銀子は、確かな手応えを感じとり、慧を見て微笑みを浮かべた。


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