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 人界がいつからそこにあったのか、彼らは知らぬ。
 だが、どこからか『面白い遊び場がある』という噂が広まって、彼らは人界を知った。
 最初は興味本位だった。一度試しに見てみようという程度の。しかし、変化に乏しい魔界に比べ活気に溢れた人界に、彼らは夢中になってしまったのだ。
 ちょうど同じ頃、精霊界も人界へ干渉してきた。魔族である彼らは人界において、初めて精霊族を知ったのだった。
 しばらくの間――彼らにとってはだが――人界は魔族と精霊族の天下だった。別段、協定を結んだわけでもない。精霊族は勇猛な魔族に憧れに似た好意を抱いていたのだが、魔族は自分たちほど力を持たない精霊族を問題にしていなかった。だが、環境を変えることを最も得意とする精霊族は、しばしば魔族のために人界を改造した。人間という種はその過程で生まれたものである。
 しかし、魔族と精霊族の〝蜜月〟は、人界と表裏をなす霊界から使者がやってきたとき、終わりを告げた。そして、このときから魔族の報われぬ〝恋〟は始まったのだ。
 その光景を、彼は直接目にしたわけではない。
 だが、魔族の伝説は伝える。かの使者は輝かんばかりに美しい人の姿をしていたと。
 使者は魔族の一体――この頃はまだ人の形をとっていなかった――に、自分は霊界の者であると名乗った。この人界の維持のため、魔族・精霊族と話をしたい。すまないが、至急ここへ魔族と精霊族それぞれの代表者を呼んできてくれないか。
 すでに使者の虜となっていたその魔族は、喜んで使者のために奔走した。
 こうして、人を寄せつけぬ険しい山の中、魔界・精霊界・霊界の代表者による、最初で最後の三者会談が行われた。
 そこで使者は次のようなことを語った。

 それぞれの世界には、それぞれ許容できる魂の数というものがある。
 魔界しかり。精霊界しかり。この人界しかり。
 しかし、現在人界は、貴殿らが大量に流入してきたため、その許容量をはるかに超えてしまった。このままでは、人界は魂の重さに耐え切れず崩壊してしまう。霊界は人界の影。人界が崩壊すれば、霊界もまた崩壊する。
 そこで、これから霊界は、人界にある過剰な魂を作為的に消滅させることにした。私はそのために人界に遣わされた者である。
 できれば、貴殿らには本来の世界へ引き上げてもらいたいが、今の人界を作り上げたのは貴殿らでもあることだし、それは自由意志にお任せしよう。
 そのかわり、今後人界における魂の数の管理に協力していただきたい。具体的には、これ以上人界に魔族や精霊族を増やさないでほしい。
 申し添えておくが、たとえ魔族であっても精霊族であっても、人界にいるかぎり、私はその魂を消すことができる――

 当時の魔族と精霊族の代表者たち――呼びにいった魔族は、誰がいちばんの実力者であるか、判断することを避けたのだ――は、困惑して互いの顔を見合わせた。彼らには魂の許容数などまったく思いもかけないことであったし、彼らの魂を消すことのできる存在など想像もつかなかったのである。
 この限りなく脅しに近い霊界からの通告に、精霊族は猛反発した。この使者が本当にそのような恐ろしい力を持っているのか、にわかには信じられなかったこともあるし、今まで人界にはいっさい干渉してこなかった霊界が、今になって急に偉そうにしゃしゃり出てきたのも業腹だった。当然、魔族もこんな理不尽な言い分を聞き入れたりはしないだろう。精霊族はそのように踏んでいた。
 だが、魔族はこの霊界からの使者に一目で骨抜きにされていた。理屈がどうであるにしろ、この新顔を人界に迎え入れることに否などない。魔族の代表者たちは全員一致で答えた。

 ――承知した。魔族はその申し出を受け入れよう。

 その答えを聞いたときの精霊族の驚きがいかばかりだったか、想像に難くない。彼らは昔なじみの魔族が魔族でなくなってしまったかのような、強烈な違和感を覚えたことだろう。
 
 ――なぜ、こんな馬鹿げた話を鵜呑みにするのか!

