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1 . 襲撃と討伐
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森繁樹は姉の彼氏だった翔と、火つけ役を買って出た畑中、そして、鬼の討伐を言い出した牧愛叶と避難所になっていた消防団詰所を出て、鬼がいるとされる公民館にむかい国道を歩いていた。
車は昼間にも関わらず、一台も走っていない。それは今日に限ったことではなく、樹はもう三年以上、動いている車を見てはいなかった。
歩道はアスファルトのひび割れた隙間から草が生い茂り、歩くのに邪魔になるほど草がぼうぼうと生えているところも所々あるため、四人は歩道ではなく、車のまったく通らない車道を歩いている。
「今日はさすがに誰も歩いてませんね。」
普段は車は通らずとも、自転車や歩いている人がいるが、昨日、鬼の襲撃が遭ったせいか、小河内地区に入ってから、人だけでなく、犬や猫などの動物や鳥たちの気配も感じられない。
「そうだな、みんな昨日のうちに逃げたんだろう。」
樹は緊張しているのか、声が少し硬めだが、答える畑中の声は気のぬけた、いかにも気楽な調子だ。が、声とは裏腹に目は油断なく辺りを窺っていた。
愛叶は手に持った錐を手持ち無沙汰かのようにくるくると回しながら歩いている。この錐は畑中の自宅に火付け石を取りによったさい、スプレー缶に穴を開けられる工具を見繕い貸してもらった物だ。
極度の緊張からか、いつもはよく喋る愛叶が詰所を出てから、ほとんど口を利かず、剣呑な目つきで、落ち着きなく錐を手元で遊ばせているのをよこ目でちらりと見て、翔は畑中に尋ねる。
「スプレー缶はいくつぐらいあったら、足りますかね?」
「そうだなぁ……。前に部屋の消臭剤のスプレーを百ちょっとガス抜きして、建物爆発させた不動産屋があっただろ?」
「ああ、ありましたね。 覚えてます。 まだ学生の頃の事件だったかな。確か、死亡した人はいなくて、五十人以上の人が怪我したんですよね?」
「それならオレも覚えてる! まだ小学生だったけど。姉ちゃんが使ってるヘアスプレーでも同じ事故が起きる可能性があるから、気をつけろって、母ちゃんがニュース見ながら言ってた……」
愛叶が勢い込んで話し、それに樹も続く。
「俺も覚えてます! たしか……小学三年か四年ぐらいの時だったと思うから、もう十年以上前の事故ですよね! 家にある物であんな事が起きるんだって、衝撃でした。建物グチャグチャになってた!」
「ああ、死亡者が出なかったのが、奇跡的とか言われてたよな。」
「あの事件で百ちょっと……百二十ぐらいだったか? 三百か四百……最低でも二百は欲しいところだな。」
「そんなにありますかね?」
「あるだろ。たしか、出荷待ちで積み上げられてた分がそのまま残ってたはずだ。鬼が起きだす前に、それだけ運べるといいんだが……」
「工場に向かったのは森山と新田たちだっただろ? あいつらが手間取るようなら、俺も運ぶ方にまわりますよ。」
四人は横一列に並び右側の車線を話しながら進んで行く。誰に注意されるわけでもないのに、右側通行を自然としているのは長年の習慣が残っているからだろう。
災害が続き、人びとが混乱を極め、行政や警察が機能していなくても、多少の秩序が残っているのは、この国の国民性のなせるわざなのかも知れなかった。
ギィーコ ギィーコ
何かが近づいてくる音がする。
最初に愛叶がふり返り、次いで樹がふり返った。つられて翔と畑中もふり返ると、自転車で立ち漕ぎをしながら森山勇太が近づいてきていた。森山は四人の側まできてから自転車からおりる。
