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社会人、12年目と半年
しおりを挟むドンッと豪快に生ビールの入ったジョッキが俺たちの目の前に置かれる。
「ほい、乾杯。」
そのジョッキを持ち上げ、音を鳴らす。
ちょうど会社の前期決算も終わったし、それの打ち上げも兼ねて直属の部下である吾笠と二人で飲むことにした。
期が終わるまでの約半年間、彼とは公私共に、色々なことが起こった。
彼の好意をお断りしたいと思えず、彼の上司を辞めたいとも思えないことが、一番の問題なような気がしている。
言葉で表現するのは難しいが、もう離れたくないと思っている。
今まで生きてきて初めての感覚だった。
「吾笠、あの、さ」
酒の肴の注文もそこそこに、俺は口火を切る。
まず、彼の名誉のために確認しなければいけないことがあった。
「あれ、大丈夫なのか?」
「あれ、とは?」
「だから、あれだよあれ、外回りの時とかの」
「ああ、それ。」
枝豆を剥きながら話を聞いていた吾笠の皿の前には、緑色の豆粒が山を作っていた。
これを一度に食べるのが好きなのだそうだ、これまで何度か飲みに行って知った彼の癖。
他にも、細いポッキーは3本くらいまとめて食べる(曰く、普通のポッキーではそれができないらしい)とか、BL漫画だけは絶対紙で買うとか。
好みや癖を把握してしまうほどに、俺もバッチリ吾笠という人間に興味を持って観察していた。
それは置いておいて、俺は彼に問わなければならないことがある。
それは二人で外回りをしていた時のことだ。
「成美さぁ~ん、彼女とかいないんですか?あ、もしかして彼氏とか!?」
こういう仕事をしていると取引先の女性社員からこのように絡まれることは多い。
「あー、すみません」
そして俺はその追及を躱すのが苦手だった。
いつものように適当に苦笑いして誤魔化そうと思っていたのだが、その日は違った。
「僕も成美さんを狙ってるので、気になりますね。」
「はっ!?」
隣にいた吾笠が突然そんなことを言い出したのだ。
「えぇー!?本当ですか!?」
「冗談です。」
「きゃあ、またまたぁ~!
これからもお二人のことを見守りたいので、ぜひぜひこれからも取引お願いいたしますね♡」
「え、はあ、ありがとうございます......?」
「ありがとうございます。」
この吾笠の本気なのか冗談なのかわからない俺へのアプローチがお姉様方に刺さるようで、今期は新しい取引がポンポンと決まっていった。
「いくらなんでも、営業に身を削りすぎだって。」
「どうしてですか?」
「俺なんかとその、カップリング組まれたりしたら嫌だろ。」
「成美さんは嫌なんですか?」
いや、別に嫌悪感はないけど。
あったらとっくのとうにもっとよそよそしく振る舞っている。
「いや、別に嫌とかではないけどさ、吾笠くらいかっこいいし若いと、恋愛し放題だろ?
そんな時期に俺のことどうこう言ってたら恋愛できなくなるぞ、どこで噂になるかわからないんだから」
「成美さんが嫌じゃないならいいです。」
あれだけ山のように積まれていた枝豆は、スプーンによってほとんど吾笠の口に運ばれていた。
今は皿の上に数個しか残っていない。
残ったそれを器用に箸で掴みながら、吾笠は笑った。
「なんでだよ、だめだろ。」
「だめじゃないです。」
「えー、もしかして本当に俺のこと好きだったり?」
そんなことはないですけど、といつものテンションで返されると思っていた俺の予想は悉く外れた。
予想、というよりそうだったらいいなという願望に近かったが。
吾笠は無言だった。
皿の上の枝豆はもうなくなっている。
「......本気ですよ。」
「え、」
「お待たせしましたぁ~!だし巻き玉子でぇす!」
ドンッと勢いよく熱々のだし巻き玉子が置かれた。
湯気が立っていて美味そうだが、今はそれどころではなかった。
「......前にも言ったけど、俺は恋愛ができない。」
「その子が好きだから?」
「いや、もう踏ん切りはついてる。20年近く経ったしな。
別に恋愛したって良いんだろうけど、どうしてもできない。
俺だけが幸せになるなんて、俺が許せない。」
「その、好きだった子にですか?」
「そう。申し訳ない。」
「......彼女は、絶対にそんなこと思ってないと思いますけど。」
「え?」
吾笠がムッとした表情を見せる。
大人びていると思っていた彼が初めて見せた、子供のような表情だった。
何に怒っているんだ?
「彼女は絶対に、成美さんには自分の分まで幸せになってほしいって思っていると思いますよ。
せっかく生きているんだから、自分のことなんか引き摺らずに。」
そう告げてくる彼の目が、やけに真剣だった。
あれ、俺、その子が女の子だって言ったっけ?
