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第五章

18 セントクロノス孤児院前編 エリザベス視点

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 私はその日の夕方、福祉課課長であるギデオン=プレイステッド侯爵様に保護された。そしてお父様は逮捕されて、番所に連れて行かれた。
それは私の望んでいた事じゃなかった。
私はお父様の『花嫁』になりたくなかっただけ!
ずっとお父様の娘として可愛がられ、優しくされ、望んだ物はなんでも買ってくれた。お父様は凄く私に優しくしてくれた。だから、お父様の事を『男』としては見れない。だけど、『父』としては好きだし、愛してる。

 お父様が私に望んだ『花嫁』は身体の繋がりも含めてだった。
今まで実の娘だと思っていたのに、急にそんな事を言われても、無理だとはっきり思った。だから、誰かに助けて欲しかった。
それは、度々私に手紙をくれているシエラ様しかいなかった。
あの時、シエラ様の執事がお手紙の返事待ちをしていたから、助けを求めた。
あの執事が返事待ちをしていなければ、私は助けを求めるなんて出来なかった。
手紙の香り付け用のキップルの汁が、いつもより小瓶に多く入っていなければ……、誰にも見られない手紙の書き方を思いつかなかった。

 今となっては自分が助けを求めたのが正しかったのか、疑問を感じる。
だって、あんなに私に優しくしてくれたお父様を、私は逮捕させてしまった。お父様の罪が立証されれば、お父様は罪に問われて『貴族落ち』になる。
貴族落ちとは、平民になる事だ。もう貴族街には住めないし、平民は貴族に話しかけられるまで自分が話してはいけない。
そこには人間と獣位の差があった。
それはもちろん私にも付随する。お父様が平民になると言う事は、私も平民になると言う事。

「このわたくしが……平民ですって? 有り得ない。馬鹿げてるわ」

 小声で言っても、召喚獣で空を駆けてる今では、言葉は風の中にかき消された。
私の後ろにはプレイステッド侯爵様が、私の体を落ちないように抱きかかえている。
この時の私はまだ現実を認識してなかった。





 孤児院前に着くと、プレイステッド侯爵様は召喚獣を消して私に言った。

「セントクロノス孤児院にようこそ。君は今日からここで皆と仲良く暮らすんだよ」
「平民しかいないんでしょ? 仲良くなんて出来ないわ」
「平民も君と同じ人間だよ? 何でそんなに毛嫌いするんですか?」
「だって、平民は魔法も使えない下等な生き物よ? 獣と同じだわ?」
「ここのシスターシビルは魔法が使える。元貴族だからね。他にも生まれが平民でも、たまに魔力のある子が生まれる。魔法が使えないから下等というわけでは無いと思いますよ」
「それ位、わたくしも知ってますわ? でも、平民の魔力持ちの子は王国預かりになって、ゆくゆくは貴族として生きていきます。それは有能って事じゃないの? この世界を動かす全ての物には魔力が必要ですわ。だから貴族のお屋敷に勤める使用人も、側仕えの魔力持ち貴族と、平民の下働きに分かれているんじゃない。わたくしは何も知らなくて言ってるんじゃないわ。現実を踏まえて言ってるの」
「思っていたよりも……世の中の事を知ってらっしゃるんですね」
「貴族の事だけよ。平民の生活なんて知らないわ」

 私がそう言うと、プレイステッド侯爵様は少し眉間に皺を寄せた。
私が言った言葉に呆れているようにも感じた。
ドアを開けて孤児院の中に入ると、3~4歳位の子供達が走り回っていた。

「待てよ~! それ、僕のおもちゃだよ~!」
「ここには自分の物なんて無いよ~だっ! 全部、皆の物だもん!」

 先を走っている男の子が兵士の人形を持って走って行って、その後をもう一人男の子が追っかけていた。

「こら! 院内は走ってはダメだと言ってるだろう!」
「げ~っ! 院長様来た~!」
「逃げろ~っ!」
「……まったく」

 プレイステッド侯爵様は『院長様』と呼ばれていた。身分の高い侯爵様なのに、平民如きがあの態度。よく許せるわね?
でも、自分もこのプレイステッド侯爵様に、つい苛立ちをぶつけて先程あの様な会話をしてしまった。身分の低い伯爵家風情が、と思われたかも知れない。
迂闊な行動をしてしまった自分に、さっきとは違う苛立ちを感じた。
子供達が走りすぎて行くと、今度は年配の女の人がやってきた。

「どうしたんです、院長様? 今日はもう少し遅くにいらっしゃると聞いてましたが……」

 プレイステッド侯爵様の横にいる私に、その女の人の視線が移った。

「急だけど、保護案件だよ。この子はエリザベス=カートラット伯爵令嬢、10歳」
「まぁ、綺麗な子ね」

 私は優雅にドレスの裾を摘んで挨拶をした。

「エリザベス=カートラットでございます」
「あらあら、ご挨拶もきちんと出来て、躾がよく出来てるわ。私はシスターシビル、年齢は内緒。まぁ、見ればおばさんだって、分かっちゃうけどね。ははは」

 シスターシビルは豪快に笑った。金髪で、後ろに髪をまとめてお団子にしている。瞳は緑で、少し小太りのおばさん、年齢は40代後半位かしら? この人が元貴族だなんて……。私もこんな風になっちゃうの?
絶対嫌!