「お疲れ! 工場どうだった?」
前に二箱、後ろに三箱積んだ自転車を押すのを汗だくの森山と代わりながら翔が話しかけた。
「林さんが平岡さんに話つけて、平岡さんを連れてきてくれたから、問題なくスプレーの持ちだしができたよ。新田たちは背負子を作って、それで運んでくる。俺は自転車でなん往復かしようと思ってる。」
森山は翔にこたえながら、額に浮いた汗を袖で拭う。
季節は立秋を過ぎ、白露をむかえ、空は高く、秋雲がたなびくようになったとはいえ、日中はまだまだ暑さが厳しく、少し動いただけで直ぐに汗びっしょりになってしまう。
「『しょいこ』って何ですか?」
自転車を挟んで翔と反対側にまわり、後ろのダンボールを軽く押さえて歩きながら、樹はわからない言葉を訊いてみた。
「昔話とかで出てくる薪を背負う道具だよ。二宮金次郎の銅像って……知ってるか? あれが背負ってるのが背負子なんだけど。」
「二宮金次郎なら知ってるよ! 学校の七不思議とかの本によく出てくるやつだろ? 本を読んでる銅像が夜中に動きだす!! って……。 なんか背負ってんの? アレ」
「やっぱ、そんな認識だよなぁ。そいで、なにか背負ってるかは知らないとwww。」
「青木と持木も似たような反応だったよ。若いヤツらは知らないよな。」
樹は笑われてちょっとムッとするが
「おまえらも若いだろう。俺からみれば、おまえらは大して変わらねぇよ。」
と、畑中に翔と森山が窘められるのを見て、そうだ、そうだとちょっとだけ胸がスッとし、翔に見つからないようにクスリと笑う。
「そんで、その箱にはいくつ入ってんだ?」
「ひと箱二十四本入りです。おれが運んできたのは五箱なので、百二十本ですね。どれくらいあったら、いいっすか?」
「最低二百本。できれば四百ぐらいは欲しいな。」
「だったら、俺があと一往復しただけでも二百四十にはなりますね。新田たちが三箱づつ三人で運んだとして……」
「二百十六。 勇太さんのと合わせて四百五十六本になる。」
「だ、そうです。そんだけあれば足りそうですね。 愛叶は計算早な。」
「いや、算数だから。」
緊張からか、ぶっきらぼうに会話に割り込む愛叶に森山は苦笑しながら、畑中に運ぶスプレー缶の予定本数を答える。それに、畑中は森山の答えに満足したようすで頷き返した。
森山が合流し、しばらく歩くと鬼がいるとされる小河内公民館の近くまで五人は来た。
公民館周辺は不気味な雰囲気に包まれており、樹は無意識にゴクリとつばを飲みこむ。
「何の音?」
トンネルの中を大型トラックが走っているような音が辺りに響いている。人や動物などの生き物の気配のない無機質なひんやりとした感じと辺りに響く轟音が、一種異様な雰囲気を醸しだし、公民館周辺を覆っている。
「なんか変な匂いもするな。」
愛叶と樹は顔を見合わせ、辺りに漂う臭いに鼻をしかめる。
辺りは真新しいビニールの匂いを濃くしたような匂いがたちこめ、長い時間ここに留まると頭が痛くなりそうだ。
樹や翔たちが異様な雰囲気にたたらを踏むなか、畑中はそれら一切を気にも留めず公民館の中へズカズカと入って行ってしまう。
「畑中さん!」
慌てて、翔たちも畑中を追い、公民館の中へと恐る恐る入って行く。森山も公民館の側に音がなるべくしないよう気をつけながら、自転車を置き、みんなに続いて公民館に入った。
小河内公民館は事務室はもとより、ホワイトボードのある会議室、広い台所、舞台付きの畳五十畳の多目的広間、それに男女別にシャワールームまで備えた公民館だ。なにか災害があった際には避難所としてはもちろん、平時は地域住民だけでなく、合宿やイベントなど多目的に使えるようにと設計されていた。
