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第1話 ミッドナイト
4 死神
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鬼頭がうっすらと目を開けると、天井からは蜘蛛の巣つきのシャンデリアが下がっていた。
(はて。うちの天井にこんなものはなかったはずだが)
思案しているうちに、ようやくあの少年に額に触れられたとたん気絶したことを思い出し、鬼頭はソファから跳ね起きた。
あわてて周囲を見回してみると、あのゾンビや少年の姿はすでに跡形もなかった。ご丁寧に燭台の火も消してある。
(どうやったんだ?)
そう思ったが、訊ねようにも当の少年はいない。とりあえず、煙草を吸って落ち着こうとしたとき、甲高い女の悲鳴が上がった。
「な、何だ?」
ほとんど条件反射的に、鬼頭は部屋を飛び出した。
***
「嘘よ……」
自分の両耳を押さえながら、怯えたように女は呻いた。しかし、少年はかまわず畳みかける。
「嘘じゃない。その子供もおまえも、とうの昔に死んでいる」
「嘘よ!」
女は激しくかぶりを振った。
「嘘よ……あの人は必ず帰ってくるって言ったわ……もうちょっとの我慢だって……知らない街で三人で暮らすんだって……」
「気の毒なことだな」
そう言う少年の顔にも声にも、感情はまったくこめられていない。
「事故にでも遭ったのか逃げたのか、俺にはわからんが、ゾンビを増やされるのはちと困る。あれはこの世に魂を留めることになるからな。それさえなければ、見逃してもよかったんだが」
女の表情に変化が起こった。まるで、自分の幻想に浸りつづけてきた狂人が、ふと正気を取り戻したかのように。
「あなた……何なの?」
〝誰なの?〟ではなかった。
「今のおまえにとっては、〝死神〟だ」
そう答えてから、少年は部屋の中に踏みこんだ。
「私はどこへも行かないわ!」
一転して、女はキッと少年を睨みつける。
「あの人は必ず帰ってくるって言ったんだもの……三人で暮らそうって言ったんだもの……」
今度は少年は何も言わなかった。玲瓏な顔に哀れみにも似た陰りがあった。
――と。
「失礼!」
律義にも、きちんとドアをノックしてから、鬼頭は部屋の中へと入ってきた。
「馬鹿な!」
初めて少年は驚いた顔を見せた。
「朝までは目覚めないはずなのに……もう気がついたのか?」
「ああ、おかげでよく眠れたよ。どうやって気絶させたんだ?」
「あなた!」
女はぱっと表情を輝かせ、歓喜に満ちた声を上げた。自分が鬼頭を殺そうとしたことなど、忘れ去ってしまったかのようだ。
「やっぱり帰ってきてくれたのね。ほら、坊やよ。私たちの子よ」
そそくさと女は立ち上がると、ベッドから毛布ごと赤ん坊を抱き上げ、そっと鬼頭に見せた。小さな頭蓋骨に、乾ききった皮とまばらな髪が張りついていた。
「ね、可愛いでしょう?」
すがるように女は言った。お世辞にも可愛いと言える代物ではない。
だが、鬼頭は普通の赤ん坊を目にしたときのように、優しく笑った。
「そうだね。……君に似て、可愛い子だね」
女が大きく目を見張る。一方、少年は柳眉をひそめ、非難するように鬼頭を見ていた。
「ありがとう……」
にっこりと女は微笑んだ。その瞳から、不思議なほど澄んだ涙が一粒こぼれ落ちる。
本当はわかっていた。でも、認めたくなかった。この男が〝あなた〟ではないことを。あの男が自分たちを捨てたことを。
からんと乾いた音がした。
分厚い埃がたまった床に鬼頭が目をやると、そこには毛布にくるまれた赤子と共に、すでに白骨化している女の死体が転がっていた。窓から入る月明かりは、そんな彼らに、淡い闇のベールを投げかけていた。
「これが本当のあの人か?」
驚きより、哀れみのほうが先に立った。
「おそらく、飢え死にだろう。赤ん坊を産み落としはしたが、育てられなかった……」
相変わらず無感情ではあるが、少年は鬼頭の問いには応じた。
「何で、そこまでここに……」
