すくいや

Green hand

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春の気配

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雪が積もる冬の崖。
荒れ狂う波の音に負けないくらいの、若い男の絶叫が響く。

「もううんざりだ!こんな世界やってらんねぇよ!生きてたって何の意味もねぇ!」

「落ち着きな兄ちゃん。こんな乾燥した寒い場所でいつまでも声張り上げてたら、喉やられちまうぞ。」

若い男とは反対に、老婆の声は静かで穏やかでゆったりと響く。それでも、波の音になど負けてない。

「関係ねぇだろ!もう死ぬんだ・・・オレは・・・っ。」

「何言ってんだい。口が聞けなくなったら、話が出来ないだろ?」

「誰が・・・オレの話なんか誰も・・・!」

「あたしじゃ駄目か?」

「・・・・・・・。」

「死にてぇのはよく分かった。兄ちゃんが一体何にそこまで追い込まれたのか・・・聞かしとくれ。コイツが気に入らないなら、追い払ってやるよ。」

「お婆ちゃん。」

老婆の隣りに立つ、裕貴が口を挟む。それを、老婆は手を上げて止める。

「ああ、分かってる。裕貴は離れてな。」

裕貴は、若い男を数秒見つめた後、

「・・了解。」

素直に従い、崖を離れた。しかし、ほんの数メートル。
相手がどんな行動に出るか分からないからだ。どんな行動に出るかは分からないが、裕貴には分かっている事があった。

「話なんか聞いてどうすんだよ・・・死ぬ気なんてねぇのに。」

裕貴は、面倒くさそうに呟いた。



それから1時間後。
老婆と若い男が崖を離れて、裕貴の方へやって来る。

「裕貴、タクシー呼びな。」

「いいよ婆さん。1人で帰れっから。」

ばつが悪そうな顔で、若い男が言う。

「ほう。どうする気だいこの寒空で?バスなんかもうねぇぞ。」

「うっわ。マジか?」

「ばぁ~か。村舐めんな小僧。ハッハッハッ!」

そう言って、老婆は若い男の腕を肘で小突く。若い男は、舌打ちしながらも、笑っていた。

「・・・・・・・。」

ほんの数時間で、友達のようなやり取りをする老婆と若い男を見て、裕貴は驚いて言葉も出なかった。

タクシーが来ると、若い男は後部座席に乗り込む。

「じゃあな。もう来んなよ。」

「来ねぇよ、言われなくても。あ、そうだ。そこのお兄さん。」

「え、はい?」

急に若い男に話しかけられ、裕貴はキョトンとする。

「ヘラヘラ笑って最初は気に入らねぇと思ったけどよ、まぁ、オレに言われるまでもなくそうするだろうけど、婆さん大事にしてくれよ。」

「あー・・ははは・・・はい。」

裕貴は若干眉間に皺を寄せながらも、作り笑顔で返した。
そして、タクシーが雪道を凄いスピードで走り去るのを見送った。

「上手いこと手懐けたね。」

「ん、別に何の小細工も施しちゃいないよ。ただ会話しただけさ。」

「ふーん。」

「アイツは孤児で、今周囲の奴らに恵まれてないらしい。根は曲がっちゃいないから、まぁ何とかなるだろ。もう少し踏ん張ってみろってハッパかけてやった。今の顔、見たろ?」

「うん。それが?」

「崖にいた時よりいい顔してたろ。アイツには、話を聞いて、後押ししてくれる奴が必要なんだ。」

「でも、アイツは[身捨て]じゃない。死ぬ気なんてなかったよ。それでも関わらなきゃいけないの。」

「・・確かに、今のはあたしらの仕事じゃないな。警察に通報して、巡査が話を聞いてやりゃ済むこった。」

「じゃあ、なんで?」

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

「・・・今夜はやけに冷えるね。」

老婆は数秒考え込んだ後、誤魔化すようにいそいそと店へ入り、ストーブにあたる。
裕貴は分かりやすい老婆の仕草を見て、それ以上は追求しなかった。

「そうでもないよ。お婆ちゃん。」

今夜は、空には沢山の星が瞬き、雪は降ってない。吹雪くような極寒の日は、日に日に減ってきている。
そのうち雪が解け、土から春を待つ草花たちの芽が顔を覗かせることだろう。
そうなると、道路が走りやすくなり、集落の住人と無関係な者達の出入りが増える。
裕貴は、ずっと雪が降り続いて、誰も村に入ってこなければいいと思った。