畑中はほかの者たちが戸惑うのも構わず、公民館の中、より騒音が酷いほう、より臭いがきついほうへと進んでいく。畑中のその目はギラギラと光り、隠し切れない興奮と狂気とが滲み出ていた。
はたして、鬼は広間にいた。公民館周辺に響いていた轟音は鬼のイビキだったよう。その音のせいでスヤスヤとは表現しにくいが、鬼はぐっすりと熟睡してそうだ。
公民館の裏口の戸が屋根から壊され、裏口近くの広間の戸が破壊されているのを見ると、鬼は裏口から公民館に入り、広間で横になり、丸くなったのだろう。
(まるで人の動きみてぇだな)
戸が壁や屋根ごと壊されているとはいえ、裏口の戸から入り、部屋の中で窮屈そうに丸くなっているのはまるで人の行動のようだと、しかもこの公民館の部屋の配置を知っていたかのような行動だ、と、畑中は人の姿とはまるで似ても似つかない鬼を見て思う。
鬼に頭の先から足先まで体毛らしきものは確認できない。肌の色は薄墨色に青と紫をまだらに混ぜ、ぐちゃぐちゃに濃淡をつけたような色で、表面は所々ボコボコとしている。
今は丸くなって、頭を抱えるように寝ているため、顔は見えないが、鬼の顔に凹凸は少ない。
耳らしき気管は外から確認は難しく、顔の横に空いている小さな穴が耳かもしれない。鼻も同様で、顔の中央にわずかなふくらみがあり、そこに小さな穴が二つ空いている。アレが鼻だろう。
そして、目と目の間は離れており、ヤギのように四角い瞳孔で、眼球はぐるぐる動き、閉じた状態でも顔いっぱいに裂けた口。だから、口が開いた時には顔の長さが倍になったようで、対時した者を恐怖と絶望に叩き落とす。
畑中は背負っていたリュックを静かに下ろすと、中からまずはタオルを出し、口と鼻を覆い、後ろで結ぶ。それから、ブルーシートとビニールヒモ、ハサミを取りだす。裏口の戸まで行き、壊れいる箇所を確認してから、荷物をその場に置き、事務室に向かう。ここの事務室には2mの脚立があったはずだ。
以前は鍵のかけられていた事務室も流星群が飛来して以来は鍵もかけられていない。いざという時に誰にでも使えるようにとの地域の判断だ。管理人がいなくなったせいというのもある。
事務室前に翔と樹、愛叶に森山もそろった。そろったみんなの顔を見まわして、畑中はそれぞれに指示を出していく。
「森山はダンボールを中に入れたら、もう一度取りに行ってくれ。」
「はい!」
「愛叶と樹は避難誘導が無事に終わってるかの確認と、まだ残ってる班があったら、なるべく早く一km以上離れるよう伝えてくれ。」
「はい!」
「わかった。」
「翔は俺を手伝ってくれ。」
「はい。それ、俺が持ちますよ。」
それぞれが素早く、しかしなるべく音を立てないように静かに動きだす。
翔も畑中から脚立を受け取り、破壊された裏口へと向かう。
翔は畑中と同じようにタオルをマスクがわりにしてから、脚立を上り、二人で破壊された屋根にブルーシートをかけていく。なるべく隙間ができないようにブルーシートで覆い、固定する。
次は森山が運び込んだダンボールを開き、スプレー缶に錐で穴をあけ、鬼が寝ている広間に穴のあいたスプレー缶を転がす。
これまでの作業で多少の音はしているのだが、鬼のイビキが煩いせいか、鬼は気づくことなく、ぐっすりと眠ったままだ。
畑中はそんな鬼のようすを油断なく注視したまま、次々とスプレー缶に穴をあけ、広間に転がしていく。
最後の箱を開いてすぐに背負子を背負った新田たちと森山もまた五箱、自転車に積んで戻ってきた。
