【完結】Doctor Master

邦幸恵紀

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第三話 若林博士、最後の挑戦!

第七章 Wの食卓(2) 若林宅(2)

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 正木によると、料理は要領だそうだ。
 確かに正木の仕事ぶりを見ていると、そうかもしれないと思えてくる。彼は手順もいいが、作りながら片づけもしてしまうのだ。それなら料理好きなのかというとそうでもなく、かえって好きじゃないからこそ短時間で済ませてしまいたいのだという。
 このときも、正木は自分の仕事を着実にこなしながら、次々と夕夜に指示を飛ばし、六時前には鱈ちりの他に煮物まで完成させてしまった。

「もうご飯できましたよ」

 正木に言われてダイニングテーブルにガスコンロを置いた夕夜は、リビングにいる若林と美奈に声をかけた。

「えー、もーぉ? 早いわねー」

 感心したように美奈が言った。ずいぶん機嫌がよさそうである。

「じゃあ、一時停戦だ。この続きは食べ終わってからにしよう」
「はぁーい」

 美奈はすぐにソファから立ち上がると、いそいそとダイニングにやってきた。

「こいつ、いま俺に勝ってるもんだからご機嫌なんだ」

 夕夜が問う前に、美奈の背後から若林が苦笑いしながら説明した。

「そろそろ俺も本気でやらないと危なくなってきた。でも、きっとすぐに俺じゃかなわなくなるな。そしたら、おまえか正木に代わってもらおう。俺は自分でやるより、傍から見てるほうがいいよ」
「僕もそのほうがいいです。特にあなたと正木博士の対戦をぜひ見てみたいですね」

 一転して、若林は渋い顔になった。

「俺はそれだけは絶対したくない」
「夕夜ー! 準備はいいかー! 持ってくぞー!」

 キッチンから、正木の怒鳴り声が飛んでくる。

「いいですよ、どうぞ」

 正木よりは控え目に怒鳴り返しながら、夕夜は若林と協力して、手早くガスコンロをセットした。

「危ないぞー。どけー」

 ほどなく、正木が鍋つかみをつけた手で土鍋を持って登場し、ガスコンロの上に置いた。
 土鍋の蓋を開けると、閉じこめられていた湯気が一気に広がり、一瞬、視界を白くする。

「おー、うまそうだなー」

 若林が嬉しそうに笑った。
 鍋の中ではメインの鱈の他に長葱やら白菜やら豆腐やらがぐつぐつとおいしそうな音を立てている。
 この料理を食すことができるのは、正木を別とすれば若林だけである。つまり、若林のためだけにこの料理は存在するのだ。

「若林、飯はまだ後でいいだろ? 俺は日本酒飲むけど、おまえはつきあわなくていいからな」

 そう言って、正木は再びキッチンに戻っていった。おそらく、酒を取りにいったのだろう。
 その間に、夕夜が呑水とんすいにぽん酢醤油を注いだ。

「食べるのは、正木博士が来てからにしましょうね」

 そっと夕夜は若林に耳打ちした。

「きっと正木博士が直々によそってくれるでしょうから」




 また今朝と同じ席順で全員がテーブルについた後、若林家にしては豪勢な夕食が始まった。
 夕夜の読みどおり、正木は自分のより先に、若林に取ってやるよと言って鱈ちりを取り分けた。
 隣に座っていた夕夜が冷やかすような視線を若林に送ると、若林は居心地悪そうに首をすくめて、細々と鱈ちりを食べはじめた。

「いいなー。二人ばっかし食べられてー」

 一方、美奈は羨ましいを通りこして、恨めしそうに隣の正木を見上げている。

「いいだろー。作るのはメンドーだけどなー」

 鱈ちりをつつきながら、うまそうに冷酒を飲んでいた正木は、美奈に歯をむきだして笑ってみせた。

「あ……正木」

 白い湯気の向こうから、急に若林が正木を呼んだ。
 正木はすぐに若林のほうに顔を向けた。

「その……悪いな、おまえに飯の支度までさせて。そういや今朝もそうだったんだよな。昨日のことで頭がいっぱいで気づかなかった。でも――うまいよ、やっぱり」
「え……」

 それに対する正木の反応は、すごい見物だった。
 酒を飲んでも赤くならない正木が、たちまち真っ赤になって、うろたえたように自分の手元に目線をさまよわせたのだ。
 若林はというと、やはり赤くなっていて、こちらは自分の手の中の呑水をじっと見つめていた。
 夕夜と美奈は半ば呆れて、このシャイすぎる二人の博士を見ていた。
 料理をほめるだけでこれだけ照れる二人なら、確かに十七年経っても〝好きだ〟なんて言えるわけがない。夕夜は思いきり納得してしまった。

「あ……俺、居候だからさ!」

 さすがにこのまま黙っていてはいけないと思ったのか、正木は空々しく笑った。

「だから――気にする必要、全然ないから。ここにいる限りは俺が作るから」
「じゃあ、おまえ、いつまでここにいてくれる?」

 若林はようやく取り皿から目を離して、真剣な表情で正木を見た。
 夕夜たちはにわかに色めき立った。ついにここで劇的にプロポーズに出るか!
 しかし、正木は拍子抜けするほど普通の顔で、

「そうだな。とりあえず、二十四日の朝までいさせてもらえないか」

 と答えた。

「二十四日……」
「そう。例の勝負の日まで」

 ――うっ!
 若林と夕夜たちは、それぞれ違った理由で戦いた。
 若林は今日の昼すでに正木がウォーンライトと会ったとは知らないから、なぜ自分とは無関係と思っているはずの正木がその日にこだわるのだろうとギクリとし、夕夜たちは今日の昼正木がウォーンライトに会ったことを知っているから、もし万が一その勝負で若林がウォーンライトに負けたりしたら、正木はもう若林には会わないつもりなのだろうかとギクリとしたのだ。

「でも……二十四日以降はどうするんだ? 当てはあるのか?」

 はっと気づいて、若林が訊ね返す。
 彼は正木が〝早いうちにここを出る〟と答えるとばかり思っていて、そう言われたらいつものようにおとなしく引き下がるつもりだった。
 夕夜たちの期待は最初から裏切られていたわけである。さすが若林、期待を裏切ることにかけては相手を選ばない。

「いざとなりゃ実家に戻るさ」

 そんな若林の思惑を見越していたわけでもあるまいが、正木は平然とそう答えて、コップに入った日本酒をぐびっと飲んだ。
 彼は夕夜たちといるときには一度も酒を飲んだことがなかった。若林とは反対に、機嫌がいいと酒を飲みたくなるらしい。明るい酒で結構なことだ。

「まあ、俺のほうはどうにでもなる。それよりおまえだよ。例の勝負、勝算はあるのか?」
「え、いや、まあ……」

 冷ややかに訊かれて、若林は返答に窮した。ここでまかせておけと言えるほど、彼は自信家ではない。
 そうした若林の反応はすでに予測済みだったのか、一転して正木はにっこり笑った。

「勝つよ」
「え?」
「夕夜に勝るロボットはいない。おまえは絶対に勝つ」
「…………」
「だから、今はこの鱈ちりを食うことに専念しようぜ。ほら、よそってやるよ」
「あ、ああ……」

 正木に手を差し出されて、若林はあわててもうあらかた空になっていた取り皿を手渡した。
 これはもしかして――もしかするかも。
 夕夜と美奈は互いの顔を見合わせて、ひそかにほくそ笑んだ。
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