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第五章

22 エリザベスの帰宅 エリザベス視点

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 カートラット伯爵家の門の前まで、プレイステッド侯爵様は送ってくれた。
門柱もんちゅうに付いている呼び鈴を押すと、一番上のランベールお兄様が出てきた。

「ランベールお兄様!」
「エリザベス!? もう二度と会えないかと思っていたよ!」

 お兄様はとても驚いてすぐに門の鍵を開けて私を通してくれた。

「お兄様……申し訳ございません! わたくし、こんな事になるとは思わなかったの……お父様が逮捕だなんて……」

 お兄様は頷いて、優しく私の頭を撫でた。

「積もる話があるだろう、屋敷の中で話さないか? 談話室に紅茶を持たせよう」
「はい」

 私はお兄様に付いて一緒に談話室に入った。執事が紅茶を入れる中、私は長椅子に座る。お兄様は向かい側の長椅子に座った。
執事がテーブルに紅茶を二つ置いて談話室を出て行った。

「じゃあ、何から話そうか」
「わたくし、お兄様に聞きたい事があるんです、いいですか?」
「僕で答えられる事なら、どうぞ」
「お兄様はわたくしが地下に閉じ込められているのは知ってたんですよね? なのにどうして助けてくれなかったの?」

 お兄様は暫く顎に手をやり、考えていた様だった。

「正確に言うと知ってたのは僕と二番目の兄のマリウスだけだよ。三番目の兄と四番目の兄は知らないから、出来れば内緒にしてて欲しい」
「わかりました」
「僕が知ってても何もしなかったのは、父上がエリザベスの事をとても愛してたからだよ。僕は小さい頃から君が本当の兄妹じゃないと知ってた。父上から聞いてたからね。それで、父上はずっと小さい頃から君を花嫁にする気で育ててた。愛情込めてね。それはわかるだろう? 君は愛されてたって」
「ええ……」
「父がどうして『娘を花嫁にしたい』なんて妄想に駆られたか理由は知らない。だけど、父上に幸せになって欲しかったんだ。エリザベス、君と。だけど、君の心を無視する形になってしまって申し訳無かった」

 お兄様はただ、お父様が私と結ばれて幸せになって欲しいと思っているだけだった。
私とお父様に血の繋がりが無いのを知っていて、子供の頃から『花嫁にする』と言われていたなら、そう考えても仕方が無いのかも知れない。

「僕達男兄弟がなんで全員母親が違うか分かる?」
「え、みんな異母兄弟なんですか?」
「そうだよ。父上は本当は『実の娘』を花嫁にしたかったんだ。父上は女性の好みが10歳前後だから、成人女性と結婚するのはきつかったと思う。それでも15歳の子と結婚して子供を作って……一番目に生まれたのが僕だった。色んな事を我慢して、好きでもない見栄えの良いだけの女と結婚したのに、生まれたのが男だよ? がっくりするよね?」
「でも、お父様はお兄様も愛していらっしゃいますわ?」
「そう、父上は優しいんだよ。僕の事も邪険にせず、愛してくれた。でも、母は愛せなくて、僕が生まれてすぐ離婚して追い出した」
「……」
「二番目の時も相手は15歳の女だった。父上は結婚出来る最低年齢の子としか結婚しなかったんだ。二番目の奥さんも生んだのは男だった。そして子供が生まれてすぐ離婚して追い出された。三番目四番目もさ。父上は自分に問題があって、男しか生まれないんじゃないかと、4番目が生まれた時は、夜中にひとり泣いていた」
「お父様……お可哀想に」
「そして、作ることはやめて、貰い育てる事にしたんだ。それがエリザベス、君だよ。愛されるために育てられた」

 私は紅茶を飲んだ。お兄様が私に話して聞かせるお父様の姿は、その特殊性癖ゆえに、とても孤独で寂しい人の話の様に聞こえた。

「父上は少女しか愛せない。子供を作る為の結婚は出来ても、永遠に愛を誓う結婚は……『娘を花嫁にする』という妄想に駆られて、娘としか出来ない。父上を孤独から救えるのはエリザベス、君だけなんだ」
「でも、わたくしもいずれは年を取ります。いつまでも11歳の少女でいられるわけではありませんわ。その時、お父様はわたくしを愛してくれているかしら?」
「それは、僕には分からない」

 お兄様は紅茶を飲んで私の姿を確認した。

「少しやつれたかな? 明日、父上が釈放されて帰宅する。気になることがあるなら、父上にきちんと聞いた方がいい。色んな事を話し合うといい、今まで君の知らなかった父上が見えてくるかも知れない」
「お父様の疑いが晴れたんですね?」
「ああ、父上はそんな悪人じゃないよ。まぁ、特殊性癖持ちではあるけどね」

 そう言ってお兄様は笑った。

「お兄様、話は変わるのですが、もうひとつ聞きたい事があります。不思議だと思ってた事があるんですが、リッツ伯爵家とカートラット伯爵家では家格は同じなのに、どうしてカートラット伯爵家の方が金銭的に余裕があるように感じるのでしょうか?」
「ああ、それはうちは商会で製粉業を経営してるから、儲かってるんだよ、単に。リッツ伯爵家はたしか商会で輸入食品業を経営をしているはずだ。最近はその中でも米に力をいれて作付けしたりしてるらしいが」
「製粉業?」
「小麦、大麦、ライ麦とかを育てて粉にして売るんだよ。パンの材料だから、皆買うでしょ? プリストン王国の90%の人は我が商会が作った小麦粉を使ってる。貴族落ちした貴族や没落した貴族から安く土地を買い、作付け面積を広げて収穫量をアップさせたり、外国にも商品を売っている。商会としては規模が大きいほうだから、リッツ伯爵家よりは儲かってるよ」
「そうでしたのね」