全ての荷をおろす頃には愛叶と樹も戻ってきた。
「高橋さんたちの班が赤ちゃんを救出してました。親は生き埋めになってて、重機がないと、とても助けられないって言ってました。それに下は押し潰されているぽっいから、助けて出しても時間の問題だろうって……」
悲痛な顔で報告する樹に
「一人でも助かって良かったじゃねーか。」
畑中は樹をふり返り、そう答えるとまた、鬼に向き直り、黙々とスプレー缶に穴をあけ、広間に転がしていく。
全てのダンボールを開いた時点で十代の類と朝陽、二十代前半の樹と愛叶、それに森山を避難させる。
スプレー缶があとダンボール三箱になった。鬼はまだ起きない。
「愛莉もいい女になってたが、花音もいい女だったなぁ。」
畑中に急に話しかけられた翔は咄嗟に声がつまる。
「……そうですね。」
それだけ返すのが、精一杯だった。最愛の恋人を亡くしたのはまだ昨日のことで、そのことについて何も考えないようにと、そうして翔は今日、なんとか動いていた。
「あとは俺がやるから、お前らは先に行ってろ。あぁ、貴重な自転車、壊しちまったらもったいねーから、お前らが乗ってけよ。」
「いや、でもそれじゃぁ……。」
「ぐずぐず言ってねぇでサッサと行け。のろのろして、巻き込まれて怪我なんてかっこ悪りぃことしてんなよ。」
「……」
「なぁ、森の守のやつらがもっといい鬼の倒し方とやらを知ってるんだと。お前らはそれを教えてもらってこいや。」
「……わかりました。畑中さん……」
翔も新田も畑中にどう声をかけたらいいかわからない。それでも、このまま自分たちが残り、言い争いをしているうちに鬼が起きだし、全てが無駄になってしまうことを一番に避けるために、その場を畑中に任せて、先に避難することを決断する。
「健闘を祈ります。」
翔は最後に畑中にそう声をかけ、新田と揃って、背中を向けたままの畑中に深く礼をする。そして、公民館をで、自転車の後ろに新田を乗せ、翔は全力で自転車を漕ぎだした。
車は昼間にも関わらず、一台も走っていない。それは今日に限ったことではなく、樹はもう三年以上、動いている車を見てはいなかった。
歩道はアスファルトのひび割れた隙間から草が生い茂り、歩くのに邪魔になるほど草がぼうぼうと生えているところも所々あるため、四人は歩道ではなく、車のまったく通らない車道を歩いている。
「今日はさすがに誰も歩いてませんね。」
普段は車は通らずとも、自転車や歩いている人がいるが、昨日、鬼の襲撃が遭ったせいか、小河内地区に入ってから、人だけでなく、犬や猫などの動物や鳥たちの気配も感じられない。
「そうだな、みんな昨日のうちに逃げたんだろう。」
樹は緊張しているのか、声が少し硬めだが、答える畑中の声は気のぬけた、いかにも気楽な調子だ。が、声とは裏腹に目は油断なく辺りを窺っていた。
愛叶は手に持った錐を手持ち無沙汰かのようにくるくると回しながら歩いている。この錐は畑中の自宅に火付け石を取りによったさい、スプレー缶に穴を開けられる工具を見繕い貸してもらった物だ。
極度の緊張からか、いつもはよく喋る愛叶が詰所を出てから、ほとんど口を利かず、剣呑な目つきで、落ち着きなく錐を手元で遊ばせているのをよこ目でちらりと見て、翔は畑中に尋ねる。
「スプレー缶はいくつぐらいあったら、足りますかね?」
「そうだなぁ……。前に部屋の消臭剤のスプレーを百ちょっとガス抜きして、建物爆発させた不動産屋があっただろ?」
「ああ、ありましたね。 覚えてます。 まだ学生の頃の事件だったかな。確か、死亡した人はいなくて、五十人以上の人が怪我したんですよね?」