『春の気配』

翌日の朝。

「裕貴、何処行く。」

「ちょっと買い物行ってくる。」

「買い物?この前行ったばかりだろ。」

裕貴は靴を履いて玄関の扉を開ける。すると、庭に人影があった。

「オッス。」

「あ・・おはようございます。」

「おや・・、誰かと思えば。けん爺かい。」

「銀ちゃんの孫が、町まで連れて行ってくれるって言うからよ。甘えさせてもらうよ。」

「ほう。」

「昼頃には帰るから。」

「あいよ。」

物珍しいものを見るような視線を感じ取りながら、裕貴は玄関の扉を閉める。

「わざわざいらっしゃらなくても、こちらから出向いたのに。頼んだのは僕なんですから。」

「そうは言っても、あの傾斜だ。慣れてない奴にゃ難儀だと思ってよ。」

老婆は、扉の向こうのやり取りを聞いて、口角を上げる。

「なるほど。そういうことかい。」



裕貴は、しがみつくようにハンドルを掴んで、林道をジリジリと下っていく。
その姿を黙って見ていた[隣りの爺さん]こと、けん爺が静かに口を開く。

「そんなに力んでも、運転に変わりは出んぞ。」

「え・・はい。」

「4駆で、しっかりチェーンも履いてる。ハンドルを切りすぎず、ブレーキはゆっくり踏む。狭い林道だが、きちんと整備されているから、基本さえ守りゃあそこまで慎重にならんでも平気だよ。」

「・・・今までスリップして落ちたことは?」

「ん~そうだなぁ・・・無いな。1度も。」

それを聞いて、裕貴は肩の力を抜くよう務める。
数十分後、紺の4駆は林道を下りきり、県道へ出た。次は県道を町へ向かって下りはじめる。

「どうだ?少しは・・・」

「・・・・・・・。」

道幅も広くなり、林道よりは傾斜は緩い。にもかかわらず、裕貴はまだ気を抜けない。

「雪道で、何かあったのか?」

「前に、カーブで対向車が凄いスピードで走ってきて、ついハンドルを勢いよく切ってしまって、車体がぐるぐる回転した事がありました。」

「この辺のモンは慣れてるからなぁ。」

「・・・・・・・。」

「・・まぁ、じきに春が来て、また走りやすくなる。」

「そうですね。雪道に慣れないまま、春が来てしまいます。」

「心配すんな。雪はまた降る。」

「はははは・・・。」

裕貴は自分が情けなくなり、可笑しくもないのに笑った。



林道の家から町まで1時間。裕貴の運転での雪道走行は1時間半かかった。
気温差があるせいか、町に入ると車道の雪はほぼ解けていた。
春は、もうすぐそこまで来ているようだ。
けん爺の買い物は、GSでポリタンク1つ分の石油に、町のスーパーで野菜以外の食材・調味料と日本酒。裕貴と老婆が買う量の半分も満たない。
まぁ、春が近いとはいえ冷え込みの酷い集落の住民のせいか、日本酒の量は1人暮らしとは思えない量を買い込んではいるが。
裕貴はトランクに全て詰め込んで閉めると、店先に設置された木のベンチに座って、ペットボトルのホット焙じ茶を飲見ながら手招きするけん爺の隣りに座る。