「金は全部男が持っていっただろうし……何よりこの女には、〝待つ〟ということが重要だったんだろう」
「かわいそうに」
心から鬼頭は呟いた。
「かわいそう? 殺されかかったのにか?」
少年が呆れたように眉を吊り上げる。
「そんな事情があったんなら……無理ないさ。もっと優しくしてあげればよかった」
「とんだお人好しだな。あれでまだ優しくしたりないって言うのか? そんな情けをかけていると、これからもまたこんな目にあうぞ」
「だったら、どうして俺なんか助けた?」
むっとして鬼頭は少年を睨んだ。この少年に対しては、どうしても寛大になれない。
「どうしてだって?」
冷ややかに少年は笑った。
「気が向いたからさ」
ちょうど煙草を吸おうとしていた鬼頭は、思わずむせた。
「気が向かなかったら、俺は死んでたのか……あ、おい、どこ行くんだ?」
鬼頭がちょっと目を離した隙に、少年は今にも廊下の闇の中にまぎれこもうとしていた。立ち止まり、怪訝に鬼頭を振り返る。
「帰るんだが、まだ何か文句があるのか?」
鬼頭はまたむっとしたが、そこをこらえて口早に答えた。
「一応礼は言っとくよ。ありがとう」
「それは結構なことで」
なまじ無表情なだけに、よけい嫌味である。
「まだ根に持ってるな……あ、そうだ。あんた名前は? 俺は鬼頭和臣。名刺はこれ」
鬼頭は懐から名刺を取り出すと、無造作に少年に差し出した。
別にこの少年と知りあいになりたかったわけではない。むしろ、もう二度と会いたくなかった。確かに美少年かもしれないが、鬼頭にはそういう趣味はなかったし、何よりこの少年の年に合わない横柄さと冷静さが、鼻について仕方がなかった。おそらく、霊能者か何かなのだろうが、得体が知れないことには変わりない。
しかし、望むと望まざるとにかかわらず命を助けられたことだし、名乗っておくのが礼儀だろうと思ったのだ。先ほどのノックの件でもわかるように、鬼頭は妙なところで律義である。
少年もそう思ったのか、あっけにとられたように名刺を見ていたが、結局、それを受け取り答えた。
「霧河雅美。予備校生だから名刺はないよ」
三月某日。真夜中過ぎの出来事だった。
―END―
(はて。うちの天井にこんなものはなかったはずだが)
思案しているうちに、ようやくあの少年に額に触れられたとたん気絶したことを思い出し、鬼頭はソファから跳ね起きた。
あわてて周囲を見回してみると、あのゾンビや少年の姿はすでに跡形もなかった。ご丁寧に燭台の火も消してある。
(どうやったんだ?)
そう思ったが、訊ねようにも当の少年はいない。とりあえず、煙草を吸って落ち着こうとしたとき、甲高い女の悲鳴が上がった。
「な、何だ?」
ほとんど条件反射的に、鬼頭は部屋を飛び出した。
***
「嘘よ……」
自分の両耳を押さえながら、怯えたように女は呻いた。しかし、少年はかまわず畳みかける。
「嘘じゃない。その子供もおまえも、とうの昔に死んでいる」
「嘘よ!」
女は激しくかぶりを振った。
「嘘よ……あの人は必ず帰ってくるって言ったわ……もうちょっとの我慢だって……知らない街で三人で暮らすんだって……」
「気の毒なことだな」
そう言う少年の顔にも声にも、感情はまったくこめられていない。
「事故にでも遭ったのか逃げたのか、俺にはわからんが、ゾンビを増やされるのはちと困る。あれはこの世に魂を留めることになるからな。それさえなければ、見逃してもよかったんだが」
女の表情に変化が起こった。まるで、自分の幻想に浸りつづけてきた狂人が、ふと正気を取り戻したかのように。
「あなた……何なの?」
〝誰なの?〟ではなかった。
「今のおまえにとっては、〝死神〟だ」
そう答えてから、少年は部屋の中に踏みこんだ。
「私はどこへも行かないわ!」
一転して、女はキッと少年を睨みつける。
「あの人は必ず帰ってくるって言ったんだもの……三人で暮らそうって言ったんだもの……」
今度は少年は何も言わなかった。玲瓏な顔に哀れみにも似た陰りがあった。
――と。
「失礼!」
律義にも、きちんとドアをノックしてから、鬼頭は部屋の中へと入ってきた。