「それならオレも覚えてる! まだ小学生だったけど。姉ちゃんが使ってるヘアスプレーでも同じ事故が起きる可能性があるから、気をつけろって、母ちゃんがニュース見ながら言ってた……」
愛叶が勢い込んで話し、それに樹も続く。
「俺も覚えてます! たしか……小学三年か四年ぐらいの時だったと思うから、もう十年以上前の事故ですよね! 家にある物であんな事が起きるんだって、衝撃でした。建物グチャグチャになってた!」
「ああ、死亡者が出なかったのが、奇跡的とか言われてたよな。」
「あの事件で百ちょっと……百二十ぐらいだったか? 三百か四百……最低でも二百は欲しいところだな。」
「そんなにありますかね?」
「あるだろ。たしか、出荷待ちで積み上げられてた分がそのまま残ってたはずだ。鬼が起きだす前に、それだけ運べるといいんだが……」
「工場に向かったのは森山と新田たちだっただろ? あいつらが手間取るようなら、俺も運ぶ方にまわりますよ。」
四人は横一列に並び右側の車線を話しながら進んで行く。誰に注意されるわけでもないのに、右側通行を自然としているのは長年の習慣が残っているからだろう。
災害が続き、人びとが混乱を極め、行政や警察が機能していなくても、多少の秩序が残っているのは、この国の国民性のなせるわざなのかも知れなかった。
ギィーコ ギィーコ
何かが近づいてくる音がする。
最初に愛叶がふり返り、次いで樹がふり返った。つられて翔と畑中もふり返ると、自転車で立ち漕ぎをしながら森山勇太が近づいてきていた。森山は四人の側まできてから自転車からおりる。
「お疲れ! 工場どうだった?」
前に二箱、後ろに三箱積んだ自転車を押すのを汗だくの森山と代わりながら翔が話しかけた。
「林さんが平岡さんに話つけて、平岡さんを連れてきてくれたから、問題なくスプレーの持ちだしができたよ。新田たちは背負子を作って、それで運んでくる。俺は自転車でなん往復かしようと思ってる。」
森山は翔にこたえながら、額に浮いた汗を袖で拭う。
季節は立秋を過ぎ、白露をむかえ、空は高く、秋雲がたなびくようになったとはいえ、日中はまだまだ暑さが厳しく、少し動いただけで直ぐに汗びっしょりになってしまう。
「『しょいこ』って何ですか?」
自転車を挟んで翔と反対側にまわり、後ろのダンボールを軽く押さえて歩きながら、樹はわからない言葉を訊いてみた。
「昔話とかで出てくる薪を背負う道具だよ。二宮金次郎の銅像って……知ってるか? あれが背負ってるのが背負子なんだけど。」
「二宮金次郎なら知ってるよ! 学校の七不思議とかの本によく出てくるやつだろ? 本を読んでる銅像が夜中に動きだす!! って……。 なんか背負ってんの? アレ」
「やっぱ、そんな認識だよなぁ。そいで、なにか背負ってるかは知らないとwww。」
「青木と持木も似たような反応だったよ。若いヤツらは知らないよな。」
樹は笑われてちょっとムッとするが
「おまえらも若いだろう。俺からみれば、おまえらは大して変わらねぇよ。」
と、畑中に翔と森山が窘められるのを見て、そうだ、そうだとちょっとだけ胸がスッとし、翔に見つからないようにクスリと笑う。
「そんで、その箱にはいくつ入ってんだ?」
「ひと箱二十四本入りです。おれが運んできたのは五箱なので、百二十本ですね。どれくらいあったら、いいっすか?」
「最低二百本。できれば四百ぐらいは欲しいな。」
「だったら、俺があと一往復しただけでも二百四十にはなりますね。新田たちが三箱づつ三人で運んだとして……」
「二百十六。 勇太さんのと合わせて四百五十六本になる。」