「じゃあ、私は城に行かなければいけないので、シスターシビル、あとは頼んだよ?」
「ええ、まかせて下さい院長様」

 プレイステッド侯爵様は私を置いて行ってしまった。

「私に付いて来て頂戴?」

 私はシスターシビルの後を付いて行って、地下に下りた。地下には子供達の部屋があり、0~4歳の子達は皆で一部屋、それ以外の5~14歳までの女の子達は二人一部屋の相部屋だと言われた。ちなみに、一階は男子達の部屋で5~14歳までの子が二人一部屋で住んでいて、男子も女子も一階の男子部屋と地下の女子部屋を行き来してはいけない決まりになっていた。

「あなたの部屋はここよ、エリザベス」

 『エリザベス』と呼び捨てにされて、むっとした。ここでは平民扱いをすると言ってたから『様』を付けられないのも、そういう事なんだと納得するしかなかった。
部屋のドアを開けると、そこには簡素な寝台が二つ、両脇の壁沿いに並んでいた。その片方の寝台に座っている女の子がいた。
緩やかに波打つ白金色の髪が胸まで垂れていて、瞳は薄い桃色。肌の色は陶磁器に様に白かった。腕も足も細くて、華奢だった。凄く綺麗な子。

「相部屋の子でノエル=ブランシスよ。性格も穏やかでいい子だから、貴女とは仲良しになれると思うわ」

 シスターシビルがそう言うと、ノエルはぺこりとお辞儀をして挨拶をした。

「ノエル=ブランシスです。来月で10歳になります。よろしくね?」
「エリザベス=カートラット、10歳よ。来週で11歳になるから、貴女より1つ年上。よろしく」
「じゃあ、エリザベスはそこに着替えを用意しておいたから、それに着替えて、食堂に来て頂戴。もうそろそろ夕食の時間だからね。ノエルはエリザベスの着替えを手伝って? そのドレスは一人じゃ脱げなさそうだからね」
「はい、シスターシビル」
「ちょっと待って! 何故わたくしが、こんな着古した様な平民服を着なければいけないの!? 嫌よ!」

 私がそう叫ぶと、シスターシビルはあからさまに嫌な顔をして言った。

「あのね、最初に言っておくわ、あんたはもう『伯爵令嬢』じゃなくなる可能性が高い。そして、ここは貴族様の子でも平民と扱いが一緒になる場所なんだよ、分かる? それは決まりなの。平民として扱われる事に慣れて貰わないと。それに、そんなドレスでこの孤児院内をうろうろされても、他の子達に元貴族って馬鹿にされるだけだよ?」
「何故、貴族って馬鹿にされなきゃならないのよ! 馬鹿にされるのは平民でしょ!」
「平民の多い場所でそんな事言ったら、あんた、ボコボコに殴られるよ? 貴族様が馬鹿にされる理由はアンタみたいに平民を馬鹿にする奴がいるからさ」
「院長様と私の支援者様は違う」

 ノエルがそう言ってシスターシビルを睨むと、シスターシビルは言葉を訂正した。

「ああ、院長様とノエルの支援者様は違うね。平民と言って私達を馬鹿にしない。人として出来てるよ」
「わたくしは着替えないわ!」
「はぁ~、親切で言ってやってるのに、好きにしなっ!」

 シスターシビルは怒って部屋を出て行った。
そんな私を見てノエルが私に話しかけてきた。

「ねぇ、リズ、シスターシビルを怒らせない方がいいよ。夕食の量が少なくなっちゃうよ?」
「あんな事で?」
「うん」
「お着替え、手伝う? リズ」
「わたくしはリズじゃない! リズって呼ばないで!」
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「……エリー。お父様はずっと、わたくしの事を『エリー』って呼んでいたわ」
「じゃあ、エリー、着替え、手伝うよ?」
「……嫌、わたくしはこのままでいいわ」

 私は自分の方の寝台の上に、無造作に置かれている古着に目をやった。
こんな、誰が着たかも分からない、汚らしい服を着るなんて……出来ないわ。
私がこのままでいいと言うと、ノエルは仕方なくそのまま行こうと私の手を引いた。
食堂は一階の渡り廊下で繋がっている別館に有り、そこまで案内してくれた。
ノエルが先に食堂のドアを開けて入り、私はその後ろに続いた。
すると、食堂の席に着いていた子供達がざわざわと騒がしくなった。

「なんだこいつ! ドレスなんて着てやがるぜ~!」
「こんな場所にどこかのお姫様が来たみたいね?」
「お姫様? 仮装でしょー?」

 それは、私を馬鹿にした言葉だった。何で私が平民如きに馬鹿にされなきゃならないの!?