「馬鹿な!」
初めて少年は驚いた顔を見せた。
「朝までは目覚めないはずなのに……もう気がついたのか?」
「ああ、おかげでよく眠れたよ。どうやって気絶させたんだ?」
「あなた!」
女はぱっと表情を輝かせ、歓喜に満ちた声を上げた。自分が鬼頭を殺そうとしたことなど、忘れ去ってしまったかのようだ。
「やっぱり帰ってきてくれたのね。ほら、坊やよ。私たちの子よ」
そそくさと女は立ち上がると、ベッドから毛布ごと赤ん坊を抱き上げ、そっと鬼頭に見せた。小さな頭蓋骨に、乾ききった皮とまばらな髪が張りついていた。
「ね、可愛いでしょう?」
すがるように女は言った。お世辞にも可愛いと言える代物ではない。
だが、鬼頭は普通の赤ん坊を目にしたときのように、優しく笑った。
「そうだね。……君に似て、可愛い子だね」
女が大きく目を見張る。一方、少年は柳眉をひそめ、非難するように鬼頭を見ていた。
「ありがとう……」
にっこりと女は微笑んだ。その瞳から、不思議なほど澄んだ涙が一粒こぼれ落ちる。
本当はわかっていた。でも、認めたくなかった。この男が〝あなた〟ではないことを。あの男が自分たちを捨てたことを。
からんと乾いた音がした。
分厚い埃がたまった床に鬼頭が目をやると、そこには毛布にくるまれた赤子と共に、すでに白骨化している女の死体が転がっていた。窓から入る月明かりは、そんな彼らに、淡い闇のベールを投げかけていた。
「これが本当のあの人か?」
驚きより、哀れみのほうが先に立った。
「おそらく、飢え死にだろう。赤ん坊を産み落としはしたが、育てられなかった……」
相変わらず無感情ではあるが、少年は鬼頭の問いには応じた。
「何で、そこまでここに……」
「金は全部男が持っていっただろうし……何よりこの女には、〝待つ〟ということが重要だったんだろう」
「かわいそうに」
心から鬼頭は呟いた。
「かわいそう? 殺されかかったのにか?」
少年が呆れたように眉を吊り上げる。
「そんな事情があったんなら……無理ないさ。もっと優しくしてあげればよかった」
「とんだお人好しだな。あれでまだ優しくしたりないって言うのか? そんな情けをかけていると、これからもまたこんな目にあうぞ」
「だったら、どうして俺なんか助けた?」
むっとして鬼頭は少年を睨んだ。この少年に対しては、どうしても寛大になれない。
「どうしてだって?」
冷ややかに少年は笑った。
「気が向いたからさ」
ちょうど煙草を吸おうとしていた鬼頭は、思わずむせた。
「気が向かなかったら、俺は死んでたのか……あ、おい、どこ行くんだ?」
鬼頭がちょっと目を離した隙に、少年は今にも廊下の闇の中にまぎれこもうとしていた。立ち止まり、怪訝に鬼頭を振り返る。
「帰るんだが、まだ何か文句があるのか?」
鬼頭はまたむっとしたが、そこをこらえて口早に答えた。
「一応礼は言っとくよ。ありがとう」
「それは結構なことで」
なまじ無表情なだけに、よけい嫌味である。
「まだ根に持ってるな……あ、そうだ。あんた名前は? 俺は鬼頭和臣。名刺はこれ」
鬼頭は懐から名刺を取り出すと、無造作に少年に差し出した。
別にこの少年と知りあいになりたかったわけではない。むしろ、もう二度と会いたくなかった。確かに美少年かもしれないが、鬼頭にはそういう趣味はなかったし、何よりこの少年の年に合わない横柄さと冷静さが、鼻について仕方がなかった。おそらく、霊能者か何かなのだろうが、得体が知れないことには変わりない。
しかし、望むと望まざるとにかかわらず命を助けられたことだし、名乗っておくのが礼儀だろうと思ったのだ。先ほどのノックの件でもわかるように、鬼頭は妙なところで律義である。
少年もそう思ったのか、あっけにとられたように名刺を見ていたが、結局、それを受け取り答えた。
「霧河雅美。予備校生だから名刺はないよ」
三月某日。真夜中過ぎの出来事だった。
―END―
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