「だ、そうです。そんだけあれば足りそうですね。 愛叶は計算早な。」
「いや、算数だから。」
緊張からか、ぶっきらぼうに会話に割り込む愛叶に森山は苦笑しながら、畑中に運ぶスプレー缶の予定本数を答える。それに、畑中は森山の答えに満足したようすで頷き返した。
森山が合流し、しばらく歩くと鬼がいるとされる小河内公民館の近くまで五人は来た。
公民館周辺は不気味な雰囲気に包まれており、樹は無意識にゴクリとつばを飲みこむ。
「何の音?」
トンネルの中を大型トラックが走っているような音が辺りに響いている。人や動物などの生き物の気配のない無機質なひんやりとした感じと辺りに響く轟音が、一種異様な雰囲気を醸しだし、公民館周辺を覆っている。
「なんか変な匂いもするな。」
愛叶と樹は顔を見合わせ、辺りに漂う臭いに鼻をしかめる。
辺りは真新しいビニールの匂いを濃くしたような匂いがたちこめ、長い時間ここに留まると頭が痛くなりそうだ。
樹や翔たちが異様な雰囲気にたたらを踏むなか、畑中はそれら一切を気にも留めず公民館の中へズカズカと入って行ってしまう。
「畑中さん!」
慌てて、翔たちも畑中を追い、公民館の中へと恐る恐る入って行く。森山も公民館の側に音がなるべくしないよう気をつけながら、自転車を置き、みんなに続いて公民館に入った。
小河内公民館は事務室はもとより、ホワイトボードのある会議室、広い台所、舞台付きの畳五十畳の多目的広間、それに男女別にシャワールームまで備えた公民館だ。なにか災害があった際には避難所としてはもちろん、平時は地域住民だけでなく、合宿やイベントなど多目的に使えるようにと設計されていた。
畑中はほかの者たちが戸惑うのも構わず、公民館の中、より騒音が酷いほう、より臭いがきついほうへと進んでいく。畑中のその目はギラギラと光り、隠し切れない興奮と狂気とが滲み出ていた。
はたして、鬼は広間にいた。公民館周辺に響いていた轟音は鬼のイビキだったよう。その音のせいでスヤスヤとは表現しにくいが、鬼はぐっすりと熟睡してそうだ。
公民館の裏口の戸が屋根から壊され、裏口近くの広間の戸が破壊されているのを見ると、鬼は裏口から公民館に入り、広間で横になり、丸くなったのだろう。
(まるで人の動きみてぇだな)
戸が壁や屋根ごと壊されているとはいえ、裏口の戸から入り、部屋の中で窮屈そうに丸くなっているのはまるで人の行動のようだと、しかもこの公民館の部屋の配置を知っていたかのような行動だ、と、畑中は人の姿とはまるで似ても似つかない鬼を見て思う。
鬼に頭の先から足先まで体毛らしきものは確認できない。肌の色は薄墨色に青と紫をまだらに混ぜ、ぐちゃぐちゃに濃淡をつけたような色で、表面は所々ボコボコとしている。
今は丸くなって、頭を抱えるように寝ているため、顔は見えないが、鬼の顔に凹凸は少ない。
耳らしき気管は外から確認は難しく、顔の横に空いている小さな穴が耳かもしれない。鼻も同様で、顔の中央にわずかなふくらみがあり、そこに小さな穴が二つ空いている。アレが鼻だろう。
そして、目と目の間は離れており、ヤギのように四角い瞳孔で、眼球はぐるぐる動き、閉じた状態でも顔いっぱいに裂けた口。だから、口が開いた時には顔の長さが倍になったようで、対時した者を恐怖と絶望に叩き落とす。
畑中は背負っていたリュックを静かに下ろすと、中からまずはタオルを出し、口と鼻を覆い、後ろで結ぶ。それから、ブルーシートとビニールヒモ、ハサミを取りだす。裏口の戸まで行き、壊れいる箇所を確認してから、荷物をその場に置き、事務室に向かう。ここの事務室には2mの脚立があったはずだ。