「今、わたくしを馬鹿にした者達は前に出なさい! お仕置きするわっ!」

 私がドレスのポケットから杖を出すと、厨房から来たシスターシビルが走ってきて私の杖を取り上げた。そして、思いっきり頬を平手打ちされた。

「お仕置きが必要なのはこの子達じゃないよ! あんただよ! エリザベス! あんたは今日は夕食抜きだからね! 部屋に戻って反省しなっ!」

 私は頬を思いっきり引っ叩かれて床に崩れ落ちた。
私の後ろでノエルが小声で呟いた。

「だから言ったのに……」

 私はひとり、部屋に戻って寝台に寝転がった。古着を持って匂いを嗅いでみた。こんなに汚らしいのに、洗濯はしてあるようで石鹸の匂いが微かにした。

「こんなの着たくない……」

 床に放り投げた。
寝台に寝転がっても板に布団を置いてあるだけで、全然ふかふかじゃない。こんな所で寝たら身体が痛くなりそう。

『ぐ~~~~』

 お腹が鳴った。
夕食も取れないなんて、自分がとても惨めに感じた。

 貴族のお友達の事を考えた。あの子達は今、私よりいい暮らしをしている。
そう夢想するとイライラした。
私には取り巻きが沢山いた。だけど、皆、私より格下の貴族家の子ばかり。学校の取り巻きの子たちも、男爵家、子爵家の子ばかりで、正直同格か、それ以上の子とお友達になりたいと、ずっと思ってた。

 シエラ様はそんな時に知り合った子で、伯爵家で私と同じ家格だった。でも、同じだったのは、つい最近までだった。
シエラ様と婚約しているコモン様が、侯爵様に陞爵しょうしゃくされたからだ。シエラ様はまだ未成年で、結婚出来ないから伯爵家のままだけど、預かり子としてエルサレム侯爵家に住んでいる。その扱いは侯爵夫人としてだ。
もうシエラ様は私とは同格じゃない。
シエラ様と、とても仲の良いアリア様も公爵様の婚約者で、本人自身が神籍の持ち主でもある。私はこの3人グループの中で一番爵位が低かった。

 でも、二人とも性格が良いからか、私を馬鹿にする様な事は全くしなかった。
それどころか、お城にも招待された。
でも、お父様がアルフォード公爵様に嫉妬して断ってしまった。初めて3人でお茶会をした時はあんなに楽しかったのに、いつからか私はアリア様と会うのが楽しく無くなっていた。

 だって、どうやっても彼女の身分には勝てない。
神籍を持つ彼女は人では無い。女神様だし、その美しさは眩しすぎる。一緒にいると身分だけでなく、見た目まで見比べて評価されるのが怖かった。
シエラ様はまだ人間だけあって、美しいと言っても、人ならざる者とは違った。人間の中でも綺麗な子、そういう印象で、一緒にいてもそこまで私が惨めになる事は無かったから、一緒にいられた。
ドアをノックする音がした。

「ノエルだよ。開けるよ?」
「どうぞ? 貴女の部屋でもあるんだから、いちいち言わなくていいわよ」
「これ、はい」

 ノエルが私に渡そうと広げた手に乗せられていたそれは、一瞬石に見えた。

「何これ? 石?」
「石ぃ? やだぁ、パンだよ~! 黒パン! 夕食に貰ったやつ、ちょっと残して持ってきたよ。エリーお腹すいたでしょ?」
「お腹なんてすいてないわ」
『ぐ~』
「エリーはお腹すいてなくても、お腹は『すいた』って言ってるよ?」
「こんな石みたいなの、……食べられるの?」
「黒パンは硬いから、スープに入れて柔らかくして食べるんだけど、スープはここに持ってこれないでしょ? だから、このまま食べるしかないよ」
「……ありがとう、ノエル、でも今本当に食欲が無いの。だから枕の下に入れて置くわ」

 私はドレスのポケットからハンカチを出して、石みたいな黒パンを包んで枕の下に入れた。その後は洗面所に二人で行って、歯磨きをして寝た。
今日起きた事はすべて悪い夢。明日になったら目覚めて、元の日常に戻る。
そう、きっとそうよ。