「エリザベスはそんな事に興味が無いと思ってた、どうしたの急に」
「いえ、孤児院で色々あって、お金って大事なんだって思った時に、お父様がどうやってお金を稼いでいるのかさえ知らなかったんで、家の仕事の事が少し知りたくなったんです」
「エリザベスは綺麗なだけじゃなくて賢い子だもんな。そうだ、朝食は食べたのかい? 僕はまだなんだが、一緒にどうだい?」
「でしたらスープだけでお願いします」
「スープだけ?」
「孤児院で色々あって、わたくし、殆ど食事抜きでしたの。急に食事を取ると身体に良くないから……」
「だからそんなやつれた様な顔をしていたのか! 食事をさせないなんて、虐待じゃないか! 虐待だと言って妹を連れて行ったくせに! なんて奴らだ、福祉課の連中め!」
「お兄様……」
「あっ、つい興奮してしまった。すまない。食事を取ろう、スープだけでもいい」

 お兄様は私の肩を抱いて食堂に連れて行った。
久しぶりの食堂で懐かしく感じた。ギィッと音がして、食堂の扉が開かれた。入って来たのは二番目のお兄様である、マリウスお兄様だった。

「エリザベス!」
「マリウスお兄様!」

 マリウスお兄様は私を見ると、すぐに走り寄り抱きしめた。椅子に座っていた私は立ち上がろうとした。

「いいよ、エリザベス、立ち上がらなくても。私も君を抱きしめて落ち着いたらすぐ席に戻るから」

 マリウスお兄様は暫く私を抱きしめて、落ち着いた様で、私のおでこにキスをして自分の席に座った。

「でも、どうして? 私は君がもう戻ってこないと思ったよ」
「それは僕も思った。どうなるか先を考えてなかったから、友人に助けを求めたんだろうけど、戻ってくるって言う事は……父上に自分の身の上を聞いた今なら、どういう事か分かるよね……?」
「それは……、今は聞かないで? ランベールお兄様、マリウスお兄様。わたくし、色々お父様とお話しがしたくて。前はお父様が一方的にお話して、わたくしを地下室に閉じ込めてしまったから、話し合うなんて出来なかったの。ちゃんとお父様とお話をして、それからお兄様方にお話します」

 ランベールお兄様とマリウスお兄様は、お互い顔を見合わせてから私に頷いた。
食事を取ってから私はお風呂に入った。

 今まで、お風呂に入れることが贅沢な事だと感じた事が無かった。
あの孤児院にはお風呂が無くて、身体は井戸の近くで、桶に汲んだ水で洗うらしい。外でそんな事をしていたら男の子達のいい餌食だと思うのに。
シスターシビルは15歳未満は皆子供で、性的な欲望が無いとでも思ってるみたいだった。

 私を襲おうとして、禁止されているにも関わらず、部屋へ侵入してきて、私にあれを切られてしまった少年ディックだって、まだ14歳だった。
15歳、成人になったら出て行かなければいけないから、孤児院にいられるのは14歳まで。だけど、14歳にもなったら性行為がどんな事くらいかは男女関係なく分かりそうなものだと思うし、特に男子は興味が出てしまうだろう。
それなのに女子に井戸の周りで水浴びさせるなんて。最悪だわ。
あの時、部屋に一緒に侵入してきたダンだって、ノエルに目を付けていたと言っていた。あの子は孤児院のどの子よりも綺麗だったから、少し心配だわ。

 私は体に付いた泡を流して、湯船に浸かった。
体中の疲れが開放されて行くような浮遊感。背中を湯船の壁に付けて頭を縁に乗せた。天井の雫が落ちてきて、顔に当たった。

「きゃっ」

 プレイステッド侯爵様にディックとダンの事を叱られると思った。だけど、彼は私を叱らずに、『よく、ノエルを守ってくれた』と感謝していた。私はその表情に驚いた。凄く愛情を感じたからだ。……ノエルへの。
その愛情はなんだかわからない。
愛情は色々あるから。
孤児院院長としてノエルを愛してるのか、ひとりの男としての愛なのか?
もう孤児院を出てしまった私にはどうでもいい事だった。

 湯船の水をすくって顔を洗う。
明日、お父様が戻られる。
ちゃんとお話して、そして自分の未来を決めよう。
私はお風呂を出て部屋で休んだ。

 夕食の時間に執事が来て私を起こした。お兄様方は先に夕食を取ってしまったらしい。私はひとりで夕食を取り、部屋に戻った。
暗い部屋に月明かりが差し込んでいたので、窓から空を見上げた。
大きな満月が夜空を明るく照らしていた。
私は自分の寝台に入り横になった。
ふかふかの布団。スプリングの利いた寝台。
孤児院の簡素な寝台とは全然違った。

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