以前は鍵のかけられていた事務室も流星群が飛来して以来は鍵もかけられていない。いざという時に誰にでも使えるようにとの地域の判断だ。管理人がいなくなったせいというのもある。
事務室前に翔と樹、愛叶に森山もそろった。そろったみんなの顔を見まわして、畑中はそれぞれに指示を出していく。
「森山はダンボールを中に入れたら、もう一度取りに行ってくれ。」
「はい!」
「愛叶と樹は避難誘導が無事に終わってるかの確認と、まだ残ってる班があったら、なるべく早く一km以上離れるよう伝えてくれ。」
「はい!」
「わかった。」
「翔は俺を手伝ってくれ。」
「はい。それ、俺が持ちますよ。」
それぞれが素早く、しかしなるべく音を立てないように静かに動きだす。
翔も畑中から脚立を受け取り、破壊された裏口へと向かう。
翔は畑中と同じようにタオルをマスクがわりにしてから、脚立を上り、二人で破壊された屋根にブルーシートをかけていく。なるべく隙間ができないようにブルーシートで覆い、固定する。
次は森山が運び込んだダンボールを開き、スプレー缶に錐で穴をあけ、鬼が寝ている広間に穴のあいたスプレー缶を転がす。
これまでの作業で多少の音はしているのだが、鬼のイビキが煩いせいか、鬼は気づくことなく、ぐっすりと眠ったままだ。
畑中はそんな鬼のようすを油断なく注視したまま、次々とスプレー缶に穴をあけ、広間に転がしていく。
最後の箱を開いてすぐに背負子を背負った新田たちと森山もまた五箱、自転車に積んで戻ってきた。
全ての荷をおろす頃には愛叶と樹も戻ってきた。
「高橋さんたちの班が赤ちゃんを救出してました。親は生き埋めになってて、重機がないと、とても助けられないって言ってました。それに下は押し潰されているぽっいから、助けて出しても時間の問題だろうって……」
悲痛な顔で報告する樹に
「一人でも助かって良かったじゃねーか。」
畑中は樹をふり返り、そう答えるとまた、鬼に向き直り、黙々とスプレー缶に穴をあけ、広間に転がしていく。
全てのダンボールを開いた時点で十代の類と朝陽、二十代前半の樹と愛叶、それに森山を避難させる。
スプレー缶があとダンボール三箱になった。鬼はまだ起きない。
「愛莉もいい女になってたが、花音もいい女だったなぁ。」
畑中に急に話しかけられた翔は咄嗟に声がつまる。
「……そうですね。」
それだけ返すのが、精一杯だった。最愛の恋人を亡くしたのはまだ昨日のことで、そのことについて何も考えないようにと、そうして翔は今日、なんとか動いていた。
「あとは俺がやるから、お前らは先に行ってろ。あぁ、貴重な自転車、壊しちまったらもったいねーから、お前らが乗ってけよ。」
「いや、でもそれじゃぁ……。」
「ぐずぐず言ってねぇでサッサと行け。のろのろして、巻き込まれて怪我なんてかっこ悪りぃことしてんなよ。」
「……」
「なぁ、森の守のやつらがもっといい鬼の倒し方とやらを知ってるんだと。お前らはそれを教えてもらってこいや。」
「……わかりました。畑中さん……」
翔も新田も畑中にどう声をかけたらいいかわからない。それでも、このまま自分たちが残り、言い争いをしているうちに鬼が起きだし、全てが無駄になってしまうことを一番に避けるために、その場を畑中に任せて、先に避難することを決断する。
「健闘を祈ります。」
翔は最後に畑中にそう声をかけ、新田と揃って、背中を向けたままの畑中に深く礼をする。そして、公民館をで、自転車の後ろに新田を乗せ、翔は全力で自転車を漕ぎだした。
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