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第5話【2月22日】最後の晩餐

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午前六時、昨夜はラーメンを諦めて開いていた定食屋で適当な夜ご飯を済ませた後、道の駅の駐車場に車を停め仮眠をした俺は太陽が登りそうな気配を感じ目を覚ました。
人生最後の朝食はコンビニのホットコーヒーとサンドイッチ。別に特別じゃなくていいのだ。
ここにきて俺は、日本でできる普通の日常を最後に過ごそうと思う。

さて俺の人生も残すところ二十時間を切ってしまっているが、本日は何をしようか…考えれば考えるほど混乱してしまう難問。
小さい頃からこれといった趣味もなく、野球ばかりしていた俺には野球仲間以外の友人はいない。結局色々と考えてはみたものの、自分の人生には野球しかないのだということを改めて実感することとなった。

特に行きたい場所も思い付かないので通っていた小・中・高校に向かうことにした。俺のルーツはきっとその場所にあるはずだ。

時の流れとは遅いようでとてつもなく速い。
通っていた小学校と中学校は建物の老朽化が進み校舎はすっかり建て替えられて、幽霊が出そうだった古びた学校は今風の新しい姿に変化を遂げていた。
しかし校庭は仲間達と野球を楽しんでいたあの頃と何も変わらず、少年の頃の自分と仲間達の面影を体育の授業で元気に走り回る生徒に重ねてみる。やはり、友人にも会っておくべきか…

短時間で両校を回り終えた後、お昼の時間には少し早かったが途中にあったドライブスルー付きのファストフード店に立ち寄ることにした。人生残り二食のうちの一食がファストフードとは…朝はコンビニ飯だったし、現役大リーガーの食生活がこれでいいのだろうかと思うと少し可笑しくなってきた。

本日二食目を食べ終え、懐かしい土地を暫くドライブした後、俺の青春の詰まった高校へと向かうことにした。到着すると、ちょうど下校時刻だったらしく帰宅する生徒達とこれから部活動を始めようと準備をしている生徒達が慌ただしく行き交っている。

職員用駐車場に見覚えのある車を見つけ知り合いがいることが確認できたので、来客用駐車場に車を停めると、野球部のグラウンドへと行ってみることにした。

校舎前の歩道を歩きながら教室の方を見上げると、好きな子でもいるのだろうか、窓から運動部の生徒達を嬉しそうに覗いている女子生徒達の姿がちらほらと見える。微笑ましく思いながらも、この頃の俺は仲間と野球をしているほうが楽しかった為、甘酸っぱい初恋を多感な少年期に経験しなかったことを今更ながらに少し後悔した。

グラウンドへと向かう道中、様々な部活動の部員から指を指されていることに気づき足早に野球部の練習場所へと向かった。きっと、有名大リーガーである俺の存在に気づいてくれたのだろう。野球部の元へ到着すると、練習前のミーティングをしている最中で監督の前に整列し皆が、真剣に話を聞いているところだった。そんな張り詰めた空気のところにいきなり登場するのは気が引けたのだが深呼吸をすると大きな声で「ちわーっす!」と緊張感のない声を張り上げた。

"え、何?"と言わんばかりに静まり返り、一斉にこちらを向く光景に思わず後退りしてしまいそうになったが、初めは怪訝な表情を浮かべていた監督が俺の顔に気づき、嬉しそうに名前を呼んでくれたことでようやくこの緊張から解放されることとなる。

部員達は「えっ!!?本物?まじで?」と口々に顔を見合わせては突然のメジャーリーガーの登場に目を輝かせていた。

「突然すみません、近くに用事があって通りかかったので覗かせて頂きました。」

そう伝えると監督は得意気な顔で俺を横に立たせると、肩を抱きながら嬉しそうに後輩達に"わしが育てたんだぞ?"と自慢話をしている。

本当は少しでも指導してあげられたらと思っていたが噂を聞きつけ、あっという間に想像以上の人が集まってきてしまった為、野球部の後輩全員にあまり意味のないサインと握手をしてあげると激励の言葉を残しそそくさと退散した。

いよいよ残すところ約六時間。
学校を出発した俺はある場所へと向かう為、高速道路を使い急いで車を走らせた。
そろそろ夕食の時間帯だということに気づき途中一番大きなサービスエリアに立ち寄りそこで最後の晩餐を食べることにする。

フードコートではない土地の食材を売りにしたレストランに入ったのはいいのだが、これが最後の食事であると考えれば考える程、何を食べるべきなのか決めることができず、ひたすら迷い続けること数十分…店の人にはきっとデカイ図体をしてるのになんて優柔不断な客なんだと思われていたに違いない。
テレビ番組で芸能人が
「最後の晩餐にするなら絶対これ!」
みたいなことをやっているのを見かけるが、あれは本当にその状況に追い込まれた者でないからこそ言えることなのだ。これだけ決まらないのであれば、もういっそのこと食べないほうがましだとさえ思えてくる。

そして悩み抜いた末、俺が最後の晩餐に選んだのは前沢牛ステーキの和定食。
やはり生粋の日本人としてはご飯と味噌汁少しの漬物と和牛で終わる!そう思ってしまった自分の単純さに本日何度目かの一人笑いを浮かべた。

最後の晩餐を満喫し、引き続き夜の高速道路を一人走り続ける。高速道路を降りるとコンビニで缶ビール2本と好きなつまみを買った。目的地に到着したのは21時を回った頃だった。残すところ後三時間で俺の人生は幕を降ろす。

俺が最後に行きたいと思った場所、それは高校三年生の夏に県大会を勝ち抜き決勝の試合が行われた県営野球場。

肌身離さずお守りとして持ち歩いている、甲子園出場を決めた時に姉に買ってもらったグローブとメジャーリーグで初勝利をあげた時のウイニングボール、そして先ほどコンビニで調達した缶ビールセットをバッグに詰めこみ、球場から出る職員に紛れて中に侵入すると完全に電気が消えるまで暗闇に身を潜めることにした。
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