「エリー! 起きて!」

 お父様以外の人にエリーと呼ばれるのは初めてだった。誰にもそう呼んで? と言った事は無い。ノエル以外。
私を起こしたのはノエルだった。

「朝のお祈りの時間だよ! 礼拝堂に行くよ!」

 私はアクアウォッシュした。杖が無くてもこれくらいの生活魔法位なら使える。

「え? 何、今の? 魔法?」
「身体を浄化する魔法よ。昨日お風呂に入ってないから」
「ねぇ、またそのドレスのまま行くの?」
「ええ、そうよ?」
「シスターシビルが良い顔しないと思う……。またごはん、貰えないかも」
「だったら、だったでいいわ。ノエルがくれた黒パンがあるし」
「昨日、石って言ってたよね? 石、食べちゃうの? あははは」

 ノエルが笑った。

「まぁ、いいわ、行きましょう」

 礼拝堂の入り口にはシスターシビルがいて仁王立ちで私を引き止めた。

「私は昨日、言ったはずだよね? 着替えろって。ここはドレスを着るような場所じゃないって」
「わたくしは着替えるのは嫌と言ったわ?」

 シスターシビルが私の頬を平手打ちした。このおばさん力強すぎ。
私の体はまた床に倒れた。
近くにいた別のシスターが走ってきた。

「シスターシビル!? 何をしているの? いきなり暴力なんて絶対ダメよ!」
「シスターメグ、この子は言っても分からないよ! 体に覚えさせないと!」
「ダメ! ダメよ! ちゃんと話せば分かるわ」
「この子に神の祈りはさせない! 私の言う事が聞けるまで、ここには入らせない! この子には神に祈る資格なんて無い!」

 好き勝手言われて腹が立った。

「わたくしがあなたの言う事を聞かないから腹が立ってるだけでしょ? 他の子はごはんを上げないよ? と言えば、皆あなたの言う事を聞くものね。なんだかそれって、独裁者みたい。言っておきますけど、わたくしは本物の神を知っているわ! 神に祈る資格が無いのは、あなたよ! シスターシビル!」
「ああああっ!? お前は今日一日食事抜きだ! 井戸から水を汲んで厨房へ持っていきな! ちゃんと仕事するんだよ! この馬鹿令嬢が!」
「あら、今日の水汲みは偽のお姫様~? 良かった~、あたし、当番だったんだよねー。もちろん一人でやるんですよね? シスターシビル?」

 そこにいた孤児の女王様的な女の子が、私に当て付けるようにシスターシビルに媚びていた。

「当たり前よ! シスターメグ! 井戸と厨房の場所を教えてやって!」

 そう言ってシスターシビルは礼拝堂の扉を閉めた。
ここにはシスターメグと私と、そして何故かノエルがいた。

「なんで? ノエル、お祈りしなくていいの?」
「神様なんていないよ、エリー。だから祈ったって仕方無いよ」
「いるわよ!? 神様は……。わたくしも前はいないって思ってた。だけど、本当にいるの。会ったことあるもの」
「会った?」
「……ええ」

 私は話を終わらせた。今、これ以上アリア様の話をしたくなかった。
シスターメグは私を連れて、井戸と厨房の場所を教えてくれた。井戸と厨房は遠くて、バケツに水を入れて、厨房の水がめまでそれを運ぶのは大変だと思った。
きっと、シスターシビルはバケツで運ぶことを想定して、私にこの雑用をやるように命令したんだ……いやがらせとして。
なんて性格の悪いおばさんですこと。
でも、厨房の水がめを一杯にすればいいなら話は簡単だった。

「ねぇ、シスターメグ、これは井戸水じゃなきゃダメなの? 魔法で作る水も美味しいけど?」
「魔法で水?」
「やってみる?」

 私は厨房の水がめの前で呪文を唱えた。

『ウォーター!』

 あっという間に水がめの縁ぎりぎりまで水が一杯になった。
シスターメグもノエルも驚いている。私からしたら一番簡単な水属性の生活呪文だ。

「エリー凄い!」
「あ、本当に美味しい水ですね」

 シスターメグが水を飲んでいた。ノエルも一緒に手に掬って飲んでいた。

「冷たい! 美味しい!」
「じゃあ、やれって言われた事は終わったから、わたくしは部屋に戻るわ?」

 シスターメグが辺りをきょろきょろ見回して、冷蔵室から大人の手のひら位のチーズを一切れ持って来て私にくれた。

「シスターシビルには内緒ね? 私、シスターシビルが怖くて逆らえないの。でも、お腹すくでしょ? 食べちゃえば証拠は無くなるから、さっさと食べてね」

 シスターメグは手を振って礼拝堂に戻って行った。私とノエルは部屋に戻った。

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