「ご苦労さん。」

「あ、いただきます。」

けん爺は裕貴の分のホット焙じ茶を手渡す。

「・・ありがとよ。」

「・・何がです?」

「買い出しに付き合ってくれてよ。」

「あの、何度も言ってますけど、これは僕の・・・」

「[雪道運転の練習]か?」

「はい。」

「フフ・・・ものは言いようだ。」

「・・祖母が一緒だと、文句ばかりで気が散るので、練習にならないんです。」

「そうかい。まぁ、そういう事にしておくか。」

「・・・・・・・。」

裕貴は黙り、焙じ茶に口をつける。

「どうだ?村の暮らしは。」

「寒すぎて死ぬかと思った事もありましたけど、だんだん慣れてきました。うまく出来てるんですね。人間の体って。」

「都会育ちにゃあキツいだろうな。」

「都会って程の場所じゃなかったですけど、まぁ・・ここに比べれば。」

けん爺はゆっくり頷きながら、駐車場内を時々出入りする車を眺める。

「銀ちゃんの手伝いをしてるそうだな。」

「え、はい。知ってたんですね。」

「風の噂でな。よく決断したな。」

「してませんよ。僕にとっては、仕事が見つかるまでの、ただのつなぎですから。」

「なんだ。後は継がんのか。」

「はい。僕では役不足ですし、人の生死に興味無いので。」

裕貴は顔色一つ変えずに答える。

「・・・そうか。」

それを聞き、けん爺は不思議な笑みを浮かべる。

「よく言ってたなぁ。」

「はい?」

「あたしには無理だぁ。まず死にてぇって思う気持ちが理解出来んてよ。」

「・・祖母がですか?」

けん爺は頷く。

「でもな、人は変わる。俺も銀ちゃん
も、色んな思いをしてこうなった。」

「・・・祖母は、どうして[すくいや]になったんでしょう。」

「それは・・・本人に聞くんだな。俺の口から聞くもんじゃねぇ。」

「・・・・・・・。」

つまり、けん爺は理由を知っているのかと、裕貴は思った。

「さて・・と。」

けん爺は膝に手をついて、ゆっくりベンチから立ち上がる。

「どっかで飯ぃ食ってくか。」

「あ、いえ。さっき電話があって、祖母が昼飯作ってくれてるそうです。けんさんの分も。」

「おぉそうか。なら運転代わるぞ。」

「え?いえ僕が・・・」

「腹ぁ減ったから早く戻りたいんだ。まぁ横に座って見てろ。これも勉強だ。」

「あ、はい。じゃあ、お願いします。」

裕貴は車のキーをけん爺に手渡し、老婆に今から帰ると連絡を入れる。
そして、裕貴は後悔することになる。




1時間後。
紺の4駆は、無事老婆の家に着いた。

「ただいま・・・。」

「おや、おかえり。早かったじゃないか。」

「邪魔するよ~。」

「おう。」

けん爺は、寒そうに手を擦りながら、家に上がって居間へ向かう。

「はぁぁぁ~・・・」

裕貴は背中を丸め、疲れきったように靴を脱いで家に上がると、大きな溜め息をついて、緊張で強張った体を床に投げ出す。
情けないと言わんばかりの顔で、老婆はそれを見下ろす。

「何だい裕貴。洗礼でも受けたか。」

「僕のことは・・・ほっといて。けんさん、相当腹減ってるようだから早く・・・オェっ。」

「ハハハッ!いいからおいで。飯食やぁ良くなるさ。」

そう言って、70代の老婆は裕貴の上着の襟首部分を掴んで、難無く滑りの良いフローリングの上の裕貴の体を引き摺る。
車酔い真っ最中の裕貴は青ざめた顔で、両手をバタつかせる。

「ちょ~待った待った待った吐く吐く吐く・・・っ!」

主張も虚しく、裕貴は居間へと引き摺られていった。
それを目にしたけん爺は、久しぶりに声を上げて笑った。



30分後。

「あ~美味かったぁ。銀ちゃんご馳走さん。」

「相変わらず早飯だね。体に毒だよ。」

「いいさ、こんだけ生きりゃあ充分だよ。」

そう言って、膝に手をついてゆっくり立ち上がる。

「帰るのかい?」

「ああ。きっとアイツが待ってる。」

「・・誰のことだ?」

「あ~・・・今日は久しぶりに笑わせてもらったよ。」

「また来な。友人なら大歓迎だよ。」

「ああ、ありがとう。」

「ほれ裕貴起きな!まだ仕事が残ってんだろ。」

軽く食事をとった後、食卓を背にして寝転がって半分夢の世界へ旅立っていた裕貴が、老婆に尻を蹴られて現実へ引き戻される。

「ん・・・了解。」

裕貴は目を擦りながら、ダルそうに起き上がる。

「行きだけでも俺が運転するか?」

「いえ、やります。やらせて下さい。」

裕貴は完全に覚醒し、車のキーを握りしめて玄関へ向かう。

「面白いボウズだな。」

「だろ?」

「銀ちゃんが放っとかないワケだ。」

「まぁ、退屈しのぎにゃなってるよ。」

「なぁ、銀ちゃん。何かあったら俺はいつでも・・・」

「分かってる。頼りにしてるよ。」

「・・抱え込むからなぁ、銀ちゃんは。昔っから。」

「もう昔と違う。こんなババア1人じゃ何も出来ねぇよ。この通り、お巡りと孫におんぶに抱っこだ。」

「ならいいが・・・。じゃあ、またな。」

「おう。」


裕貴は、けん爺を乗せて林道を車で上がり、トランクの中のポリタンク以外の荷物を、けん爺の家へ上がってすぐの通路へ下ろす。そして、最後にポリタンクを土間の隅へ置いた。