アルコールの入った頭ではうまく処理ができない。
「まあでも、成美さんを幸せにするのはやっぱり僕しかいないかもって思ってしまう自分に、嫌気が差しますね。」
自嘲気味に笑った吾笠は、だし巻き玉子に箸を伸ばした。
「んん、何、どういうこと?」
「言いません、成美さんが僕のこと好きになってくれるまでは。」
「えっ!?冗談、だよな......?」
「僕が、冗談でこんなこと言うと思ってますか?」
「いや、そ、そうだよな。悪い。」
口に入れただし巻き玉子から出汁の風味が口内に広がり、心が落ち着く。
目の前に対峙する部下の目は据わっており、冗談ではないことがまざまざと感じさせられた。
そこから、酒の味は、正直なところあまり覚えていない。
「成美さん?成美さーん?」
肩を叩かれている感触はわかるが、口から呻き声が出るだけで身体を起こすことはできない。
いかん、飲み過ぎた。
俺は、誰かを好きになって、いいのだろうか。
微睡に沈んでいく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パチンッ
室内灯が灯る。
一人暮らしを始めたばかりの部屋には、家具の他には大きな本棚が置いてある。
吾笠が学生の頃から集めてきたBL漫画たちだ。
その棚は、家主をいつもは静かに迎え入れるが、今日は違っていた。
「ほら、成美さん。着きましたよ。」
「んー、ここどこ?」
「僕の家です。成美さん酔っ払っちゃったんで。」
飲みすぎてしまった力の入らない身体を引き摺って入ってきたため、大人二人分の重さを受けた床の衝撃が棚にも伝わる。
「あがさぁ、ありがと。」
ソファに寝かされた成美は、笑う。
「......仮にも告白された男の家に上がるなんて、BL漫画だったらとっくに襲われてましたよ。」
棚に詰まっているBL漫画の主人公たちは簡単に付き合えているのに、なぜ自分のこととなるとこんなにも難しいのだろうか。
こんなにも好きという気持ちが大きくなり、誰かが欲しいと思ったのは初めてなのに。
吾笠は肩を竦めた。
「なあ、俺のこと好きって、ほんとか?」
ソファに身体を沈めた成美が、ぼんやりとした視線を寄越す。
「ええ。」
「えー、でも、12歳差だぞ?」
「年齢とか、関係ないです。大事なのは成美さんの気持ち。」
「俺ぇ?俺も、好きだよ。吾笠のこと。」
「部下として?」
「うん、勿論。でも、人としても。」
成美の顔が、ふにゃりと崩れる。
いつも飄々とした態度で、のらりくらりと人との深い関わりを躱すような態度をしている彼が、こんなにも素直な表情をしているのを見たのは初めてだった。
「なんかさ、あがさって似てるんだよなぁ。その子に。」
ピクリ、吾笠の眉が動く。
「また『その子』ですか。」
「そう。昔、俺を助けてくれた人。」
「そんなに、好きだったんですか。」
「好きっていうか、憧れ......かな。
BL漫画だってその子が読んでたから興味持ったわけだし。」
「今でも、その人のことが好きなんですか?」
「正直わからない。でも、誰と一緒にいても、その子のことが頭に浮かぶんだよ。
その子が、BL漫画読みながら『これが本当の愛だよ』って笑うんだ。
だから、誰かと付き合おうって思うのは諦めた。」
アルコールが入ったからか、成美の口はよく動く。
「なんだよ、本当の愛って……どれだけ漫画読んでもわかんねえよ」
「その子がもし生きていて、『付き合おう』って言われたら付き合ってたんですか?」
「さあ、どうだろうな。むしろ『彼氏を作れ』って言われそうだよな、めっちゃBL好きだったし。」
今まで聞いたことのない彼の本心に、吾笠は目を見開く。
「最後にあの子と見た光景がさ、マジックアワーに見えるあの空だったんだよ。
空が紫とオレンジでさ。だからそういう空見てると、またその子に会える気がするんだよ。」
「でも、『その子』は死んでるんですよ!」
脳が感じていたふわふわとした浮遊感は変わらないが、横になっている成美の視界に吾笠の顔が広がった。
吾笠が成美の両頬を掴み、覗き込んでいた。
「もういない『その子』じゃなくて、僕を見てくださいよ!僕がどれだけ貴方を、......あれ、」
スゥ、と寝息が聞こえてくる。
どうやら飲み過ぎてしまった上司は寝てしまったようで、吾笠は肩を落とした。
「ああもう、気を許しすぎですよ。」
床にへたり込んだ吾笠は頭を抱える。
「僕は、そんなに『その子』と似てますか、成美さん。」
いくら話しかけても、眠りについてしまった彼が応えることはない。
「ライバルが、強力すぎる......」
はあ。大きな溜息が、室内を木霊した。
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