 魔族の不甲斐ない体たらくに、精霊族の代表者の一体が激昂して叫んだ。

 ――霊界だと? そんな世界は私は知らない。私の魂を消すことができるのなら、今すぐここで消してみろ。そうすれば、私はおまえの言うことを信じてやる――

 そう精霊族が言いかけ、見かねた魔族がたしなめようとしたとき。
 彼らの眼前で、忽然とその精霊族は消え失せた。
 あまりに一瞬の出来事で、すぐには何が起こったのかわからなかった。霊界の使者が口を開くまでは。

 ――これで信じてもらえただろうか?

 得意そうな声音ではなく、むしろ暗く沈んでいた。

 ――魂を消し去るために私は生まれたが、それを好んでいるわけではない。どうかもうこれ以上、私の言葉を疑わないでほしい。私が望んでいるのは、人界の安定だけなのだ……

 使者による最初の犠牲者を出した精霊族は恐怖のために蒼白となった。
 しかし、魔族は悲しげな顔をする霊界の使者を陶然と眺めていた。
 これから先、この使者のために、自分たちがどれほど苦しい思いをするのか、夢にも知らずに。



 とまれ、精霊族も霊界の要求を呑むことを渋々ながら承諾した。
 魔族の手を借りたとしても、使者のあの力には対抗できないと判断したからだが、もしここで精霊族が意志を曲げていなければ、間違いなく魔族は彼らの敵に回っていただろう。

 ――しかし、人界といえども広大だ。貴殿の力のほどはわかったが、貴殿一人で過剰な魂をすべて消し去ることなどできるものか?

 よかったら自分が手を貸してやろうという下心を滲ませつつ、魔族の一体が使者に訊ねた。

 ――貴殿の言うとおりだ。それゆえ、私は私の魂をいくつかに分けようと思う。そう――二十四くらいが適当か。実を言うと、私は貴殿らとは違って負の世界の者ゆえ、いつまでもこの姿で正の世界たる人界にいるのは辛いのだ。これからこの世界の生物――人間の体を器にしなければならぬ。私がこの姿で貴殿らと話せるのもこれが最後だ。願わくは、貴殿らを手に掛けたくはないが。

 そう言って、霊界の使者はその場を離れようとした。

 ――まあ、待て! それでは、こうしようではないか!

 魔族の中でも策士として有名な者が、あわてて使者を呼び止めた。もし、このときこの者がこんなことを言い出さなければ、のちの〝三魔王〟も存在しなかっただろう。だが、〝三魔王〟にとってはそのほうがかえってよかったかもしれない。
 
 ――貴殿が二十四人になるのなら、我ら魔族から二十四人、精霊族から二十四人を監視者として人界に置こう。いや、貴殿一人に魔族一人、精霊族一人をそれぞれつける。貴殿の仕事が少しでも減るよう、我らも協力しよう。

 何を突然言い出すのかと呆れ果てたのは精霊族だった。お人好しの気のある精霊族も、さすがに魔族の異常さを意識しはじめたのだった。
 しかし、魔族は名案だと思った。その監視者になりさえすれば、霊界の使者のそば近くに堂々といられるのだ。
 使者が二十四人という数字をあげてくれたのは幸いだった。たった一人であったなら、魔族の代表者たちは血みどろの死闘を演じねばならなかっただろう。
 この魔族の提案は、使者には思いもかけないものだったようだ。驚いたような顔をしていたが、その不純な動機には気づかなかったらしく、かすかに笑って答えた。

 ――私はそれでもかまわない。

 そして、今度こそ彼らの前から姿を消した。

 ――馬鹿な……いったい何を考えておるのか。

 使者が去った後、精霊族が魔族をなじった。幹部階級ともなれば、魔族相手でも遠慮はない。

 ――我らがあれに協力してやらねばならぬ道理などどこにもないではないか。魔族はいつからそのような腑抜けぞろいになったのだ? あれの見目に惑わされたか?

 魔族は一同、声もなかった。――そのとおりだったからである。

 ――しかし、あれの力を見ただろう? あれはいつでもたやすく我らを消せるのだ。そんな危険な存在は近くで監視するのが得策ではないか。

 そううまく言い訳をしたのは、当の提案をした魔族だ。

 ――それは確かにそうだが……本当に、それだけなのか?
 ――もちろんだとも。では、さっそく二十四人の監視者を選び出そうではないか。人界における我らの存亡が懸かっておるのだからな。

 これが、魔族が精霊族についた最初の嘘だった。       
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