「それじゃあけんさん。時々でいいんで、また練習付き合って下さい。失礼します。」

そう言って頭を下げ、裕貴は土間を出る。そして、戸を閉めようとした時、

「なぁ。」

けん爺は呼び止めた。

「はい?」

「・・文太か。」

「え?」

「文太だろ。」

「・・・はい。」

裕貴は、ついに口を割る。そして、小さく笑う。

「やっぱり・・アレですか。僕、嘘下手ですかね。」

「いや。文太が、そういう奴だったんだよ。」

そう言って、けん爺は土間の隅の埃だらけの古い犬小屋を見つめる。

「文太くん、毎日1人で過ごすあなたを心配しています。時々、1人で車で買い物に出掛けて、もしかしたら帰ってこないかもしれないと思うこともあるそうです。」

「車が苦手だった・・・。やっぱり今もそうか。」

「生前克服出来ず、苦手としていたものは死後も弱いようです。それは、文太くんに限ったことではありません。」

けん爺はゆっくり頷く。そして、薄笑みを浮かべる。

「予防接種に連れて行くのも、ひと苦労だった。情けない声出して、助手席で固まってよ。」

「・・それ、さっきの僕じゃないですか。」

「ああ、そっくりだったな。」

そう言って笑うけん爺を見て、裕貴は苦笑いを返す。

「・・ありがとな。俺ぁそういうの、見えた試しが無いんでね、お前さんに言われるまで何も感じなかったが、最近・・・アイツが家の中にいるような気になることがあるんだ。1人なのに、1人じゃないような気によ。」

「そうですか。これは僕の解釈ですが、物心がついてから今まで僕が見てきた死後のペット達は、自分が家族とみなしたものに対して、何らかの訴えや心残りを持っていました。その証拠に、以前ペットを飼っていた人間に出会っても、必ずそのペットの姿が見えるワケではありませんでした。」

「・・・そうか。」

「なので、文太くんが死後もまだけんさんの傍を離れず、姿が見えるということは・・・。」

「・・・なんだ。」

裕貴は、けん爺の足元にいる文太の一声を聞き、我に返る。そして自分が余計な事を口走っていたことに気づく。

「いえ、すいません。余計なことでした。」

けん爺は気になって仕方がなかったが、裕貴から焦りのようなものを感じ取り、それ以上追求しなかった。

「まぁいい。文太はまだここに居る。それさえ分かれば、充分だ。」

「はい。」

文太が文句を言うように小さく唸る声を聞きながら、裕貴は返事をした。
車に乗り込むと、けん爺と文太が見送りに出てきた。

「それじゃあ、また来ます。あ、飲み過ぎには注意して下さいね。」

「へっ、それも文太っぽいな。」

「これは僕の意見です。雪道運転の教官がいてくれないと困りますから。」

「へいへい、分かった分かった。」

裕貴は思った。2回返事する人は、だいたい信用できない。

「それと、これは文太くんの意見ですけど、雪が解けて春が来たら、縁側でけんさんと日向ぼっこしたいそうですよ。」

「・・・・・・・。」

けん爺は、黙って頷き、微笑む。

「失礼します。」

裕貴はゆっくり庭から林道へ車を転がす。
けん爺は鼻を啜り、白い庭を見渡す。

「そうだな・・・。お前の好きなサツマイモ蒸かして、縁側で一緒に食おうな。」

春の草花が芽吹く庭を駆け回る文太を思い浮かべながら、けん爺は空を見上げた。



「ただいま。」

裕貴が戻ると、老婆は先に休んでいた。
裕貴もシャワーを浴びると、自室に敷きっぱなしの布団へ倒れ込む。

「はぁ・・・馬鹿か俺・・・。踏み込んで・・・責任とれんのかよ・・・。」

裕貴は呟き、一瞬ある出来事が頭を過り、吐き気を催す。しかし、それを掻き消すように睡魔が押し寄せ、ものの数秒で眠りについた。

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